第25話

 約二週間後。

 二度目の淀み、およびそこから生じた魔物への対応。

 約束通り師匠のすぐ後ろで、全力で師匠に聖女の祝福をかけて挑んだそれは、拍子抜けするくらいの楽勝で終わった。


 終わった。のだけれども。


「こわ、こ、こわかっ……」

 オロッ、ロ、ロロロロロロロロロロロ……


 堪えきれない程の恐怖と吐き気。

 師匠の炎で一瞬で焼き尽くされたのにそれでも目に焼き付いた地獄のような光景によって沸き起こったそれらにより、私は胃の中身をすべて抱えた桶の中にぶちまける羽目に陥っていた。


 こわかった。こわい。

 淀みも、そこから出た魔物も、どんなグロ画像よりホラー映像よりこちらの身をぞっとすくませてくる、死の恐怖に満ち満ちた存在だった。

 そしてそれを瞬殺した師匠すごい。やばい。なんなんだあの人。


 あの人さえいればなんだってなんとかなる。

 だからほら、落ち着いて、私の胃。

 そう言いきかせるも、胃の反抗期は落ち着いてくれないようだ。ああ。朝ごはん食べなきゃ良かった。もったいない。


 今回の淀みの発生地点は、人里離れた山のふもと。

 前回のあまりの余裕っぷりとしかしやはり戦闘後の様子見は必要だろうという予測等々の事情もあり、現地にはテントが張られ休憩場所となっている。

 その中の、聖女専用の一段しっかりとしたテントの中。

 少し汗を拭きたいとテキトーなことを言って人払いを願い、念には念を入れ誰かの侵入及び音漏れを遮断するバリアを張って、情けなく呻いているのが私の現在だ。


「……つらくなったらすぐに言えと言っただろ」


 え。

 聞こえるはずのない声に驚き、胃の中身を受け止めてもらっていた桶からそろーっと顔を上げれば、当たり前みたいな顔でわが師匠がそこにいる。


「し、ししょ、なん、なんで……」


 見られた。よりにもよってこの人に。

 好きな人に、思い切り胃の中身ぶちまけているところを見られた。

 パニックで震える私に歩み寄って、師匠は淡々と答える。


「リアの顔色が、明らかに悪かったからな。それと、きちんとバリアが張れていない。正確には、俺に通用するレベルでは張れていない、か。俺にはお前のうめき声が聞こえたし入って来られた。が、他の奴らは気が付いていなかったし、入り口で一瞬だけ抵抗めいた物を感じなくもなかった」


「ああ……」


 情けない。恐怖とそれ由来の吐き気を必死に抑えていたせいか、先ほど張ったつもりのバリアは、あまりちゃんとできていなかったらしい。

 私のうめき声を聞いた師匠が、心配でここに立ち入ってきてしまう程度に。

 師匠曰く他の人には通用していたらしいけれど、そんなのはなんの慰めにもならない。


 がくりとうなだれた私を宥めるように慰めるように、師匠は私の背中をそっと撫でる。

 うう……。情けない。

 あ。吐き気が治まってきた気がする。単に撫でているわけじゃなくて、師匠の手になんか治癒的な魔法がのっている……?


 少し余裕が出てきたところで吐き出した物を見られたくないと気づいた私がそっと桶を隠そうとすると、パチンと軽く師匠が指を鳴らし、桶の中身がどこかに消えた。

 次いでひゅる、と軽く師匠の指先が踊った。ように見えただけだったのに、さあ、と清らかな風が吹き、空気が、空間が、私の口内と顔面が、なんだかさっぱりとしていく。

 顔面。そう、吐く時の苦しさで涙と鼻水が出ていたのだ。それをこの人に見られた。あげく綺麗にされた。つらい。とてもつらい。

 とてもつらい、が。それはそれとして。


「ありがとう、ございます……」

 諸々が片付いたところで、私は師匠に向き直り、さりげなーく桶を床に降ろしつつ、ぺこりと頭を下げた。

 お礼はね。それはそれとしてちゃんと言わなきゃだからね。


 師匠は気まずそうに目を逸らしながら、それに応える。

「ああ、いや、礼なんて良い。むしろすまなかった。いくら中で倒れているのではと心配になったからと言っても、呼びかけもせず勝手にリアのテントに入ったりして」


「ほんとですよ……。どうするんです、本当に汗拭いてたんだったりしたら。いやコレだってもうお嫁にいけないくらいの恥ずかしいところを見られてしまったのだから、責任を取ってもらって良い案件では……? 師匠、もう私と結婚するしかないのでは……?」


「うん、それだけ減らず口を叩けるなら、もう元気だな」


 師匠はそう呟いて、まるで私を見捨てるがごとくぱっと背中をさすってくれていたのをやめ立ち上がった。

 私は力いっぱい抗議する。


「減らず口って、ひどい言い様ですね! 乙女の恥ずかしいところを見ておきながら逃げるんですか!?」


「言い方。というか、リアは本当にソレで良いのか? ゲロを盾に結婚を迫ってむなしくないのか? お前は、ゲロがきっかけで結婚するので良いのか?」


 師匠に真顔で問われた私は、ついーと視線を泳がせ、沈黙する。

 良くないかもしれない。というか、普通に嫌だ。

 将来自分の子どもと『パパとママはどうしてけっこんしたのー?』『ママがゲロの責任を取れってパパを脅して押し切ったんだよー』『ええ……、なにそれ……』とかってやり取りをしなきゃいけないかもしれないとか嫌すぎる。

 いやでも、師匠が私と結婚してくれるというならこの際それでも……?


