ライバル令嬢は女神の申し子をガン見している。

@shugokoukyou

ライバル令嬢は女神の申し子をガン見している。窓越しに。

 客観的に彼女は努力をした。著しく。方向性にいささか問題はあるが。

 この世界のことは何もかも知っていた。今まで起きたこともこれから起きることさえも。

 この世界が作りものであることも、女神なんていないことも。

 ひかれたレールをたどるように最高の未来を目指したのだ。

 王太子を攻略して、王妃になるのだ! いつだって王太子から攻略する。それがジャスティス。

 ツンと取り澄ました公爵令嬢よりも、気さくで明るいヒロインの方が誰だって好きになるに決まってる!

 だって、そういう世界なんだもの。

 これは死ぬほど――本当に死ぬほどやりこんだ――ゲームの続編の世界なんだから!


 御后教育は国民の学び舎で共に。という建前と、警護は厳重に。という実利と、よけいな虫が問題を起こさないように。という本音が入り混じった結果、王立学園の広大な敷地の一角に小さくも優美な別棟が建てられている。

 王宮に嫁ぐ貴族令嬢のための教育の場――お花御殿には現在王太子妃が内定している公爵家冠王女リュディマフリーデと、彼女のために選ばれた女官候補の数名が通学している。


 青みがかった白い髪。薔薇色の頬と珊瑚色の唇。リュディマフリーデの炎色の瞳は母である王女に生き写しであった。

 ミスリル鉱で糸を紡ぎ織り上げて作った布で人形を作ればこうなるだろう。と、六歳の誕生祝いの席で宮廷詩人が歌い上げ、さもありなんと満場が頷いた柔らかな美貌。

 そして、決して雪や氷などというはかないものではないことが『ミスリル』という強靭極まりない魔合金に例えられていた――六歳で。

 公爵家のリュディマフリーデ冠王女。先王の孫であり、王女の娘の称号は王女である。

 とはいえ、臣下の娘の誕生祝が宮廷で行われること自体が他国ならばありえないことだろう。

 しかし、魔導国エ・リューズでは独自の王位継承方式が採用されている。

 生まれる前からリュディマフリーデは特別だった。現王家の誰よりも、王家の血が濃いのだから。


 話は数代前にさかのぼる。

 当時の王が下級貴族の娘を妃とし、その子に王位を継がせた。本来、后となるべく用意されていた令嬢は大公位についた王弟に嫁いだ。

 次代の王は他国に出現した聖女を妃に迎えた。大いに国は栄えたが、后となるべく用意されていた令嬢は大公家に嫁いだ。

 さらに次代。

 公爵家に女子は生まれなかった。先の大公家の令嬢の一人が公爵家に嫁いだ。

 さらに次代。

 公爵家に女子は生まれなかった。

 先王陛下は馴染の婚約者であった侯爵令嬢をめとられたが、公爵家に先代王妹が嫁いだ。

 そして、今代である。

 こうして王家の都合に振り回された数代の間に高位貴族の血が凝縮した結果がリュディマフリーデだ。

 城に眠る魔道機構の制御の関係上、これ以上祖王のミスリルの血を薄めることは許されない。

 リュディマフリーデの息子こそが王とならねばならない。

 よって、その父もミスリルの血を薄めることのない血筋であり、王として遜色ない人物でなくてはならないのだ。

 肖像画の祖王のごときリュディマフリーデの隣に立って見劣りしてはならない。現王家の威信に関わる。

 まず、リュディマフリーデありき。

 尊き淑女が選んだのが、現王太子リトハルトである。


 瀟洒なテラスから遠くに通学してくる生徒たちが見える。

 混乱を避けるため、常に早い時間に登校しているリュディマフリーデは扇の下で低く呟いた。

「当代、神々は宴席についていらっしゃると拝察しましてよ」

 神々と人の時の尺度はあまりに違いすぎ、神々はほんの一瞬興じている間に何百年もたっているという故事から転用されている言い回しだ。

 庶民的に言えば、「運営、エアプか。まじでクソ」という運命を呪う語句に当たるが、直接公爵令嬢が口から洩らしでもしようものなら、メイドはショックで失神し、乳母やとご母堂は泣き崩れながら令嬢を叱咤し、かかりつけの医師が呼ばれ、しかる後宮廷医師が呼ばれ、神殿から悪魔祓いがやってきて、同時に王立魔術院から対策チームが派遣されるレベルに下品な言葉である。

