人生のフィナーレにこの花束を

藍条森也

あなたへ贈る花束

 ――この建物もいよいよ終わりか。

 その歳老いた人物は長年の間、人生を共にした建物を見上げながらそう思った。

 この建物と共に、かのの孤児院院長としての人生もまた終わる。

 子供たちの救済。

 まさに、その一事に捧げた人生だった。

 自分自身、孤児であり、施設で育ったかの人は幼い頃から苦労に苦労を重ねてきた。劣悪な施設、施設内のいじめ、社会に出てからの差別……。

 ありとあらゆる苦難を味わうなかでひとつの目的をもつようになった。

 ――もう誰にも自分のような惨めな思いは味あわせない。すべての子供が幸せになれる施設を作ってみせる。

 その目的のもと、がむしゃらに働いた。会社勤めのかたわら、副業やアルバイトを幾つもこなした。そうして必死に金を貯め、会社を早期退職して孤児院を設立した。

 以来三〇年。

 孤児だけではなく、虐待や育児放棄された子供たちも引き取り、育ててきた。

 しかし、それももう終わりだ。この歳老いた体ではもう子供たちを育てていくことは出来ない。孤児院も、かの人の体と同じくすっかりくたびれ、朽ちかけている。

 ――子供たちの慰めのために。

 そう思い、丹精込めて育ててきた花壇もいまでは見る影もない。

 いつからだろう。花を育てる体力さえなくなったのは。

 ――自分は望み通りのことが出来たのだろうか。引き取った子供たちを幸せにしてやれたのだろうか。

 そう自問する。

 そうすればするほど、深い疑いを抱かざるを得なかった。

 孤児院を作る。

 そう言ったとき、家族はあきれ果て、かの人のもとを去った。

 かの人はたったひとり、爪に火を灯すようにして貯めた金を使って孤児院を建てた。しかし――。

 現実は厳しいものだった。

 孤児院の運営は常にギリギリだった。

 かの人は子供たちの食費のために身を粉にして働かなければならなかった。

 それはいい。子供たちを幸せにするために働くのはちっとも苦ではなかった。むしろ、喜びだった。しかし、いくら必死に働いてもたったひとりの稼ぎでは何十人という子供たちの食費を賄うなど無理な話だった。

 助成金を申請し、寄付を願い、借金を重ねた。

 そうして、何とか運営してきた。

 何十人という子供がこの孤児院から巣立っていった。

 しかし――。

 ――あの子たちはここにいて本当に幸せだったのか? 誕生日プレゼントひとつ、満足に与えてやれなかったじゃないか。クリスマスのお祝いも善意の寄付頼みだったじゃないか。こんな甲斐性なしのもとではなく、もっといい暮らしの出来る場所に出会っていたら……。

 かの人は首を振った。

 いまさら、そんなことを思っても詮ないことだ。

 自分は歳をとり、孤児院は人手に渡った。残ったものは運営のために重ねた借金だけ。

 ――こんな古い建物にこんな値がつくとはねえ。

 売却を依頼した不動産業者がそう首をひねるぐらい高い値がついたおかげで、あちこちの借金だけは返せたのがせめてもの救いか。借りた金も返せずに人生を終えるのはやはり、気にかかる。

 明日からはこの建物の改修工事がはじまる。

 ――こんな古い建物、解体した方が早いだろうに。わざわざ改修して残そうなんて、物好きもいるもんだ。

 業者はそんなことを言っていた。

 孤児院が孤児院である最後の日。

 自分自身の人生の終わりを見届けるためにやってきた。

 それも、もういい。

 すべてはすんだ。

 明日からは住む場所もない暮らしがはじまる……。

 かの人はその場を去ろうとした。そのとき――。

 「先生」

 声がした。

 ふと、振り向くと何十人という人々が立っていた。

 「……みんな」

 かの人は呟いた。

 その人々のことはひとり残らず、覚えていた。全員、自分の孤児院から巣立っていった卒業生たちだ。その全員が小学生ぐらいの小さな子供を連れていた。

 「先生」

 代表らしいひとりが声をかけた。

 「見てください。この子は私の子です。名前は百合ゆり。こちらの子は桔梗ききょう、それに、カンナ、さくら、菊花きっか、朝顔と書いて『あさか』……」

 次々と紹介されていく花の名前をもつ子供たち。

 「本当に偶然なんですけど私たちみんな、自分の子供に花の名前を付けていたんです。先生が私たちのために大切に育ててくれていた花々の名前を」

 花の名前の子供たちが院長を取り囲む。院長は戸惑った様子でそのありさまを見つめていた。

 卒業生の代表が言った。

 「先生。あなたは私たちの素晴らしい親でした。これからは、この子たちの大親おおおやとして過ごしてください。思い出のこのホームで」

 「し、しかし、このホームはもう人手に……」

 「このホームを買い取ったのは私たちです」

 「なっ……⁉」

 「私たち全員で資金を出し合い、買い取ったんです。先生に育てていただいたおかげで私たちは道を誤ることもなく、こうして立派なおとなとなることができました。そのことを伝えるために、先生に恩返しするために、そして、私たち自身の故郷を残すために、このホームを買い取ったんです。先生。いままで本当にお疲れさまでした。これからは孤児院の院長としてではなく、どうか、私たちの親として過ごしてください」

 孤児院の卒業生たちが、その子である花の名前の子供たちが、院長のまわりを十重二十重に取り囲む。

 それは、孤児院院長としての人生のフィナーレを飾る、生涯最高の花束だった。

                  完

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人生のフィナーレにこの花束を 藍条森也 @1316826612

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