断章



 リーナは暖炉の灰をかき出し、外に運んだ。

 爽やかな風が吹き抜け、汗ばんだ彼女の肌を撫でてゆく。


 夫を亡くした彼女は、不運が重なった結果、店も家も失い、子どもを連れて路頭に迷った。

 できたばかりの修道院に助けを求めたところ、門前払いを食らったが、アマリリス・デル・フィーナの修道院に行けば助けてもらえると知り、藁にもすがる思いで、その修道院のドアを叩いた。


 すると、修道士は慣れた様子で、リーナと息子に食事を与えた。食べながらリーナは、自分の身の上に起きたことを正直に話した。

 修道士は彼女たちの身の上に同情し、自由にここで過ごしていいと言ってくれた。

 質素だが暖かい食事と、誰にも襲われない暖かな寝床は、リーナの心身を癒してくれた。


 三日後、修道士はリーナに今後どうしたいかを尋ねた。

 リーナが驚いたことに、修道士はリーナがパン屋を再開したいのならば、そのお金を融資することができると言った。

 三日の間に、修道士はリーナの夫が営んでいたパン屋の財政状況を調査し、彼らが堅実に店を営んでいたことを調べていたのだ。

 もちろん、パン屋ではなく他の働き口を探すこともできると修道士は言った。ちょうど近くの貴族の家で、メイドを探しているという。しかも日ごとに給料は払われるという破格ぶりだ。

 リーナはその話に飛びつき、修道院に間借りしながら、貴族の家に通う日々を続けていた。


 稼いだお金の一部を修道院に渡そうとしたが、いらないと言われた。

 修道院は、転移魔術のポート貸し出しで現金を得ているようだった。この転移魔術があるおかげで、リーナのパン屋の情報も素早く手に入れられたのだという。

 だからリーナと息子は、たったひと月で、新しく家を借りるお金を貯めることができた。

 今日食べるパンにも事欠いていたところから、贅沢はできないが、狭いながらも自分たちの家を持てるようになったのが、リーナにはたまらなく嬉しかった。


「やあリーナ。小さいがマスが一匹余ったんだ。持って行くかね?」

「ほんと? 助かるわ、ありがと!」


 働いている屋敷のコックから魚をもらったリーナは、その足で修道院へ向かう。

 金に困ってはいないとはいえ、修道院には貧しい人々が毎日やってくる。食べ物は多いに越したことはないのだ。

 勝手知ったる修道院の台所に入り、魚をスープにしようか蒸し焼きにしようか考えていると、困った顔で首をひねる修道士がやってきた。


「セルジオさん、こんにちは。どうしたんですかそんな顔して」

「ああ、リーナ。いや、聖女様から急に、この修道院を明け渡せという連絡がきたんだ」

「聖女様……ってあの、金ぴかの修道院を建てさせてるっていう?」


 リーナは聖女に良い印象を抱いていない。

 困っている人間に、門前払いを食らわせる聖女がどこにいるというのだ。


「ああ。ここも君の言う通り金ぴかにしてくれるそうだよ。うちなど朽ちるに任せて下さいと返信したのだが、神の家たる修道院を朽ちさせるとは何事だ、とお怒りでね」

「ふん。金ぴかにするお金があるんなら、貧しい人たちをもっと助けてくれればいいのに」

「そうだね。もっとお金と人手があれば、病気の治療にも関われるようになる」


 比較的金に困らない修道院だが、貧しい人々を蝕むのは飢えや貧乏だけではない。

 病気。それはアマリリス・デル・フィーナの修道院でも、解決できていない問題だった。


「聞くところによると、他の修道院にもこういった要請が来ているようだ。アマリリス様の作った仕組みが気に入らないんだろうねえ」

「そんな呑気に言ってる場合ですか? 聖女様ってやなやつですけど、行動力はありますよ。ちょっとのうちに、金ぴかの修道院を、全国に十九も建てちゃったって聞きました」

「そうなんだよ。十九も修道院を新設したならもう十分なはずなのに」

「アマリリス様に報告はしましたか?」

「あのお方は幽閉されているから、報告をしても動けないんだよ。……もっとも、あの方は聖女様がこういう手段に出ることを予測されていたようだが」


 悪戯っぽく笑ったセルジオは、ポケットから手紙を取り出す。


「アマリリス様からの手紙だ。聖女様から何か要請されたら、それを逐一報告しろとの仰せだよ」

「報告しろってだけ? 抵抗せよ、とかじゃなくて?」

「むしろ抵抗はするな、大人しく引き渡せ、と書いてある」

「えーっ? アマリリス様も意外と臆病なんですね……」


 肩を落とすリーナとは対照的に、セルジオはどこか面白そうに手紙を見つめている。


「アマリリス様は臆病な方ではないよ。あのお方は常に私たちのことを気にしている」

「ふーん? 優しいんですね」

「ああ。自分では我がままな王族のふりをしているが、本当に優しい方だ。――だからねリーナ、君に一つ教えておくことがある」


 そう言ってセルジオは、台所からすぐ近くの、薄汚れた小部屋の前にリーナを連れて行った。


「もしこの修道院か、私に何か不運が降りかかってきたら、この部屋に駆け込みなさい。ここには転移魔術が仕込まれてあって、自動で展開されるようになっている」

「どういうこと? 不運って何を言ってるんですか、セルジオさん」

「聖女様は恐らく、この修道院を力づくで乗っ取り、転移魔術のポートも潰してしまわれるだろう。その行動に何の意味があるか、私には分からないが――この修道院が奪われたという事実は、素早くアマリリス様にお伝えする必要がある」


 素早く伝える必要がある、というのはリーナにも何となく理解できた。

 幽閉されているのならば、情報を得る手段も少ないだろう。

 それに、聖女という女はむかつくので、よく分からないができるだけぎゃふんと言わせて欲しい。


「分かりました、セルジオさん。もし何かあったら、ここに駆け込んで、アマリリス様に状況を伝えます」

「うん、ありがとう。――ところで仕事の方はどうだね? 何か困っていることは? あるいは何か、楽しかったことはあるかな」


 リーナが、あと半月働けば、息子に新しい靴を買ってやれるのだと告げると、修道士はとても嬉しそうに笑うのだった。

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