仏像の奇蹟

 さて、お話は飛んで、その夜の出来事に移ります。

 午後十時、約束を違えず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、開け放ったままの、羽柴家の門をくぐりました。

 盗人達は、玄関に立っている書生などをしりに、『お約束の品物を頂きに参りましたよ。』と捨てぜりふを残しながら、間取を教えられて来たと見えて、迷いもせず、グングン奥の方へ踏み込んで行きました。

 美術室の入口には、壮太郎氏と近藤老人とが待受けていて、賊の一人に声をかけました。

『約束は間違いないだろうね。子供はつれて来たんだろうね。』

 すると、賊は無愛想に答えました。

『ご心配にゃ及びませんよ。子供さんは、もうちゃんと門の側まで連れて来てありまさあ。だがね、探したって無駄ですぜ。あっし達が荷物を運び出すまでは、いくら探しても分からねえように工夫がしてあるんです。でなきゃ、こちとらが危いからね。』

 いい捨てて、三人はドカドカ美術室へ入って行きました。

 その部屋は土蔵のような造になっていて、薄暗い電灯の下に、まるで博物館のようなガラス棚が、グルッとまわりを取り巻いているのです。

 由ありげな刀剣、かつちゆう、置物、手箱の類、びよう、掛軸などが、ところ狭く並んでいる一方の隅に、高さ一メートル半程の、長方形のガラス箱が立っていて、その中に、問題の観世音像が安置してあるのです。

 れんの台座の上に、本当の人間の半分程の大きさの、薄黒い観音様がすわっておいでになります。元は金色まばゆいお姿だったのでしょうけれど、今はただ一面に薄黒く、着ていらっしゃるひだの多い衣もところどころ擦り破れています。でも、さすがは名匠の作、その円満柔和なお顔立は、今にも笑い出すかと思われるばかり、いかなる悪人も、このお姿を拝しては、合掌しないではいられぬ程に見えます。

 三人の泥棒は、さすがに気がひけるのか、仏像の柔和なお姿を、よくも見ないで、すぐ様仕事にかかりました。

『グズグズしちゃいられねえ。大急ぎだぜ。』

 一人が持って来た薄汚い布のようなものを広げますと、もう一人の男が、その端を持って、仏像のガラス箱の外を、グルグルと巻いて行きます。たちまち、それと分からぬ布包が出来上ってしまいました。

『ホラいいか。横にしたらこわれるぜ。よいしょ、よいしょ。』

 傍若無人の掛声までして、三人の奴はその荷物を、表へ運び出します。

 壮太郎氏と近藤老人は、それがトラックの上に積み込まれるまで、三人の側につききって、見張っていました。仏像だけ持ち去られて、壮二君が戻って来ないでは、なんにもならないからです。

 やがて、トラックのエンジンが騒々しくうなりはじめ、車は今にも出発しそうになりました。

『オイ、壮二さんはどこにいるのだ。壮二さんを戻さない内は、この車を出発させないぞ。もし無理に出発すれば、すぐ警察に知らせるぞ。』

 近藤老人は、もう一生懸命でした。

『心配するなってえことよ。ホラ、うしろを向いてごらん。坊ちゃんは、もうちゃんと玄関においでなさらあ。』

 振り向くと、なるほど、玄関の電灯の前に、大きいのと小さいのと、二つの黒い人影が見えます。

 壮太郎氏と老人とがそれに気を取られている内に、

『あばよ……』

 トラックは、門前を離れて見る見る小さくなって行きました。

 二人は、急いで玄関の人影のそばへ引き返しました。

『オヤ、こいつらは、さっきから門の所にいた親子のじきじゃないか。さては一杯食わされたかな。』

 いかにもそれは親子と見える二人の乞食でした。両人とも、ボロボロの薄汚れた着物を着て、煮しめたようなぬぐいで頰かむりをしています。

『お前達はなんだ。こんなところへ入って来ては困るじゃないか。』

 近藤老人が叱りつけますと、親の乞食が妙な声で笑い出しました。

『エヘヘヘヘヘ、お約束でございますよ。』

 訳の分からぬことをいったかと思うと、彼はやにわに走り出しました。まるで風のように、暗闇の中を、門の外へ飛び去ってしまいました。

『お父さま、僕ですよ。』

 今度は子供の乞食が、変なことをいい出すではありませんか。そして、いきなり、頰かむりをとり、ボロボロの着物を脱ぎ捨てたのを見ると、その下から現れたのは、見覚のある学生服、白い顔。子供乞食こそ、外ならぬ壮二君でした。待ちかねた壮二君でした。

