不純異同性交遊

たきくんちゃん

全話


「いいのいいの、シンジくん年下なんだし、私が誘ったんだからさ。」


 と、上野公園の美術館の前の極彩色のステンドグラスが映えるこの喫茶店で、またいつも通りモネさんのご馳走になってしまった銅の洒落たグラスに入ったアイスコーヒーを、遠慮がちにちびちびと飲みながら。印象派の巨匠たちの名画の圧の中を通り過ぎて酷使した、1.5cmオーバーの小さいリボンのついた厚底ローファーに、無理矢理詰め込んだ高校生男子の平均サイズの足を、他のお客さんに達に気が付かれないように、デフォルメされたクジラの噴水のイラストのようにくるりと湾曲した二人掛け用の丸テーブルの脚の下で、つま先だけにシューズを引っかけ、はしたなくぷらぷら休めていた。


 山手線の停車駅らしいネット通販のファストファッションを装備し、インスタ用の写真を、小さく細い指先には似つかわしくないごつごつしたスマホでぱちゃぱちゃと撮っている生来の女の子達に囲まれていても、リカちゃん人形の純正お洋服みたいにばっちり決まったトータルコーデを身に纏わせて、優雅な存在感を放ちつつこの空間と完璧に融解しているMtFのトランスジェンダーのモネさんが、丁度狭いテーブルの真向かいにちょこんと座り、珍しく人前でスマホをすますまスクロールして触っている。 


 狭い鍵垢の世界で、絵画の趣味やセクシャリティがなんとなく自分と似通っているという理由で仲良くなってから、不定期かつ定期的に開催されるふたりオフ会のノリで、企画展、デパコス、池袋、エトセトラ...と来て、今日は面白そうな上野の美術館をくるりと廻ってきた。


「ね。これ、知ってる?」


 合唱祭のソプラノ隊にもゆうに入れそうになるくらい高音域なハスキー声の問いで、健康的な頸筋の鎖骨を互いに映えさせる極小サイズのシルバーネックレスを、少し膨らんだ清楚な胸元の上ではらりと見せながら、自分へ向けてくれたスマホを覗いて、TPOにマッチしたモネさんのネイルの先にある液晶を見つめる。

 検索結果一番上位の黒いフチに枠取られた大きな画像の中に、多彩な髪色をした黒いセーラー服とパーカーに身を包んだ少女4人と、黒い二―ハイソックスを片方忘れた白いワンピースを着た灰色のツインテールの少女が宙に浮かんだ鉄骨の上に、それぞれ思い思いの姿勢で存在していた。


「あーなんかトレンドで流れて来たので見た事あるかも...。」

「ホント?」

「プロセカだっけ。」

「そうそう。」

「...でもそれがなんなのか分かんない、アニメ?」

「ううん。これはね、ゲーム。最近ハマってんだ~。」

「へー。」

「ね、このなかだと誰が好き?」

「...この子かな。」


 さっき化粧室でモネさんに補強してもらったラメ入りのきらきらネイルの先っぽで、明度低めの髪色がひしめくキャラ達の中で一際目立っているサイドテールの巻き巻きピンクヘアを赤いリボンで纏めた女の子を指差す。


「おーやっぱセンス良いね。実は私もお薦めしようと思ってた。」

「この子、君とおんなじ男の娘だから。」

「...そうっすか。」


 男の娘。自分の性別を晒しながらこんな格好をしている自分の近辺に、当然接近するに決まっているその、横に広がる多様な性を一つのカテゴリーに押し込む言葉を、なぜかいつもキャッチして、聞き流しておけば楽で良いのに、心の中に引っ掛からせている。


「ちなみに名前何ってんすか?」

「ん?...えっとね。」


「暁山瑞希。」


 そんな顔もできるんだなぁと、彼氏ののろけ話をするように可愛らしくふやけた仕草を晒して、推しの子の名前をモネさんが一拍溜めてから言った。



「...え、いや、瑞希ってかわいい恰好してるってだけの男だから、別に女の子になりたい感じじゃないでしょ。」


 レジの大枚のお札をぺらぺらとめくるように、ハンガーに掛かった天女の羽衣みたいなフリフリのフリルがふんだんに装飾された流行りの地雷系の服を品定めしながらモネさんの意見を咄嗟に否定した。