 同じ内容を言うにしてもより格調高い言い回しをしなくてはならないのだ。下々の心の安定のために。生まれながらに高貴な身分を持つ者は日常の些末な不平にも声一つ上げられない過酷な日常を送っている。

「わたくしはこれが日常だから特にどうということもないけれど――慣れない者にとてもとても辛いことでしょうに」

 愛の女神は時々酷なことをなさる。

「女神の申し子」と称して、女の子を王都に連れてくるのだ。というか、神殿の祭壇の上に出現させるのだ。

 言葉も通じないどころか、大抵この世界のモノではない。

 女神は気に入ったかわいいものを連れてくる。神話から引用すると数が多すぎ、列挙するだけで日が暮れる。そういう仕様なのだ。それを自分を信仰する国に降臨させるのだ。鳥が光るガラクタを巣にため込むように。さしずめ、王家はその光るガラクタと巣を管理する管理人だ。

 女神が持ち込んだのだからむげにもできず、受け入れるには異質すぎる存在。

 それが「女神の申し子」だ。いっそ、猫や犬の類ならまだ愛玩できよう物をなまじ意思の疎通ができる知的種族だから始末が悪い。

 しかも「絶妙に壊れている」らしい。完全翻訳の魔法を使った魔術師によると、ある日突然さらわれ、女神に大事にされていたのだという。もう月日の感覚は抜け落ちてしまったので期間はわからないが自分の見た目は変わっていないそうだ。相手は神なので何の慰めにもならない。

 最初は錯乱しているそうだが、正気化治癒奇跡や完全翻訳の魔道具をたっぷり身につけさせて状況を説明した結果、落ち着きを取り戻すが、自分がこの国に有益なものであると大抵誤解しているらしい。

 数代前の国王陛下は、妃として下級貴族の養女を、その次の王は他国で言うところの「聖女」――「女神の申し子」を次々とお迎えになった。

 申し子が存命中、国は種はまけば勝手に豊作状態だったので、肥料や天候を見る技術はすたれ、この時期以前の農業技術は散逸した。結果、長命だった妃がなくなってからしばらくは不作の年が続いたという。妃のせいではない。きちんと農民を管理しなかった領主――妃の奇蹟に胡坐をかいて備えなかった国王陛下が悪い。実際、妃をよく思っていなかったリュディマフリーデの曾祖母に当たる大公夫人は「あの女の奇蹟を浴するなんてまっぴらだ」と、独自に作物の改良をさせた。結果、不作を免れたという。運命の皮肉とはこのことだ。

「当家の収量は変わりなくてよ。奇蹟など。亡くなった後のことまで責任をかぶせられるなんておかわいそうですわ」

 長命であった申し子よりさらに長生きをなさった大公夫人の言葉の真意について、現在も歴史家達は解釈に頭を悩ませている。


 始業準備のチャイムが鳴る。校門に転がるようにして少女が一人飛び込んできた。口にパンを咥えている。

 なぜ。

 リュディマフリーデには疑問だった。

 申し子は王の庇護下にして、愛女神神殿大司教の養女扱いで学園の寮に住んでいる。

 侍女もついているはずだ。礼儀作法以前にありえない。なぜわざわざ咥えて走る? どう考えても一気に食べた後全力疾走した方が効率的だ。

 そもそもパンを食べるなら、スープやお茶が必要ではないか? パンだけかじったら絶対のどが渇くだろう。

 リュディマフリーデのメイドたちはとても優秀なので、リュディマフリーデ自身は喉が渇くという感覚を体調不良の時しか感じたことはないが、物語には喉の渇きとパンの関係はそういうものだと書いてあるし、メイドたちからの聞き取りでもそういうものだと複数の証言を得ている。

 それともパンが違うのだろうか? 平民はべちゃべちゃしているパンを食べているのだろうか。いや、王立学院のパンが平民仕様ということがあるだろうか。もしや不当な扱いを受けているのかもしれない。そのようなことがあってはいけない。神殿からの差し入れだろうか。うかつに動いてはご迷惑をおかけするかもしれない。それとなく確認し、ご不自由がないようにしなくては。

