彼岸
秋桜空白
彼岸
「もう一度、会いたいなあ」
体が急にガタンと傾き、俺は目を覚ます。手に持っていた百本の白菊が、それぞれ思い思いに揺れる。俺しか乗客の居ない電車。窓を流れていく閑散とした街並み。窓枠にかたどられた真昼の陽射しが電車の床にさらさらと落ちている。眩しい。里帰りの途中で乗った鈍行列車に揺られて、俺はいつの間にか居眠りしていたらしい。
俺はなんの夢を見ていたんだろう。なんだか悲しいような幸せだったような何とも言えない余韻が胸に残ったままだ。気持ちを落ち着けるように、はあ、とため息をついた。あと三十分もすれば実家の最寄り駅に到着するだろう。今年もやっとこの時期が来た。俺は少しわくわくしていた。正直、今の俺にはこれしか楽しみがないのだ。
駅に着き、俺は無人駅のプラットホームに降りる。アブラゼミやミンミンゼミの声が鬱陶しいほど聞こえてくる。強い陽射しですぐに汗が吹き出してきた。もう9月の下旬だというのに、まだまだ外は暑い。はあ、と俺はまたため息をつき、ホームを出た。
十分も歩くとあたり一面が田んぼになって、風のない道の中で稲穂が微かに揺れていた。俺はその畦道を黙々と歩いていく。もうすぐ、もうすぐ目的の場所だ。俺は徐々に早歩きになっていく。抱えていた白菊のうちの一本が零れて、田んぼへ落ちた。
墓場に着いた。ぽつぽつと並んでいるお墓の中に俺は目当てのお墓を見つける。
「高梨家之墓」と書かれたその墓に俺が4年間付き合った彼女、鈴鹿の遺骨は入っている。俺はその墓を目にした瞬間に笑顔を作った。
「鈴鹿、久しぶり。またこの季節が来たね。じゃーん。ほら、今年はたくさん白菊を買ってきたよ」
墓に向かって俺は陽気に話しかける。周りに人がいたら怪訝な目で見られそうな行為かもしれない。自覚はしている。けれどこの墓には彼女がいる。見えないけれど彼女がいる。彼女がいなくなってから俺はそういう前提で墓参りをすることにしていた。そう思いながら墓参りをしているときだけは彼女と死別した悲しみを和らげることができたのだ。
俺は墓の前に座る。
「いやー、まだまだ夏だね。駅からここに来るだけでめちゃくちゃ汗かいちゃったよ」
とりあえず、沈黙がないように俺は独り言を続けていく。鈴鹿が悲しまないような、嬉しかったこと。楽しかったこと。他愛のないこと。俺は鈴鹿に話すように明るく優しく語っていく。何分しゃべっただろうか、今年どこにも遊びに行っていない俺はすぐに話のネタが尽きてしまう。それでも話すことを絞り出していく。
「あ、そうだ。俺、今年遂に就職したよ。建物の設計をする会社。いやーこれが結構大変でさ・・・」
徐々に俺の話は今の仕事への愚痴や、日常の不満などへとシフトしていく。
「仕事は全然慣れないし、上手くいかないと上司は怒るし、客は眉を顰めるし、とりあえず毎日ペコペコ頭下げてるよ。もっと頑張らないとなあ」
「みんな、なんで毎日を乗り切れてるんだろう。仕事があっても仲間と飲み会したり、彼女作って結婚したり、みんな器用だよな。元気だよな。ほんと、すげーよ」
まあ、恋人は作れたとしてももう作らねーけど、と俺は付け足した。その後も俺は後ろ向きな言葉を溢れるままに口から吐き出した。良くないよな、と思ったが止まらなかった。毎年のことだが、今年もやっぱりこうなってしまった。
どこかからひぐらしの鳴く声が聞こえた。辺りが暮色を帯び始めていた。
「はあ」
俺は吐くだけ不満を吐き散らして、ため息をついた。
「あーあ。これから先も、ずっとこんな感じなのかな」
蝉が鳴いていて、カラスが鳴いていて、風で木々の葉擦れの音がして、俺の耳に入ってくる音はそれだけだった。当たり前だが、鈴鹿は返事をしない。
「・・・昔は楽しかったなあ」
と俺は墓を見ながらつぶやいた。しばらく沈黙が続いて、ああいけないいけないと思い、俺はまた話し始めた。
「あ、そういえば、高校ん時の西岡からこの前久々に電話が来てさ・・・」
話し始めた途端、後ろで物音がして俺は振り向いた。墓参りに来た老夫婦だった。二人は独り言をべらべら話している俺を異常なものを見る目で見つめていた。少し俺から距離を置きつつ自分たちの目当ての墓のもとへと歩いている。俺は気にせず話し続けた。
「西岡のやつあんま変わってなかったよ。受話器越しでもあいつの声だってわかった。あいつ今、消防署に勤めてるんだって」
老婦人がひそひそと小声で何か話していた。多分、俺のことだ。なんて言われているんだろう。
「それからさ、それから・・・」
声が震えていく。これ、なんの意味があるんだ、と俺は今さらに思い始める。頑張って話していたって鈴鹿は聞いていないだろう。毎年律儀に墓参りに来たって、もう彼女に会えるわけでもないだろう。鈴鹿はもう死んだんだから。
「・・・もう一度、会いたいなあ」
口からか細い声が出た。目の前がぼやけだして涙が出てきた。老夫婦に聞かれないように静かに、静かに俺は泣いた。泣きだしたら止まらなくなった。
泣くだけ泣いて、泣き疲れた俺は少しだけ墓の前で横になった。これもまた奇行だな、と思いつつ俺は目を閉じる。まあいい、老夫婦はもう帰ったし、日が暮れて辺りは暗くなり始めている。きっと誰にも見つからない。目を閉じると遠くからコオロギの鳴く声がした。今年ももう、夏が終わるんだ。
目を開けたときには、空はすっかり夜になっていた。俺は立ち上がって、はあ、と空にため息をついた。墓場を去ろうとして、俺は急に心細くなった。そして後ろを振り向いた。やっぱり俺は、鈴鹿がここにいるような気がしてしまう。
「また、戻ってくるよ。じゃあね」
と言って、俺は手を振った。星空を見て、俺は鈴鹿の顔を思い出す。鈴鹿との日々を思い出す。きっと来年も再来年も結局俺はここに来るだろうなと思う。こんな生き方は人生を無駄にしているだろうか。
・・・いや、と思いながら俺は歩きはじめる。きっとこれが、俺の最善の人生の使い方だろう。明日からまた仕事だ。嫌だなあ。鈴鹿、俺に乗り越える力を貸してくれよな。
彼岸 秋桜空白 @utyusaito
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