六章(一)

 私は、保健室の窓から外の様子を眺める。

 季節は梅雨が明け、夏になろうとしている。

 体の大きい坊主頭が、グラウンド南側の黒土の周りをぐるぐるとランニングしている。

「いち、にー、さん、しー。いち、に、いち、に」

 声と足が揃い、一体感が出ている。高校名が入っている練習着と入ってない練習着が混じっている。新入生が本格的に練習に参加しているのだろう。その後、高校名が入っていない練習着を着た集団だけが走っていた。その様子を端で上級生がみている。

 東側のテニスコートでは、ダブルスを楽しんでいる。顧問が見ていないのだろうか。男女混合ダブルスをしている。男子は、カッコつけようとプロテニスプレイヤーの真似をして失敗している。そして、その様子を女子に笑われている。

 女子よ、安心して。何年経っても男子はそんな感じだよ。

 西側はサッカー部が練習をしている。こちらも、青いカッコいい練習着と授業で使う体操服が混じっている。サッカー部は髪型の種類が多い。隣に坊主頭がたくさんいるのでここからでもよくわかる。

 そして、グラウンドの空いたスペースを陸上部が硬式の野球ボールやサッカーボールをよけながら走っている。長距離の姿が見当たらない、グラウンドを見渡してみる。

 あ、いた。フェンスの向こう側から、ちらっと見えた。学校の外周を走っているらしい。

 体育館からはボールを床に打つ音が聞こえる。バレーボール部とバスケ部だろう。耳を澄ませば「パスパス」という掛け声も聞こえる。

 武道場からは、受け身の音、気合い、竹刀が打ち合う音が聞こえる。  

 保健室の真上で練習しているブラスバンド部の管楽器の音もよく聞こえる。これは、確か人気探偵アニメのテーマ曲だったと思う。昨日はずっと「宝島」を演奏していた覚えがある。笑い声も聞こえるから練習はまだ始まっていないのだろうか。最近の流行りの曲なども聞こえてきた。「うまいうまい」と軽く拍手をしながらコーヒーを飲んでいると扉がノックされた。

「どうぞー。」

「失礼します。」

 小野寺だった。帯で結ばれた柔道着を肩にかついでいる。

「小野寺か。お疲れ様」

「うん、お疲れ。」

「今から部活行くの?」

「ああ、三年生も最後の試合近いからね。試合に慣らしていかないと。」

 彼は、わざとらしく肩を回した。

「前みたいに、ここに来ないでね。」

「はいはい。」

「じゃあ、頑張ってね。明日は行くの?」

 私はカレンダーを確認する。明日は火曜日だ。

「うん、まぁ一応ね。」

 彼も腕時計で確認する。

 毎週、月曜日と火曜日にS市立病院で村雨繁がリハビリを行っている。


 彼が目を覚ましたと連絡が入ったのは、二人で病院に行った日の深夜だった。

「村雨が意識を取り戻したらしい。今母親から連絡があった。」

 興奮した様子で小野寺から電話がかかってきた。

「今から行くか?車なら出すが。」

「落ち着いて、今は深夜だよ。それに、起きたばかりなら彼もお母さんも忙しいと思うよ。」

「あ、ああ、それも、そうだな。悪いな、こんな深夜に。」

「大丈夫。じゃあ、お休み。」

「ああ、お休み」

 私は、電話を切った。実をいうと心配で眠れなかったのだ。私が寝ている間に不幸な連絡が届いて、気づけなかったら、また私は若い命を見送ることになる。それがとても怖かった。

 私は、大きく息を吐きキッチンへ向かった。冷蔵庫を開け、水を飲もうと思ったがやめた。少しほっと一息つきたかった。

 マグカップにミルクを入れ、電子レンジで五十秒ほど温めた。このまま飲もうと思ったが、冷蔵庫の上に置かれた、ジャックダニエルのテネシーハニーが目に入った。たまにはいいかと思い、電子レンジから取り出したマグカップに少しだけ入れた。

