3話 遺された傷跡と幸せ〈第二部〉

注意書き


・この作品はBL作品になります。


・第一部に比べてBL要素強めです。この先も強くなっていくと思います。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





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 シキの表情は時々読めない。何を考えているのかさっぱりわからない時がある。

 お風呂に入って着替えて歯磨きも終わった頃、響はシキ部屋へ強引に連れて行かれていた。


「し、き…?」


 帰ってきてからシキに詰め寄られている。

 お酒で熱っていた体も今や嘘のように寒い。


「……付き合ってるの?」


 ベッドの上で壁際まで追い込まれて呟かれた質問。この状況とシキの質問がイマイチあってなくて響は理解に遅れた。


「え?」

「憐と付き合ってるの?」


 そう聞くシキの顔は少しだけ怖い。


「え、え? 誰が?」

「響が、憐と、付き合ってるの?」

「まさか、付き合ってないよ…。なんで…?」


 質問の意図が分からない。どうしてそう思うのだろう。


「今日飲みに行ったでしょ? 逢引きするみたいにさぁ、僕に内緒で」

「内緒?」


 響はダイラにしっかり連絡も入れたし、内緒にしていたつもりもなかった。ただプレゼントを買ったのはバレたくなかったから自分から話題には出さなかっただけだ。

 何より、ダイラから聞いていると思っていたのだ。


「とぼけるの? 電話も無視しといて?」


 シキの圧のある声は怖い。


「ほ、本当に、内緒にしてたつもりはないよ」

「ふーん。ダイラに奏達と行くって嘘までついといて?」

「え? そんな嘘言ってないよ」


 ここで勘違いが生じているのが事の発端ではあるが、シキにとってそれはもうどうでもよかった。


「じゃあ、那珂か、奏?」

「僕だれとも付き合ってないよ」


 黙ったシキに響は様子がおかしいのにやっと気づいた。


「……シキ?」


 黙ったままのシキの顔に手を伸ばした。

 もう離れているわけでもない。一緒に居る。それなのに今、シキの考えていることが分からないことに、急に怖くなった。


「どうしたの?」


 そう聞いてもシキはまだ黙ったまま。

 何か、自分は重大な過ちをしてしまったんだろうか。だからシキはこんなにも怒っているのだろうか。呆れられてしまうような何かをしていたらどうしよう。そう思い出すと止まらなかった。

 どうして、こんなに近くにいるのに遠くに感じるのか。

 途端、響の視界が滲んだ。

 そして生暖かい雫が瞬きと一緒に頬を伝った感覚があった。

 シキが目を見開いた。


「えっ、響、ごめんっ、えっと、急にこんな怖かったよね。…ごめん」


 焦ったシキはそう言いながら涙を拭った。


 何を話せばいいのか分からない。この涙の止め方も、どうして溢れてしまうのかも、全部が分からない。分からないことは、怖い。


 止まらない響の涙にシキはとうとう響を優しく抱き寄せた。


「響、ほんとにごめん。……お願いだから、泣かないで」


 響が素直に気持ちを表したり泣いたりできるのは良いことではあるが、悲しそうに泣かれるとシキは弱い。


「んっ。僕こそごめん、怖くなって、シキが、遠くにいるような、気がして…っ、なんにも、言ってくれないからっ、」


 とうとう嗚咽も漏れ出して響は言葉にした。

 シキはその胸が痛くなる切なさに、少し肩を離して、響の顔を覗き込んだ。


「本当にごめん。もう居なくならないよ、絶対に。僕、響の事になると自分でも驚くほどに感情がコントロール出来ないんだ」


 響も涙を拭いながら見上げるようにシキを見た。


「僕が、怒らせちゃった?」

「違うよ。響は何も悪くないよ」


 そう。この子は何も悪くない。だって自分は響を縛れるような何かを持っていないから。そういった関係性の仲じゃないから。まだ。


「どうして怒ってたの?」


 それでも聞いてくるのはきっと響が本当に何も知らないから。


「それは…」


 シキは言い淀んだ。

 この感情の正確な名前はまだわからない。もし仮にそうだとしても、今の響にとっては重荷になるような気がしてならないのだ。


「言えない…?」


 響は眉を下げて聞いてきた。

 シキはやはり、響に弱いのだ。

 だからこそ、この想いがあるように。


「響が、大事で大切で大好きだから」

「僕もシキ達が大好きだよ?」

「そうじゃなくて、僕もダイラ達の事好きだよ。でも響のことはその中でも特別大好きなんだ」


 シキは真っ直ぐに伝えた。今できる限りの精一杯で、どうか愛され慣れてないこの子にも伝わるようにと。


「そうなの? なんだ、僕だけかと思ってた」


 響はまるで幸せを見つけたように笑う。


「え?」

「僕もね、ダイラもチョウもミョウも大好きなんだけど、シキのことはもっと特別に、好きなんだ」


 響の言葉にシキは顔を赤くした。

 それは響にとってはただの言葉でも、シキにとっては熱烈な告白のようだったから。

 まだ恋も愛もよく知らないこの子の精一杯の素直な気持ち。それがあまりにも嬉しくて、奇跡のようで。


「ほ、ほんとに?」

「疑うの?」

「いや、そうじゃないけど、僕は元々人間じゃないし」


 響が好きになるのは人間の奏や憐や那珂だとシキは勝手に思っていた。


「あははっ、僕だって人間やめたんだよ?」


 響の笑った顔を見てシキも笑った。


 ___そうだ……、そうだった。この子は人間よりも綺麗で歪な存在だった。だから、特別になったんだ。


「でも、じゃあ、どうして言わなかったの?」

「シキだって言わなかったよ?」


 シキは言わずとも態度にも表情にも、全てに出ている。それは響以外の皆んなが分かっていることだった。それでも響にはちゃんと言葉にしないと伝わらないのだ。まだ。


「うん、まぁ、そうだけどさ」


 シキの歯切れの悪い言葉に響は少し俯いて話し始めた。


「シキ達は半分人間だ。って言う事は、いつか他の人間にも興味が湧くんじゃないかと思った。そしていつか、誰かを…、僕より特別に好きになることも、あるんじゃないかと思った。その時、僕の気持ちは重荷になっちゃうかなって、シキ達は、特にシキは僕に優しいから」


 自分に一番優しいのを知っているのに、一番好意を向けられ続けると信じない。歪とはきっと常人には理解不能な思考回路なのだろう。だけどシキは違う。

 響は言いながら寂しそうだった。

 本当は想像もしたくないこと。でもそれがきっと、響が神になる時に願ったシキ達の未来だった。また人と関わって、巡りあって、好きになって、幸せになってくれたらいいと、心の底から思っていた。


「あり得ないよ」


 シキはすぐに否定した。それに響も顔を上げてシキの顔を見る。

 シキは真っ直ぐに響を見ていた。


「僕が好きになれる人間は響だけだよ」

「え、九導さん達とか、奏達は?」


 響の質問にシキはムスッとした。


「僕が九導らを好きになると思うの?」

「んー、どうだろう…?」

「ならないよ。昔の事は掘り返さないけど、そもそも馬が合わないんだよ」


 響はその答えに笑った。随分と、シキも人間らしくなったものだ。


「奏達は?」

「奏は嫌いじゃないけど、そういう好きじゃない」

「そういうって?」


 シキはやはりかという顔をした。

 響はまだ分かっていない。確かにシキだけを特別に想う気持ちがあるのには気づいていながらも、それが何なのかを分かっていない。


「人間らしく言うなら、恋愛的なってこと。僕たちは恋人や夫婦なんかより深い仲だけどね」

「そうだね。恋人なんかできても、きっとシキの方が好きだよ」


 響の真っ直ぐな言葉に、シキはそうだけどそうじゃない。と思った。


「響は恋人作るの? 欲しい?」

「例えの話だよ。いらない。シキがそばにいるなら何もいらない。ダイラ達もいるし、今が一番幸せ」


 過去のトラウマや、そこからくる精神の不調に悩まされながらも、普通の生活を、何よりの喜びのような顔をして、「幸せ」と言える子が可哀想にも愛おしく見えた。この子は人を尊ぶことを知っているんだと。


