5話 放送室と部長(9/10)

陸空にとって、一方的に彼女の正体を知っているという事は心苦しいことだった。

これでは公平でないと、自分のことも明かそうと思い立っては、やっぱりもう少し後にしようと思い直す。

毎日がその繰り返しだった。


アキが憧れている空という人物像に対して、今の自分の姿はあまりに釣り合わない。

僕に敬語を使い続けてくれる彼女は、きっと高校生か大学生くらいの人物を想像しているのだろう。僕よりもっと背が高くて大人の男をイメージしているはずだ。それを思う度、今の自分を伝えるのが怖くなった。


そんな風に僕が小さなことでうじうじ悩んでいるからこんな事になったのだと、陸空には自分を責める理由しかなかった。


彼女ならもしかしたら、どんな姿の僕でも、笑って受け入れてくれるんじゃないか。

そんな期待を抱いてしまう度、自分の中で膨らむ勝手な期待を裏切られてしまう事がますます怖くなる。


「会長さん、新堂さん、お待たせしてしまってすみません」

ミモザがパタパタと駆け寄り、録音室とミキサー室を繋ぐ扉を開く。

ミモザは新堂の方を見なかったが、新堂は名前を呼ばれただけで酷く感動していた。

麗音は少し落ち着いたのか、窓際のパイプ椅子に座り直している。

アキ達からの提案は、この件を無かったことにする代わりに、空の声を録音させてくれという内容だった。

「ぼ……僕は……すごくその……、音痴で、歌らしい物は歌えないんだけど……」

真っ赤な顔でコンプレックスを白状した陸空に麗音は「知っている」と答えた。

麗音は陸空と同じクラスになったことはなかったが、それでも気になるほどの音痴だったらしい。

麗音の曲は歌詞のないもので、音声そのものさえ取れれば音程は麗音が調節するので素材として使わせてほしいとのことだった。

陸空は麗音の述べた音声データの用途……生放送での利用には驚いたが、その要求を受け入れた。


「んで俺は? 俺は何したらいーわけ?」

キョロキョロする新堂に、アキが言う。

「あ、新堂さんには会長さんが嫌だって言った時に説得してもらおうと思っただけなので、もう大丈夫です」

「え、俺もう用済みなの?」

「はい」

笑顔で答えたアキが、陸空へ向き直る。

「会長さん、お忙しいところお時間取らせちゃってごめんなさい。あ、生徒会のお仕事滞っちゃいましたか? 私達で手伝えることがあったら何でも言ってくださいね」

いつもと同じ明るい笑顔で言われて、陸空はもやもやする気持ちのまま口を開いてしまう。

「……暁さん達はどうしてここにいたの?」

「えっ?」

陸空に静かに問われて、アキが小さく肩を揺らした。

いつもの甘く優しい低音ボイスに、どことなく凄みが篭っている。

アキは内心冷や汗をかきつつ言い訳を並べた。

「えっと……時期外れではあるんですけど、私達帰宅部なので……、放送部を見学させてもらってました」

「……本当に?」

元々低い陸空の声がもう一段階下がると、どこか恐怖を感じる音に変わる。

アキは内心で会長に謝りつつ、じっとこちらを見つめてくる黒い瞳からなんとか視線を逸らして答えた。

「……ほ、ほんとに……」

アキから視線を逸らされた途端、陸空は息の詰まるような衝撃を受けた。

間違えた。自分はなんて事を言わせてしまったのか。

心に大穴が空いたような、何か大切なものを失ってしまったような感覚だ。

いつだって、真っ直ぐ話しかけてくれる子だった。

僕のもさもさした前髪と黒縁メガネをものともせずに、こちらの目を覗き込んでくる、その明るい表情に励まされていた。

それなのに。まさかこんなに近くで、彼女に視線を逸らされるなんて。

嘘のないまっすぐな彼女に、僕が……嘘をつかせてしまうなんて。


「んなはずないだろ、じゃあなん――」

「新堂は黙ってて」

「……っ」

横槍を入れてくる新堂を黙らせる。

これ以上彼女に嘘なんかつかせたくない。

陸空は慎重に言葉を選んだ。

「何も、怖い思いはしてない……?」

「は、はいっ」

今度は顔を上げてしっかり頷くアキ。

陸空はホッとする表情を隠すことなく見せた。

「……それなら、良かった……」


陸空は踵を返すと放送室の扉へ向かう。

「じゃあ僕はこれで。迷惑をかけて悪かったね。鈴木くん、治療費は遠慮なく新堂に請求して。校内の怪我ということで学校の保険も使えるから、受診前に書類を保健室で受け取っておくといいよ」

扉の前で立ち止まり、必要事項をすらすらと説明した陸空は、振り返らずに部屋を出てゆく。

その後を新堂が追おうとして、扉の前で皆を振り返った。

「鈴木、いきなり殴って本当に悪かった。後からでも殴り返したくなったら遠慮なく声かけてくれよ」

ガバッと頭を下げて、出て行こうとする新堂の後ろ髪をアキが慌てて掴む。

「あ、新堂さんっ」

「うげっ」

「これ絆創膏、よかったらどうぞ」

アキの視線は新堂の右手に注がれている。新堂はその右手で首を押さえた。

「あー。さんきゅな。今、首グキっつったけどな」

「麗音さんの顔はバキってなってますから、おあいこですね」

アキににっこり笑って言われて、新堂が引きつる。

「もしかして俺、明希ちゃんにもしっかり嫌われた感じ?」

「どうでしょうねー? あ、生徒会のお仕事は……」

「ん、こっちは平気だよ、今日は荷出しだけだから。んじゃ、邪魔して悪かったな」

新堂は、言いながら麗音の隣に座るミモザの表情をうかがう。

ミモザは新堂の視線から逃れるように、慌てて隣の麗音に話しかけた。


「あっ、あの、部長さん。頬は明日にかけてもっと腫れてくると思うので……」

アイシングのやり方や傷口の消毒手順を説明するミモザに、麗音は小さく首を傾げる。

「貴女は何故こうも応急処置に詳しいのだ?」

「えっと、母が看護士で父が消防士なんです、それで私も幼い頃から……」

説明しつつ、ミモザがちらと扉を見れば、もうそこに新堂の姿はなかった。

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