私は貧乳派

膝毛

私は貧乳派

 私は貧乳派だ。


 別に特別なことではない。世の中の主流から少しずれているが、私と同じような人間は世の中に何万人といるだろう。だが、この自分の性癖を語ると、なぜか毎回周りに引かれてしまう。多様性が声高々に叫ばれているこの時代でなぜこのような迫害が発生してしまうのだろう。


 勘違いしないで欲しいのだが、別に私はロリコンではない。一番好きなジャンルは「年上の女上司」だし、大人がそういうことを気にしているのがまたそそるのだ。だから社会から爪弾きにされるような後ろめたさはない。確かに貧乳というジャンルを開拓していると、上位には「ロリ」「妹」といったワードが出てきてしまうため、世間一般にはそういう勘違いをされることもあるだろう。だが、この文章を読んでいるアナタにはこの機会に分かってほしい。


 ではまず貧乳についての理解を深めてもらうために、なぜ私が貧乳を好きになったのか、その理由を話そう。中学生の頃は私も普通に巨乳が好きだった。いちご100%は北大路さつき派だったし、好きなタレントは井上和香だった。だが当時シャイでプライドが高かった私は、自分が巨乳派だということを正直に言えなかった。そこで周りに「コイツは只者じゃない」と思われるため自分を貧乳派と偽ったのだ。


 それが全ての始まりだった。


 それから根が真面目な私はエロサイトを巡る際も、巨乳ではなく貧乳で検索するようになった。貧乳好きという嘘をつき通すため、そのエロスがなんなのかを研究し始めたのだった。始めは正直惰性で見ていたのだが、見る回数を重ねていくにつれ、人がなぜ貧乳を求めるのかが理解できてきた。平原のように美しく均一なボディラインを表現する「胸」、その平原に連なる美しき峰「脇」、そして人々を魅惑の底へと誘い込む大海峡「ヘソ」、そう、貧乳の魅力とはおっぱい単品で完結するのではなく、その人体全てによって描き出される総合芸術的な美しさにあるのだ。


 こうして私は貧乳という新たな地平線、まさに乳ーホライズンを見つけたのだ。


 プライドを護るためについた小さな嘘は、こうして私の中でとても大切な真実になった。噓から出た実、とはまさにこのことだ。そして時は巡り、三十路になった今でも私は貧乳を追い続けている。この人生に後悔はないし、今後も胸を張って生きていくつもりだ。だが、やはり巨乳派からくる嘲るような視線というのはどうしても気になってしまうのだ。


 わかってほしいのは私は巨乳派を下に見ているわけではない、ということだ。貧乳好きの私だってたまには巨乳もののAVだって見る。さっぱりしたものをずっと食べてたら、たまに脂っこいものが食いたくなる、そんな感覚だと思ってもらいたい。


 おっぱいに上も下もないのだ。すべてのおっぱいは平等で、美しく、そして気高い。だからこれを読んでいる巨乳派の読者には、貧乳好きを否定するのではなく、その大きな胸で優しく受け止めてほしい。争うのではなく認め合う、それが令和となったこの時代に求められる新しい人のあり方なのではないかと私は思う。


 そして、もしアナタがどうしても貧乳を理解できないのなら、ぜひその目で確かめてほしい。周りの人の意見でなく、ましてやネットの見知らぬ人の意見でもない、アナタ自身の目で見て、それで貧乳とは何なのかを考えてほしい。


 何事も自分の目で確かめなければ真実は見えてこないのだから。



 長くなってしまったが、最後に一言だけ言わせてほしい。






 貧乳、サイコー


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