第21話 ステージに向かって、走り出せ

 海北祭二日目。この日も冬弥は屋台の焼きそばを任されていた。


「冬弥くん、焼きそば2つ」

「あいよー」


 クラスメイトの声に、冬弥はどことなく元気の無い返事をしてから、袋から麺を取り出す。まるで心ここに在らずといった感じだ。


 その様子を見兼ねてか、女の子は心配そうに冬弥の顔を覗き込んだ。


「……水澄くん?」

「ん、あぁ」


 冬弥は彼女の顔を見ると、現実に引き戻されたかのように再び手を動かし始めた。


 ……そうだ。昨日灯織と喧嘩別れしてからというもの、一度も彼女の姿を見かけていない。


 家に帰ったら謝ろうと思っていたのだが、灯織はずっと部屋にこもっていたのだ。何をしているのか気になっていると、部屋からギターの音が聞こえてきた。


 前々から灯織がギターを弾いているというのは知っていたが、実際に演奏している音を聞いたのは初めてだった。


『……行くか』


 冬弥はしばらく扉に耳を当ててその音を聞いていたが、邪魔をするのも悪いと思いその場を離れた。以後、灯織に会うことが出来ず、それならば朝に会おうと思って少し早くアラームをセットしておいたのだが、起きた時には既に灯織は家を出ていたのだ。


「って、水澄くん?」

「あ、あぁ。悪い」


 再び現実に引き戻される。冬弥が顔を上げると、こちらを心配そうに見つめるクラスメイトがいた。お客さんも、「あの子大丈夫かな」といった目でこちらを見ている。


「もしかして、灯織ちゃんのこと?」

「べ、別にいいだろ。気にするな」


 冬弥はそれ以上何も言わずに、再び視線を手元に移した。鉄板で豚肉とニンニク、キャベツをサッと炒め、麺をほぐす。もう手馴れたものだ。それこそ、考え事をしながらでも作れるくらいには。


「はい、どうぞ!」

「どうもねぇ〜」


 女の子は焼きそばを手渡し、代金を受け取る。お客さんがいなくなったタイミングで、口を開いた。


「まぁ、灯織ちゃんが楽しみすぎて仕事が手につかなくなるってのもわかるけどさー」

「……へ?」


 冬弥は間抜けな顔をした。どういうことだ。楽しみすぎて、という前置きは少しズレている気がする。


「楽しみっていうか、俺は心配で……」

「まぁそういう視点もあるかもねー」


 黒髪ボブの女の子は口角を上げると、冬弥の顔を覗き込むようにして言った。


「でも、楽しみの方が勝つでしょ! 灯織ちゃんがバンド演奏するんだもん!」

「……え?」


 冬弥は間抜けな声を出してから、心の中で反芻した。


 灯織が、バンド演奏に出る────


「マジで!? 知らなかったんだけど!?」

「えっ、そうなの!? あれだけ皆騒いでたじゃん!」

「そういうことだったのか! ずっと、『どうせお前は知ってるだろ』みたいな感じで誰も教えてくれなかったんだよ!」


 クソぉぉぉぉ! と冬弥は叫んだ。そういう事だったのか。昨日帰ってからずっと、部屋にこもってギターを弾いていたのも。今朝、早起きして先に学校に向かっていたのも。


 そして、灯織の姿を見かけないのも。全部、灯織がバンドに出演するからと考えれば辻褄が合う。冬弥は己の至らなさを恥じた。


「小林さん! 灯織が出るのは何時からだ!?」

「わ、わかった! ちょ、ちょっと待ってね!」


 突然顔を近づけられ、女の子は可愛い子犬のような声を出した。ポケットから学祭のしおりを取り出すと、パラパラとめくる。


「えっと、タイムテーブルには『午後三時頃から』って書いてあるけど──」

「あーよかった! まだやってなかったか!」

「うん。あっ、しかも灯織ちゃんが出るバンド、大トリみたい」

「大トリ? バンド名か?」


 冬弥は女の子が開いているページを覗き込むと、そんなことを訊く。


「あっいや、大トリっていうのは、その日のフィナーレを担当するバンド! っていうか……」


 女の子はしおりに載っているタイムテーブルを指さす。そこには『15:00〜 海北高校軽音部 ロクション・シメジ』と書いてあった。急遽代役となったため灯織の名前は載っていなかったが、下の余白に大きく『灯織ちゃん出演!』と女の子が律儀に書き足している。


「ほう……しかも、軽音部のバンドじゃないか。そんな人たちに頼られるなんて、さすが灯織だ──」


 冬弥は感心したように頷いていたが、そこで素朴な疑問が浮かんできた。……どうしてピンチヒッターが灯織になったのだろうか。おそらく、彼女がギターを弾けることを知っている人はほとんどいない。


 となると、灯織が代わりのギタリストとして立候補したことになるが──。


「そうか……あいつも変わったんだな」

「水澄くん?」


 女の子は不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。彼がどこか嬉しげに笑っていたからだ。


「ありがとう、小林さん。教えてくれて助かったよ」

「いえいえ〜。あっ、灯織ちゃん見るなら早めに体育館行った方がいいよ。ロクシメってめっちゃ人気あるからさ」


 女の子は丁寧にもそんなアドバイスをしてくれる。ロクシメとはおそらくバンド名の略称だろう。


「なるほど……よし、それなら今すぐナギさんとエマ、薫も呼んで見に行かないと!」

「あっ……水澄くん!?」


 後ろの方で女の子の声が聞こえたが、冬弥は構わず駆け出した。


 シフトの時間が残ってると言いたいのだろうが、その心配はいらない。


「まだ仕事が……」

「大丈夫、もうやきそば全部売り切れたからー! 小林さんも上がっていいぞー!」

「……!」


 冬弥はそう叫ぶと、くるりと前を向いた。それよりも今は灯織のライブだ。すぐさま電話を取り出して、校舎の方に走った。

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