伝書鳩

 小林少年はふと目をますと、部屋の様子が、いつもの探偵事務所の寝室と違っているので、びっくりしましたが、たちまち昨夜の出来事を思い出しました。

『アア、地下室に監禁されていたんだっけ。でも、地下室にしちゃ変に明るいなあ。』

 殺風景なコンクリートの壁や床が、ホンノリと薄明るく見えています。地下室に日が射す筈はないのだがと、なおもまわしていますと、昨夜は少しも気づきませんでしたが、一方の天井に近く、明り取の小さな窓が開いていることが分かりました。

 その窓は三十センチ四方ほどの、ごく小さいもので、その上太い鉄格子がはめてあります。地下室の床からは、三メートル近くもある高い所ですけれど、外から見れば、地面とすれすれの場所にあるのでしょう。

『ハテナ、あの窓から、うまく逃げ出せないかしら。』

 小林君は急いで長椅子から起上り、窓の下に行って、明るい空を見上げました。窓にはガラスがはめてあるのですが、それが割れてしまって、大声に叫べば、外を通る人に聞えそうにも思われるのです。

 そこで、今まで寝ていた長椅子を、窓の下へ押して行って、それを踏台に、伸び上ってみましたが、それではまだ窓へ届きません。子供の力で重い長椅子を縦にすることは出来ないし、外に踏台にする道具とても見当りません。

 では、小林君は、折角窓を発見しながら、そこから外を覗くことも出来なかったのでしょうか。イヤイヤ、読者諸君、御心配には及びません。こういう時の用意に、縄梯子というものがあるのです。少年探偵の七つ道具は、早速使道が出来たわけです。

 彼は鞄から絹紐の縄梯子を取出し、それを伸ばして、カウ・ボーイの投縄みたいにはずみをつけ、一方の端についているかぎを、窓の鉄格子目がけて投げ上げました。

 三度、四度失敗したあとで、ガチッと手応がありました。鉤はうまく一本の鉄棒に掛ったのです。

 縄梯子といっても、これはごく簡略なもので、五メートルほどもある、長い丈夫な一本の絹紐に、二十センチ毎に大きな結玉がこしらえてあって、その結玉に足の指をかけて、よじ登る仕掛なのです。

 小林君は腕力では大人に及びませんけれど、そういう機械体操めいたことになると、誰にもは取りませんでした。彼はなんなく縄梯子を登って、窓の鉄格子につかまることが出来ました。

 ところが、そうして調べてみますと、失望したことには、鉄格子は深くコンクリートに塗りこめてあって、万能ナイフ位では、とてもとりはずせないことが分かりました。

 では、窓から大声に救を求めてみたらどうでしょう。イヤ、それもほとんど見込がないのです。窓の外は荒れ果てた庭になっていて、草や木がしげり、そのずっと向こうに生垣があって、生垣の外は道路もない広っぱです。その広っぱへ、子供でも遊びに来るのを待って、救を求めれば求めるのですが、そこまで声が届くかどうかも疑わしいほどです。

 それに、そんな大きな叫声を立てたのでは、広っぱの人に聞えるよりも先に、二十面相に聞かれてしまいます。いけない、いけない、そんな危険なことが出来るものですか。

 小林少年は、すっかり失望してしまいました。でも、失望の中にも、一つだけ大きな収穫がありました。といいますのは、今の今まで、この建物が一体どこにあるのか、少しも見当がつかなかったのですが、窓を覗いたお陰で、その位置がハッキリと分かったことです。

 読者諸君は、ただ窓を覗いただけで、位置が分かるなんて変だとおっしゃるかも知れません。でも、それが分かったのです。小林君は大変好運だったのです。

 窓の外、広っぱの遥か向こうに、東京にたった一か所しかない、際立って特徴のある建物が見えたのです。東京の読者諸君は、戸山ケ原にある、陸軍の射撃場を御存じでしょう。あの大人国のかまぼこを並べたような、コンクリートの大射撃場です。実におあつらえむきの目印ではありませんか。

 少年探偵は、その射撃場と賊の家との関係を、よく頭に入れて、縄梯子を降りました。そして、急いで例の鞄を開くと、手帳と鉛筆と磁石とを取出し、方角を確かめながら、地図を書いてみました。すると、この建物が、戸山ケ原の北側、西寄りの一隅にあるということが、ハッキリと分かったのでした。ここで又、七つ道具の中の磁石が役に立ちました。

 ついでに時計を見ますと、朝の六時を少し過ぎたばかりです。上の部屋がひっそりしている様子では、二十面相はまだ熟睡しているのかも知れません。

『アア、残念だなあ。折角二十面相の隠家を突きとめたのに、その場所がチャンと分かっているのに、賊を捕縛することが出来ないなんて。』

 小林君は小さいこぶしを握りしめて、くやしがりました。

『僕の身体が、童話の仙女フエアリーみたいに小さくなって、羽が生えて、あの窓から飛び出せたらなあ。そうすれば、早速警視庁へ知らせて、お巡りさんを案内して、二十面相を捕えてしまうんだがなあ。』

 彼はそんな夢のようなことを考えて、ためいきをついていましたが、ところが、その妙な空想がきっかけになって、ふと、すばらしい名案が浮かんで来たのです。

『ナアンダ、僕は馬鹿だなあ。そんなことわけなく出来るじゃないか。僕にはピッポちゃんという飛行機があるじゃないか。』

 それを考えると、うれしさに、顔が赤くなって、胸がドキドキ躍り出すのです。

 小林君は興奮に震える手で、手帳に、賊のそうくつの位置と、自分が地下室に監禁されていることを記し、その紙をちぎって、細かく畳みました。

 それから、鞄の中の伝書鳩ピッポちゃんを出して、その脚に結びつけてある通信筒の中へ、今の手帳の紙を詰めこみ、しっかり蓋を閉めました。

『サア、ピッポちゃん、とうとう君が手柄を立てる時が来たよ。しっかりするんだぜ。道草なんか食うんじゃないよ。いいかい。ソラあの窓から飛出して、早く奥さんの所へ行くんだ。』

 ピッポちゃんは、小林少年の手の甲にとまって、可愛い目をキョロキョロさせて、じっと聞いていましたが、御主人の命令が分かったものとみえて、やがて勇ましく羽ばたきして、地下室の中を二、三度行ったり来たりすると、ツーッと窓の外へ飛出してしまいました。

『アア、よかった。十分もすれば、ピッポちゃんは、明智先生の小母おばさんの所へ飛んで行くだろう。小母さんは僕の手紙を読んで、さぞびっくりなさるだろうなあ。でも、すぐに警視庁へ電話をかけて下さるに違いない。それから警官がここへ駈けつけるまで、三十分かな? 四十分かな? なんにしても、今から一時間の内には、賊がつかまるんだ。そして僕はこの穴蔵から出ることが出来るんだ。』

 小林少年は、ピッポちゃんの消えて行った空を眺めながら、夢中になって、そんなことを考えていました。余り夢中になっていたものですから、いつの間にか、天井のおとしあなの蓋が開いたことを、少しも気づきませんでした。

『小林君、そんなところで、何をしているんだね。』

 聞覚のある二十面相の声が、まるで雷のように少年の耳をうちました。

 ギョッとしてそこを見上げますと、天井にポッカリ開いた四角な穴から、昨夜のままの、白髪頭の賊の顔が、さかさまになって、覗いていたではありませんか。

 アッ、それじゃ、ピッポちゃんの飛んで行くのを、見られたんじゃないかしら。

 小林君は、思わず顔色を変えて、賊の顔を見つめました。

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