 ―その少し前。


「あ、前の美術館のときに進めてくれたプロセカ、帰ってから早速やりましたよ。」

「おー。嬉しい。今どんな感じ?」


 渋谷109の六階で開いたエレベーターの中からゆっくり降りて、先行していったモネさんの後に続いて結婚式場のような高潔で白いタイルを厚底ブーツでコツコツと踏みしめながら、彼女の布教の成果について報告した。


「とりあえずニーゴのストーリー全部見て、イベントストーリーも瑞希のやつは全部見ました。」

「いいじゃん。めっちゃハマってるね。」

「なんか小学生の時ボカロ聴いてたの思い出すと懐かしくて。あとストーリーも思ってたより重かったから。」

「へー。闇深いの好きなんだ。思春期じゃん。」

「褒めてんの?それ。」


 また若干掴みどころなくからかわれつつ、いちいち目が移る硬派な店々のジャングルを通り抜けて、インスタで見た通り砂糖が溶け切らないミルクティーのように甘ったるくかわいい店舗の前で、二枚のスカートがふわりと立ち止まった。

 地雷系ファッションなんて今どきネットでちゃちゃっと買っちゃえば良いのにと自分でも思うけれど、成長期をテストステロンに晒された体躯の自分たちにとって(まあ、モネさんはいつも上手く体のラインを隠してるから分かんないけど。)実際に実物を見て試着してみないと自分にお似合いの服をに出会うことはなかなか難しい。


「えー可愛い。これ、似合うんじゃない?肩んとこ大きめだし。」

「そうすか?でも今のシャドウだと地雷とかぴえん系っぽいのに合わないからちょっとよく分かんないかも。」

「じゃあ、あとで私がしたげるよ。道具いっぱい持ってきたし。」

「...どうも。」

「てか、ホントさ、シンジくん私がお化粧教え始めてから別段可愛くなったよね~。」

「まあ、前はほんとなんも知らなかったっすからね。」


 モネさんに進められたのと同系統のタイプの服をぺらぺら探しながら答える。今思えば、初めてオフ会で会った時の自分のメイクは下地はちゃんと固めないわ、ノーズシャドウの入れ方を間違えるわで相当酷く、思い出すだけでも恥ずかしい。

 

「なんかシンジくん見てると懐かしいよ。自分もメイク悩んだ時期あったなーって。だって昔の私とおんなじようなミスして来るんだもん。」

「いや、モネさんにはないよ。」

「あったよ。あったって。」

「へー。」

「あ、ぜったい信じてない。」

「...。」


 蠱惑的に本心を見透かしてくるような、涙袋を特段ぷっくりと強調する細目の視線をなんとか掻い潜ると、触れたら壊れそうになる程、モンシロチョウの羽みたいに薄いレースが、巨匠の石膏像のように艶めかしいライン上に配置された白濁色のワンピースをふと見つける。これがもし似合う容姿があればきっとすべて楽しかっただろうになと思う。


「てか、そー考えたら瑞希ちゃんもやっぱり頑張ったのかな、女の子になるために。」

「...え、いや、瑞希ってかわいい恰好してるってだけの男だから、別に女の子になりたい感じじゃないでしょ。」

「そうなの?ボクはボクでいたいだけって言ってたからてっきり私とおんなじ感じかと思ってた。」

「だって性別知らないサークルのメンバーの前でも一人称ボクって言ってんじゃないすか。もしトランスなら『私』とか使いません?シナリオ的に。」

「あー確かにそう考えるとそっか。なんだ、瑞希ちゃん...あ、くん?って私じゃなくてシンジくんに似てるのか。」

「女装男子みたいな要素だけで見たらね。」

「...瑞希って結局顔が可愛いかっただけでしょ。」

「だから、ずっと自分が好きなかわいい自分でいるみたいな選択が出来ただけであって、頑張っても野郎が消えない自分とは違いますって。てかそもそも架空のキャラだし。」

「ふぅ~ん?」

「現実のブスは大人しくしてろって事でしょ。」

「あら、青春らしく、病んでるねぇ。お姉さんこころ痛いわ。」


 モネさんの独特の包容力で収縮していった刺々しい自分の本懐は、リベラル社会が、お利口なマイノリティーにいつの間にか所属した自分達は持っていないとした反社会的で攻撃的な代物だった。


 女子中学生のようなゆかしいショッピングがひと通り済んだ後、モネさんの奢りで楽しくカラオケに行き、とあの「アイディスマイル」をぞれぞれのパートを代わりばんこに二回ずつ歌ったりして喉を少し枯らせてから、日が落ちる前に解散してゆっくり帰った。



