第24話 聖女の使命


 聖女は細い指先で手紙を繰る。

 王の紋章が透かし彫りされた紙には、丁寧に、けれど有無を言わせぬ様子で聖女との対面を求める文面が書かれていた。


「クリストファー殿下、ですか。玉座に最も近い男。妹へのいささか度を越した愛着で有名ですが、それは仮の姿である可能性が高いのですよね。何しろ国王陛下が最も目をかけている王子サマであらせられる……」


 唇を微かに噛みながら、聖女は考える。

 手紙には、妹であるアマリリス・デル・フィーナの様子を見て欲しいと書かれてあった。

 とあることから王位継承者には値しない女だとされ、ドラセナ城に幽閉されているが、ドラセナ城は”大侵攻”の際に、魔王が閉じこもったダンジョンの上にある。

 そこに暮らしている以上、魔王の持つ黒い魔素の気配からは逃れられていないのではないか。

 そんな心配が、手紙にはつづられてあった。


「とあること、ですか。私の真似事などをするから幽閉されたのだと、理解はしているようで何よりです」


 白い魔素を持つ者が聖女であり、他に聖女と呼ばれる娘がいてはいけない。

 ごく単純なルールに抵触したアマリリス・デル・フィーナの幽閉は、当然のことだった。

 だが聖女は、そんな愚かな娘にも、慈悲を垂れようと考える。

 黒い魔素に苦しめられているものがいれば、どこにでも駆けつけるのが、聖女の意志だ。


「普通に考えたら気持ちが悪いですよね。足元に魔王がいて、魔族どもがいるんですものね。黒い魔素を持つ奴らが、うじゃうじゃうじゃうじゃ……」


 聖女の手が震える。彼女はぐしゃりと手紙を握り締め、指先で千切り始めた。


「おぞましい魔族ども。汚らわしきケダモノども。石の裏の虫けら同然、生きている価値などどこにもない。――ゆえに”大侵攻”で徹底的に片付けるはずだったのに!」


 叫び声が部屋に響き、聖女ははっと口元を押さえる。

 部屋の外にいる護衛に聞かれていないか、耳をそばだてながら、彼女は床にしゃがみこむ。


「……幽閉された哀れな元・王位継承者。けれど彼女がドラセナ城に住んでいるというのなら、黒い魔素にその身を侵されていないか、慎重に調べる必要があります。彼女が魔王の支配下にないとも限らない。ああ、そうです、そのくらいのことはするでしょう魔王なのだから」


 異様な早口でありながら、手はあくまでゆっくりと、千切った手紙を拾い集めている。

 聖女は静かに立ち上がる。


 その目は異様にギラギラと輝き、口元は歓喜に歪んでいた。

 と、ドアがノックされ、一人の修道士が入って来る。彼の顔はどこか強張っていた。


「聖女様。……大変ぶしつけな質問だと分かってはいるのですが、その、貧しい者たちへの施しは行われないのですか」

「施しィ? そんなもの、私たちの仕事ではありません。私たちは祈りを捧げ、黒い魔素から人々を守るのが本分であり、貧しい者たちなどに関わっている暇はないのです」

「ですが、困っている人間に手を差し伸べないのは道理に反しているのではないでしょうか……! それに、この修道院の修繕費の一部は、村人たちの税金でもあり……」

「ほんの一部、でしょう。それで私たちに対して、何らかの権利が発生しているのだと勘違いしているんですか? 馬鹿な連中」


 鼻で笑った聖女は、興味を失ったように窓の外に視線をやる。


「新たに建設した修道院では施しは行いません。アマリリス・デル・フィーナも迷惑な女ですね。変に慈善活動などやるから、修道院は施しの場だと思い込んだ連中が群がってくる」

「……ッ、お言葉ですが、弱き者に手を差し伸べることは、神の御心に従うことでもあり……」

「ハア? この私、聖女の前で、神の御心を語るんですかぁ? ずいぶん大胆なんですね」


 嘲笑を隠しもせずに言うと、聖女は蠅を追い払うような手つきで、


「ああもういいです。あなた、さっさとこの修道院から出て行って下さい。修道院を出て最初に出会った貧しい人間に、持ち物と着ている物を全部くれてやりなさい」

「……」

「何黙ってるんですか? 施しがしたいんでしょう? 貧しい者に物をくれてやって、優越感に浸りたいんでしょう? ああ自分は恵まれている、食べる物も着る物もあるって素敵、って思いたいんでしょう?」


 修道士は唇を引き結び、もう反論することはなかった。

 ただこの修道院にいさせてもらったことの礼を言い、頭を下げるのみだった。

 静かに退室する男の背中を見、聖女は不快そうに舌打ちをする。


「施しなんてどうでもいいことで私の手をわずらわせないでほしいですね。私には、魔王を倒し、魔族を滅ぼすという使命があるのだから」


 そう言って聖女は、机の上に置かれた革の手帳を見る。

 古く、あちこちにしみのある表紙は擦り切れ、彼女が何度もそれを読み返したことを示している。

 聖女はにたりと微笑んで、表紙に描かれた片翼の紋様を、指で愛おしそうに撫でた。


「この方から受け継いだ使命を、私が果たさなければなりません」

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