白い獣

 それがどのくらいのあいだであったか、ハッキリわからないけれど、やがて、ふと正気づいて眼をひらいてみると、早苗さんは、ず第一に、からだじゅうが直接空気にさらされているような感じがした。さわってみてもどこもかもスベスベしていて、なんの引っかかるものもない。つまり彼女はまっぱだかにされて、そこに横たわっていたのだ。

 ヒョイと気がつくと、眼の前に太い鉄の棒が何本も何本もしまのように立っている。ああ、わかった。ここは檻の中なのだ。彼女は気を失っているあいだに、檻の中へ入れられてしまったのだ。

 あの檻にちがいない。気を失う前に見せられた、あの若い男のとじこめてあった檻にちがいない。では、ここには彼女一人ではないのだ。若い美しい男が、彼もまたまっぱだかにされて、どこかそのへんにいるはずだ。

 早苗さんは、そこまで思い出すと、顔を上げて、あたりを見廻す勇気がせてしまった。ああ、どうすればいいのだ。彼女は身に一糸もまとってはいないのだ。その恥かしい有様で、若くて美しい、そのうえ、はだかの男の前に横たわっているのだ。

 彼女は赤くなるどころか、もうまっ青になって、サッと身を起こすと、くくり猿みたいにちぢこまって、隅っこの方へあとずさりをして行った。そして、眼をそらすように、そらすようにしていても、なにぶん狭い檻の中だ、自然に眼界にはいってくるのを防ぐわけにはいかない。彼女はとうとうそれを見てしまった。まっぱだかの男を見てしまった。

 エデンの園のアダムとイブみたいな二人が、地底のろうごくで、いま眼と眼を見かわしたのだ。どうすればいいのだ。何を言えばいいのだ。恥かしさのきわみ、早苗さんの両眼には子供のような涙が一ぱいあふれていた。その涙のギラギラする後光が男の白いからだを包んで、チロチロといびつに輝いている。

「お嬢さん、ご気分はどうですか?」

 突如として、朗々としたバスの声が響いた。青年が物をいっているのだ。

 早苗さんは、ハッとして、涙をはらうために眼をしばたたいて、青年の顔を眺めた。

 すぐ眼の前に、油でいたようになめらかな白い顔があった。高くて広い額、ふさふさとした黒髪、ふたまぶたのすき通るような眼、ギリシャ型の高い鼻、赤くて引きしまった唇。その青年が美男であればあるだけ、しかし、早苗さんは恐ろしかった。

「黒トカゲ」は彼女をこの青年の花嫁になぞらえたではないか。青年はそういうつもりでいるのではないかしら。と考えると、その相手が、そして、自分までが、けだもののようにまっぱだかで、逃げようにも逃げられぬおりの中に、とじこめられている有様を、からだじゅうの血の気が失せるほどあさましいことに思わないではいられなかった。

「いや、お嬢さん、決してご心配なさることはありません。僕はこんなふうをしていても野蛮人じゃないのですから」

 青年は言いにくそうに、どもりながらそんなことをいった。彼の方でもひどく恥かしがっているのだ。早苗さんはそれを聞いて、ホッと胸をなでおろす気持だった。

 やがて、彼らは、だんだんお互いの気心がわかっていくにつれて、身の上話をはじめたり、女賊の気違いめいた所業を呪ったり、よそ眼には仲のよい雌雄の白い動物ででもあるように寄りそって、ヒソヒソ話をつづけるのであった。

 そうしているあいだに、いつか夜が明けたとみえて、穴蔵の底にも、人のざわめくけはいが感じられ、やがて「黒トカゲ」の部下の荒くれ男どもが、つながるようにして、檻の中の新来の客を見物に押しよせてきた。

 早苗さんが、この無作法な見物たちに、どのような恥かしい思いをさせられたか、青年がいかに野獣のように怒号したか、賊の男どもがどんな烈しい侮辱の言葉を口にしたか、それは読者諸君のご想像にまかせるとして、そうして地下室に泊まっている四、五人の部下のものが、ガヤガヤやっているところへ、例のモールス信号みたいな合図の音がかすかに聞こえて、やがて一人の船員風の男が、何かただならぬ気色で穴蔵の中へはいって来た

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