「...なあ、その病気はいつ治るんだ...?」

「うっせえよ。」


 ふと、些細な喧嘩から、自分の容姿にまで言及し始めた家父長制の城から飛び出して、月明りに煌めいた掃き溜めのようなビル群のプールの中に身を沈めようと、あてもなくICカードを改札口にかざして、黄色い線の内側に下がらず、上りの電車を待った。

 生暖かい暖房を放出した人のまだらな銀色の車両の中にそそくさと乗り込んで、濃い藍色のベタ塗りの凍えた空に染まった夜景の窓に映る気に入らない目鼻口体躯を瞼に作り物の長い前髪をはらりとかけて躱す。

 「...瑞希って結局顔が可愛いかっただけでしょ。」その強い言葉で、大好きなモネさんと後ろめたいわだかまりを作ってしまったことを思い出したのを受け止める余裕もなく、落ち込んだ不細工の心臓から送り出される血液が鉛と化していくのにさらに追い打ちをかける。


 母親という奴隷を飼い、そして旧時代的な思想で自分の形を制御し始めた父親を出来るだけ傷つけるために始めた不純な動機のこの女装癖も、だんだん美貌の理想が鮮明に具体化していくにつれて、自分はそれに近づくことすらままならないというただの事実が、自分の反抗期の勝敗が多数の犠牲者を出したまま、わだかまりを残した中途半端な敗北で有耶無耶に幕を引いたアメリカ人のベトナム戦争のような未来を確定させ。

 息子との対峙にいつしか疲弊し、去勢された昆虫のように昔の威勢を失わせてしまった父への罪悪感と、自分の行為の稚拙さに、今はただ、自分の排泄を喰らい不衛生な足元のぬかるみを丸々と肥えた身体に塗りたくる不浄な家畜の豚かのように、醜い自分を醜悪に汚染された夜の都市に詰め込んで、自傷行為的に自分をどうしようもない環境に強姦させて病みたくなった。

 ブサイクな自分はどうやっても誰もが認める美貌に変身したヴァリアブルな息子という概念で父親を殺害することは出来ない。


 鬱屈な電車は、自分が降車しないうちに、すでに何度も筋肉で重たい身体のスカートのフリルに慣性の力を込めて停車し、今まさに先頭車両から退廃的な都市構想で入り組んだ東京に足を踏み入れる。


「...ねえ。」

「もしかして、光太郎君...?」

「...。」


 モネさんが見たらお節介を焼きそうなくらい、女児向け付録の幼稚な模様のシールをそのまま貼り付けたように雑なアイメイクで重たい一重の眼窩をぐるっと覆った午後の紅茶臭い女子高生が、自分の通っている学校と同じ制服を着て、TikTokを撮る前の全能感にトリップしているような下衆い顔で、にまにま自分を見つめている。


「...あ、ごめん、下の名前で呼ばれるの嫌だよね!...。ごめんね、荒木くん。」

「いや別にどっちでも良いけど。」

「すごーい...。やっぱりいつもは女の子の格好してんだね。噂になってたけど。...え、てかウチより可愛いのまじやめろよ~。」

「ああ。」

「...あのさ、前から荒木くんとは、なかよくなってみたいなーって思ってたんだ。本当の自分らしくありたい...みたいな。セクシャル...マイノリティ?だっけ、わたしそういうの今っぽくてかっこいいなって聞いた時からずっと思ってたから!」

「そう。」

「...その実はさ...言うの恥ずいんだけど、荒木君にウチの恋愛...相談...?に、乗って欲しくて。あ、全然今とかじゃなくて今度でいいから!」

「ほら、ゲイの人ってさみんな明るくてしっかりしててさ、悩み相談とか絶対乗ってくれるじゃん!」

「はあ。」

「...あ、もしかして、荒木くんも好きな男の子っていたりするの?」

「...。」

「大丈夫。ウチそうゆうの理解あるから、安心して!」

「小宮。」


 久しぶりに登校した時に一回だけプロセカの話をした、あまり異性にはモテそうなタイプではない柔和なニキビだらけの男の名前を、悦ぶと思って適当に言った。


「へー小宮か...そーなんだ、あんま話したこと無いけど、なんか、良い人って感じ...だよね!...ちなみにウチはねえ、バスケ部の帆波くん!けっこー意外じゃない?うち、結構清楚系じゃん?」

