第3話 学校一の美少女は人見知り

 学校が終わった帰り道、若宮わかみや灯織ひおりは険しい顔つきで、家までの道のりを歩いていた。


「……ウチに男が来るとか、有り得ないんだけど」


 灯織ひおりは忌々しく呟いた。どうして自分が、得体の知れない男とひとつ屋根の下で暮らさなければならないのか。


 親に逃げられて借金を背負わされた、というのはたしかに気の毒だ、しかし、だからと言ってその男と一緒に暮らすなんてありえない──そう、頭の中で愚痴ってみる。


「あっ、タバコの匂い」


 灯織は顔を上げると、小さく呟いた。


 姉の残り香だろうか。この匂いがするということは、もう家は目と鼻の先にある訳で。


「……はぁ」


 灯織は大きなため息をついた。どうせ今さら嘆いたところで現実は変わらない。覚悟を決めると、そのままドアを開けた。


「いらっしゃいませー!」

「!」


 思わず、灯織はビクッと肩を震わせた。店のエプロンをかけた見知らぬ男が、元気よく挨拶してきたからだ。


「あ、冬弥とうやくん! その子が灯織!」

「えっ! たしかにめちゃくちゃかわいい! けどそこまで似てないですね」

「ちょ、バカ! そういうのは思っても言わないの!」


 しかもこの男、なんだか親しげに姉と会話している。そうか。こいつが、今日から自分と一緒に暮らす男か……。そう思えば思うほど、顔は強ばっていく。


「初めまして、水澄冬弥です。諸事情でこの家に住まわせてもらうことになったので……ええと、なんだ。これから、よろしくお願いします」


 男は妙に礼儀正しかった。見た目はチャラついておらず、清潔感がないわけではない。むしろ常識人のようにも見えるが、それが逆に灯織にとっては気に食わなかった。


「……あっそ」


 灯織は目も合わせずにそう返した。冬弥は冷や汗をかいたまま、顔をこわばらせた。


(怖っわ……本当にナギさんの妹なのか、この人!)


  冬弥はそんなことを思う。この子は本当に無愛想なのだろう。


 ──しかし、彼女はナギと同じく美人だ。それだけは間違いない。まず、シルエットだけで美少女とわかる。左に前髪を流していて、その黒い髪は見てすぐにわかるほどサラサラだ。姉譲りの翠色の目は大きく、顔も非常に整っている。学校で高嶺の花と呼ばれているのも納得だろう。


若宮わかみや灯織ひおり。好きに呼んで」

「うん──あっ」


 灯織は目も合わせずにそう言うと、不機嫌そうに階段を上がりその場を後にした。


「Oh……」

「ごめんね〜。灯織はちょっと人見知りで……」


 ナギがフォローを入れる。いやいや、と言って冬弥は答えた。


「大丈夫ですよ。誰だって家に見知らぬ人間が来たら不快になるもんです。しかし、それにしても堪えたな……人見知りというより男嫌いなのかな」

「あはは。男女限らず、いつもああなのよ」


 ナギは気にしないで、と言って微笑む。冬弥もおどけているとはいえ、少なからず心に傷を負っている。元々親に捨てられて、ここに来ているのだ。


 せめて自分だけは、彼の味方でいなくちゃ……そんなことを思う。


「人見知りかー。でも、何とか仲良くなりたいですよ」


 冬弥はそう言ってエプロンの紐を結び直すと、店の入口付近に立った。


 どうにかこうにかして、彼女との心の壁を取り除きたいところだが……。


「──あっ、いらっしゃいませー」


 放課後になり、見慣れない制服を身にまとったお客さんがどんどん入ってくる。冬弥は一旦雑念を振り払って、接客に専念しようと思った。


 ☆


「…………」


 一方、灯織は階段の影に隠れて、後ろの方から冬弥を見ていた。


 観察したいと思った。どうすれば彼となるべく関わらないように済むのか。その具体案を考えながら。


「みーつけた♡」

「きゃっ……!?」


 突然死角から飛び出してきたナギに対して、灯織は子犬のような鳴き声をあげた。


「お姉ちゃん……! いきなり何するの……!」

「愛する妹のことが気になってさ。探してたら、すぐそこにいたってわけ」


 厨房にいる彼女にとって、二階に続く階段は目と鼻の先にあった。

 ナギは灯織の肩に腕を回すと、小さい声で言った。


「冬弥くんのこと、そんなに気になるんだ?」

「はぁ……!? べ、別にそういうのじゃない。ちょっとどんな人か気になっただけ」

「じゃあ話しかけてくればいいしょー。ほら、今はお客さんもほとんどいないし♡」

「それとこれとは話が違う! 大体、わたしはあいつと関わりたくないの!」


 駄々をこねる妹に対し、ナギは真面目な声で語りかけた。


「灯織。冬弥くんがなんでウチに来たか知ってる?」

「……そ、それは。親に捨てられたから」

「そうよ。しかもあの子、中学生の時からバイトしてたんだって」


 そうなの? と、灯織は少し驚いたように聞き返す。


「珍しいよね。さっき、『冬弥くんって、なんか趣味とかあるの?』って聞いたんだけどさ。『昔はサッカーが好きでしたけど……最近は娯楽をやるとか、あまりそんな余裕はなかったです』って。ほんとにあの子、親のために働いてばっかりだったみたい」


 灯織は衝撃を受けた。中学生の時から趣味も一切持たずに親のためにバイトをして、しかも逃げられて、借金を背負わされて。


 自分なら、そこでまた立ち上がれることができるだろうか。そして、何事も無かったかのように笑顔で接客することができるだろうか。


「だからね──灯織も、少しは冬弥くんのこと気遣ってあげて。本当にいい子だから」

「……わ、わかった。けど、」

「心配しないで。少しずつで大丈夫」


 そう言って、ナギは厨房に戻って行った。階段に取り残された灯織は一人、ぼんやりと冬弥の後ろ姿を眺める。


「…………ふん」


 灯織は頬をプクッと膨らませた。なんだか姉の愛情があいつに多く注がれているような気がして腹が立たない訳でもない。


「はい。シャッターチャンス」

「うわ、やられた!」


 すると、いなくなったはずのナギがスマホを手にして笑っていた。騙された。あいつがこの家に存在していることと二重でムカつく。


 だけど──あいつが悲惨な境遇なのは事実だ。少しの期間、彼が家に滞在することを許そう。ほんの、少しの期間。

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