第42話 アマリリスの涙


「あ、あの、本当にディル様は平民でいらっしゃる……? シシリアーノ家の方ではない、のですよね?」

「人間の貴族とは関わりがない」

「そうですか。よかった……。クローゼットに隠れる前に、お母様が、絶対にシシリアーノ家は信頼するなと言っていたのです」


 魔王はかすかに顔をしかめる。

 きっとそのシシリアーノとやらが、アマリリスたちを襲うよう手配した張本人なのだろう。


「ディル様は、どんなお仕事をされているんですか」

「……中間管理職、と言っても分からないか。皆をまとめ上げる仕事をしている」


 まさか魔王とは告げられないので、何とか言葉を変えて表現すると、アマリリスは生真面目な顔をして頷いた。


「皆をまとめ上げるのって、大変ですよね。お父様も似たようなお仕事ですが、ベッドで眠れないくらい大変だと聞いています」

「苦労しているんだな」

「失敗ができないお仕事ですから。でも、もしかしたら私もそうなるかもしれなくって」

「父の後を継ぐと?」

「まだ分からないんです。私よりふさわしい人もいっぱいいるし。……だけど、なりたくないな」

「どうして?」


 小さなアマリリスは、大人びた顔で肩をすくめる。


「だって、王様なんてつまんないもん」

「ふはっ」


 魔王は思わず笑ってしまった。アマリリスはまた顔を真っ赤にして、


「わ、笑わないで下さいっ」

「すまない。ああ、だが王様がつまらないというのは事実だ。よく分かっているな」

「大事なお仕事だっていうのは分かってるんです! ……だけど、考えることがいっぱいで、責任も重くって、私じゃ我慢できるか分かりません」

「そうだろうな。俺も我慢できてるか怪しいところがある。上手く皆を導いて行けているのかも分からない」


 魔王は遠い目になる。

 アマリリスが、おずおずと魔王の顔を覗き込んでくる。


「お仕事、大変なんですか」

「……私の仕事は父から継いだものだが、父はそれはそれは暴君でな。色々とやりたい放題やって、多方面から恨みを買っていたんだ」

「それは、良くないことですね」

「だがやりたい放題やれるほど強かったんだ。誰も父に逆らえず、父の独裁は数百年……ああいや、数十年続いた」


 生真面目な顔で頷き、先を促すアマリリス。

 その真摯な態度は、十八歳の頃と変わらず、魔王はなぜかほっとしていた。


「父がとある事情から職位を退き、私がその後釜についたとき。強いから皆を守れていた父がいなくなったことで、皆不安に陥っていた。外の敵は強く、俺たちに敵意を向けるようになっていたし、治安はどんどん悪化していた」

「……」

「その時とても大きな闘争が起こった。皆が怪我をし、大変な状況になった。――それは、俺が皆を導くカリスマ性に欠けるからだ、と責める者たちがいた」

「そんな」

「ずっと思っていたが……実際俺は父に比べて、王の器ではないのだろう」


 そう言った魔王は、驚いたように目を瞬いてから、ため息のようなものを漏らした。

 それから、どこかいたずらっぽい眼差しで、


「これを打ち明けたのはお前が初めてだ。喜べ」

「えっ。ほんとですか」

「今までずっと考えていたことではあった。だが誰にも言えなかった。弱みを見せれば狙われるからな」

「お父様も同じことを言っていました」


 アマリリスは、魔王の秘密を打ち明けられたことが嬉しかったのか、にこにこと笑っている。

 そして彼女は小首を傾げながら、


「私はディル様が王の器ではないとは思いません。人の上に立つためには、自分を顧みない優しさが大事だって、お父様が言っていましたもの。ディル様は優しいです」

「そうか?」

「だって、私を見つけて、声をかけてくれたでしょう。自分一人でどんどん行っても良かったのに。――だから、ディル様は優しくて、王様にふさわしい人だと思います」


 アマリリスはそう言ったあとに首をかしげる。


「あれ、ディル様も王様なんでしたっけ。ちゅうかんかんりしょく? って、王様のことですか?」

「そのようなものだ。お前も苦労するな」


 華奢な背中を軽く叩くと、アマリリスははにかんだ。

 手をつなぐのは子どもっぽいと思ったのだろうか、少し迷ってから魔王の服の裾をきゅっとつかみ、とことことついてくる。

 それが自分に懐いた小動物めいて見えて、魔王は微かに口元を緩めた。


「出口はどこにあるんでしょう」

「さあ。だが歩いていれば見つかるだろう」

「そう、ですよね」


 そう言いながらもアマリリスは、不安そうに後ろを振り返っている。

 魔王はアマリリスの小さな肩を抱き寄せた。アマリリスは抵抗しなかった。


「何か気になることでも?」

「……何か、忘れてきちゃったような気がしたんです。全部分かってたはずなのに」

「分かってた?」

「こうなるってちゃんと分かってたのに、それでも、何かをし忘れちゃったような気がして」


 いとけない口調でありながら、何かを悟ったような表情をしている。

 魔王はアマリリスの歩幅に合わせてゆっくりと進みながら、


「何を忘れてしまったんだろうな。物か?」

「……ううん。違うんです、何か言い忘れてしまったのかも」

「お母上に何か伝えたかったことでもあるのか」

「お母様……?」


 アマリリスは夢見心地の声で呟く。


「お母様だったんだっけ。ううん違います、もっと小さい……手のひらに乗ってしまうような私のお友達に、何か言いたかったの」


 魔王は目を伏せる。手のひらに乗ってしまうようなお友達。

 例えばそれは、はりねずみのような?

