第5話 パンと米 【前編】

「ご主人。なんじゃその樽は?」


 と、小首を傾げたのは神獣グランデウスの化身グラである。

 齢千年を超えるそうだが、誰が見ても10歳くらいの少女に見えるだろう。


 俺は蓋の上に乗っている石を除けた。

 

「ふふふ。麹が上手く作れなくてね。時間がかかったんだ」


「コウジ?」


「昔の人は偉大だよ。稲穂につく胞子の塊に灰を加えたら、麹だけを採取できることを発見したんだからな」


「モキュキュ? 一体なんのことじゃよ??」


「まぁ、詳しく話してもわからないさ」


 とにかく麹さえあれば料理の幅はグンと広がるんだ。

 これが、


「味噌だ」


「ほう。ミソとな。美味いのかの?」


 この世界にも大豆はあった。

 大粒で味の良い物だ。

 それを煮て、柔らかくする。

 ペースト状に潰した後に塩と麹を混ぜて熟成させるんだ。

 10ヶ月以上寝かせると完成する。

 俺はそれをダリシャス王国に来る前から作っていた。


「ふふふ。まずは俺が……。うん。いい味だ」


「我にも舐めさせてくれぇ!」


パクリ。


「なんじゃ、こりゃ、辛い!」


「ははは。そのまま食べる物じゃないさ」


 そこにアミスがやってくる。

 彼女も味噌を舐めた。途端に頬が緩む。


「……うわぁ。辛いけど、芳醇で奥深い味がしますね!」


「だろ?」


「我にはわからん! 美味い米の料理が食いたいのじゃ!」


「ははは。だよな。朝食を作るから待っててくれ」


「おにぎりか? おにぎりかな? ワクワク♡」


 ふふふ。

 それじゃあ、期待に応えるとしようか。

 それに味噌があるからな。

 作るのはこれしかないよな。


 俺が朝食の支度をしていると、1人の男がやってきた。

 60代を目の前にした男は、体中が傷だらけで筋肉質。昔は冒険者として活躍していたらしい。

 名前をダンと言う。村ではみんなが呼び捨てなので俺もそう呼ぶ。チャーミー村では腕の良い大工として有名だった。

 俺が頼んだ内装工事を請け負っている。


「椅子の寸法を計りに来たんだが、来るのが早すぎたか?」


「いや。大丈夫だ。俺たちは、丁度、朝食を食べようと思っていたところだ。気にせずにやってくれ」


「うむ」


 彼は寡黙な男だった。

 無駄な世間話はせず、黙々と仕事だけを熟す。

 彼の過去の話は村人の噂話で聞いた程度である。

 

「そうだダン。よければ朝食を一緒に食べないか?」


「……噂の米料理というやつか?」


「ああ」


「ターマスから話は聞いたさ。さぞや美味いらしいな」


「ははは。いい噂なら良かったさ」


「ご主人の米料理は世界一なのじゃよ。ヌフフ。美味すぎてほっぺた落ちるぞい」

「そうなんです! 稲児さんの作る料理はどれも美味しいんです!」


「やれやれ。みんな似たようなことを言うんだな」


「待っててくれ。直ぐに用意するからさ」


「いらんよ」


「え?」


「俺は食べない」


「……そ、そうか。朝飯は食べて来たんだな」


「ああ。朝食はパンと決まっているからな」


「腹が膨れてるいんじゃ仕方ないな」


「ヌホホ。残念じゃったのう。ご主人の米料理は最高なのに」


 ダンは椅子の採寸をしながら、


「腹は空いてるさ。パンは腹持ちが悪いからな」


「なんじゃ! この強がりめ! だったらご主人に甘えればよかろう!」


「遠慮はしないでくれ。店はオープンしてないし、綺麗な内装を作ってくれてるんだ。金なんかとらないからさ」


 ダンは手を止めず、


「そういうことじゃないさ」


「何か気になることでもあるのか?」


「朝はパンと決まっている」


 ふぅむ。

 パン派か。それなら仕方ないか。


「ヌフフ。お主は頭が硬いのう。せっかくご主人がおにぎりを握ってくれているというのにぃ」


「お嬢ちゃん。そういうことじゃないんだ」


「何が違うんじゃよ?」


「朝はパンを食べて、仕事をする。これは決まっていることなんだ」


「はぁ?」


「パンを食べ、掃除をして、木を削る。それが大工の朝のルーティンだ」


「はぁ?? なんじゃそりゃ?」


「職人になればわかるさ」


 なるほど。

 職人と来たか。

 俺も朝は掃除から始めるからな。


「でも、朝飯は自由に食べたいな」


「…………」


「美味しい食事の方が仕事にも身が入るさ」


「ふん。まぁ、若い者にはわからんさ」


 いや、35歳だから、若くはないんだが……。


「美味い料理は仕事の効率が上がるんだぞ?」


「……ほう。だったら尚更パンだな」


「君は米を食べたことがないじゃないか」


「ああ、ない。だがわかるさ。朝はパンにバターだ。チーズやジャムでもダメ。バターと決まっている。バターこそが最高なんだ。飲み物はコーヒーだな。頭が冴える最高の飲み物だ。パンにバター、そしてコーヒーだ。これが朝食としては完璧なのさ」