「ダイラ達も響以外の人間を、好きにはならないんじゃないかな? ミョウとチョウは人間嫌いだし、ダイラはもう響の親をするのに専念してるし」


 最近はおじいちゃんみたいだけど、とは言わないでおいた。流石に孫みたいに思われているのは成人済みの響も考えるところがあるだろうから。

 でもダイラもきっともっと深い情を向けている。もちろんミョウやチョウも。


「そっかぁ」


 響はどこか嬉しそうだった。決して褒められたことではないのに素直に喜ぶのも、やはり響だからだろう。


「じゃあ、僕と響は両想いってことで、恋人作っちゃダメだよ?」

「両想い?」

「そう。同じ分の感情を向けているんだから、両想いだよ」


 正確には多分、シキの方が感情は大きいし重い。


「同じなの? ふふ、うれしいね」


 幸せを噛み締めるように花が咲くように、響は笑う。シキは響のどんな表情も好きだけど、やっぱり幸せそうな笑顔が一番好きだった。


「九導達にも報告しなきゃね。奏達にも」


 奏達への報告は牽制も兼ねている。


「そういうもん?」

「そうだよ」


 そうして丁度明日は九導らの拠点に全員が集まるのだ。あの騒動から2週間に一度ほど、こうやって奏や憐や那珂も呼んでみんなで集まる日を設けた。

 響はその日が何気に楽しみだったりする。

 奏達が生きて話して楽しそうに笑っているのを見るだけで響は幸せを感じられるから。


「あ、今日は早く寝ないと。明日は集まる日だ」


 響の言葉にシキは時計を見た。時刻はもう少しで日が登る時間だ。2人はきっと昼までぐっすりだろう。

 お風呂も歯磨きも済ませたので、もうあとは寝るだけだった。


「そうだね、寝よっか」


 そういってシキはベッドの手前側に移動して響を奥へ誘導する。

 響は元々奥で寝るのが好きだった。安心できるのだろう。でもここに戻ってきてまた一緒に寝るようになった時に何故か手前を陣取った時にシキは理由を聞いた。

 やはり、自分が起きて起こしてしまうのを懸念したらしく、起きてもそっとベッドから降りられるようにとのことだった。

 もちろんその理由ではシキは了承しない。

 響を奥に寝かせ、起きてベッドを降りようとしても自分も起きられるようにシキはこの位置を定位置にした。

 響が横になったのを見て、シキは布団を引っ張る。そして壁側を向いて寝てる響を後ろから抱え込むように抱きしめる。

 こうやるのが響は安心するらしい。

 悪夢を見て起きた時は、寝かせる時に、落ち着かせる為に後ろから手で響の目を覆いながら静かに話しかける。そうやれば響はいつも寝られた。


「響、おやすみ」

「おやすみ、シキ」


 2人はそう言った後も何気ない話をポツリポツリ話す。響が寝落ちるまで。

 段々と会話のテンポがゆっくりになっていき、響の寝息が聞こえてからシキも目を閉じる。











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 シキが目を覚ますと、響が居なかった。悪夢を見て起きたのかと思い、何故自分は起きられなかったんだと思いながら慌ててリビングに向かう。

 だけど、そこにはもうダイラ達も起きてきていた。そしてシキはゆっくり時計を見てため息を吐いた。


「はぁ…、なんだ、もう昼か」

「なんじゃシキ、寝ぼけておるのか?」


 ダイラは少し笑いながら聞いた。


「あ、シキおはよう」


 響はカウンターでコーヒーを淹れている。響の問題なさそうな顔色を見てシキは安心した。

 体が昨晩よりも少し幼くなっている。退行化が進んだのだ。でもそれはよくあることで、今更驚きもしない。


「おはよう、響。てか! 僕も起こしてよ!」

「え、ごめん。遅くまでって言うか朝まで起きてたから、まだ眠いかなっておもって」


 でも響がベッドを出たのに起きられなかったのは事実だ。これは響に悪夢で起きた際も出来るだけ自分も起こすように言わなければな、と思いながらシキはカウンターに座った。


「響、僕のも淹れて」

「わかった」


 響は2人分のコーヒーを淹れて、作り置きしていたサンドイッチを冷蔵庫から取り出し、シキの横に腰掛けた。

 カウンターに2人で座ってゆっくりブランチを食べる。


「わ、これ美味い」

「ほんと? いつもと違う具材挟んでみたんだよ」


 響は意外と料理のアレンジがうまい。

 ダイラのご飯は和風的で美味しくて、響のご飯はみんなの好みに合わせて味付けがされていて美味しい。どちらのご飯も人気だった。


「ていうか響はなんで早く起きたの?」


 サンドイッチを食べてコーヒーを飲みながらシキは聞く。

 いくら集まりがある日といっても、それは昼過ぎからだ。朝方まで起きていたこともあり、起きるには早すぎる。


「なんか今日ね、いつもご飯頼んでる所がお休みするんだって。九導さん達の中には夜仕事だった人とか、ギリギリまで仕事の人もいるらしいから、サンドイッチを大量に作ってた」


 ああ、それでか。とシキは納得した。一昨日の響は買い物の時に材料と食パンを大量に買っていたから。


「ふーん」

「なんじゃシキ、不機嫌じゃな?」


 横からダイラが揶揄うように言った。


「逆にダイラはいいわけ?」


 シキはお前こそと言うようにダイラに突っかかる。


「いい気はしないが、響がしたいならすればいいし、みんなの為に作るなんて可愛らしいじゃろう」


 最後の言葉にシキは苦笑いだった。


「おじいちゃんに拍車がかかったね…」


 その時、支度を終えたミョウとチョウが3人に声をかけた。


「準備終わったよー、響ちゃん達ごはん食べ終わった?」

「ん、ちょっとまって、急いで食べるから」


 響がそう言うとチョウが響のところまで行って止めた。


「…ゆっくりでいいよ」

「分かった。ありがと」


 響は素直にお礼を言ってゆっくり食べていく。

 それだけの事でもシキ達はやはり嬉しく感じてしまう。


「……シキ」


 暫くして響が気まずそうな声を出した。


「ん? なぁに?」


 シキはミョウ達が笑いを堪えるほどに甘ったるい声を出した。


「見過ぎだよ。食べにくいよ…」


 響は困ったように眉を下げてシキを見た。

 そこにはニコニコしたシキがいる。


「気にしないで」

「気にするよ? 見てて楽しい? てか準備は?」

「楽しいよ? 食べてる響可愛いもん。準備なんて特にする事ないし」

「…へんなの」


 響はそれだけ言って食べていく。とっくに食べ終わったシキの皿も一緒にシンクにおいて、結局2人は少し慌てながら準備した。






 響達が着いた時にはもうみんなついていた。


「あ! やっときた響!」


 そう言って最初に響に駆け寄ったのは奏だ。それに続いて憐や那珂も響を取り囲んだ。


「遅れてごめん。サンドイッチ作ってきたよ」


 奏達3人は何やら大量に入っている響の持っている袋を見つめた。同じような袋をシキも持っている。


「サンドイッチ?」


 そう聞いたのは那珂だった。

 夜勤明けの彼は目の下にうっすら隈を作っている。


「今日はご飯ないでしょ? ギリギリまで仕事の人もいるって聞いたから」


 少し照れながらそう言って大きなテーブルの上に袋に入ったサンドイッチを置いた。

 それに続くようにシキもテーブルに置いた。


「……僕が全部食べたい」


 シキはまた拗ねたように呟いた。


「こらこら、それじゃ意味がないだろう」


 ダイラは苦笑気味にそう返した。


「シキも食べていいよ? たくさん作ったから」


 響は当たり前のようにシキに言った。

 シキはもしかしたら響は天然なのかもしれないと考えた。


「何持ってきたんだ?」


 匂いに釣られてやってきたのか、聞いてきたのは豹夏だった。


「サンドイッチ持ってきたんです。よかったら皆さんで食べてください」


 響がそう言うと豹夏が他のみんなも呼んだ。

 そしてみんなそれぞれ食べ始めた。


「ん、 すごい馴染むような美味さだ。なんだ? 何か味付けが特別なのか?」


 最初に声を出したのは干灯だった。


「響は料理のアレンジがうまいんだよ」


 少し突っぱねるようにシキが答えた。


「ほんとに美味いな。これはお店開けるな」


 雅も感心したような声を出した。


「ダメに決まってるじゃん! 響のご飯食べられるのは僕たちの特権なんだから」


 シキは猛反対である。


「響は良い嫁になれるなぁ!」


 笑いながら言ったのは豹夏だった。

 彼だけが何も知らないのだ。響に好意を向ける男達のことを。


「響を嫁には出さん」


 ダイラが珍しく大人気ないことを言う。


「そうだな。響には早い。サンドイッチありがとう。すごく美味しい」


 九導はダイラに賛成である。


「僕の場合、婿じゃなくて? 嫁なの?」


 響は単純な疑問のをぶつけるように聞いた。


「響の場合は嫁だな。俺のところに嫁に来るか? このサンドイッチすげぇ美味い」


 そう言いながら響の頭を撫でたのは那珂だった。


「ちょっと、響に気安く触んないで」


 まるでJKのようなことを言うのはもちろんシキだ。那珂の手はシキによって振り払われた。その顔はもっぱら用心棒だ。

 そして響の顔を覗き込んだシキは大きく動揺をした。


「えっ、え、え? 響? 何その顔!? 嬉しそう……」


 響は嬉しそうに頬を少しだけ綻ばせていた。


「うぁ、いや、…なんだか、嬉しくて……」


 恥ずかしそうに俯いて響は言った。

 その様子に那珂や奏や憐は釘付けである。


「うっわ……すげぇかわいい」


 噛み締めるように言ったのは憐だ。


「ほんとに、誘拐されないか心配」


 同意を示したのは奏だ。


「まじで可愛い。嫁に欲しい」


 言ったのは那珂だ。


「「「それはダメ」」」


 声が重なったのは、憐、奏、シキだった。


「うむ。ダメじゃ」


 頷いたのはダイラだ。

 九導もそれに頷いていた。


「あはは! 響くんはモテモテだなぁ〜」


 雅は笑いながら響の顔を覗いた。そして一瞬固まった。


「ゔっ、……確かに、かわいいね…」


 見た目は15歳のまま。中身も大人びてはいるが、情緒が育ちきっていないのが拭えない。しかもあんな扱いを受けてまで自分たちを命懸けで守ってくれた子。今なんてサンドイッチを作ってくれてる。しかも元より美人だ。健気でいじらしい。

