第33話

 4月2日。

 春休みもそろそろ終わりに近づいてきて、今年は誰と同じクラスになるかが気になってきている。


 とりわけ瑠璃と同じクラスになってほしいとは思っているものの、これに関してはもう神頼みしかできない。


「心望。この絵本すごいよ。仕掛けが凝ってる」

「あ、ほんとだ。これは、あれだね。立体的にすることで視覚に効果的に訴えかけることができる! みたいなやつ!」

「……知的なこと言おうとしなくていいよ。逆に馬鹿っぽい」

「誰が馬鹿か!」


 私たちは今日、絵本カフェなるものに来ていた。

 こういうのは子供連れの人が来るものだと思っていたけれど、意外にオシャレだからか、私たちと同じくらいの歳の人もそれなりにいる。


 店内にある本は読み放題だということで、瑠璃はテーブルに何冊かの本を持ってきて、私の隣でそれを広げていた。


 にこにこと笑う彼女を見て、私は少し安堵した。

 瑠璃が喜びそうな場所を色々調べて、この店の情報に行き着いたのだ。コーヒーも絵本も彼女は好きだし、きっと喜んでくれるだろうと思って今日連れてきた。

 だからちゃんと楽しんでくれているようでよかったと思う。


「よくこんな店知ってたね。調べたの?」

「うん。瑠璃が喜ぶかなーって思って、何日か前に調べといた。……コーヒーはどう?」

「美味しいよ。私好み」

「それならよかった」


 瑠璃はカップに口をつけて笑った。

 私もコーヒーを頼もうかと思ったのだが、好きなものを楽しんだ方がいいと言われたから、今日はカフェオレにしておいた。


 最近私はブラックコーヒーをかなり飲めるようにはなってきている。

 まだ美味しいと感じるまでには至っていないが、それでも以前に比べればすごい進歩だと思う。

 牛歩でも進めればいつか目的地に辿り着けるのだ。多分。


「……で、相変わらずコーヒーにコーヒゼリーなんだね」

「まあね。変かな?」

「へ、変ではないと思うけど……なんていうか、瑠璃っぽいなぁ、みたいな感じ?」

「何それ。それを言ったら、甘いものに甘いもの合わせてるのは心望らしいよね」

「それ、私が子供っぽいって言いたいの?」

「あはは、どうだろうね。別に私はいいと思うよ。こういうのは無理するものじゃないと思うし」

「……なーんか引っかかるけど。いつか私もコーヒーを美味しく飲めるようになって、コーヒーにコーヒゼリー合わせるし!」

「……ふふ。頑張れー」


 本物の恋人になろうという口約束だけで、全てが変わるわけではない。

 私は最近それを痛感していた。前よりは二人でいる時に柔らかい雰囲気になりやすくなったとは思うけれど。


 でも、偽の恋人だった頃から私たちはデートもキスもしていたし、なんなら体も触られているし。


 本物と偽物の差は心にある。だけど私たちの心はまだ本物には程遠い。

 少なくとも私はあの日彼女に対する恋心を自覚して、本物になりたいと願った。


 でもなぁ、と思う。

 瑠璃の方は前と全然変わらない。相変わらず唐突に変なことをしたりするし、私のことはからかってくるし。


 私に恋してるって感じではない。

 この私の魅力であっと言わせてやりたいというか、なんとしても好きだと言わせてやるという気概はあるものの、それが難しいから色々と困っている。


 そもそも人は人のどんなところを好きになるのか。

 どうすれば恋心を抱かせられるのか。


 私自身彼女のことをいつの間にか好きになっていたから、それがよくわからない。初恋だし。


「……はぁ」

「心望、どうしたの?」

「なんでもない。人生色々ままならないなぁって思っただけ」

「……?」


 瑠璃は不思議そうに首を傾げた。

 それを見て私は、もう一度ため息をついた。





 絵本カフェに寄った後、私たちは本屋を少しだけ見て回って別れた。

 最近私は新連載の漫画にハマっていて、その最新巻がちょうど買えたからテンションが上がっていた。


 別れ際彼女にいつものようにキスされたことも、私のテンションを上げる一つの要因ではあるけれど。


 彼女のキスにはもう慣れている。それに、好きって言いながらキスできないとなんの意味もないよな、とも思うし。


「……うーん」


 新しく買った漫画を読みながら瑠璃について考えるうちに、すっかり夜も更けてきている。


 相変わらず私は少女漫画を読んできゅんとできるような人間ではあるのだが、現実できゅんとするようなシチュエーションなんてそうそうないもので。


 瑠璃を好きになる前よりも、好きになってからの方がため息の数が増えている。


 これっていいことなのかなぁと思いながらも、好きって気持ちを止めることはできないわけで。


 結局私は色んな気持ちで茹だった頭を冷ますようにごろごろとベッドの上で転がるしかなかった。


「そういえば、あれってまだ読んでなかったっけ」


 そうしていると、ふと。

 随分前に瑠璃と交換して、返ってきた漫画をまだ読んでいないことを思い出す。