 魔王はアマリリスの手を握った。アマリリスはしっかりと握り返した。


「それは、別れの挨拶か?」

「……そうかもしれません。でも、もっとささいなことなの。多分私は、気にしないでねって言いたかったんです」

「何を気にしないでと言いたかったんだ?」

「私がこうなること。きっと気にすると思うんです。そういう人だから」


 魔王は奥歯を噛み締めた。口を開けば声が震えてしまいそうで、何も言えなかった。

 こんな寂しい所に一人でいたのに、まだ魔王のことを気遣っている。


「でも私はやっぱり、役に立てることが嬉しいから。私がいたおかげで、皆が助かったっていう事実だけで、きっと生きていて良かったんだって思えるから、だから気にしないでねって言いたかったんですけど……」

「アマリリス」


 とうとう魔王は足を止め、十歳の少女の前にしゃがみこんだ。

 ずっと噛み締めていた唇が赤くなっていた。


「俺も言い忘れていたことがある。――役に立とうとしなくても良い。何の力になれなくても、誰かの足を引っ張るばかりでも、動けなくても喋れなくても、俺はお前にいて欲しいと思うよ」

「……でも、それは。お母様しか言ってくれないものじゃないの?」

「俺が言ってやる。何度でも繰り返し言ってやるから。だからもうこんなことはしないでくれ。一人で勝手に全部背負って行かないでくれ」

「だって……。そうしなければ、価値を示さなければ、私は」

「しなくていい。お前が無条件で貧民を助けたように、魔族たちの命を救ったように、お前だって無条件で存在していいんだ」


 アマリリスの唇が震える。

 ネグリジェの裾を、指が白くなるまで握り締めている。

 ふっくらと小さかった子どもの手が、女性らしい華奢な手へと変わり、緩く編まれていた金色の髪が、ふわりと背中に流れる。

 防寒具を身に着けたアマリリスは、魔王の知っている十八歳のアマリリスだった。


「……あなた、こんなところで何をしてますの」

「お前を探しに来た」

「ご冗談はお顔だけになさって。はりねずみじゃないあなたを初めて見ましたわよ」


 そう言いながら魔王を見上げるアマリリス。


「ちょっと背が高すぎませんこと? 首がぐぎっといきそうなんですけれど」

「もうはりねずみではないからな」

「あと意外とお髪がサラサラでむかつきますわ」

「女のお前より美しくてすまないな」

「それから、どうしてここにいらっしゃいますの」


 魔王は微かに小首をかしげて、


「お前を探しに来た」

「馬鹿ですの? 『狭間ここ』からは出られませんのよ」

「そうらしいな」

「他人事~! ちょっとあなた魔王でしょう、さっさと戻らないとソフィアが泡吹いて卒倒しますわよ!」

「アマリリス」

「いいからさっさと出口を探して」

「アマリリス。泣くな」


 ぼろぼろとこぼれるアマリリスの涙を、魔王の指がぬぐい取る。

 けれどぬぐう側からこぼれてしまうので、彼女の頬はあっという間にびしょびしょになってしまった。

 魔王は困ったように眉をひそめ、


「普通に喋りながら泣くな。どうしたらいいか分からん」

「どうしたらいいのか分からないのはこっちですわよ~! たった一人でこーんななーんにもないところに放り出されて、でも言い出したのは自分だから誰も責められなくて、後悔するかっていうとそりゃあちょっとはしましたけど、でも自分が望んだことだしと思って我慢して、でも何にもないから本当に泣きそうになって」

「ああ」

「そうしたら何だか心細くなって切なくなって、体も小さくなっちゃって、このまま独りぼっちだって思ったらますます怖くて、色んなことを忘れてしまって」

「そうだな」

「そこにあなたが現れて! 一緒に歩いてくれて、話してくれて、……いて欲しいって言ってくれて、でも出口は分からないし、そりゃあ私の鉄壁の情緒も乱れるというものですわ~!」


 本格的に泣き始めたアマリリスの涙をぬぐう術がなくて、魔王はそっと彼女を抱き寄せた。

 肩を震わせながらしゃくりあげるアマリリスの、子どものような泣き声を聞きながら、背中を優しく撫でた。


「本当に馬鹿。探しに来るなんて」

「俺はお前に求婚したはずだ。その相手を探しに来るのは当然だろう」

「あなたまさかまだそんなこと言ってますの?」

「求婚を取り消すなど俺がいつ言った?」

「ちょっと……この人、ガチですわ……」


 乱暴に目もとを拭いながら、アマリリスが顔を上げる。

 涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ、こすったせいで頬は赤らみ、前髪は乱れている。

 けれどアマリリスは幸せそうにはにかんでいた。

 その顔を見、魔王の顔もほころぶ。


「お兄様に脳天ぶち抜かれても知りませんわよ」

「来ると分かっている攻撃だ、対処できる。……恐らく」

「ご自身のお言葉を後悔しないことを願ってますわ。さて!」


 アマリリスはぱっと離れると、腕組みをして周囲を見回す。


「そうと決まればとっととこの辛気臭い場所を出ますわよ」

「だがどうやって出る」

「まず思いつくところから試してみましょ。ここからサキの店に行けたら、脱出の手がかりになるはず」


 そう言ってアマリリスは、ポケットから方位磁石を取り出した。

 サキの店に行くための方位磁石だ。

 そこに魔力をじわりと込めてみる。と、足元に紫色の魔術陣が出現し、二人を包み込んだ。


 瞬きののち、二人はサキの店に立っていることに気づいた。


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