 要するに、可愛く見えて当たり前なのだ。


「ダメだよ。響は僕のだから」

 そう言ってのけたのはシキだ。

「は?」

 那珂は低い声を出した。

「どう言うこと?」

 奏も機嫌が悪いらしい。

「そうなのか? 響」

 憐は響本人に聞いた。

「こんないい嫁になりそうな響を独り占めたぁ、羨ましいな」

 何故か豹夏も少し圧がある。

「俺もそろそろお嫁さん欲しいな」

 雅は響の健気さにやられたらしい。

「おいおい。那珂達はまだ分かるが、豹夏と雅は無理だろ。マイナス出発だぞ?」

 冷静に返したのは干灯だった。

「待て。響は嫁にはやらん」

 ダイラは猛反対である。

「僕なら嫁にもらってもどうせ住むところ一緒で特に変わんないじゃん?」

 シキはダイラに言った。

「まぁ、シキならいいか」

 ダイラは響に弱いが、シキにも弱かったりする。

「あ、ダイラそういえば今日用事あるんでしょ?」

 シキが思い出したようにダイラに聞いた。

「お、そろそろ一旦席を外すかのう。響を頼んじゃぞ」

 ダイラはそう言って踵を返して歩き出した。

「言われなくともー」


 シキがダイラの背中に向かってそう言うと、今後の話の行方を想像してダイラは誰にも気づかれないように少しだけ笑った。


「で、結局のところどうなんだ? 響。シキのものになったのか?」

 那珂は脱線しそうな話を戻した。

「え? なってないよ?」

 その答えに一番驚いたのはシキである。

「え!? 響!? 昨日の夜思いは通じ合ったじゃん!? 両思いだったじゃん!!」

「夜?」


 “夜”と言う単語を聞いた憐の圧が凄まじい。

 他の男達もである。


「どういうこと? もう手出したの?」

「それはダメだろ」

 奏と憐もシキに問いただす。

「てか、響はそれで体を許したの?」

 奏は響に詰め寄った。

「ん…? どういうこと? 体? まってまって、なんの話してるの?」

 渦中である響だけがこの話に追いつけていない。

「なわけないだろ!! まだキス止まりだよ!!」

 シキが叫んだ。

「両思いっていうのは何?」

 それでも奏の質問は続く。

「それはね、昨日の夜寝るときに話したんだよ。僕もシキも同じぐらい大好きだねって話」


 そう話す響の顔は場にそぐわないほど、ほんわかしていて嬉しそうだ。

 男達はその表情に勢いを落としそうになったが、気を持ち直して続ける。


「響はシキが好きなのか? 恋愛的な意味で」

 ストレートに憐が聞いた。


「恋愛的の好きはよく分からないけど、憐とか奏とか那珂さんを好きなのと似た意味の好きだと思うけど、シキのことは…、一番好きみたい」


 一番好きという単語でシキの顔は誇らしげだ。

 響はすごく照れている。


「それは恋愛的意味ではなくない?」

 奏が言った。

「響の情緒はまだ未発達だからなぁ」

 那珂もそれに頷きながら言った。

「でも僕が一番だからいいんだよ」

 シキはそう言って響を後ろから抱きしめた。

「わ、急に抱きつかれると転んじゃうよ」

 そう言いながらも響は嬉しそうである。

「でも、俺たちのことも好きなんだよな?」

 那珂は意外と策士だ。

「うん? 雅さんも豹夏さんも、もちろん九導さんと干灯さんも好きだよ。実千流さんも」

 その発言に一番嬉しそうなのは九導だった。

「お、俺たちも好きなのか?」

 九導は動揺したように聞いた。

 それもそうだ。あんなに酷いことをしたと自覚しているから。


「好きじゃない相手を守ろうなんて思わないよ」


 響は笑っていた。


「君って、ほんとに、」


 雅は半分呆れていた。それでも愛おしさが勝ってしまうが。もしあのまま自分たちが何も気付かずにこの子が死んでたらと思うと、過去の自分を殺したくなると思った。


「響はいい子すぎじゃないか?」


 豹夏も雅と同意見だ。

 いい子というより、健気すぎる。


「ふふふっ、」


 楽しそうに笑ったのは響だった。


「響?」


 不思議そうにシキが名前を呼んだ。


「あ、いや、こんな風にみんなで話せるのって嬉しいなって。……前は仕事ばかりしていたから」


 響の言葉に皆が神妙な顔をした。

 そうだ。響はそういう子だ。例え溢れんばかりの穏やかな平穏を過ごしても、その中の当たり前を幸せだと笑える子なのだ。人を尊ぶ事を誰より知っている。


「でも響は働きすぎ」


 雅は顔を少しだけ厳しくして言った。


「それは雅さん達もでしょ? 今日だって夜からギリギリまで仕事してた人もいるって聞いてるし」


 なんでこんなに優しい子なのだろうと誰もが思う。あんな事をしたのに、あんな事をしていた時ですら、いつもいつも自分たちを心配してくれて、今はまるで何もなかったかのように優しさを振り撒く。


「いい子すぎるのも考えものだけどなぁ」

 豹夏がそう言った。

「でもそれは響の美点でもあるからね」

 奏がそう言って肯定する。

「俺はもっとわがままでもいいと思うけどな」

 憐もそう言う。

 そして、シキが小さな異変に気がついた。


「響? どうしたの?」


 響は変な癖がある。

 あの騒動以来、響の周りは笑顔で溢れている。言葉で溢れている。楽しいや嬉しいで溢れている。それは紛れもなく響が守ったものであった。たった一人で、その身を犠牲にしても守ったものだった。

 そしていつもある程度話に加わった後に、ひっそりとその輪から抜けて少し離れたところから穏やかな表情で、それでも少しだけ寂しさを滲ませたような瞳で見ているのだ。

 それはまるで以前よく話していた、外から見ている九導達の話をしていた響を彷彿とさせてしまう。

 だからそれに気づくのはいつもシキだった。


「ん? なんでもないよ」


 響が自覚しているのかいないのか分からない限り、シキは本人に理由を聞くべきなのか判断が出来なかった。

 そしてシキ以外の全員もそれに気づいている。だが皆んなもどう接するのが正解なのかがまだ分からない。

 失くしてしまった時間は大きい。


「そう? ほら、響も食べなよ。朝急いでたからそんなに食べてないでしょ?」


 そう言ってシキが響に渡したのは響が好きなたまごサンドだ。


「うん。ありがと」

「作ったのは響じゃん」


 お礼を言った響にシキは笑った。


「ていうか響は恋人とか作らないの?」


 まだ響の話をしていた奏たちは本人に話を振った。


「作らないよ」


 断言した響の言葉に皆少しだけ驚いた。

 以前シキと再会した際には、分からないと言っていたのに、響は今断言した。


「なんでだ?」


 那珂は聞いた。


「うーん。なんと、なく?」


 嘘ではない。でも本当の事も言っていない時の響だ。聞いた人間ほとんどがそう判断した。


「響、本当は? 何か心配ことでもあるの?」


 奏は響の手を握って優しく聞いた。

 質問を重ねるのは本当は良くないが、今聞かなければ有耶無耶にされる気がしたからだ。


「本当だよ」

「響」


 響の返事に次は憐が響の名前を呼んだ。まっすぐ見つめて。響は親しい人達に真っ直ぐ見つめられると隠しことがしにくい。

 昔から他人には平気で嘘をつくが、親しい人へは嘘がつけなかった。それが響の歪さの一つでもあった。


「本当に、なんとなくなんだ。ほら、前の騒動とかあったでしょ? なんとなく僕の近くにいる人達って、何か良くないことが起こるんじゃないかなって」


 気不味そうに響は言った。


 響は騒動のことの話を蒸し返すのを嫌う。もう終わった事で、過ぎたことだと頭では理解しているし、その件で響は誰の事も、恨んでも怒ってもいない。

 だが、『自分の周りには不幸が付きまとう』。響がそう考えるのは無理もない話だった。

 奏は死んで、憐は上の奴らに狙われていた。実千流も死んでるし、那珂さんは弟を失った。九導らも実千流を失った。

 シキ達も痛い目に合わせてしまって、一度失っている。

 奏も実千流も生き返ったが、そんな奇跡が何度も起こるわけではない。

 世界に平等など存在しなく、それが万人に唯一与えられた絶対だ。そして世界は同情してくれるほど優しくない。情けなどかけてくれやしない。それを響は誰よりも知っている。


 誰もが響の言わんとしていることが分かってしまって、それでいてその不安を拭える言葉を持ち合わせていない。



“ 幸せとは、けたたましく足音を立ててやって来て、泡の様に消え去る時に、深い深い傷跡を残すもの。”



 その痛みを響はもう誰よりも知っている。

 響はまだ怯えているのだ。表向きは前を向いて歩き出していたとしても、この中の大半は響より早くに死んでしまうし、そんな事はないと思いながらも、シキ達だってまたいつ居なくなってしまうかわからない。響はそれが怖いのだ。


