第5話 笑わせたい

「……………………………………」


 土曜日の朝。灯織は超不機嫌だった。初めて会った時と同じく、それどころか態度がさらに悪くなっていた。


「灯織、おはよう。ご飯作っておいたから、それを食べて──」

「いや、いい」


 灯織は目も合わせずにそう言うと、冷蔵庫を漁って、栄養ゼリーを取り出す。そしてそのままソファに向かい、冬弥に背を向けて座った。


「こら、灯織ちゃん。せっかく冬弥くんが作ってくれたんだから、ちゃんと食べなさい」

「だって…………」


 灯織はため息をついたあと、皿洗いをする冬弥を指さして言った。


「……変なもの入れてるかも」

「入れてねーよ!」


 冬弥は反論したが、それでもなお灯織は朝ごはんに近づこうとしない。


 堪忍したのか、冬弥はそれらをラップに包んで冷蔵庫に入れた。


「灯織ちゃん、その態度、失礼でしょ」

「だって──」


 見かねたナギが灯織を諭した。姉には案外弱いのか、彼女は俯いている。


 冬弥は後悔していた。昨夜、自分が「巨乳が好きだ!!」と叫んでしまったがためにこのような事態に発展してしまったのだ。


 目を合わせてもらえなくなったのも仕方がないだろう。


「それに、月曜日から冬弥くんと一緒に学校行くんだよ? 仲良くしておかないと──」

「嫌!! 絶対変なとこ触ってくる……!」


 純度100%の偏見が聞こえた。皿を洗い終えた冬弥は、灯織の元に少しだけ近づいて言った。


「あの……頼む。初めての学校、一緒に行かせてくれ。な?」

「………………ふん」


 灯織は特に頷くようなこともせず、そのままリビングを出て行った。謝り倒すナギをよそに、冬弥は小さなため息をついた。


 ☆


 そして、週明けの月曜日まで時間は進む。


「………………あの、灯織?」


 四月の晴天に恵まれた朝。ナギの説得もあり、なんとか冬弥は灯織と一緒に家を出ることに成功した。しかし、壁はある。むしろここからが正念場なのかもしれなかった。


「そんなに、離れなくても……」

「!」


 冬弥が近づくと、隣の灯織が「こっちに来るな」というジェスチャーをする。デイスタンスを保ちすぎた結果、二人の立ち位置はほぼ道路の端と端だった。


「まったく。そりゃあ、俺みたいなのと歩くのは気に障るかもしれないけどさ」

「それもあるけど……」


 灯織が言葉を濁しているので、冬弥は踏み込んでみることにした。


「じゃあ、なんでそんなに俺と離れて──」

「純粋にイヤなの」


 灯織はそう言い切った。面と向かって拒絶されたことに、冬弥は動揺を隠せない。


「うっ……さすがの俺でも…………傷つくぞ」

「どうぞ傷ついて」


 灯織はそう言い放つ。冬弥は心に傷を負いながらも、ふと離れて歩く彼女の横顔を見つめた。


 やはり、灯織は可愛いと改めて思った。いつもムスッとしているので笑みを浮かべている姿など一ミリも想像できないが、真顔だったとしても、お人形さんのような顔立ちは十分に破壊力がある。


「────」


 だけども無愛想な灯織がもし笑うようなことがあったら、どうなるんだろう──冬弥は、彼女の笑顔が見たいと思った。


「どこ見てるの」


 声をかけられ、冬弥は顔を上げた。すると、こちらを見つめる灯織と目が合う。


「い……いや。なんでもない」

「ふぅん」


 興味なさげな返事をした彼女は、再び前を向いて歩き出した。絶対にこいつを笑わせてやる──冬弥は決意した。


「…………」

「な、なぁ灯織」


 冬弥が声をかけると、彼女は振り向いた。


「なに?」

「いや、お前って好きな食べ物とかあるのか?」

「どうでもいいでしょ」

「ほら、いいから答えてくれよ」


 灯織は渋々といった様子だったが、すぐに口を開いた。


「辛い物全般。クレープ……ますのおすし」

「え?」


 冬弥は思わず聞き返す。


「ま、ます?」

「うん。悪い?」

「悪くはないけど、珍しいと思ってさ」

「そう? 普通だと思うけど」

「普通ではないぜ多分」


 灯織の反応は素っ気なかったが、会話を続けてくれたことに冬弥は嬉しさを感じた。


 しかし、真の目的は他にある。──灯織を笑わせる。その目標をここで果たすことが出来れば、彼女との心の距離も一気に縮まるだろうと思ったからだ。


「ます、ます……」

「?」


 灯織の怪訝そうな視線をスルーしつつ、冬弥は思考を巡らせた。


 ──そうだ、このダジャレなら……イける!


「なぁ、灯織」

「なんなの? しつこいんだけど」

「まぁ聞け」


 冬弥はそう言うと、息を整えてから口を開いた。


「マス、”ますます”食べたくなり”ます”ね!」

「っ──────────」


 直後、灯織の顔がみるみると赤く染まった。


「おっ、ウケたか──」

「全っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ然面白くない! 死ね!」

「うわあああっ!? なんで!?」

「死ね!」

「シンプル暴言!?」


 灯織は怒りの形相を浮かべると、勢いよく走り出し、そのまま学校へと向かっていった。


「あっ……」


 冬弥は追いかけようとしたが、既に彼女の姿は見えなくなっていた。


「……しょうもないボケじゃダメか」


 独り言を呟きながら、彼は肩を落としたのだった。思っていたより自分は面白くない人間らしい。

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