間章 露のように消えてしまえたら *微エロ注意

「こちらですわ」


アイテルへ連れてこられた場所は、霧を抜け、周りは大小と分かれたはすが咲く静かな森の湖畔だった。夜の闇の中をホタルのような光が漂っており、音は水音がなだらかに流れている。


 二人だけの世界の中で、ここにはあちこちで静かに佇む人の気配がすることを恭一は感じ取っていたが、特に何かしてくるわけでもなく、ただそこに佇んでいるだけの為、気にせず通り抜けた。


 ここなら、誰にも見つからないし、誰にも邪魔されない。とりあえず、朝が来るまでは。


 アイテルはそう告げながら、湖畔の先の大樹の根元へ行き、草の上へ根元の幹を背にして二人で腰掛けた。



「仰ってましたね、私が命懸けで助けたい理由をお知りになりたいと」


 貴方はどうしてわざわざ、その理由を知りたがるのだろう。答えはもう決まっているのに。

アイテルはそう思いながら湖畔の方を眺め、手はしっかりと繋ぎながら口を開く。



「恭一さんに触れた時に、記憶が見えました。魂の記憶。子宮である私には、否応にも見えてしまうものです。…趣味は良いとは、言えないものでしょうけれど」


「…」


「炎の中の記憶。熱く、苦しく、目が焼けて渇いて、痛い。その先には、赤い瞳を持つ誰か…。それに深く呪われていながらも、愛されている。そして貴方は生かされた。数多の犠牲の中から救われて、元の場所へ帰された。そして貴方はここへ、私の元へ来た。私は、長くそれを待っていた気がします」


 赤い瞳を持つ者の心情をよく理解しているかのような口ぶりで、アイテルはそう告げた。


「一目見た時から、惹かれてしまいましたの。呪いに捕らわれても、貴方は自分を見失わない強さがあって、でも何処か欠けていて、そして寂しそうで。…だから、生きて欲しいって思ったの。このまま呪いに捕らわれて、死なないで欲しかった。私の命をあげても、その価値が、貴方にはあると」


「…君の命より、俺の命の方が重い根拠なんかないくせに、勝手なこと言わないで」


「いいえ。私の命は、終わりが既に決まったもの。エバになった時から、私の命は私のものではなく、エバの物となりました。貴方のように、自由には生きれません、その宿命には逆らえない。私が死ねば、恭一さん達とは違う場所へ行かなければならないし、その時には……」


「まだ、よく分からないんだけど」


 アイテルが最後に何か言いかけたのを恭一の言葉が遮った。


「?何がですか?」


「どうして、普段命かけないと言ってるわりにすぐかけたのか」


「まっ!まだお分かりになりませんの?」


 嘘でしょう?既に答えは言ったのにと不満げな顔をした後、相変わらず穏やかな微笑を浮かべた後、顔にかかった髪を耳にかけながら、恭一の足の上に股がって顔を近づけた。


「…何?」


「お分かりになりません??」


「だから聞いてるんでしょ」


「…もう。好きだからですっ。恭一さんが」


 いじらしく言い捨てるようにそう小声で告白したアイテルは、自分の言葉を聞いてしばらく真顔で見つめていた恭一が反応を見せるまで、不安げに顔を逸らしていた。


「好きだから」と、はっきり告げられたその理由に、まだ恭一はこういう時にだけ勘が働かず、理解が及ばない。そもそも、起きた時には既にアイテルは自分と繋がってた状態にあったわけで、好意を抱くタイミングが全くと言って良いほど分からなかったからだ。


「…なんで?」


「なんでと仰いますと……」


「何処が良いってなって、こんな呪いに手をだそうなんて思えるの?」


「…………顔ですわ。顔」


恭一は顔をしかめた。ぽやっと最初に出てきた決め手が、自分の顔と言われると、ますます訳が分からなくなっていた。


「だって、繊細なお人形さんみたいに綺麗なお顔してますもの。ちょっと見惚れてしまいましたのよ」


「…くだらない。バカじゃないの」


「言われません?羨ましいわ。私なんて、あまり褒められるようなお顔してませんから。ジュドーはいつも過剰に褒め称えて来るから、恥ずかしいんですの。本当は」


 お顔は真ん丸でしょ?愛嬌さはないし、美しさもないようなたぬき顔だと自分で卑下する様なことをニコニコと言うアイテルに、余計恭一の眉のシワが深くなる。


「それ以上、ウジウジ卑屈になるのやめて?イライラしてくる。別に…君は…」


「あら…だって、シャヘルと私、あまり似てないって仰ってましたでしょう?」


「似てるかって言われて、似てないって言っただけ。娘と比べて不細工かって質問じゃなかった」


「…不細工ですの?」


「違う」


「では、美しいですか?」


 そう問われて、いつもの通り「知らないよ」と返すのかと思えば、恭一は目の前にあるアイテルの顔をじっと眺めながら、答えを選んでいた。


「………顔じゃない」


「?」


「君の魅力は、顔じゃない。それが分からない知能の低い猿なんか、放っておきなよ」


 本当は一言で済むのに、プライドが邪魔をして言えなかった分、そう回りくどくも、深く意味を感じさせる言葉で返した恭一は、アイテルの腰に手を回し、彼女の顔を真っ直ぐ見つめた事でアイテルも察した。