「響」


 優しくシキが響の名前を呼んだ。

 シキ達があんまり優しく呼ぶものだから、嫌いだった名前も好きになれたのだと、響は思い出した。


「ん、シキ?」


 ソファーに腰を下ろしたシキの目の前に響が歩み寄った。そしてシキに手を引かれるままにシキの膝に向かい合う形で座った。


「確かにね、一度失ってしまったものは多かった」


 シキの優しい声が響のための言葉を紡ぐ。


「でもさ、響が守ったものの方がきっと多いよ。ほら、僕たちだって響のおかげで戻って来れたし。見てよ、こんなに沢山響は守ったんだ」


 シキはそう言って奏達に目をやった。それに釣られるように響も奏達を見渡した。

 そこではみんなが優しく響を見つめている。


「そう、だね」


 そう言って少し笑ってから泣きそうに俯いた響をシキは笑って抱き寄せた。


「響は心配性だねぇ」


 その声は愛おしくて仕方ないという感情が滲み出ていた。


「…だって、」

「うんうん。寂しかったもんね。僕たちも響に会えない間は寂しくて死んじゃうかと思った。だからそうやって不安になるのも、当たり前のことなんだよ。隠さなくていい。何も間違ってない」


 シキはそうやって響の頭を抱えながら背中をさする。響はやはり泣かなかったけど、それでも響の悲しみに優しく触れるのだ。


「俺と一緒に住んでた時より、随分寂しがり屋になったな」


 そう言ってシキの隣に座って響の顔を覗き込んだのは憐だ。


「あの時は、それどころじゃなかったから」


 響はあの日々を少しだけ振り返った。

 命の危機に晒されるような激務に追われている中、家に帰って憐が居るのは響の支えだった。


「そうだな。あの時はお互い必死だったな」


 奪われないために、必死に足掻いて生きていた。死なぬようにと、生きていた。

 そうして離れている間に遠くなってしまった心に憐は寂しく感じていたが、遠くなんてなっていないとわかった。だってそこまでして守り続けてくれたのだから。


「俺も響に会いたかったよ、ずっと」


 奏もそう言って憐の横に座った。


「…僕も会いたかったよ」


 響はそう返した。

 シキは誰よりも響を知っている。

 奏が死んでしまった時、目も当てられないほどに憔悴していた。でもその時の響に友の死を悲しむ時間はなかった。

 もう決して触れることも喋ることもできない友の遺影に手を伸ばして、空っぽの骨壷を抱えて涙を流していた。

 だからこそ、今こうして触れられる距離にいるのが嬉しく思う。


「俺は、あの日を後悔していた。あんな所に送り出してしまった事を、後悔していた」


 そう言って那珂は憐とは逆のシキの隣に座った。

 那珂は後悔していた。

 あの日、九導達の拠点に送り出してしまったのをずっと悔やんでいた。


「那珂さんは悪くないよ。仕方のない事だったから」


 だけど優しいこの子はきっとそうやって許してしまうのだろうと思っていた。だからこそ、その懺悔を那珂は口には出さなかった。許されたいわけではなかったから。

 きっと必要なのは純真な贖罪だと思ったから。


「お前ならそう言うと思ってたよ」


 呆れたような悲しそうな、それでいて優しい表情で那珂は響の頭を撫でた。


「そんな事を言ったら、俺たちは本当に救いようがないくらい愚かな事をした」


 雅はそう言った。


「そうだ。私たちは響くんに許してくれと言うことも許されないような事をしたんだ」


 雅も干灯もあの出来事を悔いている。

 干灯は九導らの中で一番物事を冷静に見て、違和感に気付いていながら、何もしなかった。できなかった。怖くて、もし本当にそうならと思うのが嫌だった。自分たちのしてきた事が全部一人の少年を苦しめていただけだったなんて、思いたくなかった。


「最初は本当に仲間が死ぬのが嫌なだけだった。使い捨てのように消費していく上の奴らが許せなくて、守るために作ったはずの組織だったのに」


 それはいつしか守るためという大義名分を被った、一人の少年にとっての悪になった。少年はそれを悪とも思わないで守っていたというんだから、救えない話だ。


「ただ、お前を傷つけてしまうだけだったな。本当にすまなかったと思っている」


 九導は真っ直ぐそう言った。


「やめてよ。もうその話は終わったんだ。もう謝らないで。それに何も話さずに避け続けた僕にも非はあったよ」


 響のその優しすぎる言葉が皆んなは嫌いだった。

 非があったと言うが、そんなのはなかった。そういう誓約であったのだからそれこそ仕方がないのだ。その中でも響はずっと最善の選択を探し続けていた。九導達にとって最善の選択を選び続けていた。

 だからこの言葉は響の逃げ道でもあった。

 片方だけが絶対的に悪いわけではないと思いたい響の逃げ道。

 そう思ってないと、今でもまだ傷跡が痛むから。


「響、それは違うよ」


 逃げ道だと分かっていながら、シキは初めてそれを塞いだ。

 響は驚いて顔を上げる。


「そうだ。違うんだ、響。誓約があったんだから仕方のない事だった。その不自由な中でもお前が選んでくれた、俺たちにとっての最善だった。だからお前に非は一つもないんだよ。だから今もこうして俺たちは五体満足で生きていられる」


 九導はそう言った。


「そうだよ。元はと言えば実千流の死を引きずって、あまつさえそれを言い訳にして遠ざけてしまった俺たちが悪かったんだ」


 雅が続けた。


「友であり戦友で同士の死を、言い訳にした私たちが悪いよ」


 干灯も続ける。

 それは友である実千流の死への冒涜でもあった。


「お前は何も悪くなかった。向き合わなかった俺たちが招いた結果だった」


 豹夏もずっと後悔していた。あの時言ってしまった言葉の数々に。


「そうだぜ。大人達が不甲斐ないのがいけなかったんだ。だからお前は何も気に病む必要はない。むしろそれでも守ってやったんだって威張ってもいいんだよ」


 那珂が意地悪そうな笑みでそう言った。

 那珂は送り出してしまったことには後悔しているが、その後の惨劇については九導達を許しちゃいない。それは奏も憐も同じであり、九導達も知っていることだった。

 逃げ道を塞がれた響は傷跡が痛む。

 そして考える。あの時の、自分の全てを捨ててでも何もかもを守りたかった少年を、一番守りたかったのは響自身だった。

 一人の友との訣別に、一人の親友の理不尽な死に、親やその仲間の態度に、怒り、悲しみたかった過去の少年を誰よりも知っている。


 少年は怒りよりも諦めを覚えて、悲しむ時間さえもなかった。


「……うんっ、僕、怒りたかったのかも、……悲しみたかった、…憐とのお別れも、奏が死んじゃったのも。……ずっと、ちゃんと、悲しみたかった……」


 やっと溶けた氷は、悲しみになって、寂しさを纏いながらあの頃の少年を優しい暖かさで包んだ。

 ずっと独りだった。憐が居ても、奏が居ても、シキ達が居ても、ずっと独りで戦っていた。その戦い方しか、守り方しか、少年は知らなかった。

 その心はいつも一人だった。


「うん」


 シキは優しく肯定して響をまた一段と強く、優しく抱きしめる。

 大人達もその光景を見守っていた。




「そろそろよ、俺のところに来てもいいんだぜ?」


 しばらくしてそう言ったのは那珂だった。

 言いながら那珂は響に向かって腕を広げる。

 シキはそれを睨みつけて何か言おうとするも、それより早く響はゆっくりと那珂に向かって腕を広げた。

 響は存外、那珂に懐いている。

 まるで兄のような包容力があるから。


「ん、」


 それだけ言えば那珂は響を軽々と抱き上げて膝の上で抱え込んだ。


「響!?」


 驚いた声を上げたのはシキだが、驚いているのは皆んな一緒だった。

 響がシキ以外に懐くなんて皆んな初めて見たのだから。


「お前ら忘れてないか? 俺は響の専属運転手をやってたんだぜ? 2人きりで過ごした時間はそこそこ長い」


 勝ち誇った顔で那珂は言った。

 響は那珂の腕の中でシキ以外の温もりを初めて感じた。その新鮮さに少しだけすり寄った。


「ん゛ッ、…これ教えたのはお前か?」


 その行動に那珂は悶えてシキに聞いた。


「違うよ。響はあれ以来心を開いたら大抵こうだよ」


 拗ねた声でシキは返した。

 まだ世の中の厳しさばかりを知ってしまっている響の甘え方はまるで子供だ。それでいてどこかそれが子供ぽい事を知っているから照れたようにやる。なんともアンバランスな可愛さだった。


「あの時はありがとう。那珂さんの車でだけ、結界を貼らなくても寝られたんだ」


 その言葉に那珂は嬉しくなるも、疑問が浮かんだ。それは皆同じだったようで、雅が疑問を口にした。


「響くん、送迎の車でいつも結界張ってたの?」


 普通の人間では出来ない。長時間結界を張るのも疲れるし、寝ている間もということは脳は寝ていないし、その間もエネルギーは消費され続けるのだからあまり休養にはならない。そもそも無意識下で貼り続けるのはなかなか出来た事ではない。