 なるほど。

 完璧と来ましたか。


「だったら、そこに米の食事も加えてもらいたいな」


「そんな隙はないよ」


「俺は新しい主食を広めたいと思っているんだ」


「ほぉ。随分とデカいこと言う……。米田よ。お前は女王からこの場所を与えられたらしいがな。良い気になるなよ」


「なんだと?」


「俺からすればお前なんか若造だ。パンに代わる主食なんぞ、存在するはずがなかろう」

  

「食べてもないのに判断するのはやめてくれ」


「……ほぉ。ならば食べてやろう。ただし、パンに代わる主食だと認められなかった場合は、この仕事を降りさせてもらうからな」


 やれやれ。

 なんだか怪しい剣幕になってきたな。


 この言葉に反応したのはアミスだった。


「それは困ります! ダンさんは村でも1番の大工なんですよ! 稲児さんの店にとって、ダンさんが内装を手がけることが1番いいんです! だから、やめるなんて言わないでください!」


「嬢ちゃん。それはできないな。これは男と男の勝負なんだ」


「で、でもぉ……」


「米が主食にならないと判断した場合。米田。お前の仕事は金輪際、断らせてもらう」


「えええええええええええええええ!」

「おい! おっさん! それはないじゃろう!」


「どうする米田。女、子供の言うことを聞くのか? それとも俺の勝負を受けるのか?」


 やれやれ。

 勝負と来たか。


「じゃあ、俺が勝ったらどうするんだ?」


「……そうだな。米がパンに代わる主食になることを認めてやろう。その上で、施工費を無料にしてやるよ」


「ふっ。大きく出たな」


「お前は料理人としてのプライドを賭ける。俺も相応のものを賭けよう」


 職人同士の勝負か。

 悪くない。


「受けよう。その勝負」


「ふっ。後悔するぞ若造」


 俺は料理を用意した。

 1枚の皿と1枚の椀。

 皿の上にはおにぎりが2個。


「ほぉ。白いな。これが米か」


「サンドイッチみたいにさ。手で持って食べてくれ」


「ふむ……」


 と、しばらく手に持って見つめる。

 そして、1口齧った。


「モグモグ……。僅かな塩気……。なるほどこれが米か。柔らかくふっくらとしている。パンにはない食感だ。そして……噛むほどにほんのりと甘い」


 食べ進む。


「ほぉ……。中には焼き魚が入っているのか……。これは……。トーラウティだな。米との相性は抜群だな」


 さぁ、どうだ?

 ダンの口に合うか?


「……うむ。確かに美味いな」


 よし。

 

「やりました! これで稲児さんの勝利です!」

「イヤッホーーなのじゃーー!」


 ダンは目を細める。


「だが、パンの方が上だな」


 ほぉ……。


「おい、おっさん!」

「ど、どういうことですか!? さっきは美味しいって言ったじゃないですか!」


「ああ言った。だがな、やはりパンの方が上なんだ。パンにバター。これがベストなんだよ」


「おっさん、それはないじゃろう! 結局好みの問題じゃろうが!!」


「ああ、そうだな。俺の好みだ。だがな、俺は事前に言っておいたはずだぞ。パンにはチーズでもジャムでもないってな。バターが最高なんだよ」


 なるほどな。


「じゃあな米田。金輪際、お前の仕事は受けないからな。村であっても話しかけてくるなよ」


 おいおい。

 そんな冷たいことを言うなよ。

 俺はそんな関係を望んでいないのだからな。


「待ってくれ」


「……見苦しいぞ。これは男と男の……。いや、職人と職人の勝負だったはずだ」


「ああ。だが、勝負はまだ終わってないさ」


「なんだと?」


「俺の作ったおにぎりはもう1つ残っている」


「だから、それがなんだというんだ?」


「そのおにぎりを食べてから判断してくれ、と言っているのさ」





────────


次回予告。

みなさんこんにちは、アミスです。

大工のダンさんはとても腕の良い職人です。

でも、頑固で気難しい人なのかもしれません。

この勝負に負けたら内装の仕事は断られてしまいます。

しかも、金輪際、口を利かなくなるそうです。


稲児さん大丈夫?

本当にそのおにぎりでダンさんに勝てるの?


「俺のおにぎりを食べてから判断してくれ」


次回、異世界米料理。

パンと米【後編】

お楽しみに!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る