生命の母と守護者

第6章 記憶は色褪せない。黒に染まっても


「預かっていた持ち物はそれで全部だ。確認しろ」


 翌朝、アイテルの警護につく前に、ジュドーから自分の所持品を机に並べられて、全部あるのかを確認させられた。

 着ていたスーツとトレンチコートは勿論、スマホや耳につけていたピアス型の小型通信機、クレジットカード(仕事用)しか入っていない財布や貴重品、伸縮式の警棒と銃とフォルダー。やはり、持っていたアタッシュケースはそこにはなかった。



「銃まで返すの?」


「安心しろ。銃口をアイテル様に向けるような真似したら、向ける前にてめぇの首が反対方向に向いてるか、脳みそが飛び散ってるかだ。守護者でも俺が認めるまでは隣を歩かせない。…認める気はこれっぽっちもないが」



「…どうでもいいけど、疲れるよね、君」


 やろうと思えば、銃なんてものは抜かずに簡単にやれると恭一は思っていたが、それを実行するつもりはこれっぽっちもない。やる理由もないからだ。


「これを肌身離さずつけていろ」


「手袋か」


「そして腕輪もだ、右手に着けろ。アミュダラ様がお作りになった特別な物だ。呪いの影響を抑えられる」


 アイテルの近くに入れば、とりあえずこれから来る客への影響はないだろうと、ジュドーは白い伸縮性のある手袋と、邪魔にならない銀色の細い形状で、何らかの呪法を感じるブレスレットを恭一に渡した。

しかしこれもあくまで抑えられるものであり、呪いの力が増幅していることには変わり無いのだと言う。


「人と会う時は代役を立てると言ってたけど、今回は、彼女自ら謁見するの?」


「お前のような余所者や一般人、通常儀礼に対してだ。貴族であろうがそこは変わらないが、『イブリシール同盟』の諸国は別だ」


「何それ」


「アイテル様の夫君ふくんどもがいる大国だ」


あくまでも、"政治的な理由で"。

そう語るジュドーの口調は強調的で、まるで認めたくもない事実に嫌悪しているような感情が入り雑じっていた。


 正直結婚しているようにも思えなかったが、一国の女王というのだから、結婚は早くにするだろうとも恭一は考える。今の現代基準とは別として。しかし聞けば、アイテルの夫は5人いるらしく、その夫達が治める7カ国の使者や神官の者達が顔を見せるらしい。



「要するに旦那が来るって事?」


「いや。今日は使者だけの予定だ。そう聞いているが、知らせもなく来る時もある」


「旦那でも真王との接触は制限されるの?」


「言っただろう、政治的なものだと。特にイブリシールの一族どもは、癖のある自由主義のろくでなしが多い。アイテル様とのご関係は良好だが、それまでの事だ」


 癖があるのはそっちも同じだろうと恭一は言いそうになったが、真王を敬愛する姿勢は確実に本物であるジュドーが、アイテルの結婚した旦那達をあまりよく思っていないことに、過去に何かあったのだろう。そして、7ヶ国であるイブリシール諸国、アイテルの夫は7人であるはずなのに2人足りないのも、引っかかったが言わなかった。


 恭一は受け取った所持品と、手に傷を隠すための手袋をはめた後すぐにジュドーと共に部屋を出た。


一妻多夫いっさいたふなのは、珍しいね。この世界の文化?」


「アトランティスでは、王族に限って珍しい事ではない。他の国は一夫多妻の方が多い」


「ふぅん。…君は、ならないの?」


「ならないとは?」


 後ろを歩く恭一に、笑顔で威圧的に振り向いて、ジュドーは言葉の真意を確かめるようにそう聞いた。それに対し、恭一はジュドーが怒ってる事に気づいていながらも答えた。


「真王の旦那」


「………」


「…フラれたの?」


「そんなわけないだろう」


ジュドーは立ち止まり、自分より背の低い恭一に上から凄むようにしてこう答えた。


「俺はエバに仕える忠実なしもべとして、アイテル様に遣わされた。王になられる以前よりずっと前から、身の回りのお世話をさせて頂いて、仕えてきた。夫君の損得勘定の愛情とは比べ物にならん愛情と親愛を持ち得ているのは事実だが、男女の関係ではけしてない。分かったか?二度と下世話な質問をするな」


