第5話 1月2日の大逆転

トイレ行ってくるわ。

春海はそう言い残して、一旦休憩に入った炬燵部屋を後にした。

明確な終わりがないため、誰かにもう一度借りて続けることもできたが、春海はそんな気分になれなかった。

廊下に電気は点いていたが、関節照明のようなものでほんのり暗い。

見えないわけでもないのに、春海はトボトボ歩くのだった。

少しして向こうから誰かが歩いてくるのが見える。

数時間前に別れたはずの菜月だった。


「あれぇ……お前、まだ起きとったんか!」


「…ハルミちゃん!」


菜月は若干眠そうな目をしていたが、声ははっきりしていた。

勉強が終わった高校生の桜子さくらこと、先ほどまで話し込んでいたのだという。


「ほんで喉乾いたからちょっと台所までな。ハルミちゃんは……なんかさっきより疲れてへん?」


「……い、いいや?別に?………ははっ…やっぱりちょっとしんどいかも」


「オトナは大変なんやなぁ……」


「……うん‥‥……」


春海はなんとなくトイレには向かわず、菜月の後について台所までついていき、何も口にすることなく、また元の廊下まで戻て来ていた。


「ついてきてくれてありがとう。ハルミちゃんは、またコタツ部屋?」


「…う――ん、一応な。ほんでも…どうも運が悪いんか実力が無いんか……やっぱり俺は今年もあかんみたいやからもう寝ようかなぁ……」


「‥‥…」


春海は言った後ではっとした。

子ども相手に何を言っているのだろう。

なんでもないごめんなぁと謝ろうとした時、不意に前を行く菜月が立ち止まった。


「‥‥…ハルミちゃん、ちょっとしゃがんでくれへん?」


「なんや?どないしたん?」


「ええから!」


「‥‥…こうか?」


状況がまるで飲み込めなかったが、春海は菜月の方を向いて片膝を立てて座った。

突如ふわっとした匂いが流れてきたかと思うと、首回りと頬にほのかな温かみを感じて春海の思考が止まった。

菜月が抱きしめてきたのである。

春海は自分から抱きしめたわけではなかったが、薄暗いのに気が引けた。

突き飛ばすようにして、慌てて菜月を引きはがした。


「な……おまっ、なにすんねんっ!!どないしたんや!」


狼狽する春海に対して菜月はとても落ち着いており、えへへと顔をほんのり赤らめて春海を見上げていた。


「大吉パワーや!」


「‥‥……はぁ?」


「やから、大吉パワーや!ハルミちゃん運勢足りてへんみたいやったから、私の分けてあげよぉ思てな!どう?パワー感じた?」


「菜月……」


春海の中では嬉しさよりも、情けなさが勝っていた。

一回り以上小さい子どもに気を回されたのだ‥‥よほど辛気臭いオーラを放っていたに違いない。

ふっと笑ってよくないなと反省しつつ、春海は菜月の頭をくしゃくしゃにした。


「ありがとうな。やけどお前からは貰われへん。気ィ使わんとさっさと寝なさい!」


なんやもぉおと菜月もじゃれて、うすら寒い廊下で笑い合った。

コタツ部屋に戻る春海の足取りは行きよりも少しだけ軽かった。

大吉パワーというのが本当に存在するのだろうか。


部屋に戻ってくると春が株札をゆっくりシャッフルしていた。


「えらい長いトイレやったなぁ……さぁ、海兄ィのラストゲームや!ほれか、また追加で俺のマッチ貸したろか?」


藤時がそういって笑ったが、春海も少し笑っただけでその申し出を断った。

今までにはなかった清楚な気持ちで、配られてくる札を静かに待ってその後ゆっくりと裏返した。


10と10か‥‥…足して20ってことは‥………あれ?


「これ‥‥…あああああ――ッッ!!!」


春海が大声を上げたので、その場にいた誰もがぎょっとした。

春海は札を机に叩きつけた。


「見て!これ…『かちかち』や!」


黄金よりも眩しい光を放っているように見える、奇跡の札。

崖っぷちで春海は誰よりも輝いた。


「嘘やん!ここ数年見てへんぞ!」


「私、初めて見ました!」


「しぶといやっちゃなぁ……でもスゴイ運や!」


みんなが驚きながらも沸き立って、祝儀のために財布を取ろうと席を立とうとした。

しかし、それを春が制止した。


「待ちィ……まだ山札が残っとる」


「えっ!?……ほれってまさか……」


実は『かちかち』で勝った場合、山札をさらに1枚めくってそれがさらに10であれば祝儀が2倍になるというルールがあった。

そのため、春だけが一歩も動かずにじっと山札を見つめていた。


「ばぁちゃん、いくらなんでもそれはありえへん!確率的に、かちかちが出るのもすごいのに……まぁ、でもルールやからしゃーないか。海兄ィ、一応引いときや!」


「‥……お、あ、はい‥……」


春海自身も予想外のことでびっくりしてしまい、藤時への返しが変になってしまったがみんなが静かに見守る中そっと山札に手を置いた。


そしてすっと引き抜いて、めんこをやるかのようにまたも叩きつける。


ぺシっという音がしたかと思うと、正月のバカ騒ぎには収まらない、割れんばかりの大歓声が起こった。

誰かが起きてきて苦情を言いに来るのも時間の問題だろう。

それでもなお、コタツ部屋は熱狂の渦に呑まれていた。


そんな中一人だけ唖然としている藤時の方を向いて、春海は新年にふさわしい笑みで‥…しかしいつもの調子でひょいひょいと弟の肩を叩く。


「藤時に借りてた分、返さなあかんな。あ、そうや…後でお年玉やるわ!渡してなかったもんなぁ!」


そして春海は、朝一番に菜月のお年玉も増やしてやろうと心の中で笑うのだった。









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