「だいたい、恥ずかしくもなんともないだろ。吐く程までに怖かったというのに、戦闘が終わるまで立派に立っていたリアは、大したものだ。魔法も、きちんと使えていた。おかげで、このテントの外では、聖女に対する称賛の嵐だ。……ま、最後の最後、バリアはミスったようだが、そんなのは大勢に影響はない」


 あまりに意外な言葉に、バッと顔を上げて師匠の表情をまじまじと窺う。

 彼は、実に優しい、あまりに師匠らしい、よくやったと言うかのような笑みを浮かべていた。


「だが……」


 その言葉とともに、そこから師匠の表情ががらりと切り替わる。


「そうも弱っている姿を見た以上、やはり、リアが前線に出ることには、賛成できない」

「次は、きっともう少し慣れています。少しは怖くなくなっているはずです。確かに、今回めちゃくちゃ怖かったんですけど、それはもう、吐く程怖かったんですけど、でもアレを間近で見たからこそ、師匠を一人であんなのの前に出すなんて、絶対に嫌です」


 師匠が険しい顔で告げた言葉に、私はすかさず反論を返した。

 私がどれほど無理をしているかを読み取ろうとしているみたいにじっと私の顔を見つめる師匠をまっすぐに見返して、私は重ねて告げる。


「この前の街や、今回のみんなの反応でわかりました。聖女って、人類の希望なんだって。王女様だって師匠だって騎士の皆さんだっているのに、私たちの扱いはどこまでも『聖女様御一行』じゃないですか」


「それは、確かにそうだが……」


「ここまで期待されているのに、師匠たちがあんなおぞましいモノと相対するのに、私だけ怯えてどこかに引きこもってるなんて……。不甲斐なくて、申し訳なくて、心配で心配で、きっと、もっと体調を崩してしまうと思います」


 私を後ろに追いやってみろ。もっと吐くぞ。もっとひどく吐くぞ。

 そんな脅しめいた私の宣言を聞いた師匠は、ただひきつった笑みを浮かべた。

 私はニヤリと笑って、更に続ける。


「だから私は、次も絶対にあなたのすぐ傍に立ち続けます。師匠には情けない所を見られましたが、外では、どこまでもかっこつけてやりますから。恐怖も吐き気も震えも全部隠しきって、今日のように、堂々立って見せます」


 先代の影響力を越えるというのももちろん目標なんだけど、そうでなくともみんなの期待には応えたいから。

 みんなが喜んでくれるから、私はどこまでも、完璧な聖女を演じたい。


 私の宣言を聞いた師匠は、あーだのうーだのうめき声のような物を発するだけで、私を止めたいのに止める言葉が見つからないかのように葛藤している。


「……ああ、もう、俺の負けだ。そこまで言われたら、もう先代なんて足元にも及ばないくらい立派な聖女をやれるように全力でサポートするしかないじゃないか。リアは、腹が立つくらいに良い聖女だな……!」


「えっ師匠が私を褒めてくれてる……! もしかして師匠、私に惚れてくれました!?」


 やがてやけくそ気味に師匠が吐き捨てたセリフに、浮足立った私は、ぐいぐいと彼に詰め寄った。

 スン、と表情を落とした師匠は、心底残念そうに言う。


「なのにどうしてリアは、こうも残念な男の趣味をしているんだろうな……。胃が弱いことも小心者なところもさっきの醜態も、恥ずかしいどころかそれらを己は人類の希望であるという自負と誇りでねじ伏せているだけかえって美点だという気がするが、男の趣味だけはどこまでも残念だと評価せずにいられない」


「えー。師匠が私の事、めちゃくちゃ褒めてくれてるぅー。ゲロ吐いているところを見てもさめないって、それもうだいぶ愛じゃありません?」


「もう一つあったな、リアの欠点。どんな都合の良い耳だよ。最終的に貶してるんだから、途中の一端持ち上げたところだけ器用に拾うんじゃない」


 師匠は真顔のままどこまでも冷たく突き放すような言葉を放ったが、だいぶ愛じゃんと確信している私は、ただへらへらと笑うのだった。


 いやだって、好きな人にゲロ吐いているところ見られてけっこう絶望したのに、この人どこまでも親切に介抱してくれた上に、幻滅どころか褒めてすらくれたんだもの。

 こんなのもう、更に師匠のことが好きになるし、浮かれて当然でしょう?

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