第17話

「はい、飲み物買ってきた。レモンスカッシュでいいでしょ」

「あ、うん。国光はまたコーヒーなんだ。眠れなくならない?」

「大丈夫、慣れてるから」


 カフェインに慣れなんてあるんだろうか。いや、国光が言うならあるのかもしれないけれど。


 私たちは一度遊具から降りて、ベンチに座っていた。

 結局あの後国光はしばらく私のことを抱きしめていたが、やがて我に帰ったように私から離れた。


 そして、今。

 私たちは肩と肩が触れ合うような距離でベンチに座っている。


 近づいて離れて、また近づいて。

 なんとも忙しい夜である。


「もしかして、小日向が寝てなかったのって、コーヒーが原因?」

「……ち、違いますけど?」

「ぷっ。やっぱりお子ちゃまだ。あれくらいの量で眠れなくなるとか」

「む、むむむ」


 勘違いしてもらったら困る。

 国光に淹れてもらったコーヒー程度で眠れなくなるほど私はカフェインに弱くない。


 ていうか、馬鹿にしすぎ。お子ちゃまな私に抱きついてきたのはどこの誰でしたかね。

 言いふらすぞ、クラスの皆に。色々と。


「朝も昼もコーヒーたくさん飲んだから寝れなくなっただけだし! あのくらいで眠れなくなるわけないでしょ! こちとら全部で二リットルは飲んでますから!」

「なんでそんなに飲んでんの」


 呆れられている。

 もしかして変人だと思われてる?

 だとしたら心外だ。


「誰かさんのせいだから」

「小日向の自業自得でしょ?」

「国光のせいだし」

「え、どうして?」


 私はペットボトルのキャップを開けて、レモンスカッシュを口にした。

 やっぱり飲み物は甘い方がいいに決まっている。苦くて酸っぱい飲み物なんてわけがわからない。


 いかに友達でも、コーヒーが好きってところだけは理解できない。

 理解できないからこそ、理解したいんだけど。


「もしかして、コーヒー飲む訓練してた?」


 はい正解でございます。

 図星をつかれた私は一瞬、何も言えなくなってしまった。その反応で、国光には私の本心が伝わってしまったらしい。


 必死になってコーヒー美味しいねーなんて言っていたのが馬鹿みたいじゃないか。絶対からかわれる。こういう時、国光は笑ってくるんだってわかってるし。


 あーあーいいですとも。

 どうせ私は馬鹿ですとも。見栄っ張りで意地っ張りで子供ですとも。

 気が済むまで笑うがいい。止めはしない。


「あはは。何? コーヒー苦手って言ったら、私に馬鹿にされると思ったの?」

「……違うし」


 私はそっぽを向いた。

 国光のにやけ面を見ないようにして、レモンスカッシュを一口飲む。


 静かな公園に響く炭酸の音は、どこか潮騒にも似ている気がした。

 今年は海かプールにでも行こうかな、と少し思う。


「そんなくだらない理由じゃなくて。ただ、私は。……好きな人の好きなものを、一緒に好きになりたかっただけ」

「えっ」

「国光がコーヒー好きなら、私も好きになりたい。一緒に好きって気持ちを共有できたら、そっちの方が楽しいじゃん。笑うなら笑えばいいよ。どうせ私は見栄だけで生きてますとも」