「…次に、そういう所が、私好きですのよ」


「?何が?」


「素直じゃないのに、余計素直に言ってくださるところですわ」


 恭一が腰に手を回したように、アイテルも恭一の首の後ろに手を回して、愛しく囁いた。



「貴方のような人は、他にはいなかった。本当は優しくて、嘘がなくて、意志が真っ直ぐで、何を言われても、邪魔をされても、自分で道を切り開くような人。

…でも貴方は、もう死んでもいいって思ってるのね。命なんてもう、捨てても良いって。貴方には、そんな風に考えて、生きて欲しくないです。それは、私の役目」


 そう悲しげに言ったアイテルは冷たいキスを恭一の額に落とすと、寄り添うように頬を彼の頭の上にくっつけた。


「私も、数多の命を犠牲にしてきました。生命の母と呼ばれながら、真王となった時から、多くの屍の上に立ちました。私に戦う力はなくて、代わりに戦ってくださった義理の兄や姉も、私に仕えてくれた人達も…皆。これからいずれ、本物の"死神"になります。その時まで、私は母を演じ続けて、最後は皆を死に追いやって、死ぬ」


 それが、原初の子宮と呼ばれる者の役目。


 始まりは母なる大地より生命は産まれ、最期は母の元へ皆還る。生命を与え、奪う。母である者の手で、裁きを下す日が来るのだと、アイテルは語る。

 それがどういう意味なのか分からない恭一だったが、きっと、来るべき終末というものがあるのだろうか。


 その時、アイテルは自分の敵として現れるのかもしれない。

故郷が赤く染まった日に現れた、あの赤い瞳の者のように。

 恭一の右腕が熱く、痛みを覚える。まるでその考えに同調しているかのように。



「私は、今の世界を滅ぼそうなんて考えていません。子供達も、恭一さんやジュドー達には、生きて欲しいから。…でも、上の世界には、ここよりも残酷な現実がたくさん、ありますのね」


「何処にだって、残酷な現実はあるよ。それが、人間の世界だ。駄目だと分かっても、繰り返す愚かさを持った生物だよ。それを終わらすことは、出来ない」


「私はそれを終わらせるために生まれたのです。いつか私も、貴方の嫌いな赤い瞳の者のように。そうなるなら、この呪いと共に散っていく方が、いい。…これから未来を作る娘達も、ジュドー達も、貴方も、守れるから」


 この命をいずれ散らす運命であったとしたなら、それは今なのだと言うアイテルを、強く引き寄せ、逃がさないように恭一は抱いて、アイテルの赤い瞳を見つめて告げた。



「誰かの犠牲で命を救われても、ありがた迷惑なんだけど。いい加減君も理解してくれないと困る。宿命とか役目とか、君の人生に一番いらないものだ。俺の人生にだってね」


 誰にも縛られずに生きる。自分がしたいことをして生きる。一度しかない人生を、そうして生きるのが普通だ。

 そう恭一は語るが、アイテルは困ったような表情でそれを受け止め、恭一の頬に触れた。


「…貴方のようには、生きられないもの。真王でも何も無くなってしまったら、それこそ私には、どうしたら良いのでしょう?必死に産んだ娘も、手放してしまったわ。何もないもの、本当の、わたしには」


 私は籠の鳥だった。檻を開けられても、外の世界を知らなければ、羽ばたけない。

役目も何もかも失えば、私は何処へ行き、何のために生きているのか分からない。


 ただ朦朧と生きて、何処かで死ぬ。私には何も力はないのだと。



「俺の所に来ればいい」


 その一言、意表を突かれたような恭一の返答に、アイテルは口をぽっかり開けて固まった。



「君の城に比べれば狭い部屋だけど、文句言わないでよ。後、俺はあまり帰って来れないけど、最近飼い始めた犬がいる。必要なら弁慶を好きに買い物でも何でも、使っていい。君の好きなことも好きに出来る」


「…?……あの?つまり…」


「比較的治安の良いところだけど、不安なら、セキュリティが厳重な住宅街にでも引っ越していい。俺も静かな方が好きだし。人種とかで差別するゴミは無視して。後で教えてくれれば、人を向かわせて対処する」