 九導ならまだしも、雅達ですらできるか危うい。そもそも普通、そう言った警戒を常にしなくていいための送迎なのだ。


「うん。寝ている間に襲われるなんて、よくあることでしょ?」

「よくあることじゃねぇよ!?」


 響の返答に豹夏は声を荒げた。

 寝首をかかれるのがよくあってはたまったもんじゃない。

 響の言い分はつまり、仲間である送迎の者が響の命を狙っていたことになる。


「安溟倍浄の血を殺したい人なんて数え切れないほどいるよ?」


 その言葉に皆が絶句した。

 それは安溟倍浄の血だけではなく、その息がかかったその独立陰陽連の組織に所属している全員に言える話だった。

 何故自分たちは狙われなかったのかと考えて、合点がいく。当たり前だ。響がそいつらを全部排除していたのだから。


「顔は覚えていないのか?」


 九導も怒った声を出した。顔は隠してはいるが怒ってるのがバレバレである。


「僕を狙うだけの奴らは放置してたから、流石に奏達や九導さん達にも危害を加えるようなら排除はしたけど、今後一切危害を加えないと誓約を結ばせた者は生きてるよ。それ以外は大体自分が殺した数も覚えていない連中だったから、殺しちゃったけど」


 またもや全員絶句である。

 自分だけを狙うものは放置というのにも、そんな凶悪者に立ち向かったのも。

 それに代償がいる誓約をそうほいほいと結んでいたのにも。


「誓約を結んだのはどんくらいいるの?」


 普通の人間なら10人で限界ってところだろう。でも響なら倍は居ても納得できる。そう思いながら雅が聞いた。


「うーん、30人くらいかな…? 70人くらいはもうなす術なくて、殺したよ」


 それは、そんなに狙われれば結界も張るわな、と、響の闇を皆が除いた気がした。


「その30人、大体でいいから覚えてない?」


 奏がそう聞いた。


「どうだろう。見たら思い出すかもしれないけど…、僕が一度死んだ事で、誓約も無効になってるかもしれないから、また探し出して結び直させるつもりではいたけど……」


 またとんでもない発言である。


「響、それ僕聞いてないよ」


 一番最初に不満を露わにしたのはやはりシキだった。


「ごめん…、ほぼ仕事関連の話だから、話さなくてもいいかと思った…」

「なんの話とか関係なく! 隠し事は無しだよ。しかもそんなに危ないこと」

「…うん…、ごめんなさい…」


 シキは響に素直に謝られると弱い。


「はぁ、怒ってはないけど、心配だから。一人で危ない事、もうしないで」


 シキはそう言って困ったような笑みを浮かべて、響の頬を撫でた。


「おいおい。和んでる場合か? ソイツら炙り出すんだろ」


 那珂が腕の中の響を見て、九導らを見ながら言った。


「そうだなぁ。とりあえずあの時期響くんに接触していた運転手や同業者をピックアップしよう。そして響くんに顔写真を見てもらおう」


 雅のその提案に全員が頷いた。

 でも響が慌てたようにストップをかける。


「まって。殺したらダメだよ。ていうかあんまり会話もしないで。ソイツらとは僕が話すから」


 響は出来るだけソイツらと九導らを接触させたくなかった。


「まさか自分が全員と誓約を結ぶなり、対処するなりするつもりか?」


 豹夏が険しい顔をして聞いた。


「それはまぁ、それもあるけど、とにかく、絶対会話しないで。というかソイツらに喋らせないようにした方がいいかも」


 響はソイツらのやり方を知っている。

 アイツらは人の心の弱い部分を知っている。そこに訴えかけてくるのだ。ありもしない作り話で同情を誘い、殺さないでくれと言う。そしてこっちが油断した隙を狙う。

 例え油断した隙を狙われたとしても九導らは負けはしないだろう。ただ、あの殺さないでくれという顔や同情を誘う話は嫌でも記憶にこびりつくのだ。

 響はだからこそ、九導らには接触してほしくない。

 普通の人間で、人を殺した事もあまりなく、殺したのも半端な悪人しかない九導らには耐えられないだろう。根っからの悪人、サイコパスみたいなやつらはこちらに何としてでも心的負荷を負わせようとする。

 それが後に迷いに繋がり、その迷いは、この仕事では簡単に死に繋がってしまうから。


「どうしてそんなに俺たちが接触するのを嫌がる?」


 聞いたのは憐だ。


「それは…」


 響は迷っている。言うべきか。


 それを言ってしまえば自分は軽蔑されてしまうんじゃないかと思ってしまう。大勢殺したことは平気で言うのに、そういう人が心を痛めるところで何も思わないようにしていた自分が異端者であることは懸念するのだ。歪だから。


 まるでその響の内部分を見透かしたようにシキは微笑む。響が安心できる笑みで。


「僕は響の歪なところも含めて好きなんだ。僕にだけなら話せる?」


 全てではないが、響の考えている事を察したシキは響に優しくそう言った。


「……ん」


 響は暫くしてこくんと頷いた。

 九導らや奏達は少し不満そうだが、今は響を尊重するべきだと思い、何も言わなかった。


「そういう事だから、部屋借りていい? いつもの診察してる部屋でいいよ」


 シキは干灯にそう聞いた。

 響の気持ちが変わってしまう前に、事は急いだ方がいいだろう。


「あぁ。それは構わんが、大丈夫か?」


 干灯には今の響は少し不安定に見えていた。

 だからその意味を込めて聞いたが、シキの顔を見てすぐに杞憂だったと思った。

 きっとシキも分かっている。そしてそれを逆手に取ろうともしている。もちろん響にとって良い環境を作るために。


「問題ないさ。じゃ、響返して?」


 そう言ってシキは響に向かって手を広げた。

 響は15歳で成長が止まっているが、元より同年代の男の子より華奢な方で小柄だ。そして後遺症のせいか、15歳から少し退行している。調べたところ、幼児まで退行することはないようだが、今は見た目が10〜12歳くらいだ。大抵の人は抱えられるだろうし、鍛えている人なら軽々と響を抱え上げられる。


