田舎暮らしの老夫婦

沢田和早

田舎暮らしの老夫婦

 老夫婦は鍵を使って家の扉を開けた。平屋のローコスト住宅ではあるが新築ということもあり何もかもが立派に見えた。


「少し狭くないかな」

「二人住まいならこれで十分ですよ。さあ、荷物の整理をしましょう」


 居間には運送業者によって運び込まれたダンボール箱が整然と積まれていた。老夫婦はひと箱ずつ開けて中身を確認し、あるべき場所へ片付けていく。


「いよいよ始まるんだ。もう後には引けないぞ!」


 期待の中に入り込もうとする不安を追い払うように、夫は両手で自分の頬を叩いた。



「定年後は見知らぬ異国の地に移住して余生を過ごそうと思うんだ」


 夫は常日頃からこんな言葉を口にしていた。妻にはその理由がよくわかっていた。夫は人付き合いがとても苦手だったのだ。

 子どもの頃から人見知りで、幼馴染の妻以外にはひとりも友人がいなかった。学業を終えて就職しても結婚しても新居を構えても、夫の人見知りは相変わらずだった。休日はほとんど自室にこもりっきりで、眠ったり読書をしたり音楽を聴いたりして過ごしていた。そんな夫に付き合ううちに妻もまた人付き合いが億劫になっていった。だから定年間際に田舎への移住を聞かされてもそれほど驚きはしなかった。


「それで、どこへ移住するつもりですか」

「ここだ」


 夫が示した場所は未開地ながら風光明媚で有名な場所だった。もちろん居住者はひとりもいない。田舎ではあるが危険な猛獣なども生息していないので非力な老人でも安心だ。そらにその国では移住推進キャンペーンが行われており、転居のさいに決まった額の一時金を支払えば、それ以降、一切の税金を免除するという特典が付いていた。


「いいわね。そこにしましょう」


 こうして二人の田舎移住計画が始まった。夫は退職金のほぼ全てをつぎ込んで土地を買った。一周するのに徒歩で半日ほどかかる広大な未開地だ。電気、ガス、水道などのインフラは整備されていない。全て自給自足で賄うのだ。ただ家だけは自分たちで建てるのは無理なので業者に任せた。


「それでは明日から始まる新生活に向けて乾杯!」


 荷物の整理が終わった夜、老夫婦は持参の食料でささやかな宴会を開いた。明日からはラジオもテレビもネット環境もない、鉄道も車も自転車もない、スーパーもホームセンターもコンビニもない生活が始まる。しかし二人には自信があった。ここへ来る数カ月前からそれらに頼らぬ生活を続けていたからだ。


 最初に取り組んだのは生活用水や農業用水の確保だ。これに関しては心配無用だった。購入した土地には豊富なミネラル分を含んだ広大な湖が広がっていた。家は湖の近くに建てたので毎朝の水汲みもさほどつらくはなかった。


「丈夫に育つかしら」

「自信はある。任せてくれ」


 次に取り組んだのは食料の確保だ。これに関しても準備は万全だった。夫は農業関係の仕事をしており、新しく開発された穀物「万能太郎」の種子を大量に持ち込んでいた。この穀物は生命活動に必要な必須栄養素を全て含んでいるという画期的な農作物だった。つまりこれだけを食していれば健康的身体を維持できるのである。しかも非常に生育が早く年四回の収穫が可能であった。


「思ったよりも快適だな」


 作付けを終えれば他にすることもない。持参した非常食は一年分あるので、よほどの不作にならない限り困ることはない。

 夫婦はこれまでにないほどゆったりとした時間を過ごした。誰にも迷惑をかけない、誰からも迷惑をかけられない、ただこれだけのことでこれほど気持ちにゆとりが生まれるとは思ってもみなかった。


「人は社会的動物と言われるが、わしらには当てはまらないようだな」

「そのようですね」


 老夫婦に子どもはいない。二人とも一人っ子だったので兄弟もいない。両親はどちらも他界している。二人を社会に縛り付けるしがらみは何もなかった。


「豊作だ!」


 作付けから三カ月後、たわわに実った万能太郎の刈り入れが始まった。農作業の中で一番大変で一番楽しい時だ。収穫された穀物の量は約三カ月分。ギリギリだ。実りは悪くなかったが作付面積が少し足りなかったようだ。


「もっと耕地を増やしましょう」


 老夫婦はせっせと働いた。そのおかげで次の収穫では四カ月分、次の収穫では半年分の穀物を確保できた。これだけの量があればもう十分だ。これでもう何の心配もない、あとはこの生活を続けていくだけ、そう思った矢先、思い掛けない事態が発生した。害虫だ。


