怪盗捕縛
『だが、明智君。』
警視総監は、説明が終るのを待ちかまえていたように、明智探偵に
『君はまるで、君自身が二十面相ででもあるように、美術品盗奪の順序を詳しく説明されたが、それはみんな君の想像なのかね。それとも、何か確かな根拠でもあるのかね。』
『
『エ、エ、なんだって? 君は二十面相の部下に会ったのか。一体どこで? どうして?』
流石の警視総監も、この不意打ちには、度胆を抜かれてしまいました。
『二十面相の隠家で会いました。総監閣下、あなたは僕が二十面相の為に誘拐されたことを御存じでしょう。僕の家庭でも世間でもそう考え、新聞もそう書いておりました。しかし、あれは実を申しますと、僕の計略に過ぎなかったのです。僕は誘拐なんかされませんでした。かえって賊の味方になって、ある人物の誘拐を手伝ってやったほどです。
昨年のことですが、僕はある日一人の不思議な弟子入志願者の訪問を受けました。僕はその男を見て、非常に驚きました。目の前に大きな鏡が立ったのではないかと怪しんだほどです。なぜと申しますと、その弟子入志願者は、
僕は誰にも知らせず、その男を雇い入れて、ある所へ住まわせて置きましたが、それが今度役に立ったのです。
僕はあの日外出して、その男の隠家へ行き、すっかり服装を取り替えて、僕になりすましたその男を、先に僕の事務所へ帰らせ、暫くしてから、僕自身は浮浪人赤井寅三というものに化けて、明智事務所を訪ね、ポーチのところで、自分の替玉とちょっと格闘をして見せたのです。
賊の部下がその様子を見て、すっかり僕を信用しました。そして、それ程明智に恨みがあるなら、二十面相の部下になれと勧めてくれたのです。そういうわけで、僕は僕の替玉を誘拐するお手伝いをした上、とうとう賊の巣窟に入ることが出来ました。
しかし、二十面相の奴はなかなか油断がなくて、仲間入りをしたその日から、僕を家の中の仕事ばかりに使い、一歩も外へ出してくれませんでした。無論、博物館の美術品を盗み出す手段など、僕には少しも打ち明けてくれなかったのです。
そして、とうとう今日になってしまいました。僕はある決心をして、午後になるのを待ち構えていました。すると、午後二時頃、賊の隠家の地下室の入口が開いて、人夫の服装をした沢山の部下のものが、手に手に貴重な美術品を抱えて、ドカドカと降りて来ました。無論博物館の盗難品です。
僕は地下室に留守番をしている間に、
なぜかとおっしゃるのですか。分かっているではありませんか。僕は賊の薬品室から麻酔剤を取り出して、
それから、僕は一人そこを抜け出して、付近の警察署へ駈けつけ、事情を話して、二十面相の部下の逮捕と、地下室に隠してある全部の盗難品の保管をお願いしました。
お喜び下さい。盗難品は完全に取り戻すことが出来ました。帝国博物館の美術品も、あの気の毒な日下部老人の美術城の宝物も、その外、二十面相が今までに盗み
明智の長い説明を、人々は酔ったように聞き
『明智君、よくやった。よくやった。わしはこれまで、少し君を見誤っていたようだ。わしから厚くお礼を申します。』
警視総監はいきなり名探偵の傍へ寄って、その左手を握りました。
なぜ左手を握ったのでしょう。それは明智の右手が
『で、二十面相の奴も、その麻酔薬を飲んだのかね。君は最前から、部下のことばかりいって、一度も二十面相の名を出さなかったが、まさか首領を取り逃がしたのではあるまいね。』
中村捜査係長が、ふとそれに気づいて、心配らしくたずねました。
『イヤ、二十面相は地下室へは帰って来なかったよ。しかし、僕はあいつもちゃんと捕えている。』
明智はニコニコと、例の人を引きつける笑顔で答えました。
『どこにいるんだ。一体どこで捉えたんだ。』
中村警部が性急にたずねました。外の人達も、総監を始め、じっと名探偵の顔を見つめて、返事を待ち構えています。
『ここで捕えたのさ。』
明智は落ちつき払って答えました。
『ここで? じゃあ、今はどこにいるんだ。』
『ここにいるよ。』
アア、明智は何をいおうとしているのでしょう。
『僕は二十面相のことをいっているんだぜ。』
警部がけげん顔で聞き返しました。
『僕も二十面相のことをいっているのさ。』
明智が
『謎みたいないい方はよし給え。ここには我々が知っている人ばかりじゃないか。それとも君は、この部屋の中に、二十面相が隠れているとでもいうのかね。』
『マア、そうだよ。一つその証拠をお目にかけようか。……どなたか、度々御面倒ですが、下の応接間に四人のお客様が待たせてあるんですが、その人達をここへ呼んで下さいませんか。』
明智は又々意外なことをいい出すのです。
館員の一人が急いで下へ降りて行きました。そして、待つ程もなく、階段に大勢の足音がして、四人のお客様という人々が、一同の前に立ち現れました。
それを見ますと、一座の人達は、あまりの驚きに、『アッ。』と叫び声を立てないではいられませんでした。
まず四人の先頭に立つ白髪白髯の老紳士をごらんなさい。それはまぎれもない北小路文学博士だったではありませんか。
つづく三人は、いずれも博物館員で、昨夜宿直を勤め、今朝から行方不明になっていた人々です。
『この方々は、僕が二十面相の隠家から救い出して来たのですよ。』
明智が説明しました。