「そう。」

「...あ、じゃあ、ここの予備校あるから先降りるね。その...ウチ、応援してるから!いつかみんなにカミングアウトできる様に!」

「...。」


 電車の鉄の扉が、黒い緩衝材に何回かバウンドしてからピタリと閉まり、その瞬間、ムワっと漂った経血のような感情が、肌の薄皮の内からチリチリと炙るように不快に沸いて、自分の行き先を清潔な静寂の方へと向かわせた。



 今はひとつも配慮の気配を敏感になった触覚で感じたくなかったから、財布のスリットに挿入された学生証を提示せずに割増二倍の大人料金を払って、病棟の白さの美術館の中へドガのバレリーナのような足運びで入館し、大きなキャンバスに描かれた、誰もが惹きつけられる甘い顔の天使が、薄い黄金の光輪を宙に浮かばせた聖人になにやら耳打ちをしている様子を切り取った一枚の宗教画の前に、そっと足を止めた。


 自分たちが芸術作品と呼ぶそれは、当然のようにガラスを嵌めた額縁に入れられ、日常生活とは隔離された場所で、間違えて触れてしまう危険もなく、潔白で美しい空間の壁に大層な貴族のような顔をして掛かっている。

 絵とは本来手で触れる物であり、売り買いされたり、喧嘩の元になったり、人目に晒すのが恥ずかしかったりして、もっと人間くさい普通な物なのに、それが暴かれる物語がある世界を好ましく思わないメルヘンな人間がまるで存在しているかのように、芸術作品はいつも皆が望むような形の美しさを保たされている。


「だーれだ。」

「...胸の大きい良い女。」

「ご名答。」

「ただそれやりたいだけでしょ。」

「会いたかった?」

「...会いたかった。」


 視界を、入念な手入れが施されたぬくい両手で包み込まれて香ったシャネルの香水の匂いと、背中を抱擁するモネさんの肉が、スフマートのなめらかな宗教画の前で、聖母マリアのような子宮のある母性を連想させた。


「さっきのかわい子ちゃん誰?シンジくんの彼女?」

「なんか...知らない子。同級生だって。てか、なんで知ってんの?」

「だって、電車から一緒だったもん。仕事帰りの。ほら。」


 後ろから抱擁して自分に体重を預けたまま、肩から下げている小さなポーチの中をガサゴソとまさぐってから、太い首筋を通して自分にスマホの液晶画面を見せた。明らかな身長差のある車内の二人のテンションの落差までもが連結車両のドアの窓越しに、鮮明に映っている。

 

「盗撮に間違われたらどうすんの?まあ、盗撮だけど。」

「こういう時絶対疑われないのが女の特権だよねー。」


 ずっと思っているが、モネさんは自分の特性を同じようなセクマイの人間が見たら不快感を抱くくらい狡猾に利用してカラっとドライに生きている人だ。

 きっと彼女は、マイノリティが徒党を組んで、白粉をはたいてなんとか西洋人に成ろうとした鹿鳴館の猿真似舞踏会のように自分達を傷付けたはずのマジョリティーを必死に真似て、毎年行進していることに関心を持たず、LGBTという文字列の後ろにいくらアルファベットが追加されようが、それに興味だって抱かないだろう。


「ん?なーんかあったの~?...よちよち。」


 普段はそうやってサバサバしている癖に、自分が悪感情の渦に飲み込まれそうになっているときだけ的確に察知して、芥川のお釈迦様のように、極楽の蓮池のふちから銀色の助けの糸を垂らす。

 メイクが上手くいった日にだけ、死にたくなった時にだけ、そっと連絡をくれる都合の良すぎる理想の白馬の乗り手はきっと彼女の顔をしているに違いはない。


「親父との喧嘩がいつも以上に盛り上がったから家飛び出して。」

「うん。」

「電車で静かに病みたかったのに、セクシャルマイノリティにちゃんと理解がある私かわいいみたいな誤解ばっかの女にいきなりだる絡みされて。」

「うん。」

「...ゲイはみんな陽気だから恋愛相談乗ってよとかって言って。お前はただ、間違っても自分の事が好きにならない上で、男の気持ちも女の気持ちも分かる都合良い存在が欲しいだけじゃんって。」

「うん。」

「セクマイのやつが友達にいると受験で有利だからにまにま近づいてるだけだろって...。そんなお前らの為だけに自分の事堂々とカミングアウトしねえよって。...言おうとして、結局やめて。」


