第25話 ミズハラわくの物語「わくとコウタと暗殺者」

 その1


夜が濃くなり、景色の中の輪郭が暗闇に交じって色を失っていくほど、川は白くなる。

そして、行き交う人の匂いが増す。草いきれや水の匂い、風の匂いより、すれ違う人の匂いが強く鼻先を漂う。そんな夜。わくとコウタは一日中、2人で都心に出ていてK市に戻ったのは夜になっていた。駅前から、ちょっと遠回りをして川沿いに歩いて帰ってきた。本拠地に着いたら、玄関先に人がいるのに気づいた。

「B太?」

わくにそう呼ばれたのは高校生くらいの少年だった。

「こんばんは」「こんばんは」

ハキハキした調子のこんばんはと、か細いこんばんはの二言を、続けて彼は発した。

ハキハキしている挨拶のときは、左手に持った人形がわくに向かって手を振って見せた。

か細いあいさつは彼本体から発せられる想定らしい。

わくは人形の動きは無視して、

「どしたの?」

と本体に聞いた。

「B太が2人に会いたいっていうからさ」

と、人形が身振り手振りで答える。

わくは、うぜーと思いながらも、人形を介してしか人と話しができないB太の心情は理解している。

「え、おまえ、ずっとここで待ってたの?」

と本人に聞いた。

「うん」

「LINEすればいいのに」

といいながら、わくはスマホを見た。ひょっとして自分が気が付かなかったのかと画面を確認したけれど、B太からの通知は表示されていなかった。

「うん。いなかったら帰ろうと思ったから。な」

人形が本体にふると、本体が無言で、うんとうなずいた。

「ふうん。いつ来たの?」

コウタが先にドアを開けて、わくとB太を家の中に入れた。

「ちょっと前だよ」

わくは、あそおと言いながら玄関のモニターをチェックした。

「嘘つけ。まだ明るいときからいんじゃん」

「バレたか」

「別にいいけどさ」

コウタはB太の、キャップをかぶった頭をぽんと叩いて、

「腹減ってね? 俺たち、渋谷で食ってきちゃったんだけど、B太まだなら、めし作ってやるってよ、ミズハラシェフが」

と笑って言った。

「シェフによるカップラーメン。食う?」

「ううん。大丈夫」

「マジ?だって、明るいときからいたんなら腹減ったろ」

コウタは心配げだ。

「ほんとに大丈夫。俺たちソーセージ食ったから」

俺たちと、人形は言い、な、と本体に同意を求めた。

「あ、お得意のね。B太、おまえ最強のサバイバーじゃね、ひょっとして」

とコウタもわくも笑った。

B太のデイパックの中には、ソーセージや機能性食品が常備されている。

リビングに入ってきたB太は、コウタが座るのを待って、その隣に座った。

いつもそうだ、とわくは思う。B太はコウタの隣のポジションを取る。

最初に知り合ったのはわくなのに、コウタのほうに懐いているように思う。

高木マナトというのがB太の本名だ。

わくが彼と知り合ったのは3年ほど前。

父親が入院していた病院の食堂にいたとき、すぐそばに一人で座っていた。

見かけは、普通の中学生という感じだったけれど、変わっている点がふたつあった。

ひとつは、彼が手に人形を持っていたこと。

体調20cm強の、太い毛糸でできたツンツンなパンクヘアに、ボタンの目、大きな口元は太い黒い毛糸で縫い合わされている、男の子の人形。

それを抱えている本人は、パーカに、アスリートが着用するような薄手のネックウオーマーをつけていて、それで口元を覆っているのだった。

(ガキのギャングかよ)とわくは思い、思わず少し笑ってしまった。

少年はわくの表情に気づいたらしい。

「あんた、今、ぼくを見て笑った?」

と、その人形をわくの方に突き出してすごんだ。

「あ、別に」

まだ、おかしいままだったので、わくは思わず手で口を隠して否定した。

「あんまりいい気分じゃないですよ、こっち見てニタニタされるって」

と、人形がさらにすごんだので、わくはつとめて真顔に戻した。

「あ、悪い」

というと、その人形が「わかればいいですけど。あんただって、待合室とかに居合わせた人に、

いきなり馬鹿にしたように笑われたら、どんな気持ちになりますか?」

と説かれて、思わず「いや、俺、人形とか持って歩かないから、あんまり笑われることないし」と

言いたかったけれど、さすがに、それは、言ってはいけない分野かも知れないとこらえた。

「ミズハラさん、もういいですよ」

と看護師さんが呼びに来てくれたので、わくは立ち上がった。

父親の諸々の処置や交換などで病室を出されて、食堂で待っていたのだ。

「ごめんな。お見舞いに来てるの?」

というと少年は、

「そう。あんたも?」

と人形を使って答えた。

「うん。お大事に」

部屋を出ようとすると、「また会うかもしれないね」と人形が手を振った。

それから、食堂で何度か出会った。彼は、親友が交通事故で入院しているのだと言い、意識不明の重体で、もう3週間になるらしく、毎日来ているのだという。

わくも毎日のように来ていたけれど、今まで会わなかったのは、わくは父親の顔を見て短時間ですぐ帰ってしまっていたことと、B太がこれまで、親友の病室近くの談話室にいっていたせいだということがわかった。親友の両親と会うのがいやなのだという。