「シキ、歩けるよ?」


 響はシキを見上げてそう言った。


「んー。響が僕から離れて寂しかったんだけどなぁ?」


 シキは態とらしく眉を下げた。

 わざとと分かっていても響はそれにのってしまうのだ。


「分かったよ」

「良かった。おいで、響」


 その言葉に吸い寄せられるようにシキに寄れば、シキは両手で抱え上げてから、片腕に響を乗せた。

 そして意地悪そうに一瞬だけ力を緩めた。決して落としはしないが、落ちそうに感じた響は目線の先にあるシキの首に抱きついた。


「わっ! シキ!!」

「あはは、ごめんって。じゃ行こうか」


 そう言って歩き出そうとしてシキは気づいた。

 少しだけ響が眠そうである。


「あ、少し仮眠もとるかも」


 それだけ言い残してシキは響を抱えたまま歩き出した。


 響は退行している時期は急に眠気が襲ってきたりする。干灯いわく、それは急な体の変化を力で補えない部分が疲労として現れるかららしい。

 響ほどの力がなければ間違いなく細胞が暴れ出して死んでいるとのことだった。


 2人はいつもの診察する部屋に入り、診察台よりも部屋の奥にあるシングルベッドに響を座らせた。


「まってね。紅茶用意するから」


 シキはそう言って部屋の中にあるポットでお湯を沸かし、紅茶のパックを入れてから水と割り、ぬるま湯の紅茶を作った。

 それをベッドの横のサイドテーブルに置いた。


「早速だけど、どうして九導達がソイツらに接触するのを嫌がるの?」


 シキは椅子を持ってきて響と向かい合って座った。


「えっと、」


 響は何から話そうかを悩んでいる。


「んー、じゃあ、それは九導達が危険な目に遭うから?」

「それもあるけど、殺されそうになっても九導さん達なら勝てると思う」


 響はゆっくりと答えた。


「九導達に、人を殺させたくない?」


 シキはほぼ確信に近かった。

 九導らは置いといても、奏達は人を殺したこともない。そもそも九導らの元にいた憐はそんな汚い仕事の実態すら大きくなるまで知らなかっただろう。


「……そう」

「そっか、理由は?」


 シキは出来るだけ優しくを心がけて質問を続ける。


「…アイツらの、やり方は汚い。…心的負荷から来る迷いは、この仕事では命に関わる。だから、アイツらは例え殺されようとも、ただで殺されてはくれない」


 そこまで響が話してシキは何となく察した。


「そういうことね。確かに九導達、特に奏達は堪えるかもね」


 普通の感覚で生きてきた人にはきっと耐えられない。悪夢に魘されるだろう。仕事で迷いが生じてしまうだろう。そしていつかそれは命を奪ってしまうかもしれない。

 何より九導達や奏達が苦しむのを響は極端に嫌がる。


「僕ならその感覚を麻痺させられる。だから九導さん達にはやらせたくない」


 幼い少年は一人でも立っていられるために、捨てるものを選んだ。その捨てるものが感情の一部や人間性の一部だったこともあった。

 だけどやっと、やっと人らしい感情や情緒を覚え始めたのだ。

 例え、人でなしでも響であれば愛するけど、響の当たり前を奪うのは、シキは嫌だった。


「それはダメ」

「どうして?」

「それはもう響はしなくていいことだから」

「でもその方が上手くいくよ?」

「ダーメ。絶対ダメだよ。そもそも僕は響の味方けど、響がソイツらと接触するのには反対だよ」


 シキは響にはこれ以上汚れ仕事なんかはしてほしくない。なんなら自分たちが代わりにやるとまで思っている。


「どうしてもダメ?」

「ダメ。なら僕たちがやるよ」

「僕たち?」

「僕とかダイラとか。響と響に関わりのある人間以外を殺すのに、僕たちは何も感じないから」

「それはダメだよ!」


 響は先ほどのシキと全く同じ事を言った。


「どうして?」

「相手は攻撃してくるんだよ? その辺の奴らより弱くないし、何かあったら大きな怪我をするかもしれない」


 早口で説得しようとする響にシキは微笑んだ。


「そういう事だよ。それは僕たちが響を思うのと同じだよ」


 そう言ってシキは響の頭を撫でた。


 ゆっくりでいい。例え何十年掛かろうとも、響にゆっくりと愛される事を知ってほしい。

 それはシキ達の願いだった。


「……うん、ごめん。心配かけるようなこと言って」

「謝らなくていいよ。今からゆっくり僕たちの家族の形を作っていけば良いから」


 シキは眠そうにしている響に気がついた。


「まだ殺すと決まったわけじゃないし。捕獲はとりあえず九導らに任せよう。寝ていいよ? 仮眠とるかもって言ってるし」

「うん、……でも、せっかくみんな集まってるから、戻りたい」


 それはシキからすれば可愛らしいお願いだった。

 だが、この眠気がただの眠気ならいいよと言ってあげられるが、退行化の疲労からくる眠気なら無理をすれば危ない。


「んー、じゃあ、眠くなったら教えてね?」

「ん、わかった」


 それでも響のお願い事には弱いのだ。前までは全くそういったのがなかったから。


「じゃあ行こうか」


 そう言ってシキはまた響を片腕で抱えた。


「あ、シキまって、紅茶飲みたい」


 響の声にシキは響は下ろさずに、サイドテーブルに近い位置に腰を下ろして、響が紅茶を飲み終わるのを待った。

 飲み終わったのを見届けてからその紙コップを捨てて、立ち上がる。

 2人が戻ってきた時には休みだというに、さっきのピックアップの件を雅達が進めていた。


「あ、戻ってきた」


 干灯は早くないか?という顔で言った。


「響がせっかくだから戻りたいって」

「そうか。無理はするなよ」


 シキの言葉を聞いて干灯は響の頭を撫でながら言った。


「…なんか最近、みんな僕のことすっごい子供だと思ってない? 一応成人はしてるよ…?」


 響のその言葉に干灯含めた皆んな苦笑した。


「そうは言ってもなぁ、見た目が子供だしなぁ」


 そう言ったのは豹夏だ。


「退行化の時期ってのもあるし、可愛がりたくなるんだよ」


 雅がそう言った。

 申し訳なさそうに言う2人に対して響は少し嬉しそうだった。


「僕嬉しいよ。みんなに撫でられるの、なんか新鮮で」


 幼少期も少年期も大人に可愛がられるなど皆無だった響はそういったスキンシップに照れながらも素直に喜ぶ。

 その綻んだ顔に皆が胸を打たれた。

 そんな奴らを見て干灯はため息を吐いて、シキは不満そうな表情をした。


「でも響を撫でるのは僕だけでよくない? 僕だけじゃ嫌?」


 シキの言い分は、まるでメンヘラな彼女だなと干灯はまた心の中でため息を吐いた。


「嫌じゃないよ? シキに撫でられるのが…、一番好き…」


 響は少し照れながらも笑顔でそう言った。


「うんうん。そうだよね」


 シキは満足気に響の頭を撫でた。


「ワシは除け者か?」


 そこに席を外していたダイラが帰ってきた。


「ダイラ! おかえり。用事は終わったの?」


 響はそう言って笑顔のままダイラの方を向いた。


「ただいま。ミョウ達はもう少しかかるそうじゃ、集まりに間に合うか分からないと言っておったぞ」


 その言葉に響は少しだけ落ち込んなように見えた。


「そっか…」

「帰る頃にはきっと終わってるさ」


 そんな響の頭を撫でながらダイラは言った。


「そうだね。ご飯はみんなで食べようってなってるしね」


 これがシキ達で決めた家のルールだった。

 基本ルールなんかで制限はしたくないから決めないが、前の響はいつも手っ取り早く栄養が取れるものばかりを案件の合間を縫って食べていたから、これからは出来るだけみんなで食べようということになった。


「ねぇ、なんかダイラが撫でた方が気持ちよさそうだけど?」


 シキがジトっとした目でダイラと響を見ながらそう言った。


「ダイラの撫で方はなんか落ち着くんだよ。シキのは落ち着く時もあるけど、いつも、…嬉しいが勝っちゃう」


 本当は落ち着くも嬉しいもどちらも自分であってほしいが、そんな言葉を聞いては怒るに怒れない。


「それより、何か騒がしいな? どうしたんじゃ?」


 雅達が何やらパソコンと睨めっこしていたりしてるのに気付いたダイラはシキに聞いた。

 そしてシキは先ほど話したことを全てそのままダイラに話した。響と2人で話したことも。


「そうか…。響、大丈夫か? 眠かったら寝てしまってもいいんじゃよ?」


 ダイラはシキがとりあえずは九導らに任せてみると判断した事を聞いて、何も言わなかった。ダイラもシキと同意見だったから。

 だからすぐにシキの抱えられながら船を漕いでいる響に少し小さい声で話しかけた。


「…ん、だいじょうぶ」


 その響の大丈夫じゃなさそうな返事にダイラとシキは顔を見合わせて苦笑した。


「きょーう、眠くなったら言う約束でしょ? 雅達も作業してるみたいだし、どうせ夕方までここに居るんだから、少し寝たら?」


 シキはそう言って先ほどの部屋から拝借してきていたブランケットを手が塞がっているため、ダイラに渡した。受け取ったダイラはそれを広げて響の肩にかけた。


「…わかった」

「横になる?」


 先ほど座ってたソファーでなら今の響ぐらいの身長は横になれる。そう思ってシキは提案したが、響は少し悩んでから首を横に振った。


「ううん…、シキ、座って」


 そう言われてシキは大人しくソファーに座った。響を向き合う形で抱きかかえて。

 響はシキの胸に顔を横にして預けた。


「ごめん、シキ、しばらくこのままにしてて。疲れたら、おろしていいから」


 シキは微笑んで響の目元を優しく撫でる。


「全然いいよ。このまま寝な」


 その言葉を聞いて響は目を閉じた。


「これも掛けるか?」


 そう言って那珂は自分のジャケットを渡した。


「本当なら嫌だけど、響が寒そうだから借りるよ」


 シキはそう言うと那珂はジャケットをブランケットの上から響にかけた。


「それにしても響は皆んながいても寝られるんだな」

「普段なら寝ないよ。これは退行化してる時の影響だから」


 那珂の疑問にシキはそう答えた。


「響は警戒心が強いからのう。家でもシキが居ないと碌に寝れやしないんじゃよ」


 ダイラは言いながらシキの横に座った。


 以前まではシキ達が戻ってきてから響が悪夢のことを黙ったまま別々で寝ていた。お陰様で不眠症が悪化していたのも分かって、今は一緒に寝るようになった。


「まて、お前ら一緒に寝てんのか?」


 那珂は怪訝そうな顔で聞いた。


「当たり前だろ。響だって僕と寝たいって言ったんだから」


 その返答に那珂はあまり驚かなかった。普段から距離が近いのなら察せられたことだ。


「……よく手出してないな?」

「お前ら人間と同じにするな。響はまだ情緒が子供なんだ。何も知らないまま手を出すわけないよ」

「猥談してんの〜?」


 そこに入ってきたのは奏だった。続いて憐もこちらに歩いてくる。


「違うよ。響の話」

 答えたのはシキだった。

「響でエロい話してんのか…?」

 憐は引いたような目で2人を見た。

「なわけない」

 シキは呆れながら返した。


「ならいいけどよ。響の前ではそう言った話は避けた方がいい。アイツはそう言うのが多分生理的に嫌いだから」


 憐のその言葉に奏、那珂、シキ、ダイラは疑問を持った。


「嫌い? 苦手ってこと?」


 シキが憐に聞いた。


「いや、多分嫌い。というか、トラウマに近いんじゃねぇかな」


 憐はそう言った。


「どういうことじゃ?」


 嫌な予感に低くなった声を出したのはダイラだ。


「聞いてないのか? 響は昔性被害にあってる。って言っても本人は取引だったって言ってたけどな」


 そう。響は憐と住んでいた頃、上の連中で響を気に入った奴らが居た。九導ら全員の案件に関する情報を響に流してやるという取引を持ちかけて、その対価に響の体を要求した。響はそれに頷いた。











 ある日、酷く憔悴した姿で帰ってきたことがあった。

 憐はそれを響本人に問い詰めた。響はその口を割らなかったが、お風呂に入ると言って脱衣所に向かった響の様子が心配で、声をかけようと扉の前まで行って聞こえたのは、酷く取り乱したような啜り泣く声だった。