 自分は何と至らないのだろう。平民が食べている一般的なパンがどんなものなのかもわからないなんて。

 それをおいしいから食べているならともかく、それしかないから仕方なくということだったら、彼らの上に立つ者として捨て置けない。

 これは、確かめなくてはならない。この国を治める者として。

 リュディマフリーデは、お花御殿が完成した日に顕現した申し子が自分と無関係とは思えなかった。

 常軌を逸しているようにしか見えない彼女の一挙手一投足が女神からのありがたい示唆である。そのように認識していた。


「皆様、教授にもうかがいとうございますわ」

 授業の切れ目、少し恥ずかしそうにリュディマフリーデは扇の影でまなざしを揺らした。

 日頃凛としているリュディマフリーデの様子に、まあ。と、令嬢の一人が表情を曇らせた。

「リュディ様、そんな顔をなさらないでくださいな。私達、みなリュディ様のお味方ですのよ。どうぞ、何でも聞いてくださいまし」

 令嬢の一人がそう言うと、他の令嬢も優雅に頷いた。言った言わないが致命傷になる宮廷では非言語コミュニケーションを身につけないと早晩積む。

 リュディマフリーデは、たいしたことではないのですけれど。と前置きをした。

「パンを口にくわえたまま走ることに合理性はあるのかしら?」

 冠王女が突飛なのではない。冠王女のお目の届くところで突飛な行動をやりおおせる者が悪い。

 令嬢たちは常識的なので、この場で名を出すという不作法はしない。いかなる意図があってのご発言かわからなかったからだ。

「このお話では、お行儀は度外視していただきたいの」

 つまり、リュディマフリーデはパンを咥えて遅刻ギリギリで駆け込んでくる生徒は不届きだから処分してほしい。という意図で発言しているのではないことが明らかになった。

 この段階であさはかに「下級貴族はしつけがなっていないおうちもありますのね」などと言う令嬢は女官候補に選抜されはいない。

「時間短縮のため、走りながら食べるということに優位性があるならそれもいいと思いますの。遅刻して他の方の足並みを乱すよりはるかにいいと思いますのよ。私も王宮で急いで移動しなくてはならない中、更に食事もという事態を想定しなくてはなりません」

 王族たる者、式典中に腹を鳴らしてはならないのだ、絶対に。

 魔術的及び祭祀的観点からも、一時であれ、国民の象徴たる王族は飢えても渇いていけない。

「パンを咥えて走るのが合理性がある行動なら、それを王族が行っても問題がないよう洗練させる必要があると思いますの」

 リュディマフリーデは自分が言いたいことが伝わったようなのでにっこり笑った。

「いかがかしら。忌憚のない意見をお願いしますわ――それと――」

 リュディマフリーデは、はにかむようにして少し言いよどんだ。

「あの――細長くて腸詰だけが挟まったパンというのは、学院寮ではごく普通のメニューなのかしら?」

 お肉とパンだけではいろいろ足りないように思うのだけれど――と、冠王女殿下は消え入るような声でおっしゃい、最後にわたくしが言ったというのは内緒になさってと絞り出すように懇願された。

 

 数日後、リュディマフリーデの元にそっと差し入れられた紙片には、学院寮が提供している軽食にはソーセージの他にもたくさん野菜が詰められているが。食べにくいとか好き嫌いとか手っ取り早くという理由から、ソーセージだけ挟んであるものを好む者もいるという調査結果が届けられた。

 不当な扱いではなく、個人の好みとわかり、リュディマフリーデは胸をなでおろした。

「抜き抜きと注文するそうですわ」

「好きな具を増やしてもらうマシマシというのもあるそうですわ」

 言葉の響きが面白いのか、何度も繰り返しながらコロコロと笑う令嬢方がそれを実際に寮で注文することは許されない。外の屋台などもっての他。毒殺を常に意識しなくてはならない御身分だからだ。

