ひりつく我が家

 結局あの後、何度も亜衣さんを止めはしたものの、あまりにも俺が抵抗しすぎるせいか、結局帰りに亜衣さんが俺の家に顔を出すことになった。


 非常にまずい。何がまずいって、色々まずい。俺が女性と二人で暮らしてるなんて知られたら、あの役所の女性の時みたく……、いや、仕事仲間である以上さらに厄介なことになるに決まってる!


 どうしよう。何とかごまかして、見逃してもらうか? いや、そもそも二人を会わせなければいい。ちょっと部屋を片付けるとか適当な理由をつけてシズさんを押入れの中に避難させよう!


 それがいい!


 …………というか、亜衣さんめちゃくちゃいい笑顔なんだけど。え、何怖いんですけど。この人同居人って種族に興味あるの? いやいや、同居人は新種の生き物じゃねえよ……。


 …………まぁでも気になるか。亜衣さんは結構面倒見てきたし、会話を交わすことも多い。確かに自分の周りの人が俺の今みたいな稀有な状況を耳にしたら、それなりに気になるか。


 でもなんでそんな嬉しそうなんだ? ま、まさか亜衣さん、普段はかなり優しくて性格のいい人だと思ってたけど、人の不幸とかで平気で笑っちゃうタイプ?


「あ、あの先輩、ここじゃないんですか?」

「ん?」


 亜衣さんはアパートのちょうど電気のついているところを指さしてそう言った。


「あぁ、ほんとだ」


 考え事に熱中しすぎたか。


「ちょっと待っててくださいね?」

「え、あ、はい」

「部屋片づけてくるんで……」


 軽く言い訳を残してそそくさと明かりのともった一室に向かう。


「ただいまです」


 しれっと久々に『ただいま』を口にした気がする。


 しかし、ただいまから帰ってくる声はなく、ロウテーブルの前に坐して神妙に考え事をするシズさんが「お……」と声をだした瞬間、言いようのない喜びが沸き立ちそうになった。しかし、それは俺の存在に気付いただけであって、おかえりを口にしようとしてくれたわけではなかったらしい。


 こう、改めて自分の部屋に誰かひとり、ぽつんと座っていると、案外広く感じられるもので、でもその広さが反って、窮屈に感じられた。


「……」

「どうした。入らないのか? 私はおなかがすいたんだが……」

「……てきとうに食べてくれればよかったんですが。キッチンとか冷蔵庫の使い方教えましたよね?」

「あぁ……。ただ、いざ使ってみるとな……その……」


 シズさんは髪をいじいじと触って、どこか恥ずかしそうだった。


「……怖かったんですよね?」


 からかい気味に聞いてみるとシズさんは首を縦に振るでも横に振るでもない、何とも不格好な頷きを返した。


 というか、今はこんなことをしている場合じゃない。


「す、すいません。緊急なんですが、この押入れに隠れてくれませんか? 俺が良いって言うまで」

「む……、なぜだ?」

「理由は後で説明しますんで、とりあえず、良いって言うまで出てこないでくださいね?」

「……分かった」


 シズさんは居心地悪そうに眉をひそめたが、俺の言う通りに押入れの中に入ってくれた。


 シズさんが押入れの中に入ったのを確認したあと、速攻で玄関を開ける、するとそこには頬を膨らませてジトっといた視線を向けてくる亜衣さんがいた。


「遅いですよ、先輩」


 流石は社内のアイドル。男性がドキッとするしぐさや声、表情を熟知していらっしゃる……。別に意図してないかもだけど……。


「すいません。結構散らかってて……」

「その割には静かというか……。誰かとしゃべってませんでした?」

「しゃ、喋ってないよ……」

「え~? それっておかしくないですか?」

「え?」


 こ、怖い! なんかだんだんにじり寄ってきてる感じ、怖い! というか、目に光がないというか、この子、こんなに夜の街に滲むような子だったか?


「だって今先輩、今同居人と暮らしてるんですよね? この時間にどこかに出かけてるってこともないでしょうし、普通、会話の一つや二つあっておかしくないと思うんですけど、喋ってないっておかしくないですか?」

「そ、それはほら、言葉のあやというか、なんといいますか……」

「いや、ちょっと違うと思いますけどね。私は、『なにか喋ってませんでした?』 って聞いたんです。もし私が、遅くなかったですか? とだけ聞いていたら、そう言った食い違いが起きても、そもそも私の質問の範囲が広いので多少のミスや綾はあってもおかしくありません」


 ……なんかやばい。とにかくやばい。それを裏付けるように、夜の街のどこかで、警鐘でも鳴らすようにバイクが耳障りの悪い音を立てて走っているのが聞こえてくる。心拍も高鳴って、自分が危機に瀕していると身をもって実感する。


「でも、そこから派生した限定的な質問に、そこまで意味の齟齬が生まれる間違いが起こりますかね?」


 亜衣さんは早口でまくし立てるように言う。気が付くと俺の足は一歩二歩と後ずさっていて、亜衣さんは部屋の敷居をまたぐ。


「その違いが起きる理由として考えられるものは、先輩が同居人をどうにかして隠したいという心理が働きかけたものだと推測できます」


 この後輩やべぇぇ!! 人心掌握? いや、人心理解が凄いのか? それとも合理的な思考なのか、とにかく下手な隠し事は完全に見抜いてしまう素質が、亜衣さんにはある!


「で、でも見てください! ほ、ほら、いないでしょう?」


 俺は亜衣さんに部屋の中を示すと、亜衣さんも誰もいない部屋を認めた。


「ねぇ? もういいですか? こんな時間に出かけてしまうような、ちょっと変わ……」


 す……。


 言い訳をしている最中に、ふすまの開く音が聞こえた。


 まさか……。もう『いい』ですか? ってのに反応した?


「誰かいるみたいですね」


 亜衣さんはぎろりと鋭い視線をこちらに向けた。

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