第8話 ● ~黒~

「ま──眼鏡の流れは置いといて、そこのお菓子ちゃんが『ネオ・ラグナロク』を読んだことがあるかどうかって話は、私も気になるわね」


 影木が、有耶無耶になっていた話題を蒸し返した。生流琉がタルトに泣かされて、雄々原が眼鏡を生流琉へ渡す。その一連の茶番を遡れば、前提は確かにその疑問からだった。


「む、確かに対話を拒む彼女の態度は引っ掛かるが、追及する程の話でも無いのではないか?」


「そうは言っても、結局他にすることも無いじゃない。そこの気絶ちゃんが目を覚ますまで、黙って自分の手の平と睨めっこするより有意義でしょう」


 ひらひらと、影木は両手を見せつけるように翳しながら言う。瞬間──殆ど反射的に、その場の視線が吸い寄せられるように影木の手へと向けられた。各自の手の平には刻まれているのだ──これから始まるゲームにおいて、核となるはずの情報が。もっとも、本人以外にはそれを読むことは出来ないというクソラグくんの言葉通り、視線を向けた者達の目にはやはり、何の変哲もない手の平にしか映らなかった。

「ふふ、興味津々ね」影木はからかうように笑うと、生流琉の方を流し見る。


「原作ファンの君は、この手について予め知っていたの?」


「ええ、勿論ですわ! 『能力』通知は、手の平に書かれた文字にて行われますの。戦士に選ばれた高校生達は、まず初めに真っ白な閉鎖空間へと飛ばされますわ。そこは待機室と呼ばれる場所で、高校生達はデスゲームの前に顔を合わせる──その時既に、『能力』は配分され、開示されているのです! その後に本番のデスゲーム、決戦へ転送されるというのが『ネオ・ラグナロク』のお約束、定番の流れでしてよ!」


 生流琉は得意げに語り始めた。


「作品内ではあまり言及されないのですけど、百話記念で催された著者薔薇咲円先生への質問企画がありまして! 『どうしてヴァルハラで殴り合いが起きないのですか?』、『ヴァルハラで他の人の手の平を見て回ればよくないですか?』といった疑問に対する回答にて、ヴァルハラでは暴力が禁止されていることや、他人にはその内容が見えないことなど、設定の一端が明かされましたの! ああっ、あの時は薔薇咲先生の深淵なるお考えに感動致しましたわ!」


(読者に粗探しされてその場しのぎで設定生やしたように聞こえるケド)


 タルトに一瞬それを言ってやろうかという考えが過ぎったが、口を挟むと面倒になりそうだと判断し、内心に留めてお菓子を頬張る。


「いや、しかし本当によく覚えているものだ」


 感心した雄々原の賞賛を受け、生流琉の表情がパッと明るくなる。


「と、当然ですわ! 私の人生の半分は『ネオ・ラグナロク』で出来ていますもの!」


「あら、残りの半分は?」


「お金ですわ!」と、ジャージ姿のお嬢様は即答した。中々含蓄のある答えだった。


「む、しかし待った。また話が逸れているぞ。今は手の平に書かれた文字ではなく、そこの少女が『ネオ・ラグナロク』を読んでいるかという話をするのではなかったかね?」


 雄々原のもっともな提言に対し、影木は笑って返す。


「これが案外逸れてないの。つまり──」


「──出た杭を打つってこったろ」


 そこで影木の言葉を引き継いだのは、今まで状況を静観していた赤糸工夫である。場は水を打ったように静まり返って──つまり、タルトがお菓子を貪る音までもが止んで──赤糸に注目を集まった。しかし当の本人は依然として不貞腐れたような態度で、円卓の上に乗せた足をコンコンと鳴らしながら、頭上に向けた視線を他者に向けることなく、傍若無人に言葉を続ける。


