第36話 灯織スイミングスクール

「まったく、キミたちは元気だねぇ……」


 冬弥が薫に肩を貸しながらパラソルのところに戻ると、ナギが苦笑しながら出迎えた。


「俺はやってないんですけどね──いやぁ、レベルの高い試合でしたよ」

「遠くから見てたよ。さすが高校生だね〜」


 冬弥は薫をパラソルの下に寝かせると、 椅子に座ってニコニコしながらこちらを見つめる女性がいることに気がついた。


「こ、こんにちは!」

「やぁー。冬弥クンって言うんだってー?」


 桃色の髪をした女性は立ち上がってそう聞いた。どこかおっとりとしている。胸もある。


「あ、はい。冬弥です」

「うんうんー。いつも、うちの初代がお世話になってますー」


 そう言って、彼女はニッコリと微笑んだ。──おそらく初代のお姉さんであろう。黒色の水着は妖艶さを感じさせるし、身長は高めで、桃色の髪は初代にそっくりだった。


「……うんうん、イイ男じゃんー」

「?」


 彼女は顎に手を添えながら冬弥をしばらく見つめると、大きく頷く。冬弥はよくわからなかったので気にしないことにした。


「そういえば、初代はどこに行ったのー?」

「えっと、向こう側で遊んでます。ホラ」

「──────」


 冬弥は遠くの方を指差す。そこには、波打ち際でビーチバレーをするエマと初代の姿があった。


「ほんと可愛いよね〜、初代ちゃん☆」

「そーう? 灯織ちゃんも超可愛いけどねー」


 ナギと初代のお姉さんは、仲良く互いの妹を褒め合っていた。それを見て、冬弥はあることを思い出す。


「そういえば、灯織はどこに──」

「お待たせ」


 冬弥がそう呟いたタイミングで、後ろからそんな声がした。振り向くと、そこには麦わら帽子を被った灯織が立っていた。


「おお、似合ってるじゃないか」

「ありがと。さっき海の家で買ったの」


 夏らしい装いで身を包んだ灯織は、冬弥の言葉に少し照れくさそうに返事をした。


「あっ、桃香ももかさん。こんにちは」

「灯織ちゃんじゃーん。いつも音葉と初代がお世話になってますー」


 二人はお互いにペコペコしている。


「え、おと……え? 知り合いなの?」

「まぁ一応。音葉おとはっていう部活の友達がいるんだけど、その子のお姉ちゃんが桃香さんで、妹が初代ちゃん」

「マジで!?」


 冬弥は仰け反って驚いた。


「う、嘘だろ!? どういう関係!?」

「今説明したよね!? 話聞け!」

「あと……お前に部活仲間なんていたのかよ!」

「どこに驚いてんの!? 普通にいるよ!」


 冬弥は驚きのあまり、思わず大きな声で叫んでしまう。しかし、それは灯織にとって心外だったようで、彼女は不満げな表情を見せた。


「す、すまん」

「……別に怒ってないけど」


 灯織はふぅと息を着くと、麦わら帽子を取った。


「あ、それ取っちゃうのか? 勿体ない」

「うん。後でまた被るし、それより──」


 灯織は小さく笑みを浮かべると、冬弥の目を見て言った。


「一緒に泳ぎに行こうよ。試合に勝ったら、冬弥に泳ぎを教えるって約束でしょ?」

「!」


 冬弥は思い出した。確か、ビーチバレーの試合が始まる前に、そういう話になっていたような。


 灯織はふぅと息をつくと、そのまま冬弥の手を引いた。


「さ、早く行こ」

「わかっ──って、おい!」


 ──それはまるで、街中でデートをした時と同じような状況だった。冬弥は灯織に手を引かれたまま、海に向かって走り出していたのだ。


「あははー、青春って感じでいいねー」

「ほんと、仲良しだよね〜」


 ナギはそう言いながらも、内心ほっとしていた。今の二人の仲は、出会った頃からは考えられないくらい深まっている。もうあれこれと、細かいことを心配する必要も無いほどだ。