 モネさんが選んでくれた白黒の地雷服の肩が可憐に揺れ、何か一つ発声する度言葉の末尾が細くたどたどしくなっていく。


「ねえ、今日この後どうするつもりだった?」

「...トー横で誰か家泊めてくれる人探そうかなって。金も欲しかったし。」

「そんなの駄目だよ。未成年だもん。」


 一際喉に強い力を入れてモネさんが言い切り、代わりに自分を抱く力はより強固になる。


「...。」

「...なん、なんか、最近さ、わかんなく...なってきちゃって。自分が。」

「毎回女装する度に、もっと女っぽい身体になりたいなとか、別にいいやとか。」

「やっぱ女しか無理だなとか思ったはずなのに、ちょっと男ももしかしたらとかそもそも恋愛感情とか性欲とかあんのかとか毎日毎日考え変わってって。」

「自分はこのカテゴリーの人間だって絶対言い切れなくなってくの怖くて。誤解とか頭の中で否定する度に、それが本当に誤解なのかって...だから。」

「そっかよしよし。辛かったね。」

「...がんばったね。」

「私も、二人の様子伺ってないでさっさと割り込むべきだった。ごめんね。大丈夫、大人の私が全部悪いよ。」

「そんなこと...。」


「ある。」


 そう自分のネガティブな言葉をモネさんがパワーでシャットアウトすると、下瞼に引いたアイラインが涙で滲みそうになった自分の肩をやさしく抱きながら、周りに気を配りつつ、目的トイレから呼称が変更されたバリアフリートイレへそっと連れて出し、鍵をかけた密室の中。豊胸したシリコン製の柔らかい胸の中で、そっと泣き止むまで、泣かせてくれた。



 「いっぱい泣いたらおなか空いたでしょ。」と、また恒例のモネさんの奢りで連れて行ってくれた新宿の焼肉屋さんで、体型維持なんてことは一切忘れ、ただ白飯を豪快にかきこむ自分をモネさんは「成長期だねー。」とただニヤニヤと満足げに見つめていた。

 流石に一度「そんなに毎回いつも奢られるとなんかこっちが悪いですよ。」と、言ったのだが、「シンジくんに奢ってあげるのが今一番の娯楽だから、気にしないで。」と、大人の余裕を見せつけながらくしゃっと笑っていた。


 美術館のトイレでひとしきり泣き終わって気が済んだかのようにすうっと気分が落ち着いた後、モネさんは、胸元に確保した自分に向かって優しい言葉で軽く自分を一切責めないお説教を説いて聞かせ。

 その内容は、色々上品で知的な言葉を使って喋っていたが、要約すると、「セクシャルマイノリティだのLGBTあーだこーだだのの人間が全員みんなどこか一般人より清純で聡明で芸術的なセンスがあってなおかつ善人ばかりなんて考えは左から右までぜーーーーんぶクソ。」だ、そうだ。

 考えごなしの賛辞は批判の言葉よりもずっと退屈に思えるから、モネさんの諭しは新鮮で面白かった。


 お腹いっぱい食べ終わって、ビルの隙間から吹き抜ける夜風を受けつつ二人でぷらぷら歩きながら適当な東京メトロの駅を探していると、


「じゃあ、私。これから仕事だから。」


 モネさんが、きらきら輝く都市の雑踏の中、自分の行く道を遮るように先行し、誠実に自分と目を合わせながら言った。


「え、さっき仕事帰りって言ってなかったっけ?」

「あーそっちはもう副業で今はこっちが本業。」

「また手術するから、お金貯めないと。ほんとの自分はまだまだこれじゃないからさ。」

「そうなんだ。」


 出来るだけ人の事情に首を突っ込まないように、他人事のような軽いセリフで返した。


「今日はありがとう。楽しかった。またどっか行こうね。」

「うん。...こっちこそありがとう。」

「夜遅いから気を付けて...ぜっったい帰るんだよ?じゃあね。」

「わかってる。ばいばい。」


 そうして、艶やかなネオンで白い肌を妖美に包み込んだモネさんが、新宿の夜の街に消えて行った。



 ...その後もずっと、モネさんとの関係は、カラオケにいったりショッピングに付き合わされたり、たまに水族館に寄ったり、来月にはプロセカのライブがある幕張メッセへ遠征しに行く約束をしたりと、特に何事も起きることなくただ平坦に続いている。


 いつまでもハンドルネームで呼びあって、隠したい場所はコンドームの薄いピンクの皮膜にぐいっと包んで、お互いの生き方をレイプし合わない、カミングアウトをするもしないも知るのも知らないのも勝手で自由な、

 そんな関係。


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