「またやられているわ」


 万能太郎の根元にアリのような害虫が群がり、茎が赤くただれている。追い払ってもどこからかすぐ湧いてくる。


「どうして急に出てきたのかしら」

「数週間前に巣のようなものを壊しただろう。あれが原因かもしれんな」


 耕作地拡張作業の最中、土の上にある小さな盛り上がりを夫が踏みつけてしまったのだ。悪臭が漂い、虫がわらわらと這い出してきた。その時の虫が万能太郎にたかっているようなのだ。


「数は少ないし、放っておけば収まるだろう」


 老夫婦は静観することにした。しかしそれは裏目に出た。害虫たちは日ごとに数を増やして耕作地を荒しまわった。それだけではない。夫婦の家の土台や外壁などにもたかり始めたのだ。さらに羽虫となって空を飛び、夫婦めがけてトゲを飛ばしてくる害虫まで現れるようになった。たいして痛くもないのだが臭いし鬱陶しいことこの上ない。


「これは放っておけませんね。どうしましょう」

「これだけ数が多いと一匹ずつ退治するのは無理だ。やはり巣を壊すのが一番だろう」


 それからは農作業の合間に所有地を歩き回って害虫の巣を探し、それを踏みつぶす日々が続いた。一周するのに半日かかる広大な土地ではあるが七割ほどは湖である。ほどなく全ての土地を回り全ての巣を破壊してしまった。


「害虫、現れませんね」

「ああ、これでようやく楽しい余生を送れるな」


 老夫婦は湖のほとりのテーブルで晩餐を楽しんでいた。夕陽が湖面を橙色に照らしている。万能太郎で醸造した酒を味わいながら二人は暮れてゆく情景を静かに眺めた。


「おまえに会えてよかった」

「あたしもですよ」

「おまえさえいれば他には誰もいなくていい」

「あたしもですよ」


 この夕陽のように二人の人生もやがて暮れる。誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられない、そんな最期を迎えられる幸福に感謝しながら、老夫婦はこの上もない喜びに満たされるのだった。


 * * *


 全世界に衝撃が走った。地中海に面した欧州の土地に突然巨大建造物が出現したのだ。その高さはマッターホルンとほぼ同じである。


「誰が、どうしてこんなものを……」


 その理由はすぐ判明した。ほどなく二体の巨大生命体がその建造物に住み着いたのだ。明らかに宇宙人である。


「対話だ。コンタクトを試みるのだ」


 世界中の学者が巨大宇宙人との意思疎通を図ろうとした。しかし相手から見れば人類などアリのようなもの。何をしても全く気づかれない。近寄れば平気で踏みつけられてしまう。


「あいつらかなり軽いようだぞ」


 宇宙人に踏まれた土地は巨体からは考えられないほど沈下が浅かった。詳しい観測の結果、彼らの身体の半分は気体によって構成されていると推測された。人間の身体は半分以上が液体だ。彼らの体内を循環する気体は人間の体液と同じ役割を担っているらしい。水分を口から摂取することもあるがそれはあくまでも娯楽のためであろう。人間が煙草を吸うのと同じ行為だ。


「ヤバイぞ。あの樹木、とんでもなく大きくなっていく」


 そうこうしているうちに巨大植物の栽培が始まった。おそらく彼らの主食なのだろう。広大な土地が謎の植物によって覆われていく。


「ヤツらの好き放題にさせておいていいのか。追い払うべきではないのか」

「いや。人類初の異星人とのコンタクトなのだ。なんとしても友好的関係を築きたい」


 人類が手をこまねいているうちに大事件が発生した。原子力発電所が踏みつぶされ、大量の放射線が外気に放出されたのだ。


「もはや一刻の猶予も許されない。このまま放置すれば人類は滅亡する」


 戦闘が開始された。世界各地から集結した軍隊が陸海空から巨大植物を砲撃し、巨大建造物を爆撃し、巨大宇宙人にミサイルを撃ち込んだ。ついには核兵器まで投入した。しかし彼らはビクともしなかった。


「まずい、反撃だ!」


 人類の攻撃に業を煮やしたのだろうか、宇宙人は土地を歩き回って重要施設の破壊を始めた。発電所、軍事基地、工業プラント、大規模農園。半日ほどで地球を一回りできる彼らにとって、世界の全てを破壊することなど片手間仕事に過ぎなかった。


「終わりだ。もはや打つ手はない」


 生き残った人類は南海の孤島に逃れ自給自足の生活を始めた。電気もガスも水道もない原始人のような生活を送りながら、ひたすらあの二人の寿命が尽きるのを待つだけの日々。時折海に入って海水浴を楽しむ宇宙人の姿を眺めながら、生き残った人類はこうつぶやくのだ。


「なんて自分勝手なヤツらなんだ。自分たちがどれだけ他人に迷惑をかけているか、考えたことがあるのかい」

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