「当家の料理人に作ってもらいましたの」

 だから、これが、ギリギリ許される彼女たちの精いっぱいの冒険だ。

「思ったより大きいですわね――」

 実際のところ、令嬢仕様でだいぶお上品に細いパン。サンドイッチをナイフとフォークで召し上がる方々である。

「これを咥えてお走りになる? 鍛錬が必要ですわ。ですが、市井の方々は手づかみと伺っております。御本にも出てまいりましたわ」

 令嬢たちは恐る恐る「腸詰パン・抜き抜き」を手に取った。

「頂戴いたしますわね」

 気恥ずかしくそれぞれそっぽを向いてかじりついた。腸詰からあふれた肉汁をパンが受け止めてちょうどいい塩梅で口に入る。思ったよりのどに張り付いたりはしなかった。

  リュディマフリーデは、おいしく全部食べた。

 ちょっとおなか一杯になってしまいましたけれど。と、恥ずかしげに口元をナプキンで押さえた。

 

 王太子・リトハルト殿下は特に際立った才能はないが、まんべんなく色々なことをこなす方で、ひっそりと何かをなさることがとても巧みでいらっしゃる。

 例えば、学業と執務のわずかな時間にこっそり婚約者の読書の窓辺に現れたりだとか。

「デーテ。今日もお健やかさんでした?」

 リュディマフリーデを「デーテ」とお呼びになるのは王太子のみである。

「ええ、とても。殿下もお健やかさんですわね」

「変わらず」

「ようございました」

「はい」

 そう言って顔を見合わせ、クスクスお笑いになるお二人をそっと見守るのが侍従、侍女の仕事であるのだが、何が面白いのかわからない社交辞令を楽しそうになさるのだ。毎日。欠かさず。

「今日も抜き抜きを咥えて走っておいででした」

「抜き抜き?」

「学院食堂のパンに腸詰だけを挟んだものをそういうのですって」

「腸詰を挟んでいるのに?」

「色々挟んでいる具をみんな抜いて腸詰だけが残っている状態だそうですわ」

「なるほど――デーテは物知りさんだね。――またこっそり見ていたの?」

 主語が抜けているのは暗黙の了解だ。

「女神さまの思し召しがございます。神殿に伺っていればその内きっとお会いできるでしょう」

 申し子殿は神殿に立ち寄られる様子はない。と、王太子の耳には入っている。むしろ、王太子の行く先々になぜかいる。朝などはパンを咥えて突進してくる。何かの儀式のように。暴徒対策に毎日移動経路を変えているのに。機密が漏洩している気配はない。常ならぬ力をお持ちのようだというのが魔道院及び神殿の見解だ。おかげでお花御殿に来る頻度も時間も極小になっている。

 女神の申し子を放置し神の不興を避けるため王の名の元に庇護している。その手前、王太子もむげには扱えない。神殿との兼ね合いもある。だが、遠慮会釈もないずけずけとした振る舞いは王太子の肌には合わなかった。

 王太子としては儀礼的以上に関わり合いになりたくないが、リュディマフリーデは申し子に興味がおありのようだ。窓の向こうで自由に飛び回る小鳥のようなものだろうか。王太子にとっては害獣一歩手前の珍獣だが。

 リュディマフリーデと国民に害が及ばなければそれでいい。と、王太子は思っている。


「抜き抜きなんて面白い言い方ですわね」

 実際、申し子が学院に来てからリュディマフリーデは楽しそうだ。

「では全部抜きだと――」

「腸詰もなくなるのでしょうか」

 リュディマフリーデは、どうなのかしら。と首をかしげた。

「いや、パンに塗るものは残るのではないかな」

「そうですわね。挟む前にバターなど塗るのですわよね」

 調べましたのよ。と、リュディマフリーデが言う。

「どうなるのでございましょうね」

 確かめようもありませんけれど。と、リュディマフリーデは笑い、その場は御開きになった。

 王太子は執務をこなさなければならなかったので。


 翌日。

 学院男士寮の食堂でオニオン抜きの腸詰パンを頼んだ男士生徒がいた。

「ところで全部抜きって言ったらどうなるんだい?」

「バターとマスタードを塗ったパンを差し上げます」

 食堂職員は茶目っ気たっぷりにケチャップはサービス出来ますよとつけ加えた。

「なるほどね。抜くのはオニオンだけで」

 ちょっとした軽口。王太子侍従がいつもの席で出勤前の紅茶を嗜んでいた。

 王太子殿下に良い報告ができそうだった。


 それからしばらくしてからのことだ。

 申し子は王宮に上がることとなった。

 ある程度の作法が身につかなければ公式謁見はできない。王太子の行く先々に現れるのも変わっていない。明らかに学院の教育課程を逃げ出している。欠席を表すスラッシュがずらりと並んでいた。