「なんか兄妹みたい……」

「えっ、そうー?」


 ナギの姉は首を傾げると、ノンアルコールビールの缶を開けてから言った。


「じゅーぶん、彼氏彼女感あるけどねー」

「えー、そうかなぁ……」


 ナギは苦笑しながら、遠くで楽しそうに遊ぶ二人をぼーっと眺めた。


「そろそろ、桃香も彼氏作りなよ」

「無理だねー」

「即答すんな」


 ☆


 その頃、灯織は冬弥を連れて波打ち際までやって来ていた。波の動きは穏やかで、風も程よく心地よい。


「じゃあまず、足から順に水に入っていこっか」


 灯織の言葉を受け、冬弥はしゃがみ込んでから、ゆっくりと足を海水に入れた。


「どう?」

「意外と冷たいな……」


 冬弥は恐る恐るといった様子で、足の先から徐々に海につけていく。


「そう? でもね、そういう時……北海道では『しゃっこい』って言うんだよ」

「ほう──じゃあ、しゃっこい!」


 冬弥は大きい声で叫んだ。すると、近くにいた親子連れがこちらを振り向く。


 なんだか無理やりに現地の方言を意識する観光客のようになってしまい、冬弥は縮こまった。


「やはり所詮、俺は部外者なのだろうか……」

「部外者っていうか、バカじゃない?」

「関係者にしてくれよ! なんだよバカって!」


 冬弥はそう軽口を叩きつつも、少しずつ海に向かって前進していく。


「……って、灯織はもう肩まで浸かってるのか」

「冬弥もやってみて。気持ちいいよ」

「む……灯織がそう言うなら」


 冬弥はゴクリと唾を飲んでから、そのまま一気に腰を下ろして肩の下まで浸かった。


「おぉ……」


 確かに、これは悪くないかもしれない。冬弥はそんなことを思いながら、波に揺られていた。


「意外に怖がらないんだね」

「まぁ……怖くない、って訳では無いけどな」


 波が来るたびに体が揺れるが、不思議と恐怖はなかった。むしろ心地よいと感じてしまうほどだ。


「海を楽しみたいっていうか、なんていうか……」

「……!」


 すると、遠くから少し大きな波が来た。冬弥は急いで立ち上がったが、勢いよく背中から海に飛び込んでしまう。


「……ゲホッ、ゲホッ!」

「大丈夫!?」


 急いで灯織が倒れた冬弥の元に駆け寄るも、冬弥はなんとか身体を起こした。


「あ、あぁ……気にするな。海水が口に入っただけだ」

「む、無理はしなくていいからね?」


 心配そうな顔をしながら、灯織はそう言った。冬弥は小さく笑って答える。


「わかってるって。でも出来ることだけじゃなくて、まずは何でもやってみたいんだ」

「……そっか」


 灯織は小さく微笑んだ。その姿は、水着から海水をしたらせ、太陽に照らされていっそう夏に映えていた。


「────」


 冬弥は胸の奥が熱くなるのを感じた。普段とは違う格好、シチュエーションだからだろうか。いつにも増して灯織が燦然と輝いて見える。


「泳がないの?」

「! あっ、あぁ……」


 灯織に声をかけられ、冬弥は我に帰った。


「よし。先生、ご教授お願いします」

「先生って……まぁたしかに偏差値で言えば天と地ほどの差が」

「それ以上言うな!! 今は海と俺だけを見てくれ!」


 そうして、冬弥は灯織のレクチャーを受けることになった。手に掴まりながらバタ足をしてみたり、少しだけ水中に潜ってみたり──。


 太陽が上に昇るにつれだんだんと人の数も増えてきたけれど、灯織に泳ぎを教えてもらっているこの瞬間だけは──二人きりなんじゃないかと、冬弥は身勝手なことを思った。

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