「チッ、この場所にしろ、手の文字にしろ──今の状況やここから始まる殺し合いが、なんとかいうクソ小説を元にしてのは確からしいからな」


「クソ小説!? て、撤回しなさい!」


「まあま、クソ小説かどうかは置いといて」


 生流琉をやんわり制しつつ、影木が話の舵を取り返す。


「このデスゲームには原作があるわ。皆、『ネオ・ラグナロク』って名前で検索くらいはしたでしょう? だけど、ネットにはロクな情報が残ってない。結果、『他人の手の文字は読めないこと』と『この場所では暴力禁止であること』を知らなかった君は、先走って失格になりかけたりした訳よ。原作の知識が生むアドバンテージは、逆説的に証明されたんじゃないかしら」


 影木の挑発に赤糸は大きな舌打ちで返したが、即座にクソラグくんが警告するようにバタバタと羽を動かす。結果、赤糸が立ち上がって影木に襲い掛かるようなことはしなかった。

「なるほど、情報格差というわけか」得心がいった雄々原は呟き、生流琉を見る。

「何ですの?」と、またきょとんとした顔で生流琉は返した。一方影木は、タルトへ尋ねる。


「さて改めてお菓子ちゃん、君はどう? 質問に答える理由は作ったつもりだけど」


「無いわよ」と、タルトは即答した。


「『ネオ・ラグナロク』なんて映像見るまで聞いたことも無かった、これで良いワケ?」


「ふむ──先ほどは回答を拒否したのに、今回は随分素直に答えるのだな」


「当然でしょ、さっきはただ聞かれただけ。そんで今回はそこの有利なオタク女だけハブろうって話じゃん。そういうコトなら隠す意味ないっての」


「ひぇっ!? ハ、ハブ!?」


「まんまと乗せられた感じは気に食わないケド」


 タルトは付け加え、お菓子の山の隙間から影木の顔を睨んだ。影木はどこか優しげな微笑みを浮かべ続ける。だが、黒の彼女が始めたこの流れは、残酷な結論を目指して走り出している。


(あの女、いい性格してるわ。要は踏み絵でしょ、コレ)


 舌に広がる甘味を想起しながら、タルトは影木の言動を思い返す。影木がした「タルトが『ネオ・ラグナロク』の読者か否かが気になる」という発言──あれは嘘だ。何故なら、人は嘘を吐く。仮にタルトが『ネオ・ラグナロク』を読んだことがあったとしても、「ない」と答えることは出来るし、その真偽を確かめることは不可能に近い。


(発言を聞いただけで嘘が見抜けるのでもなければ、解りようがないコト)


 ならば何故、影木は有耶無耶になった話を蒸し返してまでそれを話題に出したのか。思考の結果、タルトは、影木の目的を、「未読である」という発言を自分から引き出すこと──正確には、生流琉を除くこの場の全員からその言葉を引き出すことにあったと結論付けた。

 参加者で原作を知っているのは一人だけ。その前提を元に場の空気が向かう先は──。


「多対一というのはあまり気分の良いものではないが、確かに、この場で唯一の原作ファンである君だけが持っている情報は多いようだ」


「そうね、私は出た杭なんて言い方はしたくないけれど、それでもやっぱり、金髪ロールちゃんが一番有利なのは事実だと思っているの。有益な情報は黙っていれば独占できるし、誤情報を流すこともできる訳だから」


 彼女の黒は、悪魔の黒だ。タルトの背に怖気が走る。その悪意に気付いた訳ではない生流琉も、状況のまずさ自体には勘付き始めていた。


「え!? わ、私っ、そんなことしませんわ!」


 生流琉の訴えは虚しい響きを帯びていた。彼女は今、『ネオ・ラグナロク』が好きすぎる変な女ではなく、この場で最も警戒すべき相手として見られて始めている。口の中に広がる苦みに顔をしかめ、タルトはお菓子を放り込む。実際、生流琉が真に情報のアドバンテージを活かそうと思っていたのなら、読者だと最初から明かしてはいなかったはずだ。生流琉は恐らく自身にアドバンテージがあることすら認識していなかったのだろう。だからペラペラと原作『ネオ・ラグナロク』の話をしていた。