「…要は、保護者的な感情しかない。そうじゃなきゃ、まるで、理想の偶像に囚われて暴走してる質の悪いストーカーだからね」


 そう言い捨てた恭一と挑発されたジュドーはそのまま廊下で睨み合う。すれ違う人はその様子を見て、あからさまに二人を避けるように通りすぎていくのも、彼ら二人は気がつかなかった。



_____



「……お二人とも。何故、始まる前から顔にアザが出来てらっしゃるの?」


「遅いから迎えに行ってみれば、城の廊下で殴りあいの大喧嘩って、アホかお前らは」


 王座に座るアイテルとその隣に立つ男は、前に並ばされた顔にアザをつけた恭一とジュドーの二人を呆れたように眺める。


喧嘩の後に怒られてふてくされている子供のようにムスッとした二人は、隣にいるお互いに殺気をまだ向けたままでいた。



「朝から城の中で喧嘩するなんて、口は悪いけれど、不遜な行いを実行にするとは、貴方らしくないですよジュドー…」


「喧嘩ではありません。指導です、陛下」


「喧嘩じゃない。殴ってきたから殴り返しただけ」


「動機がガキの屁理屈なんだよ!殴ってきたから殴り返したを繰り返してそうなったんだろ!喧嘩じゃねーか!!」


アホが!!と、穏やかに嗜めるアイテルとは違い、同じ守護者であるという男が恭一とジュドーに激を飛ばす。


恭一はその男の容姿を上から下まで確認するように目線で追う。

 着ている服からも見える毛深い獣のような毛に、顔中にも毛が生え、頭には狼かなにかに似てる耳が生えていた。男の顔も姿も人と変わらないが、獣にも近くある独特な匂いがした。


見れば、尻尾のようなものまで生えていることも確認出来る。



「おいアイテル。この腹黒執事と対等に殴り合える坊主が、新しい守護者なのか?可視オラトから来たって聞いたぞ」


「…坊主?いい年して犬のコスプレした人に、坊主呼ばわりされる覚えはない」


「犬だと?俺は狼と熊のミックス種だ!!」


「そんな妄想上の設定なんて聞いてないんだけど」


獣人じゅうじんだよ!!お前らが言うところの!!それで分かるかクソがっ!!」


「ハルクマン、ハルクマン。諌める側なのに、何故貴方まで喧嘩腰になるの?」


 アイテルがハルクマンの尻尾を掴むと、ハルクマンと呼ばれたその獣人は、ブルブルと身を震わせ、大人しくなる。


「やめっ…尻尾を触るなと言ってるだろ…!」


「ごめんなさい、つい」


「ついってお前…」


「使者の方々がお越しになられるのですから、この件は後でも良いでしょう?二人とも、そのお顔ではいけませんから、こちらに来なさい」


「申し訳ございません、陛下」


 謝りながらアイテルの膝元の床に膝をついたジュドーに、アイテルは少し屈んでジュドーが恭一につけられたアザの部分を手のひらで覆うように優しく包んだ。


 数秒ほど触って手を離すと、膿んで腫れていたアザの痕は、痕跡も残さず治っていた。

それを横目に見て、表情は変えないながらも、傷が全く無くなっていることに恭一は秘かに驚いた。そして、思い出したように、自分がラウに撃たれた肩に触れた。



「恭一さん、こちらに来てください」


「俺はいい。アザぐらい自分で治す」


「……はぁ。ほら、つべこべ言わずに行けよ。謁見じゃ、お前はこのすだれから出て警護すんだから」


 王座を囲うように仕切られたすだれから離れて、使者の近くに行くことから、恭一の顔のアザを見れば、強面こわもてな顔だけあって動揺する人間もいるかもしれないと、ハルクマンは恭一の背中を叩き、アイテルの前に押し出す。


「…」


 そして明らかに不機嫌な顔でムッとする顔にも構わず、アイテルは手を恭一の顔に近づける。その時、一瞬だけ、アイテルの左の手のひらが傷ついているのが見えた。まるで、自分と同じ十字型の傷を、剃刀で刻み付けたかのようなもの。