 ゆっくり扉を開けると、途中まで脱いだ服の下の響の身体には酷い情事の跡がいくつも残っていた。鬱血痕に、手を何かで縛った跡、首にも手形が付いていた。所々は血が出ていたのを覚えている。

 本人の口から出なかった事と、今まで響の事を記憶から消されていて覚えていなかったが、思い出してからなんとか自力で調べた。そして響に乱暴したのが上の糞野郎共だったと知ったのだ。

 あれから数回、響は同じようにして帰ってきていたが、取り乱したように泣いていたのはあの日だけだった。


 まるで感情を無くしたように、普段通り笑っていた。






 憐はそれをシキ達に話した。


「知ってた方がいいと思う。でも響は多分話さない。本人もあまり思い出したくないと思う」


 憐はそう締めくくった。

 シキとダイラもこの件で隠し事してたことに怒るつもりはなかった。誰だってこんな事好き好んで思い出したくはない。

 それに憐から聞く響の様子を考えると、本人がにそうしたのかもしれない、と思ったからだ。


「ソイツら今ものうのうと生きてんの?」


 いつの間にか雅や豹夏、九導に干灯らも話を聞いていた。

 こんな事、響は皆んなに知られたくないかもしれない。でも知ってた方が対応を間違えないで済むと憐は判断して、皆んなが聞いてるのを知ってて話を続けていた。

 雅の問いに憐は首を振った。


「死んでるよ。記録では重なる不正が明らかになっての処分となっていた。その仕事も響がこなしていた。響が殺したんだろう」


 憐の言葉は真実味を帯びていた。

 子供にそんな提案を持ちかけてくる奴など、遅かれ早かれ上では処分されるだろう。その処分を響がやっただけのこと。それに響がそういった取引をしているのも上の他の連中は気づいていたんだろう。響なら寝首をかきやすいのを。

 ああ、本当に腐った連中だと、誰もが思った。


「……こんな、小さな体を、」


 奏は寝ている響を見つめた。

 実際は今よりも、もっと幼く、小さかった。


 どうやったら自分よりもうんと小さな体を痛めつけられるのだろう。どうやったらそんな子が痛み苦しんでるのを見て気持ちよさを感じられるのだろう。考えたってもちろん理解などできない。


「殺すだけじゃ生ぬるい」


 シキの声は怒気が滲み出していた。


「そうじゃなぁ。生きていれば5回は四肢をもぐんじゃがなぁ」


 ダイラもシキと同様に怒っていた。


「ダイラ、見れるって言ったら見る?」


 それは響の記憶の事を指していた。


「響自身が忘れているとしても、何がトリガーになるか分からんからのう。見ていてもいいとは思うが、相手はもう死んでるんだぞ。シキ、…お主耐えられるか?」


 生きているならソイツを殺すという発散方法がある。だが、死んでいるんじゃあ見たところで知ることしか出来ない。

 その怒りのぶつけどころが、ないのだから。


「正直、自信ない…。血縁でもいいから殺したくなると思う」


 シキのその言葉に雅達が狼狽えた。

 そんな様子を見てシキが言った。


「大丈夫。本当に殺したりしないよ。響はそんな事望まない」


 そこで今まで黙っていた九導が口を開いた。


「やりきれんな。こうも怒りが渦巻いているのに打つけどころがないというのは」

「あぁ、ほんとにな」


 九導の言葉に豹夏が返した。皆、気持ちは同じだった。

 どうしてこうもこの子ばかりが辛い目に遭うのかと、誰もが思わずにはいられなかった。

 きっと怖かったろうに。

 何も知らない響に手を出したんだろう。縛り付けてその体に無体を強いたのだろう。血が出ていたなら何かで打ったのかもしれない。

 どれだけ屈辱的で、どれだけ怖くて、痛かっただろう。

 でももしかしたら響はその時感じた怖いや痛いにもシャットアウトをしたのかもしれない。まるで道具のようになったのかもしれない。

 なりたいと、望んだのかもしれない。

 でも痛くなかったわけないんだ。怖くなかったわけもない。


 だって、————泣いていたんだろう。


 誰もその苦しみには寄り添えなかった。




「あぁ、でも確か、2人は生存不明だったよ」




 憐のその声はまるで—————、悪魔の囁きだった。




「何人いたんだ?」


 まさか大勢で乱暴したのかと那珂が聞いた。


「確か5人だったかな。そのうちの3人は死んでる」


 憐はそう答えた。

 全員の中で意思が固まった瞬間だった。


「———ぶっ殺してやる」


 普段響と話している時のシキからは想像もできないような口調だった。


「生き残っとるとは、運がいいのう」


 5人分の裁きを受けられるのだから。とダイラは言った。


「捕えるまではこちらでしよう」


 九導が提案した。


「全部こちらでやりたいって言いたいところだけど、響のそばを長く離れるわけにはいかないから任せるよ」


 シキはそう言った。

 その言葉にダイラは内心少し驚いていた。

 響の事に関しては感情に流されやすいシキが、ここまで響第一に考えるとは。いや、それ自体は自分でもそうするだろうし当たり前ではあるが、やはり過去のことを考えると感慨深いものがある。


「分かった」

「分かったら僕かダイラに連絡して」


 シキのその言葉に九導達は頷いた。


「地獄を見せてやろう」

「とっておきのじゃな」


 シキとダイラは口元に弧を描いた。

 でもその目の奥はずっと冷え切っていた。

 九導らはその2人に昔の片鱗を見た気がした。もう敵じゃなくて良かったと、心の底から思った。

 どれだけ人間らしくなろうと所詮は変わらないのだ。九導らに何もしないのだってあくまで響が昔のことを許し、響が守りたいと思い、大事にしている人たちだから。響と響に関わる以外のおおよその人間がどうなろうが関係なければ、興味もない。だけどそれらが響に牙を向くなら話は180度変わる。響を傷つけるならば、傷つけたならば、それならば徹底的に地獄を見せたいのだ。