 瑠璃は「卒業するまで読まずにいれば」なんて言っていたけれど、流石にそろそろ読まないとな、と思う。


 つい最近最新巻も発売されたし、読んでおかないと続きが買えない。

 私は机の隅に置かれたビニール袋を手に取った。


 ちょっと埃をかぶってしまっているが、中の本は綺麗だ。

 私は袋の中から漫画を取り出して、それを静かに捲り始めた。


 あの日買った漫画は一冊ではなく何冊かあるのだが、多分日付が変わるまでには読み切れると思う。まだ夜の11時くらいだし。


「……あれ?」


 読み進めていると、主人公がスポーツをしている男の子の姿を見てドキドキするシーンが目に入る。


 まさかと思いながらもう一冊を読んでみると「今日は帰したくない」なんて台詞が出てきた。


 前に似たようなこと、あったよなと思う。あの日、瑠璃はなぜか私をバスケに誘ってきて、それで帰りに、私に「帰したくない」なんて言ってきていた。


 あの日の最後、彼女はどこか変な様子だったし、顔が赤くなっているように見えた。


 もしかして、漫画の真似をしたのに私が全然気づかなかったから、恥ずかしかったとか?


 というかどうして漫画の真似なんてしたんだろう。それをしたら楽しいと思ったのだろうか。


 うーん。

 あの日の彼女について考えていると、スマホが震え出す。

 そういえば、今日はまだ電話がかかってきていなかった。


 最近も朝晩の連絡はほぼ必ずと言っていいほどしていて、電話がかかってこないと違和感を抱いてしまうようになっていた。


「もしもし?」

「もしもし、心望。元気?」

「元気元気。今漫画読んでた。前に瑠璃に貸したやつ」

「あ、ついに読んだんだ」

「うん。もしかしてだけど、前にバスケしたのって、漫画と同じシチュエーションに憧れたからだったり?」

「どうかな。そこはご想像にお任せするよ」


 微妙に声色がいつもより変な気がする。


「ふーん。じゃあ、漫画と同じことがしたかったんだって思っとく。……これからも、したいことがあるなら私になんでもしてくれていいよ! 私の方がお姉さんだからね! どーんと受け止めてあげる!」

「前は受け止めてあげないとか言ってたのに」

「前は前。今は今。明日は明日の風が吹くってことで!」

「……うーん。なんか違う気がするけど。ていうか、心望って誕生日4月5日だよね」

「そうだよ! 莉果よりも雪凪よりも早いから、私が一番お姉さん! どうせ瑠璃も私より誕生日後でしょ?」

「……ふふ」


 瑠璃は妙な笑い方をする。

 まさか?


 いやいや、そんな。今まで私より誕生日が早い人間になんて出会ったことがない。瑠璃の誕生日は知らないけど、絶対私の方がお姉さんのはず。


 これで誕生日まで彼女に負けてしまったら、可愛いことと一緒にいると楽しいって言われることと元気さくらいしか取り柄がなくなってしまうではないか。


 ……おや?

 なんだ。長所が多いから問題にはならないではないか。流石私である。

 じゃなくて。


「え、いつ? 3日? 4日? それとも、もしかして私と同じ5日?」

「今日だよ」

「……は?」


 今日?

 今日って、何?

 え、今日って今日!?


「え、ちょ、なんでデートしてた時に言わないの!?」

「あはは、その反応を期待してたから?」

「はあぁ!? ばっ、プレゼントとか何も用意してないよ!?」

「そっかそっか。残念だなー」


 彼女はくすくす笑いながら言う。

 私は部屋の時計に目を向けた。


 まだ今日が終わるまでには時間がある。

 私は立ち上がって、上着を羽織った。


 今まで彼女の誕生日を知らなかったから、お祝いをするのはこれが初めてになる。そして、最後になるかもしれないのだ。


 なら、電話でおめでとうと言うだけじゃ足りない。

 絶対に顔を合わせておめでとうって言いたい。明日じゃ駄目だ。今日会って、ちゃんとお祝いをしたい。プレゼントはこの時間じゃ買えないけど。


 私は財布と鍵だけ持って家を飛び出した。

 瑠璃の馬鹿。私を驚かせるっていったって、こんな時間に誕生日だって明かすとか、心臓に悪すぎる。


 唐突だ。本当に、唐突すぎて。

 いつもいつも私は振り回されている。


「瑠璃! 十二時まで寝ちゃ駄目だから!」

「うん? どうしたの?」

「いいから! 絶対起きてること! いいね!」

「……いいけど」


 小走りになっていた私は、さらに速度を上げていく。

 馬鹿。


 瑠璃は、ほんとに。私が今どんな気持ちで瑠璃と一緒にいるかなんて知る由もないんだろう。


 私だって、自分でも驚くくらい彼女のことを思っている。彼女のことが好きになっている。


 だからこんなに必死になって、駅に向かって走っているんだ。

 私もきっと、どうしようもないくらい馬鹿なのだろう。

 でも、今はそれでいいと思った。

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