「……私、小日向の好きな人なの?」

「好きじゃなかったら、友達なんてやってない」

「ああ、そういう……」


 私はレモンスカッシュを飲み切って、立ち上がろうとした。

 でも国光に腕を掴まれたから、思わずそっちの方を見る。

 国光は私をじっと見ていた。その顔は笑っているけれど、馬鹿にした感じではない。


「小日向がコーヒー苦手なの、デートした時に気づいてたよ。でも、見栄っ張りだからそう言えないんだと思ってた」

「……初めてのお外デートが嫌な思い出になるの、やだし。それもあるから、コーヒー好きって言ったんだよ」

「で、嘘をほんとにするためにもコーヒーをたくさん飲んでた、と」

「……」

「偉いね、小日向は」


 国光に頭を撫でられる。

 子供か私は。

 同い年の国光にえらいねーなんて言われて喜ぶほど私は単純じゃない。


「小日向はほんと、まっすぐだよね。そういうところ結構好きだよ」

「私は国光のそういうところ、嫌い。絶対私のこと、馬鹿にしてるし」

「してないしてない。拗ねないでよ、もう」


 会話が止まる。

 私たちはなんとなく各々飲み物を飲んで、空を見上げた。光に満ちている街を見下ろす空は、驚くほどに漆黒だ。


 高いところから街を見下ろせばキラキラなのに、街から空を見上げてもそこにキラキラはない。それがなんだか、寂しいような気もする。


 だけど、たとえキラキラしたものが見られなくても。こうして友達と肩を並べて一緒にいられるだけで、心が穏やかになるから。だから、それでいいのかなとは思う。

 国光がどうかは、わかんないけど。


「私ね。結構寂しがりなんだ」


 不意に、国光が言う。

 私は首を傾げた。


「国光が?」

「うん。楽しいことは大好きだし、これから先も楽しく生きられればいいなー、とは思ってるんだけどね」


 国光の方を見ると、彼女も私を見ていた。

 明るい茶色の瞳が、暗い夜の中でやけに眩しかった。


「でもふとしたときに、寂しくなるし不安になる。本当に楽しいだけでいいのかな、とか、皆はどう思ってるんだろう、とか」


 少しだけ、驚く。

 国光にもそういう、思春期っぽい悩みがあるんだ。


 またちょっとだけ、国光を近くに感じられるようになった気がする。いつも楽しそうにしているけれど、国光だって人間なのだ。


 悩むことくらいそりゃあるよな、と思う。

 安心するって言ったら変かもだけど、でも、ちょっと安心した。

 国光はやっぱり、決して遠い人じゃない。


「だからさっき、小日向に会いに行ったの」

「……寂しいからって、ベタベタ触っていいわけじゃないからね?」

「いいじゃん、恋人なんだし」

「む」


 確かに。

 恋人同士ならちょっとくらい触ってもいいのか?

 いや、でもなぁ。恋人は恋人でも、偽物のではあるんだけど。


「一人になるとね。色んなこと考えちゃってぶわーっと不安になるんだ」

「……そっか」


 国光の弱音って、初めて聞いた気がする。

 莉果とか雪凪は結構愚痴とか弱音を吐くけど、国光は全然なんだよなぁ。


 すごい仲がいいってわけじゃないからか、そもそも国光は人にそういうことを言わないタイプの人間なのか。


 その辺不明だけど、今国光が私に本心を吐露してくれたのは確かだ。

 それが嬉しいし、力になってあげたいとも思う。


「じゃあ、私に頼っていいよ!」

「……小日向に?」

「そ。国光が寂しいときは、いつでも付き合ってあげる! 電話したいならしてきていいし、メッセージだってすぐ返すし。恋人ならそれくらい当然でしょ?」

「でも小日向、夜すぐ寝ちゃうじゃん。この前なんて通話してるのに三分で寝てたし」

「うっ」

「見栄っ張りだし、威張ってるくせに人見知りだから頼り甲斐がないし」

「うぅ」

「励まし方も下手だよね。私じゃなかったら、遊具で遊んだくらいじゃ元気になれないよ」

「うううぅ……!」


 そこまで言うか。

 なんだ、もしかして国光は私のことが嫌いなのか。さっき好きだとか言ったのは上げて落とすための布石?


 恋人なのに。偽でも恋人なのに。なぜこんなに優しくない国光がモテるんだろう。絶対おかしい。


 私の方がモテるべきなのでは?

 やっぱりこの世界は狂っている。


「そ、そんなこと言うならいいし! 既読無視もするし話なんて聞いてあげない!」

「いや、ほんとそういうとこだと思うけどね」

「ええいうるさい! 国光なんて——」


 言い切る前に、言葉が止まる。

 国光の唇が、私の唇に触れたからだ。


 触れ合うだけの優しいキスだった。微かに感じるコーヒーの匂いに、とろけるような柔らかさ。


 今国光とキスしてるんだなぁ、ってなる。

 感じられるものは全部国光だ。


 触れ合う感触に、与えられる熱や匂いに国光らしさを感じられるようになる程度には、長い時間を国光と共に過ごしてきた。

 だからキスをするのにも、慣れてきている。


「覚えときなよ。私、結構単純だから。小日向とキスするの好きだし、キスしてくれたら多分、機嫌良くなるよ」

「嘘でしょそれ」

「今キスしたのが、答えだと思うけど?」


 国光はそう言って笑う。

 その笑みは、私が一番綺麗だと思っている笑みだった。

 む、となる。


「コントロールしてよ、小日向。私が寂しくならないように」


 国光はそのまま立ち上がる。

 軽やかな足取りで歩き出す彼女は、さっきよりもずっと機嫌が良くなっているようだった。


 あながち嘘じゃないかも、と思う。

 でもなぁ。

 国光のこと、わかったようなやっぱりわからないような。


「ほら、置いてくよ。私より先に家帰れなかったら、罰ゲームだから」

「え」

「何してもらおっかなー。裸踊りとか?」

「ちょ」

「じゃ、また後でねー」

「ま、待てぇ!」


 国光はさっさと走り出す。

 やっぱ全部嘘だろう、この女。


 私に恐ろしい罰ゲームをやらせるために色々してきたに違いない。

 ええい、誰が裸踊りなんてするか。むしろ国光にやらせてやる。

 私は立ち上がって、走り出した。


 国光の足は速かったけれど、追いつけないほどじゃない。接戦を演じているのか。舐めるな。


「やっぱり私、国光のこと大嫌いだから! 二度と連絡してこないで!」


 叫んでみるけれど、国光は笑うだけだった。

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