 だからこそ、どんなに残虐なことも出来てしまう。


「ねぇ、寝てるけど響が居るんだ。この話はここで終わろう」


 奏がそう言った。


「そうだね。響にこんな話聞かせたくない。寝ててくれて本当に良かった」


 シキはそう言って抱えている響の頭を撫でた。











_____________________






 家に帰ってきて、本来なら皆が寝静まった夜。シキと響はリビングのソファーに居た。


「今日、起きてたんだ」

「え?」


 シキは一瞬、何を言われてるのか分からなかった。


「今日、シキ達が話してた時最初は寝てたんだけど、途中から起きてたよ」


 その言葉に冷静になっていく部分があった。


「…いつから?」

「そのうちの2人は生きてるってとこから」

「止める?」


 シキのその言葉に笑って響は首を横に振った。


「そんな顔しないでよ。怒ってもないし軽蔑もしてない。僕だって大勢殺してる。それがどれだけ重いことかを、人として理解している。シキ達より残酷だよ」


 シキはどこか自信なさげな表情だった。


「そんな事ない。響は響だよ。だから好きなんだよ」

「……わざと生かした。あの2人も処分命令が下ってた。でも、わざと見逃した」


 響のその言葉の先を聞きたくなかった。聞いてしまったらもうこの感情をどこにぶつけたらいいか分からなくなるから。


「何が言いたいの」


 どうして、どうして響がそんな顔をするんだ。何も悪くないじゃないか。

 響はまた、全てを背負ったような顔をした。

 まるで人間の罪を背負ったと言うキリストのように、世界の悲しみを背負ったような、あの頃と、同じ表情だった。


「探さないで。殺さないで。アイツらには……、家族がいたんだ。…まだ小さい子供が、いたんだ」


 その子供はきっと親がいないと生きてはいけない。子供から親を取り上げるという行為を、響はどうしても、出来なかった。


 死んだ方がいい人間に、大切に思うものなどなければいい。ゴミのような人間に大切に思ってくれる人などいなければいい。救いようのないクズに守る存在などなければいい。

 シキの怒りはぶつけ所を失った。


「だから許すの?」

「そもそも正当な取引だった。許すも何も、アイツらは理不尽なことなんかしていない」

「…なんで、どうして、許せないだろ…、普通、殺してやりたいと、思うだろ」


 乱暴になった口調でそう言うシキの声は苦しそうだった。

 響は俯いているシキの両頬に手を当てた。シキはゆっくりと顔を上げた。その顔はやっぱり情けなくて、響は苦笑した。


「なんでシキがそんな顔するの?」


 笑いながら言ったその声は、目を見開くほどに穏やかだった。


「なんでって、そんなの……響が怒んないからだよ…」


 本人が怒ってくれないから。本人が悲しんでくれないから。だからその感情を代弁するように、シキはどうしようもなく怒りを感じるし、怒ってくれない響に悲しかった。


「シキ……」


 2人の声が聞こえて起きて来たダイラは静かにシキの肩に手を置いた。

 ダイラが来ていたことにも気づかないほどに感情に呑まれている自分に気づいて、シキは跳ねたようにダイラを見上げた。


「だ、いら…」

「気が乱れすぎじゃ。漏れてるのがワシの寝室まで伝わったぞ。ほれ、響の顔色が悪くなってる」


 シキは感情を主に司る式神。基本的、激情で気が乱れたり漏れたりはしない。だがそれは基本の話であって、だからこそ激情に呑まれた時の乱れ方や漏れ方は尋常じゃない。

 普通の人間がそれに当てられれば、直ぐに気を失ってしまう。九導らでも耐えて10分弱ってところだった。

 それに響はかれこれ15分は当てられている。


「あ………、ごめん…」


 そう言ってシキは意識的に気を抑えた。


「大丈夫」


 そう言う響の顔色は酷い。


「いや、大丈夫じゃないよ、ほんと、ごめん。頭冷やしてくる」


 そう言ってシキは両頬の響の手を解いて、玄関から外に出て行った。

 扉の閉まるガチャンという寂しい音が響いて、響とダイラの2人きり。先程までシキが座っていた所にダイラが腰を下ろした。

 それでも響は喋らないし、顔を上げない。

 暫くしてダイラは先程の響のように両頬に手を当てて響の顔を持ち上げた。


「はは、なんて顔してるんじゃ」


 ダイラは眉を下げて困ったように笑った。

 響は今にも泣きそうな顔をしていた。


「……下手なんだ。…人付き合い自体が。だからシキにはいつも、真っ直ぐ向き合っていようと思った。シキ達が僕の嘘をつかないところが……、好きって言ってくれたから」

「そうか」


 ダイラの相槌は話を続けるのに心地よかった。


「でも、前に嘘をついたでしょ?」

「ああ」

「…ダイラ達が好きって言ってくれた部分が、減っちゃったね」


 響は言いながら、いっそ意地らしいほどに、笑顔で取り繕った。

 それはダイラを悲しませる。


「減ってなどいないんじゃよ。初めて吐いた嘘が、あんなにわしらの事を思っての嘘だったなんて、愛おしくて仕方ない」


 ダイラはそう言って響を抱きしめた。

 本当に、そう思ったのだ。

 響が一人で遠くに行ってしまった時、勿論悲しかった。ずっと一緒だと言った言葉が嘘だと知った時、怒りすらも湧いた。それでも、その嘘の優しさと愛に気づいてしまえば、怒れなどしなくて、唯ただ、愛おしいと思ってしまった。

 それはダイラだけではなくて、シキも、勿論ミョウやチョウも同じだった。


「…ぼく、うまくできないね」


 その声は震えていた。涙は流していないが、きっと無意識に我慢してしまうのだ。それを咎めるのは今じゃないと思い、ダイラはひたすら響を優しく抱きしめて、相槌を打つ。


「そんな事はない」

「…シキのこと、こんなに、大事で、大切なのに……。いつも間違えてしまう」

「響はあの事は本当にもういいのか?」


 ダイラの言うあの事とは、シキとの意見の食い違いの発端でもあった事を指しているのは明確だった。


「……あの時は、何も感じないようにした。汚れていく自分にも、気づかないようにしてた。シキやダイラ達が大事に愛してくれるから、痛くなった」


 古い傷は瘡蓋にすらならないまま放置され続けた。目を向けないようにと巻いた包帯すらも、ボロボロで血が滲んで、それは解けた。


「でも今は、いいんだ。本当に。…でもいつか、バレてしまうのが、バレて汚いと分かってしまうのが…、怖いと思った」


 そしてまた響はボロボロの包帯を巻きつけた。でもそれはちょっとしたきっかけで、直ぐにほつれてしまう。


「シキが僕の為に怒ってくれてるのも分かってた。でもシキ達にもう人を殺してほしくないし、人を嫌いになってほしくない」


 健気すぎるその思いを上手く伝えられない。それはきっと、響が理不尽に奪われたものの一部だった。あの頃、人との関わりを禁じられた為に、人付き合いが不得意で、正しい情緒も、感情の起伏も、それらを知る前に諦めを覚えてしまった。そんな精神ばかりが大人になった。


「響はほんとうに優しいのう」


 ダイラの声は泣きそうになる程優しかった。


「……優しくなんかないよ」

「ならそれは真心じゃな」


 ダイラがそう言えば響はやっと顔を上げた。


「まごころ…」

「そうじゃ。分からないなりに真剣に向き合おうとするその思いは、真心じゃよ。それにのう、響のことを汚れてるなんて思う人間はここにはいない。皆が、響の思いは綺麗だと言うはずじゃ」


 響にダイラの言葉は全ては理解できない。それでもスッと心に入る部分もあった。


「シキと、うまくやっていけるかな…?」

「下手でもいいんじゃよ。歪でも形になるように、そんな家族をワシらで作っていけばいいのじゃ」


 ダイラ達はどんな事があっても、響と自分たちの形で家族を作っていくと言う。それは無意識の響の支えになっていた。


 その時だった。

 ガチャリと玄関の開く音がした。


 響は慌てて立ち上がり、玄関に向かう。そこには未だ自信なさげに俯いているシキが立っていた。

 響は裸足のまま玄関を踏み、シキによろよろと近寄った。

 そしてシキの服を掴んで、ずっと流せなかった涙を流した。


「ぅっ、ごめんっ、ごめん、なさい……っ」


 シキは一瞬驚いて、直ぐに響を抱き抱えた。

 響の後を追って来ていたダイラはその様子を見て、シキには敵わないなと思った。自分の前では無意識に堪えていたのに、シキを見た途端に泣き出したのだから。


「ううん。僕が悪かった。ごめん、本当にごめん、響」


 シキはそう言って一層強く響を抱きしめる。響は嗚咽を漏らして泣き始めた。

 そんな様子をダイラは見守っていた。

 2人が壊れる心配など全くない。例え壊れたとしても、直ぐに直ってしまうのだろう。

 だってそれほどに、2人の形は綺麗にハマっている。お互いがお互いに、太陽であり月であるかのように。


「うぅ……、う、うん、…ひっ、ぅ……」


 響は嗚咽を漏らしながらも首を振った。


「気分は大丈夫?」


 シキの問いに響は頷いた。

 それを見てシキは優しい笑みを浮かべて響を抱え直し、抱っこしたままで靴を脱いでリビングに向かった。ソファーに腰を下ろして、未だシキの肩に顔を埋めている響の背中を、落ち着くまでさすった。

 ダイラはそんな2人を見ながら、自分含めた3人分のホット紅茶を作る。

 ダイラが紅茶を持って来る頃には響の嗚咽は治っていた。


「落ち着いた?」


 シキがそう聞けば響はやっと顔を見せた。

 泣いて赤くなった目元をシキの手が撫でる。


「うん、ごめん」


 取り乱して泣いてしまったのに響は恥ずかしくなって謝る。


「響が謝る必要はないよ。僕が勝手に怒っただけだから。怒る相手も響じゃないしね」


 シキはそう言って響の頬を撫でる。そしてその唇に口付けた。

 響は一瞬目を見開くも、すぐに目を閉じてそれを受け入れる。シキはその様子を見て舌を入れようとした。


「んっ!? ちょ、まってよシキ、ダイラがいるんだよ?」


 響は慌ててシキの胸板を押した。


「ん? 気にしないよ。ね? ダイラ」


 シキは振り返ってカウンターに座っているダイラに言った。


「ワシは気にしないぞ」


 ダイラも微笑ましいものでも見るようにそう言った。

 響は顔に熱が集まるのを感じる。


「僕が気にするの!」

「恥ずかしい?」


 分かりきったことを聞くシキに響は眉間に皺を寄せた。


「シキちょっと性格悪くなった?」


 響も仕返しのつもりでシキの膝から降りる。


「響にはいつでも優しいよ」

「もう、僕先に寝るからね」


 響は拗ねたようにそう言って歯を磨きに洗面所へ行った。


「よかったのう」


 ダイラがそう溢した。


「うん。拗れなくてよかった」


 シキもそう返す。


「お主は響のことになると沸点が低いからのう」

「それはダイラもでしょ」


 シキにそう返されてダイラは笑った。


「響は一人で寝られないし、僕ももう寝るよ。ありがとね、ダイラ」


 シキのお礼にダイラは笑って返し、シキも歯を磨いて響と2人の寝室に入る。

 ベッドの上で響はまだ起きていた。

 シキは布団を捲って中に入り、後ろから響を抱き寄せた。響も抵抗はしない。


「響、身体は大丈夫?」


 退行化している時は何があるか分からない。シキはいつも以上に響の体調を案ずる。


「大丈夫だよ。でも明日はもう少し縮むかも」

「そっか。熱っぽいなとかもない?」

「うん」


 主な症状はひたすら眠くなるのだ。まるでエネルギーを常に消費しているかのように眠くなる。だから退行化の間は案件にも行かせない。


「もう眠そうだね」


 シキの言葉通り響はもう半分寝ているような状態だった。


「…ん、おやすみ、シキ」

「おやすみ、響」


 そう言ってシキは響の目元を覆うように手のひらを当てた。響はこうやると安心して寝る。

 静かな夜に外では雨が降り始めていた。




























 響を探す男が1人。


「みつけた」


 そう言って怪しく笑う男の目の前には響の写真がずらりと並んでいる。


「まっててね、キョウくん」


 男は響を知っている。

 響もまた、この男を知っている。

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人でなしに愛された少年 すおう @crater

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