『どうしたのだ、こんな汚いなりをして。』

 羽柴氏が、懐かしい壮二君の手を握りながら尋ねました。

『何か訳があるのでしょう。二十面相の奴が、こんな着物を着せたんです。でも、今までさるぐつわをはめられていて、物がいえなかったのです。』

 アア、では今の親乞食こそ、二十面相その人だったのです。彼は乞食に変装をして、それとなく仏像が運び出されたのを見極めた上、約束通り壮二君を返して、逃げ去ったのに違いありません。それにしても、乞食とは何という思いきった変装でしょう。乞食ならば、人の門前にうろついていても、さして怪しまれはしないという、二十面相らしい思いつきです。

 壮二君は無事に帰りました。聞けば、先方では、地下室に閉じ込められてはいたけれど、別に虐待されるようなこともなく、食事も十分あてがわれたということです。

 これで羽柴家の大きな心配は取り除かれました。お母さまお姉さまの喜びがどんなであったかは、読者諸君の御想像にお任せします。

 さて一方、乞食に化けた二十面相は、風のように羽柴家の門を飛び出し、小暗い横町に隠れて、素早く乞食の着物を脱ぎ捨てますと、その下には茶色の十徳姿の、おじいさんの変装が用意してありました。頭は白髪、顔もしわだらけの、どう見ても六十を越した隠居さまです。

 彼は姿をととのえると、隠し持っていた竹のつえをつき、背中を丸めて、よちよちと歩き出しました。たとえ羽柴氏が約束を無視して、追手をさし向けたとしても、これでは見破られる気遣ありません。実に心にくいばかり用意周到な遣口です。

 老人は大通りに出ると、一台のタクシーを呼びとめて、乗り込みましたが、二十分もでたらめの方向に走らせておいて、別の車に乗り換え、今度は本当の隠家へ急がせました。

 車の止った所は、戸山ケ原の入口でした。老人はそこで車を降りて、真暗な原っぱをよぼよぼと歩いて行きます。さては、賊のそうくつは戸山ケ原にあったのです。

 原っぱの一方のはずれ、こんもりとした杉林の中に、ポッツリと、一軒の古い西洋館が建っています。荒れ果てて住手もないような建物です。老人はその洋館の戸口を、トントントンと三つたたいて、少し間を置いて、トントンと二つ叩きました。

 すると、これが仲間の合図と見えて、中からドアが開かれ、さい前仏像を盗み出した手下の一人が、ニュッと顔を出しました。

 老人は黙ったまま先に立って、グングン奥の方へ入って行きます。廊下の突当りに、昔はさぞ立派であったろうと思われる、広い部屋があって、その部屋の真中に、布を巻きつけたままの仏像のガラス箱が、電灯もない、裸ろうそくの赤茶けた光に、照らし出されています。

『よしよし。お前達うまくやってくれた。これは褒美だ。どっかへ行って遊んでくるがいい。』

 三人の者に数十枚の十円札を与えて、その部屋を立ち去らせると、老人は、ガラス箱の布をゆっくり取り去って、そこにあった裸蠟燭を片手に、仏像の正面に立ち、開戸になっているガラスの扉を開きました。

『観音さま、二十面相の腕前はどんなもんですね。昨日は二十万円のダイヤモンド、今日は国宝級の美術品です。この調子だと、僕の計画している大美術館も、間もなく完成しようていうものですよ。ハハハ……、観音さま。あなたは実によく出来ていますぜ。まるで生きているようだ。』

 ところが、読者諸君、その時でした。二十面相のひとりごとが終るか終らぬかに、彼の言葉通りに、実に恐ろしい奇蹟が起ったのです。

 木造の観音さまの右手が、グーッと前に伸びたではありませんか。しかも、その指には、お定まりの蓮の茎ではなくて一ちようのピストルが、ピッタリと賊の胸に狙を定めて、握られていたではありませんか。

 仏像がひとりで動く筈はありません。では、この観音さまには、人造人間のような機械仕掛が施されていたのでしょうか。しかし鎌倉時代の彫像に、そんな仕掛けがあるわけはないのです。すると、一体この奇蹟はどうして起ったのでしょう。

 だが、ピストルをつきつけられた二十面相は、そんなことを考えている暇もありませんでした。彼はアッと叫んで、タジタジとあとずさりをしながら、手向かいしないといわぬばかりに、思わず両手を肩のところまで上げてしまいました。

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