第19話 百年
劇場を出たら、太陽は高く、お昼時だった。
順当に行けば四人で食事を……と言いたいところだったけれど、エリズはまだ泣きやまない。
エリズが精霊様であることは秘密にしているので、少し二人で話した方がいいかな。
「ごめん、エリズと少し二人で話してくる。先にどこかお店に行っててもいいけど……」
「待ちますよ。ゆっくり話してきてくださいな」
「そうだね。急いでも焦ってもいない。ゆっくり話してきてくれ」
「……ありがとう。じゃあ、エリズ、こっちへ」
「……はい」
エリズの手を引いて、劇場近くの路地裏へ。人通りはなく、かといって陰気な雰囲気があるわけでもないので、落ち着いて話ができそう。
「えっと……エリズ。泣かないでよなんて、あんまり気軽には言えないかもだけど……」
エリズが泣いている理由は色々あると思う。そのうちの一つは、いつか来る私との別れを想像したから……かな。
順当にいけば、私はエリズを残して死んでしまう立場。泣かせるのは私なのに、泣かないで、などと言うのは気が引ける。
「……ごめんなさい。演劇を観て、色々と考えてしまいました。ヴィーシャさんとの、お別れも」
「……うん」
エリズの涙はとまらない。
「私にできること、何かある?」
「ちょっと、抱きついてもいいですか?」
「……まぁ、いいよ」
エリズがすがりつくように私に抱きついてくる。その体は雨に濡れた子犬のように震えていた。
その体を温めようと、ぎゅっと抱きしめ返す。
「……初めて観る演劇としては、刺激が強すぎたね」
エリズの返事はない。子供をあやすように、背中を軽く叩く。
しばらく泣いていたエリズだけれど、次第に落ち着きを取り戻す。私に抱きつくのをやめ、一人で立ちながら、言葉を紡ぐ。
「……ヴィーシャさん。一つ、お伝えしていなかったことがあるのです。伝えずに、しれっと過ごそうかとも思っていたのですが……」
「うん? 何?」
「ウンディーネは、人の子を産むと、死にます」
「……は?」
え、人の子を産むと死ぬ? つまり、私の子供を産むと死ぬって?
「待って待って。なんでそんな大事なこと黙ってるのさ。そんなことなら、私たちの子供なんて……」
産ませられないよ、と続ける前に、エリズの指先が私の唇を押さえた。
「ごめんなさい。誤解を与えてしまう言い方をしました。正確には、寿命が縮みます」
「……どれくらい?」
「子供を産まずに生きれば千年程度生きるところ、一人産めば五百年、二人産めば百年程度の寿命になります。三人目は産めません」
「……それは、自分の生命力を子供にあげちゃう、みたいな感じ?」
「そうですね。精霊同士の子供だと、そういうことはないのですが」
「……なるほど」
「それでも、わたし、ヴィーシャさんと子供を二人作りたいです」
「……そうすると、私と同じくらいの寿命になるわけか」
「はい」
「そして、私がいない世界で、エリズが長々と生きることはなくなる」
「はい」
「……なんで、黙っていようと思ったの?」
「ヴィーシャさん、わたしの寿命を削るようなこと、したくないと言い出すかもと思いまして」
「まぁ、そうだね。エリズの寿命を削りたくなんてないよ」
「けど、ヴィーシャさんがわたしの寿命を削ってくれないのなら、わたしはヴィーシャさんのいない寂しい世界を生き続けることになります。わたしの寿命を削るより、酷いことです」
「……でも、生き続けていれば、また新しい出会いがあるかもしれないよ? ルジェみたいに」
「いりません。わたしは、ヴィーシャさんだけを愛して死にたいです」
「……なんでさ。私たち、まだ出会ったばっかりでしょうが」
「魂が惹かれているのです」
「……魂、ね」
「論理的で、誰でも納得できる説明はできません」
「……そ。まぁ、私としても悩ましいところだよ。いつか、万一、私たちがそういうことになったとして。エリズを残していくのは気が引ける。でも……エリズの寿命を九百年も削るなんて……」
「人族は百年の寿命で満足して死んでいくのです。私の寿命が九百年縮んだとして、何も問題はありません」
そんなもんかな?
私は元々人族でしかなく、千年を生きる想像なんてしたことがないから、エリズの言葉の妥当性がいまいちわからない。
「……そうかもしれないね」
「だから。わたしに、ヴィーシャさんの子供を二人、産ませてください」
「……すぐには答えられないよ。保留にさせて。ちゃんと考えるから」
「わかりました。わたしとしても、今すぐ子供が欲しいとは言いません。まだ二人だけのイチャイチャを楽しみたいです」
「……私はイチャイチャしてるつもりはない」
「まだそんなことを言うんですね。こうしてわたしを
「それはエリズとゆっくり話をするためでしょうが!」
「わたし、皆に見られててもいいんですよ?」
「全然良くないし、そもそも私の話を聞きなさい!」
「キス、しませんか? 誰も見てませんよ?」
「しない! なんでいきなりそんな話になるのさ!」
「ヴィーシャさんがわたしのことを思いやって行動してくださったのが嬉しかったんです。キスしたくなっちゃいました」
「……私は、別にエリズに恋とかしてないから。そこんとこ、勘違いしないでよね。っていうか、落ち着いたならもう行くよ。ほら」
手を引くと、エリズは大人しくついてくる。
「ヴィーシャさん」
「……何?」
「ヴィーシャさんがいつもわたしに優しいから、わたしはどんどんヴィーシャさんを好きになってしまうんですからね? 責任、取ってくださいよ?」
「……そんなこと言うなら、優しくするのやめようかな」
「ヴィーシャさんには無理ですよ。ヴィーシャさんは、わたしを突き放すなんてできません。根っからの優しい人ですから」
「……はいはい」
別に優しくないよ。
優しくしようと思うのは、大切にしたいと思う相手だけ。
なんてことをちらっと考えて、これは余計にエリズを調子づかせてしまう気がしたのでやめた。
……エリズのことは嫌いじゃない。こんないい子、嫌いになるわけもない。
でも、それだけ。
うんうん。それだけそれだけ。
……全く、誰に言い訳しているんだか。
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