 その手が顔に触れると、手を通じて、暖かな水が肌の中に滲み、流れてくるような感覚を感じ取る。

 その時、恭一はアイテルが手を離す数秒の内に、脳裏に新たなビジョンを見た。そして共鳴するように、右手の傷が痛む。



_アイテルは暗闇の中にいた。彼女は、足や手を鎖に繋がれて、窓から見える雷雨の光と激しい雨、その雨の水が滴る床を素足で踏んでいた。

そこに誰かがやって来る。彼女が失意と恐怖に怯える程の感情を持たせた人物だ。


 アイテルはその男に引っ張られ、外へ無理やり連れ出された。「聖母らしく役目を果たさせてやる」と。

 

 女王である彼女が、そこまで酷い仕打ちを受ける事はない。彼女の記憶だろうか、この記憶には、今こうして穏やかに微笑みを向けていられるような優しいものでも、傷跡が残らないものでもなかった。


「さぁ、終わりましたよ」


 それが見え終わる頃には、彼女の手が離れていた。気がつけば、顔にあった痛みも腫れている感じもなくなり、触るとそこに生じる痛みもなくなっていた。


「…」


「…源氏げんじ殿、陛下にお礼ぐらい仰ったらどうです?」


「いいのよジュドー、もうお客様方が来るわ。…ハルクマン、恭一さんに色々と教えてあげて」


「恭一ってのか、自己紹介はまだだったな?俺は、ハルクマン。ここじゃ、ビーストと呼ばれてる種族だ」



 こっち来いよと言われて、アイテルからようやく目を離した恭一は、ハルクマンの声に気がつき、一緒にアイテルの姿を隠すすだれの外へと出た。



「…陛下。謁見の後、すぐに見て頂きたいものがございます」


「遺物の呪いについての件?」


「えぇ。イブリシールの使者からの報告です」


「分かりました。…ねえ、どうして喧嘩したの?指導でもやって良いことと悪いことがあるでしょう?」


「…行き過ぎました、今後気を付けます。しかし、指導は時に痛みを伴うものです。厳しくしなければ響かない、いい加減な人間もいるものです」


「彼はいい加減方とは思えません。言いたいことは分かるけど、もう少し節度を守って接してくれないかしら?」


「…はい。承知致しました、アイテル様」




__「真王アルミサイール陛下にお目通り願います」


 謁見が始まり、外から来た人間達が次々に、あの長い石階段の下から、王座があるすだれに仕切られて見えない王の姿にひれ伏して挨拶し、要件を述べる。それに対し、アイテルが声で答えていく。


 その声を聞く時、使者達は皆頭を下げてじっとその声に耳を傾ける。中には、幸悦した表情を浮かべる者も。


 相手は王というより、神を前にしているような態度の者が多く、慎重に敬意を払って接していた。



「来たばかりでアイテルに気に入られるとはな。ジュドーの動きにもついてこれる奴は、オラトには存在しねぇと思っていた」


「…」


「何やってたんだ?当ててやる、戦士だろう?国に仕える有能な戦士ってところ。お前は無口だから多分、騎士だな」


「…外れてる」


 ちょくちょく話しかけてくるビーストのハルクマンに、うざったいと思いつつも適当に返事をする。


 毛むくじゃらの犬の耳が生えた変な人というのが恭一の印象だったが、たまに使者の目がハルクマンの方を向いて軽蔑的な感情を向けていることが、観察していて分かった。



「退屈な任務だろ。城は、住み着いてる神々に守られて普段は刺客も迂闊に入ってこれねぇが、今は違うみたいでな。見る限り出番はなさそうだが、注意深く見てくれ」


「…神に守られてる癖に、刺客は沢山入ってきてたけど、この謁見場所には入ってこないって意味?」


「違う。理由は知らないが、何日か前から城で見掛けなくなったんだよ。白くて、目からビームが出るちっこいヤツとかな」


「何それ」


「見てないだろ?外では、普段寄り付かない魔物が増えて、兵士がそっちに回されて警備の数が減ってるってんだよ。そんな時にどこ行っちまったんだかね」



 恭一でも滅多に見たことはない神と呼ばれる存在。どちらかといえば、祟るような強烈なものの方が多かったせいか、城を守っている清いものでも、あまり関わりたくないと思っていた。


