VS 妖精ウェンディ Ⅲ

 わずかな身じろぎに、むっと妖精がうなる。しかし、わざとらしくため息を吐いてうつむく素振りをみせると、再び彼女の声が明るく弾んだ。


「ふっふーん。ようやく負けを認めたようね」

「……そうなるかも。ああ、でもやっぱり降参するのは悔しいなぁ。俺も自分の命がかわいいし、すごく痛い思いをするのはごめんだよ」


 しゃべりながら、俺はすっとまぶたを閉じる。口で妖精の注意を引きつけ、幹をつかんだ手に精神を集中させた。

 妖精はご機嫌だ。だから周囲の変化にまるで気づく様子はなかった。たぶん気分のほかにも、手先に膨らむ光の球とターゲットである俺の動向に気を向けているせいもあるだろう。


 頼むから気づいてくれるなよ。

 俺は木の幹に細く走る――霜のすじに祈った。


「あのさ」

「なあに?」


「もう少しだけ、俺に時間をくれないかな?」

「……なんで?」


「この最悪な状況から生き延びるにはどうしたらいいか……まだ、ちょこっとだけ考えていたいんだよ」

「ハンッ、あきれたこと。あんたね、まーだどうにかできると思っているの? 思った以上におバカさんなのね、人間って」


 閉じたまぶたの裏が白い。光がより強烈になるのを、うっすら感じ取った。


(だが、まだだ……)


 まだ、時間を稼ぐ必要がある。


「ッハハハ! そうだよな。ちょっとどころか、かなり虫のいい話しだよな?」

「……んん、この状況でよく笑っていられるわね」

「まぁな。これでも俺――」


 ちろっと舌を出して、背後にいる妖精に言ってのけた。


「修羅場はくぐってきたほうなんで、ね」


 俺の挑発に、妖精は短く息を吐いた。


「バッカじゃないの?」


 悪態をつかれた。でも、なんだかいやにすがすがしい口調にも聞こえた。その裏付けに「ま、意地が悪いのは嫌いじゃないかも」と彼女は言葉を続けた。


「……んでも、アタシ。あんたに一発おみまいしてやらないと気が済まないのよ」


 それに。

 と、妖精は声を暗くする。


「これはチャンスなの。妖精が人間よりも強いってこと、きっちり証明するための……ね」


 大きな深呼吸。続けて、呪文を唱える妖精の声が耳元で響いた。


「光よ――」

「……と、その前に」


 呪文の合間に割り入って、俺は――声を張り上げる。


「頭上にご注意をッ!」


 ピキリ。

 甲高い亀裂の音が、頭の上から聞こえた。


「うん?」


 奇妙な物音に気づいた妖精は、呪文を止める。

 さりげなく、俺は天上を見上げた。その動きの誘導にまんまと引っかかってくれたようで、妖精もつられて上を見てしまったのだろう。真後ろでかわいい声が跳ね上がる。


「ななっ、なによあれッ!」


 してやったり。

 木の幹にあてがった手から、一筋の霜の線が走る。霜は幹を伝って上へ上へ、枝葉へと伸びていった。手近な太い枝に霜は絡みつき、広がる枝葉を――一房分ひとふさぶん、丸々冷気で覆いつくす。


 わかりやすく言えば、枝葉が氷塊と化していた。

 それもちょうど俺たちの真上に位置し、キラキラと光り輝いている。


「まさか、凍っているの? ウソッ、だって冬はまだ遠いはずなのに!」


 妖精が甲高い声で騒いだせいか、氷塊はまたピキピキと嫌な音を鳴らす。もとより傘のように広がる枝葉の氷の重量に、根元の凍結部が耐えきれるはずもないのだ。


 そろそろか、と俺が思った瞬間、パキンッと小気味よい音を立てて一本の大きな枝が折れた。

 あっと声も上げる間もない。俺と妖精、二人の頭上に大きな氷塊が落ちてくる――。


「ブライトボールッ!」


 ――妖精が、頭上に向けて光の球を撃ち放った。


 俺は目を閉じて、閃光のまばゆさを防いだ。

 じつは閉じたまぶたの裏で、ほっと安堵していたりもする。


(急ごしらえの策だったけれど……)


 頭上で、光は破裂した。

 枝葉の氷塊は俺たちの頭を押しつぶす寸前に、見事砕け散った。


 空から西日を浴びた氷の破片が降ってくる。そのきれいな光景を、俺は片目を開けてしばし眺めた。


「ちべたッ!」


 冷たい氷の粒を浴びた妖精は悲鳴を上げた。冷気から逃げるように、彼女はまたヒュンと風を切って俺の背中から飛んでいってしまった。


 作戦は無事成功した。

 かっこつけたいところだが……手にじんじんと響く、刺すような痛みをこらえるのだけで精いっぱいだったりする。その場に一人残された俺は、がくりと地面に膝をついた。

 急に体の力が抜ける。そのまま横に倒れてしまいそうにもなるが、すかさず両手をついてなんとか体を支えた。


(ぐっ、頭が……割れるように痛い……)


 背中を丸めて、うなった。歯を食いしばり、痛くないほうの手で頭を押さえつける。


「……いきなり、あんなことするんじゃなかった」


 あの力を使うべきでは――。

 と、地面に散らばった氷の破片の輝きを、忌々しくにらみつけるのであった。


「……なに? あんた、どうしたの?」

「!」


 ぴくり、と俺は身じろいだ。

 あの声――また妖精がしぶとく戻ってきたらしい。

 視界の端にちらついた淡いライム色の光に、俺は別の意味で頭が痛くなった。


「ねぇこれ、あんたがやったの?」

「…………」

「木の枝を凍らせて、頭の上に落としたのって」


 妖精の質問に、俺はなにも答えなかった。

 重い頭を押さえながら、無理やりに体を立ち上がらせる。それから、また背中を取られたらかなわないと、背負子を背負ったままの状態で霜の走る木の幹に寄りかかった。

 

 正面には妖精。

 再び、彼女と相まみえる形になる。


「うぅ……」


 ダメだ。苦肉の策を練って、彼女の攻撃を避けたところまではよかった。

 だが、今度来る光の球をかわせる自信はもうない。


(それ……でも……)


 うつむく顔から、アイスブルーの瞳だけを上げた。

 次なる攻撃に備えて、せめて……せめて形だけでも身構えたかった。

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