第13話 恋愛まっすぐストレートは打てない(that made me crazy)

 喫茶店『ワカミヤ』のカウンター席にて。隣同士、エマと灯織が睨み合っていた。


 エマは冬弥の買収がすんなり行くものだと思っていたのだが、灯織は労働力確保の観点から、絶対に反対を貫く姿勢を見せていた。


「埒が明かないわね……そうだ、灯織! トウヤを賭けて何か勝負しましょう!」


 エマは突然、そんなことを言い出した。


「今からゲームをして、勝った方がトウヤをGETできるの! どう?」

「やる気出ない」

「灯織さん!?」


 エマの隣に座る灯織は、明らかに不機嫌な顔をしていた。やはりこんなことで労力を使うのは面倒らしい。


「へぇ……灯織ったら、肝が据わってないのねー。そんなにトウヤを失うのが怖いかしら?」

「……!」


 エマの言葉に、灯織の目つきが変わった。その瞳には怒りの炎が宿っている。


「ひ、灯織……?」

「いいよ。その話、乗った」


 灯織はそう言い放つと、カウンターの席にどんと腰かける。


「あら、意外とあっさり承諾してくれたじゃない。どういう風の吹き回しよ」

「勘違いしないで。冬弥はうちの大事な労働力。それを手放す訳には行かない」

「ふぅん? まぁいいわ。じゃあ早速始めましょ」


 エマは嬉しそうに笑うと、カウンターに肘を着いた。


「勝負は……『山手線ゲーム』で決めるのはどうかしら?」


 その言葉を聞いた瞬間、冬弥の顔から血の気が引いた。


「おい、待ってくれ。山手線ゲームって……」

「ええ。二人で共通のお題に関して答えて、先に答えられなくなった方の負け。シンプルで分かりやすいでしょう?」


 エマがニヤリと微笑んだ。冬弥はその表情を見て思わず身震いしてしまう。さてはこいつ、お題を自分に有利なものにする気では──!


「そうね。お題は……『トウヤの好きなところ』はどう?」


 エマは楽しげに言う。冬弥は自分の危惧していたことが現実になり、頭を抱えた。


 灯織が俺の好きなところなんて挙げられるはずがない。つまり、この勝負は決したも同然──!