 触らぬ神に、祟りなし。そういう案件はほぼ全て断ってきたが、今回は恭一の上司でもあり、遠い親戚筋の男がギリギリまで詳細を明かさなかったために、巻き込まれてこんな呪いを受ける羽目になったのだ。


 こんな時に、あのしたり顔を思い出して腹が立つ。脳裏に浮かぶジュンフェイの顔を思い出してムカムカしている恭一のぴりついた空気に、ハルクマンは気がついた。


「しつこかったか?悪い。一緒に仕事を、新米とするのは久しぶりだからよ」


「君じゃない」


「…変なもん食ったか?」


「食わされた」


 腹が立つ、帰ったらあのしたり顔とメガネを壊して転属願いを出そうと決めた。その時、ふといつもの妙な勘が恭一に働き掛けた。


 何人かの謁見が終わり、階段下に躍り出た一人の聖職者らしき姿の男。

まるで例えるならインドかアラブ系の衣装と顔をした男達数名が、他のものと同じように膝をつき、上のアイテルに向かって礼をしていた。



「聖ヘレルサハル帝国、真王アルミサイール陛下にお目通り願います」


「…あれは?」


「あれか?帝国の神官だよ。俺にとっちゃあの国は、物売りのバーさんにすら近づきたいと思わねぇ」


 ハルクマンは凄く嫌いな物を我慢して見てるような表情で、神官達が王座に向かって話をしているところを眺めている。


「堕天使ルシファーを崇拝する宗教派閥とエバ派閥が存在する宗教国家で、軍事国家でもある。どちらかと言えばルシファー派が大多数だったな、皇帝がいた頃は」


「悪魔崇拝の国がどうして、ここに来るんだい」


「エバの前じゃ天使と悪魔なんてどうでもいい。善でも悪でも、エバにとっては自分が産んだガキみたいなもんだ。悪さすれば叱る、大人しくしていれば何も言わない。だろ」


「近くで発生してると言う魔物は歓迎されないのに、悪魔は歓迎されるの?」


「詳しい事は分からないが、悪魔と魔物は、別物ってことは言っとく。それに…イブリシールを統治してる王は皆、堕天使の子孫だ」


 堕天使の子孫。


 その言葉に耳を疑う。色々と突っ込みたいところはあるが、エバの子宮、聖母と呼ばれるあの女王は、天から堕ちて悪魔になったと言われる者の子孫と、結婚していると。



…一体、あのぼんやりした女は、どんな見た目の旦那に囲まれているのだろうか。政治的な理由とは言ってたものの、何か相当の弱みでも握られたのだろうかと、予想を膨らませるも、想定の範囲外でまとまりがつかなかった。



「…堕天使とか悪魔って、地獄にいるよね」


「そりゃオラトの常識だろ。まぁ、雑魚は地獄でくすぶってるのは合ってるかもな。ともかくあの連中は、嫌いだし近づくなよ。俺達は奴らに酷い目に遭わされた。ジュドーも今頃、あの中で顔歪めて毒吐いてるだろうよ」



 恭一はハルクマンとの会話の最中で、神官達の様子を注意深く観察していた。

数人並ぶ内の一番手前にいた神官のオーラが、他と僅かながら違う事に気がつく。真ん中にいる神官が代表して話をしている中、一人、背中で手元を隠して何かいんを結ぶしぐさも見受けられた。


 それは恭一が元の世界で仕事をしていた時、何度か対峙した悪魔崇拝者の呪法のしぐさに似ている。ハルクマンから話を聞いて、恐らく同じもの、人を呪うための呪法だと確信した。


「恭一?おい!」


背後から声を掛けられても、恭一は謁見中の神官達の方に速足で近付く。


後、数歩手前の所で、突然、そのいんを結んでいた神官は立ち上がり、王座の方に向けて人指しと中指を合わせた指を向けた。


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