 非公式ながら、王族列席の面談である。

 養子縁組をしている大司教がおやおやと場に合わない声を出した。

「申し子殿は、これこの通り」

「恩寵顕現」――どれだけ神に愛されているかを可視化する奇跡を起こした。申し子が光に埋もれて、もはやまともに見られない。

「女神のご寵愛を一身に受けておられる。女神の御心のままに」

 つまり、このまま申し子のやりたいようにやらせろ。と、宗教的観点からいう。

 愛の女神は二面性があり、奔放な情愛を表す花を掲げる女神と超越した慈愛を表す聖杯を掲げる女神が背中合わせに結合している姿で表される。

 王太子は、花を掲げる女神の神格からの恩寵だ。と、確信を深めた。

「なればこそ、女神の聖句のひとくさり、女神への礼拝手順くらいは実践できなくては困るのではないかな?」

 国王陛下は大司教に尋ねた。

「いいえ。女神は申し子の無垢なふるまいを愛しておられるのです。生まれたての赤子に礼法を課する者はおりますまい」

「なるほど。しかし、王宮には秩序が求められる。聖杯を掲げる女神のごとき振る舞いも覚えていただきたい。それでこそ申し子としてより完璧におなり遊ばすだろう」

 国王陛下は、教練を積ませろと明言なさった。

「ちゃんとできれば王宮に上がれるってことですよね?」

 この時点ではちゃんとできていない。国王陛下に直接話しかけること自体がゆるされていない。この場合、親代わりの大司教に尋ねる形で発言の許可を取り、問答という形で入るのが正しいやり方だ。そもそも、王族に使っていい単語が『王宮』しかなかった。

「申し子殿は早急に励むがよかろう。努力したからと言って女神のご寵愛が冷めるということはないだろう」

 国王陛下は独り言を呟かれると、その場を後にされた。

「王太子。よく言って差し上げなさい」

 仰せつかった王太子がその場に残った。

「結局、今日は何だったんですか?」

「君がきちんと勉強しないと、いつまでも学院に通い続けなくてはならないということだよ」

「いつまでも?」

「そう。一年かかろうが三年かかろうが十年かかろうが既定の単位を修得しない限り、学院から出さない。嫌なら神殿で自由に暮らすといい。その場合は神殿から出さない。どちらか一つだね。もちろん大司教の養子として身分は保証されているよ」

 やることをやらなければ、生涯軟禁だ。と、最後通牒だ。女神の申し子はそのくらい危険な存在なのだ。

「大司教殿も本当はずっと神殿に置きたいんだろう?」

「左様にございます。さすれば、我らは朝となく昼となく申し子殿のお姿に女神のご威光を直に感じることができましょう。現世の学院など申し子殿には不要と考えております」

 申し子の顔色が一気に悪くなった。ひょっとすると、今まで自分に甘々の扱いやすい年寄りと思っていたのかもしれない。どうしてどうして。女神原理主義の神秘秘匿主義者だ。申し子がどのような性質なのかわからなかったのでとりあえず監視しやすいよう学院に入れたが、薬にならない弱毒性と判じられた。むしろ、神殿の奥で楽しく過ごしてほしい。国に迷惑をかけない範囲で。

「あの。あの。女神の申し子ってすごいんですよね?」

 だが、現在進行形で王太子は食い下がられていた。

「ああ、女神の恩寵がとてもあるようだね」

「私。とっても色々できると思うんです。お役に立てると思います。王太子様の」

「私はそうは思わないけれど」

 王太子が「そう思わない」と言ったら、それは絶対的拒絶、却下を意味する。しかし、申し子は自らそれを教育される機会をかなぐり捨てた。破滅フラグはとっくに立っている。

「いっぱい国を豊かにしたりとかできると思うんです! 畑をたくさん実らせたりとか!」

 王太子は、とてもリュディマフリーデに会いたくなった。いつもなら今頃、リュディマフリーデの窓辺に立って他愛ない話に興じている時間のはずなのだ。

 完全に王太子の地雷ワードだった。

「この国はね、そういうのはもう間に合っている。むしろ、二度と味わいたくないんだ。立て直しに150年かかったよ。本当なら君はそのあたりのことをとっくに習っているはずで、そうしたら口が裂けても私にそんなことは言えないはずなんだよ」