「オッケー。やる」

「灯織!?」


 しかし意外なことに、彼女は即答した。これには冬弥も驚きの声を上げてしまう。一体どうして……と思考を巡らせるが、全く見当がつかない。


「ふふふ、決まりね」


 エマは満足げに呟くと、灯織の方に向き直る。


「じゃあ、最初はワタシからね。まずトウヤの好きなところ、その一」

「つっても小学生ぶりだから色々変わってるかもだけどな」

「だまらっしゃい」

「はい」


 エマは人差し指を立てると、灯織の方へと向けた。


「トウヤの好きなところ、その一! 真面目で一生懸命なところ。こんな奴、滅多にいないわよ?」

「まぁたしかに……」


 灯織の反応に、エマは少し驚いたような顔をした。


「へぇ、案外素直に認めるじゃない」

「別に。普通に良い所だと思うし」


 灯織は特に照れる様子もなく、淡々と答えた。冬弥はなんだか恥ずかしくなって、目を逸らす。


「じゃあ、次はわたしの番?」

「そうね。早く始めてちょうだい」


 エマは急かすように言った。


「ええと……冬弥の好きなところは……」


 灯織はかつてなく真剣な眼差しをしている。なんだか気恥ずかしくて、冬弥はゴクリと唾を飲み込んだ。


「わたしの『好き』を……認めてくれたこと」

「……はい?」


 エマは呆気に取られた顔で聞き返した。


「ちょっと待って、どういう意味?」

「そのままの意味だけど。少女漫画が好きとか、ますのおすしが好きとか……そういう『好き』を、冬弥は認めてくれる。だから、そこがわたしの好きなところ」

「……」


 エマはポカンとした表情を浮かべていた。どうやら予想していた答えとは違ったようだ。


「そ、そう。なかなかやるじゃない」

「ありがとう」

「…………」


 冬弥はなんでもないような顔で二人の勝負を見守っていたが、実はとても恥ずかしがっていた。


 ──これ以上はおそらく、自分の精神がもたない。自分の好きなところを面と向かって言われるのは恥ずかしいものだ。


「じゃあ、俺はここで」


 冬弥はさりげなくそう言うと、席を立った。なんだか勝負も盛り上がってきたし、自分がいなくなっても何も問題ではないだろう。


「どこ行くの」

「どこ行くのよ」


 しかし二人は逃がさないとばかりに、冬弥の腕を掴んだ。


「えっ!? ちょ、離してくれ!」

「まだ終わってないでしょ。冬弥にはちゃんと最後まで居てもらわないと困る」

「もういいじゃん! 灯織の勝ちで!」

「ちょ、良くない! ワタシにもプライドがあるんだから!」


 エマはそう言うと、再びどっしりと構えた。負けるつもりはさらさらないらしい。


「トウヤの好きなところ、その二! 意外と子供っぽいところ!」

「わたしはむしろ嫌いなところなんだけど……」

「灯織!?」

「だって、この前も……巨乳が、どうとか……」


 灯織は俯きがちに答える。エマはきょとんとした。


「え?」

「灯織、その話はやめてくれ! 俺が悪かったから!」


 冬弥が必死に叫ぶ。エマは首を傾げた。


「なんのことよ? よく分からないけど、まあいいわ。次、灯織の番よ」

「…………」


 灯織はまだ巨乳の件を追及したげだったが、そのままエマの方へ向き直った。


「冬弥の好きなところ、その二。どれだけバカにされても、酷い目にあってもへこたれない。強い精神力──多分、世界の誰にも負けない」

「たしかに、その通りだわ。……よし、これで二周目終わり。次は三周目ね」


 白熱の勝負だ。そうして、その後も二人はテンポよく冬弥の好きなところを挙げていく。


 ────はずだったのだが。


「うーん……」


 エマは困った顔をしていた。それもそのはず、 三巡目にして早くも冬弥の好きなところが思い浮かばなくなってきていたからだ。


「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ……!」


 エマの隣で、冬弥が焦燥感に満ちた声を上げる。自分を引き抜こうとしている張本人が、早くも窮地に立たされているからだ。


「うるさいわね、分かってるわよ! でも……」


 エマは苛立った表情を見せると、カウンターをバンッ!と叩いた。


「思いつかないものは思いつかないのよ……!」

「わかる……」

「灯織まで!?」


 まさかの味方(一応)からの裏切りに、冬弥はショックを受けたような顔をする。


 どうやら互いに、これ以上自分の好きなところは思いつかないらしい。


「じゃあ、仕方ないわね。今回は引き分けってことで──」


 エマがそう言って勝負を持ち越しにしようとした瞬間、隣で灯織がごにょごにょと小さな声で言った。


「え? 何て言った?」

「…………………………とこ」

「え?」


 灯織はもう一度、今度は少し大きな声で言った。


「……美味しい朝ごはんを、作ってくれるとこ」


 灯織がそう言った瞬間、一瞬の沈黙が生まれた。


「って──何よそれ!?」


 エマはそう言うと、再び机をバーンと叩いて立ち上がる。


「そんなの知らないわよ!! っていうかトウヤって料理できたんだ──じゃなくて! 灯織は毎日こいつの朝ごはんを食べてる訳!? 普通にズルくない!?」

「別にズルくはないと思う……」

「いやー!」


 エマは悔しそうな顔をすると、頭を抱えた。灯織は胸を張って勝ち誇っている。


「まあ、そういうわけだから。冬弥はわたしが貰う」

「くっ……」


 エマは歯噛みした。そして、大きなため息をつく。


「仕方ないわね! 今回は一旦ワタシの負けってことにしておいてあげるわ!」


 負け惜しみのようにそう吐き捨てると、エマはキッと鋭い視線を向けた。


「でも──」


 冬弥に近づくと、そのまま耳に囁くようにして言った。


「その気になったら──いつでも歓迎するからね」

「え?」


 冬弥は思わず聞き返す。エマはニヤリとした笑みを浮かべていた。


「ふふん。とりあえずは、灯織と仲良くやりなさいよ!」


 そう言うと、エマは出入口に向かってスタスタと歩き出す。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 冬弥が呼び止めるも、彼女は振り返らずに去っていった。残された二人は呆然と立ち尽くす。


 結局この勝負は何だったのか。それは二人にも分からなかった。ただ一つ言えることは、まだまだエマの逆襲は終わらなさそうだということだ──。


「あいつ、嵐のように去っていったな」

「うん。…………ね、冬弥」


 不意に名前を呼ばれて、冬弥は目を丸くした。


「なんだ?」

「明日からも朝ごはん、よろしくね」


 灯織は上目遣いでそう言うと、にっこりと笑った。あまりに破壊力が高かったからか、冬弥は撃たれたかのように仰向けに倒れた。


「え、どうしたの!? 大丈夫!?」

「あぁ、作るよ──ずっと──お前のために──」

「なんかキモい!」


 灯織は思わずそんな言葉を吐き出した。理不尽すぎるだろ──そう思いながら、冬弥は意識を手放した。

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