 しかし今回、生流琉の『つもり』は問題ではないのだ。人は嘘を吐く。誰か踏み絵を踏ませたところで、その者の真意はわからない。だが踏み絵を踏んだという事実から多数派をまとめ、少数派を弾圧する側に回すことは可能だ。影木無子からしても、あわや失格の蛮行に走った赤糸工夫はともかく、雄々原色々女やハニータルト・バターアップルが未読だと嘘をついている既読者であるという可能性は残っているはずである。そして、わかった上で目を瞑ったのだ。それは、別の目的のため──影木の狙いはこの一連の流れにより、生流琉を孤立させることにあるのだろう。何せ、少なくとも生流琉死殺が原作読者であるという情報だけは、唯一確かそうなことなのだから。


(今後『能力』を使った戦い本番、私達同士が交渉や共闘をする展開があるなら、オタク女は動き辛くなる。反対に『共通の脅威』って建前が出来た私達は動きやすくなったハズ)


 とはいえ、この後行われるゲームにそういった要素があるか否かについては、ルール説明がなされていない現段階ではわからないことで、見当違いの仕掛けという可能性は大いにあった。

 だが活きるかもわからない布石を打つ、その姿勢にかえってタルトは影木への警戒を強める。


(──ま、私なら誰が相手でも出し抜かれることはないケド)


「あのっ!」


 生流琉は焦った顔で、声を目一杯に張り上げた、


「本当に私だけ、なのですか?」


「う、うむ。どうやらその様だが」


「そんなはずありませんわ! どこかに同じ読者の方がいるはずです! ど、どなたか!」


 テーブルを見渡し呼びかけるが、今更になって応じる者が現れる訳がない。『ネオ・ラグナロク』を知る参加者は生流琉死殺一人──そういうことになった、そのはずだった。


「あの、さ」 


 だがその時、あるはずのない返答があった。


「僕は読んだことあるよ、『ネオ・ラグナロク』」


 褐色肌のボーイッシュな少女が片手を挙げ、もう片方の手で後頭部を摩っている。青月十三月が気絶から目を覚ました。「あら」と、影木は素朴な、驚きの声を漏らした。


「起きたのね。ええと──それは、本当に?」


「ついさっきね。それで少しだけ話を聞かせてもらっていたけど、うん。僕も『ネオ・ラグナロク』は知っているよ。そう詳しいって程でもないけど」


「なんだ、ハブになんないんじゃん」


 タルトはボヤく、これなら影木の策にもあまり効果はないだろう。


「お読みになったことがあるのですね!? じゃあ、あなたが──!」


 生流琉は、主人を見つけた飼い犬のように目を爛々とさせている。既読者同士の繋がり。ルール上共闘があり得るのなら、生流琉孤立の流れは裏目に出た可能性があった。「ふむ、すると読者は二人か」と、安心したように雄々原が呟く。異常者だが、人は良いのだろう。


(──こうなると、派閥作りは裏目。あの腹黒女、どう責任取ってくれるワケ?)


 だが、影木はニコニコとしていた。しかも、今までの張り付いたような微笑ではなく、どういう訳か、心から楽しそうにも見えた。タルトは舌打ち代わりにキャンディーを口で砕きながら、クソラグくんに催促する。


「そんなことより揃ったでしょ、さっさとルールを説明してほしいケド」


「! さ、さあ、お待たせしたロク! いよいよ、ルール説明を開始するロクよ!」


 慌ててクソラグくんが高らかに宣言したが、「その前に少し良いかな?」と、青月が制した。青月十三月は赤糸工夫を見ていた。赤糸は我関せずと仏頂面で天井を見上げているが、そうはいかない。開幕早々絡まれた阿下喜今の今まで気絶させられていたのだから、と皆思った。だが、本当にそうはいかない理由は別にある。赤糸と青月の関係を彼女達はまたは知らない、


「やっぱり」


 相手を『クフちゃん』だと確信した青月は、変わり果てた幼馴染に言葉を投げかけようとする。しかし、そこで彼女は異常に気が付いた。鼻と耳、そして視界に違和感があった。


「えっ──なんで僕、眼鏡掛けてるの?」

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