 リュディマフリーデのご先祖様の話。彼女のように申し子に人生を振り回されるのはごめんだ。

「なんですか。それ。私、女神に愛されてるのに! 王太子様は私をお后にするのが一番みんな幸せになれる道なんですよ!」

 何か天啓めいたものを感じているのだろう。大司教が感極まって床に身を投げ出している。

「申し子殿。それは不可能だ。君は絶対お后にはなれない」

「なんでですか。絶対私と結婚しないって意味ですか」

「たとえ、結婚したとしても。君と結婚する時点で私は王太子ではなくなり、ただの王子になるからさ」

 申し子は思い切り眉を顰めた。

「君は本当にもっと勉強するべきだ。この国の次の国王は冠王女リュディマフリーデの夫なんだ」

「なんで、貴族なのに王女なんですか」

「彼女の祖父は前国王であり。彼女のご母堂が国王陛下の異母妹姫だからさ。何度も言うけど、これは誰でも知ってる一般常識だよ。祖王のプラチナの血を最も色濃く引いているのはリュディマフリーデなんだ。だからリュディマフリーデの子が必ず次の王にならなくてはならない。だから、この国の次代のお后の座はリュディマフリーデが生まれた時から埋まっているんだよ」

 申し子は今にも泡を吹いて倒れそうな顔をしていた。

「嘘。私。お后様になりなかったのに」

 王太子は深々と息をついた。申し子からリュディマフリーデが王太子にくれるような柔らかなものが一切感じられないからそんなことだろうと思った通りだった。

「文句なら、君の前にこの国に来た申し子にお願いできるかな。最初は下級貴族の養女。その次は他国から来た聖女。彼女たちがいろいろやらかしてくれたおかげで今こんなことになっているわけだから。女神さまなら、直接文句を届けてくれるんじゃないかな?」

 王太子は微笑んだ。

 申し子は自分の当た喪をかきむしった。

「1と2だ――そんな。両方お后ルートでクリアすると3でこんなことになっちゃうの? そんな。これバッドエンドだよね。じゃあ、やり直すから。リセットは? どうしたらリセットされるの?」

 申し子が何を言っているのか、王太子には少しも分からなかった。申し子は絶妙に壊されているという言葉の意味を痛感していた。迷惑と感じていたが、取り乱す姿に今は憐憫の情さえ覚えていた。

「女神の恩寵豊かな君。女神はきっと君を愛で続けてくれるから――」

「嘘よ! 女神なんていないの。いるわけがない。これ、ゲームなんだもの!」

「君がここにいること自体、女神の実在の証だよ。だって君はこの世界の外から女神が連れて来たのだから。この世界では誰でも知っている常識だよ」

 申し子は金切り声を上げた。目の前を女神の裳裾が横切る。

 大司教はより強大な女神の喜びを感じ、法悦の表情を浮かべていた。


「まあ。申し子様は神殿で修行なさることをお選びになりましたのね」

 リュディマフリーデはさみしそうに窓の外を見やる。もう、パンを咥えて王太子に突進を試みる通り魔はいない。

「女神の寵愛著しく、俗世では人心を混乱させてしまうと神殿が判断されたそうだよ。大司教がつきっきりで女神について講義なさっているそうだ」

「残念だわ。せっかく、申し子様からヒントを得た軽食が完成いたしましたのに」


 宮中で小さくやわらかな焼き菓子が流行する。

 大きさは貴婦人の一口サイズ。口の中で噛まずにすぐ潰れるシュー皮の中に栄養たっぷりかつのど越しの良いクリームやパテが入っていて、速やかに目立たず小腹を満たせ、食べくずも出ないのだ。

 胴を締め上げられて一度に大量に食することができない貴婦人たちに今後重宝されることになる。


「愛の女神よ。道しるべをありがとうございます。御身の申し子がつつがなく過ごされますよう」


 お花御殿の礼拝堂で、リュディマフリーデは愛の女神に祈りを捧げる。

 菓子の名は、神殿に奥に鎮座まします申し子にちなんでつけられた。

「パフラン」 

 口に入れて走れるという意味だ。

 夏の初め、リュディマフリーデは王太子に嫁ぐ。きっと美しい花嫁になることだろう。

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