「なんで?」

「だって、あられは親のこと大嫌いだったし。あられなんていうふざけた名前つけるような親だよ、好きになれるわけないでしょう?」

と、人形がいうのだった。

「どういう字、書くの?」

「うかんむりに散る。散るなんて字が交じるような名前、普通付けないよね」

「そりゃわかんねーけど。でも、男子で霰って珍しいだろうな」

「でしょう? あられは自分の名前大嫌いだったよ。

だから、あられがA太で、こいつがB太って呼び合ってたんだ」

こいつ、というときに、人形は、本体の胸を手で突いた。

「あ、なるほどね。で、人形に名前はついてんの?」

「・・・・・」

人形と本体がともに無言になってわくを見つめていた。

「人形って?」

「えーっと。こいつはなんて名前?」

と、わくは人形を指差した。

「A太だよ」

「A太はあられくんじゃないの?」

「ボクはあられの分身なんだ」

「じゃ、こいつは?」

と、本体を指差すと「B太だってゆってんじゃん」

と少し切れ気味に言われた。

「(・・・俺、ついて行けそうもねえ)まあ、了解」

と納得するよりほかなかった。

何度か、食堂でいっしょになって話しているうちに、B太はわくを見つけると走ってくるようになった。顔半分は隠れているけれど、丸い大きな目をしていて、かわいい子だった。

コウタといっしょに行ったとき、最初は用心していたB太がすぐにコウタに打ち解けて、次にあったときは、コウタの方に積極的に(人形が)話しかけるような様子も見られた。

そうこうしているうちに、あの日が来た。

親友のA太がついに息を引き取ったのだ。

そのとき、B太は親友の病室で暴れた。あられの死が受け入れられなかったのだろうが、騒ぎを聞きつけて病室に飛んでいったわくとコウタが、力づくでB太を病室から引きずり出した。

「あいつらが、あんな名前つけるからあられは助からなかったんだ!!」

と泣きわめいている。

「めちゃくちゃだな」

とわくもコウタも呆れて、とりあえず病院の外に引っ張っていった。

駐車場の隅まで連れて行っても、なお暴れるB太に、わくは軽く平手打ちをかました。

細くてか弱いB太はすぐに地面に倒れてしまった。

「おまえ、馬鹿か。一番悲しいのは親に決まってんだろ!!

おまえの出る幕じゃねんだよ!」

「あいつら悲しんでなんかないよ!

わくくんに何がわかるんだ、

あられの親はあられのことなんか眼中にないよ!

どーなろうと関係ないんだ、もうすぐ離婚するし、両方、もう次の相手もいるし!」

わくもコウタも、さっき、病室で見た両親とおぼしき男女の顔を思いうかべた。

妹らしい女の子も。

「みんな、泣いてたぜ」

「そんなの、ちょっとくらいは泣くよ、ハムスターが死んだってちょっとくらいは泣くよ、

でもすぐに忘れるだろ」

コンクリートの地面に座り込んで、B太はむせび泣いていた。

わくとコウタは顔を見合わせ、それからわくはB太を立ち上がらせて、両肩に手を置いた。

「いいたいことはわかる。でも、家族が死ぬって、そんなかんたんなことじゃない。離婚するとか、もう相手が決まってるとか、そんなことと同等に扱えることじゃない。いいか、部外者のおまえに見えてることの奥には、他人が覗い知れないことがたくさんあるんだよ」

 B太はまだ、泣いているだけで、わくの言葉を聞いているのか、理解できているのかもわからなかった。

でも、もう暴れることはなかった。

「だけど」

「だけどじゃない。家族はただでさえ、今、大変な時間を迎えてんだよ。わかった?」

「だって、あられは、ぼくの・・・・たった一人の・・・。

あられには、ぼく、ちゃんと話ができたんだ・・・」

「今もおまえ、ちゃんと話できてるよ」

再び泣きじゃくるB太の細い肩を抱き抱えるようにして、わくは歩き出した。

175cmのわくより、B太は頭ひとつ小さかった。

大事な人がいなくなるって、耐えられないよな・・・と心の中でわくはつぶやいた。

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