しかし、これはマアどうしたというのでしょう。博物館長の北小路博士が二人になったではありませんか。一人は今階下から上って来た北小路博士、もう一人は最前からズッと明智に手を取られていた北小路博士。
服装から顔形まで寸分違わない、二人の老博士が、顔と顔を見合わせて、睨み合いました。
『皆さん、二十面相がどんなに変装の名人かということが、お分かりになりましたか。』
明智探偵は叫ぶや否や、今まで親切らしく握っていた老人の手を、いきなりうしろに
『ハハハ……、二十面相君、ご苦労さまだったねえ。最前から君は随分苦しかっただろう。目の前で君の秘密が見る見る
明智は、無言のままうなだれている二十面相を、さも
それにしても、館長に化けた二十面相は、なぜもっと早く逃げ出さなかったのでしょう。昨夜のうちに目的は果してしまったのですから、三人の替玉の館員と一緒に、サッサと引き上げてしまえば、こんな恥ずかしい目に遭わなくてもすんだのでしょうに。
しかし、読者諸君、そこが二十面相なのです。逃げ出しもしないで、
さて明智探偵は、キッと警視総監の方に向き直って、
『閣下、では怪盗二十面相をお引き渡しいたします。』
と、しかつめらしくいって、一礼しました。
一同あまりに意外な場面に、ただもうあっけに取られて、名探偵のすばらしい手柄を褒めたたえることも忘れて、身動きもせず立ちすくんでいましたが、やがて、ハッと気を取り直した中村捜査係長は、ツカツカと二十面相の側へ進みより、用意の
『明智君、有難う。君のお陰で、僕は恨み重なる二十面相に、今度こそ本当に縄をかけることが出来た。こんな嬉しいことはないよ。』
中村警部の目には、感謝の涙が光っていました。
『それでは、僕はこいつを連れて行って、表にいる警官諸君を喜ばせてやりましょう。……サア二十面相、立つんだ。』
警部はうなだれた怪盗を引立てて、一同に会釈しますと、傍らに
博物館の表門には、十数名の警官が群がっていましたが、今しも建物の正面入口から、二十面相の
『諸君、喜んでくれ給え。明智君の尽力で、とうとうこいつを捕えたぞ。これが二十面相の首領だ。』
警部が誇らしげに報告しますと、警官達の間に、ドッと
二十面相はみじめでした。流石の怪盗も
それから、一同賊を真ん中に行列を作って、表門を出ました。門の外は公園の森のような木立です。その木立の向こうに、二台の警察自動車が見えます。
『オイ、誰かあの車を一台、ここへ呼んでくれ給え。』
警部の命令に、一人の警官が、帯剣を握って駈け出しました。一同の視線がそのあとを追って、遥かの自動車に注がれます。
警官達は賊の神妙な様子に安心しきっていたのです。中村係長も、つい自動車の方へ気を取られていました。
二十面相は、歯を食いしばって、満身の力をこめて、中村警部の握っていた縄尻を、パッと振り離しました。
『ウヌ、待てッ。』
警部が叫んで立ち直った時には、賊はもう十メートル程向こうを、矢のように走っていました。後手に縛られたままの奇妙な姿が、今にも転がりそうな
森の入口に、散歩の帰りらしい十人程の、可愛いらしい小学生が、立ち止って、この様子を眺めていました。
二十面相は走りながら、邪魔っけな小僧共がいるわいと思いましたが、森へ逃げ込むには、そこを通らぬわけにはゆきません。
ナアニ、高の知れた子供達、俺の恐ろしい顔を見たら、恐れをなして逃げ出すにきまっている。もし逃げなかったら、
賊は
ところが、二十面相の思惑はガラリとはずれて、小学生達は、逃げ出すどころか、ワッと叫んで、賊の方へ飛びかかって来たではありませんか。
読者諸君はもうお分かりでしょう。この小学生達は、小林芳雄を団長に頂く、あの少年探偵団でありました。少年達はもう長い間、博物館のまわりを歩き廻って、何かの時の手助けをしようと、手ぐすね引いて待ちかまえていたのでした。
まず先頭の小林少年が、二十面相を目がけて、鉄砲玉のように飛びついて行きました。つづいて羽柴壮二少年、次は誰、次は誰と、見る見る、賊の上に折り重なって、両手の不自由な相手を、たちまちそこへ転がしてしまいました。
さすがの二十面相も、いよいよ運のつきでした。
『アア、有難う、君たちは勇敢だねえ。』
駈けつけて来た中村警部が、少年達にお礼をいって、部下の警官と力を合わせ、今度こそ取り逃がさぬように、賊を引っ立てて、ちょうどそこへやって来た警察自動車の方へ連れて行きました。その時、門内から、黒い背広の一人の紳士が現れました。騒ぎを知って、駈け出して来た明智探偵です。小林少年は目早く、先生の無事な姿を見つけますと、驚喜の叫び声を立てて、その側へ駈け寄りました。
『オオ、小林君。』
明智探偵も思わず少年の名を呼んで、両手を広げ、駈け出して来た小林君を、その中に抱きしめました。美しい、誇らしい光景でした。この
立ち並ぶ警官達も、この美しい光景にうたれて、にこやかに、しかし、しんみりした気持で、二人の様子を眺めていました。少年探偵団の十人の小学生は、もう我慢が出来ませんでした。誰が音頭をとるともなく、期せずしてみんなの両手が、高く空に上りました。そして、一同可愛いらしい声を揃えて、繰り返し繰り返し叫ぶのでした。
『明智先生バンザイ。』
『小林団長バンザイ。』
怪人二十面相 おわり
怪人二十面相 江戸川乱歩/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます