夜、電話がかかってきた。寝ぼけた頭のまま出ると、犯人が自首してきた、という連絡だった。

 エリック・ハーダウェイ・リナ。三十代後半の男で、役者崩れだという。傷害と窃盗の前科があるが、基本的には殺人のような大それたことはしないタイプだとか。

 酩酊した状態で警察署に入ってきて、自白を始めた。凶器や時刻が一致していたので、本件の加害者と断定した、ということなのだが。

 どうにかうまく通じるように報告書を作成していたのだが、こうなっては仕方がない。三好はありのままを報告をした。

 電話口の男は驚いた様子で時々「そんな馬鹿な」「ありえない」「天才も言い訳をするのか」などと茶々を入れてきたが、きちんとデータがあること、ジル本人に了解を得てDNAを採取してきて、それと一致したことを話すと、何も言わなくなった。

 三好は探偵でも警察でもないが、エリックという男は、ジルの子供の父親だということは推測ができる。

「分かったことは全て送ってくれ。こちらで吟味して、後日また連絡する」

 そう言って男は電話を切った。小さい頃、「超能力犯罪捜査官」なるものがアメリカにいると信じていた。下らないオカルト番組に、自分がそうであるといって出演していた白人男性がいた。自分もまた組織の一員となった今ではそれは虚言で、テレビを面白くするための役者だと分かっている。しかし、本件のような、どうにも説明がつかないことは、誰がどうやって処理するのだろう。三好はしばらくぼんやりと思案を巡らせたが、こんなことを考えること自体時間の無駄だ、と思い直す。

 誰だって、なんだっていい。自分のシステムの精度を毀損するようなことにならなくてよかった。それだけだ。

 ベッドに入りなおそうとして、足が敏彦の足に触れる。

 宝石のような人間だ、と思う。皮膚のどこも、触るとつややかで、ひんやりとしている。

 敏彦は拒まない。別に初めてじゃない、そう言っていた。男に抱かれることに抵抗がない。嬉しいわけではない。どうでもいいのだ、と。

 何をしても、手に入れられないことは分かっている。それでも抱いている間は、他の猿よりずっと、魂が近くにあるような、そんな勘違いをする。自分もまた猿なのだ、と三好は分かっている。その勘違いがやめられない。敏彦は拒まない。

「昴君」

 布団がめくれて、敏彦の上半身が露になる。つい数時間前まで肌を合わせていたのに、見てはいけないような気がして、思わず目を逸らす。

「ああ、起こした? ごめんな……」

「昴君、テセウスの船って知ってる?」

「ああ、哲学の」

「そう。テセウスの船。あるいはスワンプマン」

 敏彦の目がきらきらと輝いている。電気も付けていないのに、彼の瞳の中には星がある。

「ある男がハイキングに出かけた。そして沼のある場所で、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。落雷は沼の泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出した。この化学反応で生まれた新しい生成物を、沼の男、スワンプマンと呼ぶ。スワンプマンは原子レベルで、落雷で死んだ男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同じだ。構造が同じなのだから、当然脳の状態も死んだ男と完全に一致している。記憶も知識も全く同一のものだ。当然、行動も。沼を後にしたスワンプマンは、男がそうしようと思っていたとおりハイキングを終えて、男の姿で街に帰っていく。そして死んだ男が住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく」

「知ってるって。それが、どうした?」

 敏彦は何も答えず、三好の顔を眺めている。

「あ……ああ……ジルの話か。確かに、似たような話かもしれない。ジルの場合はカーン・ベイビーだのなんだの、スピリチュアルなノイズが多いけれど。まあ、それに、もし俺が精査したジルのパーツがジルのスワンプマンであるなら、生きたジルがいるのはおかしい……いや、何を言ってるんだろうな。思考実験だ。実際にあったわけがない」

 突然、敏彦が三好の右手を掴んで、自分の顔に這わせた。

「急に……」

「触って、どう?」

「綺麗だ……」

 敏彦はははは、と笑った。低い。絶対に女ではない。だが、狂おしいほど愛しい声だ。

 敏彦は三好の手を掴んだまま、首から徐々に下に向かって体のラインをなぞらせていく。

 手が鳩尾のあたりに差し掛かったとき、三好はたまらず敏彦をベッドに押し倒した。

「何がしたい」

 唇を重ねる前に、敏彦の冷たい指先が触れた。

「目、耳、鼻、口、手足、胸、腹——この指の先まで、どう思う?」

 ベッドの上で振動しているものがあった。

「後で電話かけるって、今かよ、クソ……」

 三好は布団の中を手探りでまさぐった。指に、滑らかな肌が触れる。さっさと電話を切り上げて、それで——

 片山敏彦。

 画面に表示されているのだ。

 ほとんど消した、日本人の名前。

「出ないの?」

 敏彦が言う。

「昴君、出ないの?」

 三好は通話ボタンを押していた。どうしてか、そうしてしまった。分からないことは恐ろしいことだった。自分の頭脳で処理できないことは、何よりも恐ろしかった。

『もしもし、三好さん?』

 低い声だ。低くて、耳心地がいい。電話から聞こえてくる声は本当の声ではない。話した声をフィルタと音源に分解し、それを「コードブック」という、音の辞書のようなものを参照し改めて音声として組み立てるのだ。「固定コードブック」から本人の声に近く聴こえる音声コードを探し、声色に合わせて一瞬にして音声は作られる。「適応コードブック」という直前につくられた音声コードをメモ書きしたような辞書も使って、数千種類もある中から効率よく選ばれる。

『興味はめちゃくちゃあるんだけど、やっぱり俺、一週間以上の休みは急に取れなくて』

 これは本当の声ではない。

「ねえ、昴君」

 これは、本当の、

「全部同じだよ」








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猿と肉食獣と沼 芦花公園 @kinokoinusuki

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