第20話 一難去ってまた一興

「はぁ……」


 灯織はため息をつきながら、校舎の中を歩いていた。エマの教室に一人で行っていいものか、ずっと考え込んでいたのだ。


 屋台の件で先程まで怒り心頭だったのだが、現在はそうでもない。けれど、どうしても思ってしまう。


「でも知らない人の好意って、若干気持ち悪い……」


 あの時、屋台に群がってきた生徒たち。どうして、赤の他人にそこまで情熱的になれるのだろう。そう思うと、少し寒気がしてしまう。そして、そんなことを思ってしまう自分自身もそう。今は酷く、疎ましい。


「あれ、ひおちゃん〜?」


 すると、どこかで聞き覚えのある声がした。灯織は思わず廊下を振り向く。


「お、音葉おとは……」

「やぁやぁ。偶然だね〜」


 そう言って笑うのは、松原まつばら音葉おとは。灯織と同じくバドミントン部の所属で、短いピンク色の髪と、おっとりとした喋り方が特徴的な女の子だ。


「もう、屋台の当番とかないの〜?」

「うん。ちょうど今から、A組とか色々行こうとしてたとこ」

「ふぅ〜ん。ならさ、うちと一緒に回らない〜? ちょうどシフト終わったとこだし〜」

「いいよ。わたしも、一緒に回りたいと思ってたところだから」

「やった……あ、でも灯織は人混みが苦手だからな〜。場所を選ばないと〜」

「べ、別に大丈夫。人混みというか、人間全般苦手だから」

「出た〜ひおちゃん節! インスタのプロフィールに載せようかな〜」

「それはやめて、絶対!」


 灯織の必死な反応に、音葉はクスッと笑った。するとその時、横からスっと人影が現れた。


「ねぇ、音葉。ちょっといい?」


 そこに立っていたのは、彼女のクラスメイトだった。茶髪にピアスを空けたり目の下にシャドウを塗ったりと、灯織の目には少しチャラついているように映る。怖い。


「おぉ〜、みこりん。どうした〜?」

「実は、相談があって」


 奇抜な見た目とは対照的に可愛い呼び名である。


 みこりんと呼ばれた女の子は、神妙そうな面持ちで話し始めた。


「あたし、バンド組んでるじゃん? それで明日演奏する予定だったんだけど、ギターの子が夏風邪引いちゃってさ。代わりもいないし、出演辞退するか迷ってるんだよねー」

「えっ……?」


 灯織は思わず声を上げてしまう。学校祭でのライブというのは最高に盛り上がるイベントなのに、それが取り止めになってしまうのは非常に惜しいと思ったのだ。


「どうしたものか……あっ、灯織ちゃんだ。やっほー。今日も可愛いね」


 横に立っている美少女──灯織に気づいたのか、みこりんは軽く手を振った。灯織は突っかえながらも言葉を返す。


「えっ……あっ、ありがとう」

「うーん、でも困ったねぇ〜。でもこんな直前に代役なんか見つかんなくない〜?」

「それな。しかも、うちらのバンドって結構注目されてるっぽいのよ! 数少ない軽音部バンドだからかな」

「たしかにね〜、人気者の集まりなイメージ〜あっ、みこりん以外ね〜」

「それな……っておい!」


 友人とそのクラスメイトの絡みを見ながら、灯織はゴクリと唾を飲んだ。


 今まで、ギターはそこそこ弾いてきた。なんならバドミントンより自信があるくらい。


 しかし、だ。いきなり知らない人の中に混じって演奏できるほど自分は人馴れしていない。第一、ギターを持っていること自体、冬弥とエマしか知らないのだ。


「はは……」


 ここは適当に愛想笑いしておくか。危険な橋は渡らない。


「ん? あ、そうだ。灯織ちゃんってさ──」


 ビクッ。バンドの女の子が話しかけた瞬間、灯織は肩を震わせた。


「えっ!? ええと……ビックリさせたならごめんなんだけど。もしかして、ギター弾けたりとかする?」


 完全にダメ元で聞いている雰囲気があった。今なら藁にでもすがりたいのだろう。


 しかし、灯織にそれを肯定するほどの勇気はなかった。


「えっ、い、いや…………」

「だよねー。やっぱり出演取り止めかなー」


 バンドの女の子はあっさり引くと、お手上げと言った状態で苦笑いを浮かべた。それを見て、再び灯織の心は揺らぐ。


 ──何故だろう。今までなら知らんぷり安定だったのに。彼女の力になりたいと思う自分がいて。


 灯織は、自分の生活が少しづつ変わり始めていることを自覚しつつあった。現に最初は部内の数人しか友人がいなかったが、今では冬弥、そしてエマと少しずつ友人網が広がり始めている。もちろん、あまり変化を好むタイプでは無いし、実際に冬弥が家に来ると決まった時は最後まで難色を示し続けていたのだが──今は違う。


 少しずつ知り合いができて、生活に彩りが生まれて──その中で、目の前の困っている人を見逃すことはなんとなく好ましくないと思ったのだ。冬弥が自分という存在を、『何かを好きな自分』を認めてくれたあの日から──


 灯織は『変わりたい』と、心のどこかで思い始めていたのだ。


「じゃあ、ありがとね」

「ほい〜」


 そう言って、女の子はその場を去っていく。その後ろ姿はどこか寂しそうに見えて。本当に、自分はこのまま見過ごしていいのか。


 わたしには──そうは思えなかった。


「あの、ちょっと待って!」

「……ん?」


 灯織は意を決して、その背中に声をかけた。女の子は驚いたように振り返る。


「ごめん。わたし……弾ける」

「えっ?」


 女の子は驚いた。まさか目の前の美少女がそんなことを言い出すとは思わず、目を丸くしていたのだ。


 しかし灯織は言い遂げようと思った。震える声で、けれども覚悟の据わった目で続ける。


「ライブ、やろう。わたし、弾けるもん。ギター」

「!」


 その時の気持ちは、まるで世界が変わってしまったかのようで。


 自分は変わっていくんだと、決意を一新にした瞬間であった。

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