「お待ちに…お待ちになって」


「なんだい」


「それではまるで、駆け落ち…」


「問題ある?嫌なんでしょ、今の生活」


平然と何食わぬ顔でそう言った恭一に、アイテルは戸惑いながら彼に聞く。


「私、真王ですのよ?この世界には居なくてはならない存在で、そんな…」


「関係ないでしょ。第一、君一人居なくなったって、世界は回るものだから」


「ジュドーが許しませんし…」


「あんなの喚かせておきなよ」


「ひ、人妻です…一応……」


「上の法律で、一妻多夫は適用されない」


 何という暴挙か暴論か。それでも、恭一はこの意味が分かった上で言っているという事が明確に分かり、アイテルの顔は熟したトマトのように真っ赤になっていた。



「…嫌なの?」


「いえ…嬉しいんです…嬉しいんですのよ。でも、ちょっといきなり過ぎてびっくりしてますの…」


 普通に愛を伝えるよりもかなり直球でストライクを出している事に気がついていない恭一に対し、アイテルは真っ赤になりながら嬉しさと恥ずかしさで、泣きそうになっていた。



「全てが終わったら、本当に、連れてってくださるの?上に…誰も知らなくて、何もない私の事を」


「…君が、そうしたいならだけど。君の人生だから」


「…嬉しいです」


 たとえ嘘でも、叶うことがないことでも、そこまで言ってくれて、嬉しい。


 アイテルは幸福に満ちた気がした。ようやく、欲しいと思ったものが初めて、手に入ったような喜びを得られたと、恭一を深く抱きしめ、彼もまたアイテルに深く唇を逢わせた。


 たとえ許されなくても、誰かを裏切ることになっても、今この時だけは、朝露のように消えて、深い夜の中に静かに溶けて、消え逢う。




「…来て」


 アイテルの髪が湿った草花の上に広がり、恭一が上に乗ってじゃれあいを続けていた時、アイテルの襦袢の袖がはだけ、曲線を描く首筋が露になった時の誘いの一言に、恭一は這わせていた唇の動きを止めた。


「……」


 恭一はこの先にあるものの事を考え、今激しく彼女を求めていた事も一瞬の内に頭から消える。


 お互い、この先に踏み入る事に同意はしている 求め合い、原初の遺物の呪いや他者にはどうにも出来ないほど熱を持っているのも明らか。アイテルはもう体の力も抜いて、恭一が来るのを待っていたが、恭一には重大な弱点があった。


 こういう欲が今まで湧いてくることもなかった為、知識もろくにない全くのなのである。


「…?」


 固まって静止して動かない恭一を見つめるアイテル。やがて意を決したように、過去、弁慶の部屋に泊まった際、机に置かれていたおぞましい本を見てしまった時の知識を、記憶の金庫を解いて掘り出した。


しかし、そんなものを実行するには全く経験が足りず、ここに来て屈辱的な思いを味わう。


 どうしたらいいものか、ここまで来て止めよう等とみっともないことは言えないと葛藤している恭一に、やがて察したアイテルが一度背中を離して起き上がった。


 上半身を起こした彼女は、はだけた襦袢を目の前でゆっくりと脱ぎ、その下の肌を晒した。

呆然とする恭一の左手を誘導するように掴み、自身の柔らかな膨らみの上へと触らせた。



「触って」



 自ら手を誘導して触らせるアイテルの甘美で大胆な誘惑。触る手の内に伝わるその滑らかさと柔らかさに戸惑いながら、ゆっくりと、やがて夢中になる。


 アイテルが手を離し、恭一のシャツのボタンを外して、脱がせながら声を漏らす。戸惑ってただ表面を撫でているだけの手付きが力強く乱暴になるにつれて、アイテルの漏らす息も声も、激しくなった。


 汗ばむ手と頭の中に湧く熱情も体も、これまでにないほど熱を帯びている。そこにアイテルの冷たい手が、傷を負ったままの体を這い、逆に快楽をもたらす。


アイテルの方からリードするようにやがて肌を合わせ、汗と唾液が混じりながら口づけを深く交わす程に、歯止めは効かなくなる。


もう戻れない。孤独でもいいと思っていたあの時に。それでもいいとすら思えた。


 彼女が欲しい。彼女が欲しい。


 今は何よりも、彼女がいい。


 黒く肌が死んでしまった熱い右腕に抱かれても、アイテルはその肌を慈しむように柔らかな唇を這わせた。


 こんな醜くなった腕でさえも、君は慈しむ。痛みも苦しみも怒りをもたらす呪いにも、慈悲を見せる顔が腹立たしい。


 俺を見ろ。血に染まった赤い瞳で。おぞましいと思っていた瞳すらも、今や見つめられていなくては、不安になっていた。


 腰にあったままのベルトを乱暴に外した。アイテルは恭一に組み敷かれるように乗っかられたまま、残っていた下着を共に脱ぎ捨てる。


 興奮状態の猛獣の腰に片足を回し、何処に行くべきかを教えるかのように。

黒くなった右手の十字傷に合わせるように自分の左手を合わせて指の間に入る。淫らに振り乱した表情で訴える。



「いいの」


「いいのかい」


「…お願い。……っあっ!」




 興奮で熱も冷めていないこの時に、ひと思いに、貴方に沈ませて。


この夢の中でまだ何も、後悔しないうちに。


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