 大学四年生のときに彼女から飲みやすいよと言って貰ったものだが、まだ全く減っていない。食器棚から、彼女からセットでもらったステンレスのマドラーを取り出しよく混ぜた。はちみつとミルクの混ざった甘い匂いが香ってきた。これも「カウボーイっていうカクテルだよ」と教えてもらったものだ。

 私は、ちびちびとそれを飲んだ。

 そして、一人で「ヴェッ」と舌を出した。

「やっぱり私にお酒は無理ね。」

 そうボトルに微笑みかけた。

 それでも、その日は、雑味が全くない心地よい酔いを感じることができた。


 次の日の放課後、私と小野寺で、病院へ向かった。道中で洋菓子店へ寄り、ゼリーの詰め合わせを買った。

 病室へ入ると、母親とベッドには寝ているが、しっかりと目を開けている村雨がいた。

 退室した後で、母親は昨日より数倍柔らかい表情をしていたと小野寺から聞いた。

「こんにちは、失礼します。」

 二人で声をそろえて、あいさつした。

「あ、こちらカウンセラーの清水です。」

「初めまして。清水です。」

 小野寺が私を紹介した。それと一緒に「どうぞ」といい、見舞いの品を渡した。

「それで、ご容態は?」

「完全回復ではないですけど、お医者様がいうには六割ほどらしいです。後はリハビリで何とかするそうです。リハビリを頑張れば何か障害が残るということも無いそうです。」

 彼女は、彼の方をみた。

「そんな感じです。」

 少し恥ずかしそうに彼は、私たちに目を向けた。

「そう、本当に良かった。リハビリ頑張るんだよ。」

 私の言葉に合わせるように、隣に立つ小野寺はうんうんと頷いている。

「まぁ、頑張ります。」

 彼は、ぶっきらぼうに返事をした。

「先生のおかげです。ありがとうございます。」

 彼は、小野寺に向けていった。

「え、お、僕?」

「先生が、たまたまあの時間に学校にいて、僕を見つけてくれたから。それに、少しでも救助が遅れていたら危なかったって聞きました。

 そのおかけで、生きる意味を見つける機会を貰えたから。先生がいなかったら、今は無かったと思う。生きようと必死に体を動かそうとも思わなかったと思います。」

 彼は黒目だけ、母親のほうを向けた。

「本当に、ありがとうございました。」

 親子二人で声をそろえて言った。

「ああ、いや、当たり前のことを僕はしたんですよ。」

 小野寺は、手を首に置き、照れている。

「よし、行こうか。」

 私に、はにかみながら聞いてくる。早く帰ろうという目をしている。 「そうしようか。」

「では、失礼します。」

揃ってお辞儀をし、病室を出た。


「もう少しいても良かったんじゃない?」

「あんなこと言われたら、恥ずかしすぎるだろう。空気が耐えられなかったんだ。」

 彼は、エレベーターのボタンを押した。

「そうかなあ」

 私は、覗き込むように彼の顔を見た。

「やめろ」

 彼は、私を押しのけるようにエレベーターに乗った。

 それからは、特に何も話さなかった。ただ、私は、学校に帰るまで終止にやにやしていたらしい。


「明日は何時から?」

「五時から行くよ。」

「順調なの?」

「体の回復は順調だと聞いてる。ただ、学校の方はね…。」

「ちゃんと、あの件伝えてね。」

 このままだと、村雨繁は一年留年する可能性がある。そのため、休学してリハビリに集中するか、後期から週何回と決めて、通学するかの主に二パターンがある。このことは彼に伝えてあるが、小野寺にはもう一つの案も提案した。

 それは、通信制高校への転校だ。本校では、もうすでに、名前も広まってしまっている。そんな場所に戻ってくるよりは、リハビリをしながら、たまにスクーリングを行い高卒資格を取るというのが彼には合っているのではと私は思っている。

 彼は、勉強ができるから、卒業は容易にできるだろう。その上で、大学受験に挑戦すればいい。厳しいリハビリを乗り越えようとする強い精神力がある彼にとって、大学受験は、そう高いハードルではないだろう。

「分かった。伝えておくよ。」

「よろしくね。」

「そういえば、桂さんは最近どうなの?」

「彼女ならもうすぐ来るよ。」

「え?」

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