さよなら、またね、チョコレート

石嶋ユウ

さよなら、またね、チョコレート

 それは二月十一日の夜のこと。高校生、三海真美みうみまみが帰り道を歩いていると、一台の車が彼女の方に勢いよく直進してきた。このまま、彼女と自動車は衝突し、彼女は死んでしまう時の流れだった。そのはずだった。

 車が不自然な止まり方をしている。まるで、時間が止まったかのように。轢かれることを覚悟し、目を閉じていた真美ことミミは目を開き、目の前の光景に驚きを隠せなかった。

「何これ、どういうこと?」

「ミミ!」


 向こうの方から男性の声がする。ミミが振り向くと、同級生のハルキこと松田春輝まつだはるきが彼女の方に向かって走っていた。

「ハルキ、何でここに? アンタの家、ここから反対方向だよね?」

「それよりもケガは?」

「私は大丈夫だけど……。ねえ、どういうこと?」


 息を切らしているハルキは何も言わず、ただ右手に持っている装置を彼女に見せた。

「それは?」

「小型のタイムコントローラー。今、これを使ってキミを助けた」

「えっ?」

「とりあえず、安全なところに。話はそれから」

 ミミはハルキに言われるがまま、二人でそばの公園へと移動した。

「今の状況だけじゃ信じてもらえないだろうから一応見せておくね」

 ハルキはそう言うとミミに見せるように手元の装置を動かした。すると、不自然に止まっていた車は再び勢いよく動き始め、遠くの方へと走り去っていった。


「あなたがあの車を止めたの?」

 ミミは半信半疑な目でハルキを見つめる。彼女に見つめられたハルキの目は揺るがなかった。ミミは彼の揺るぎない目を見て彼がこれから何を言おうとそれを信じることにした。

「そうだよ。今まで言ってなかったけど、実はオレ、未来から来たんだ」

「未来って、どうしてそんなところからこの時代に来たの?」

「親がこの時代の研究をしててさ。研究のために三年間家族でこの時代で暮らすことになったんだ。それでこの時代の高校に通うことにして、ミミと同級生になった」

「そっか……」


「驚かないんだね」

「驚いているし、信じられないよ。でも、あんなもの見せられたら信じる他にないじゃん」

「そうだね。じゃあ、オレはもう帰るよ。またね」

「ねえ、待って。どうして……」

 ミミは「どうして私を助けたの?」とハルキに聞きたかった。だが、その直前でハルキは人差し指を口の前で立てて、ジェスチャーをした。

「このことは他のみんなには内緒だよ。いいね」

 それきり、ミミは何も言えなかった。



「ねえねえミミ、ハルキ転校するってよ」

「えっ? はあ!」

 ミミがハルキの転校を知ったのは翌日、二月十二日の放課後だった。世間的にはバレンタインまであと二日。街中の男女がチョコレートを渡す貰うで盛り上がっているところである。ミミはこの日、ハルキと会うことができていなかった。だからこそ、彼の転校の話を聞いて驚いたのだ。

「それはいつなの! 一体いつなのマヤ! いついなくなっちゃうの!」


 ミミは座っていた席から立ち上がり動揺して友人の桜木麻耶さくらぎまやを揺さぶった。マヤの頭が揺れに揺れる。

「いつって、一ヶ月後らしいよ! それから、少し遠い場所に行っちゃうってさ! 私だって今日になって知ったんだよ! てか、ミミ、やっぱりハルキのことを好きだったの? それと、揺さぶるの止めて……」

「えっ、いや、そんなことないでしょ! 私があんなぶきっちょだけど優しいヤツを好きなわけないでしょ! アイツなんかよりよっぽど良いヤツは沢山いるのに、どうしてアイツが好きだなんて言えるの!」

「それは重症だっ! って私を揺さぶり続けるなぁ!」

「あ、ごめんごめん」


「てか、どうするのさ。あと少しで彼と会えなくなるよ。何かで繋がりを保っておかなきゃ」

「なんでアイツなんかと繋がりを……」

「やっぱミミ、それは重……、っていちいち揺さぶるな!」

「わざとじゃないの。つい」

「そう。気を取り直して。なぜ繋がりを保つかって? それはいつか後悔するからだよ。いつかただの綺麗な思い出になってしまうからだよ。それが嫌なら、何かで繋がりを保っておかなきゃ」

「はあ」


「わかってなさそうだね。よし。今日はもう遅いから帰るけど、明日はチョコレートを探しに行くぞ!」

「えぇ、なんで……」

「だって、二日後はバレンタインだよ。あの、バレンタイン! 彼にチョコレートをあげるのよ。それで彼に思いを伝えて繋がりを保つのよ。とにかく、明日行くよ! いいね!」

「う、うん」

 こうして、ミミはマヤと一緒に近くのショッピングモールに行くことになった。



 翌日、二月十三日の昼休み。ミミは誰もいない教室でお弁当を食べている。彼女は一分に一回ため息をついていた。それはなぜか? ハルキのことである。

「なんで、アイツ大事なことを言ってくれなかったんだろう」

 誰もいない教室に彼女の声が反響する。すると、ミミの目に開いていたドアの方に人影が見えた。

「お、ミミじゃん。こんなところで何してんだ?」

「ハルキっ!」


 ドアの方に目を向けるとハルキが寄りかかって立っていた。彼は少しだけばつが悪い顔をしてミミの顔を見つめている。その様子を見てミミの顔がちょっとずつ赤くなっていく。

「ハルキ、いつからそこにいたの?」

「うーん内緒」

「なんで」

「それも内緒」

「内緒ばっかり」

「ごめんね」


「転校って嘘だよね? 未来にでも帰るの?」

「そうだね。昨日ミミを助けたことで未来のルールを破ってしまった。ルールを破ったことに後悔はないよ。だけど、予定よりも早く戻らなきゃならなくなった。安心して、ただ帰るだけだから」

「本当に? 私を助けたせいで殺されたりしないよね?」

「そんなことはないよ。ただしばらくは時間移動ができないだろうけどね」

 深刻なことを語るハルキの仕草はあっけらかんとしている。ミミはどう反応して良いのかわからなかった。


 それきり二人は何も話すことができずにただ時間だけが過ぎてゆく。ミミにはハルキに聞きたいことがあった。なのにいざ、彼を前にすると何も言えずにいる。無情にも昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

「じゃあ、行かなきゃ」

 ハルキがその場から離れようとしている。ミミは慌てて、彼の腕を握って歩くのを止めた。

「待ってハルキ」

「何かなミミ」

「……ど、どうして、どうして今日はこんなに良い天気なのかな!」

「はっ?」

「あ、あああ、ご、ごめんなさい!」


 ミミはハルキの腕を離してから明後日の方向へと走り出した。彼女には振り返ってハルキの顔を見る余裕もなかった。

「ああ、私のバカ!」

 彼女は走りながら叫んだ。彼女が彼に本当に聞きたかったこと。それは、


「どうして、ルールを破ってまで私を助けたの?」



「へえー。そんなことが」

 放課後、ショッピングモールへの行きすがら、ミミは昼間に起きたことをマヤに話した。もちろん彼が帰る本当の理由は隠してである。マヤは少しニヤけながらもそれを堪えてミミの話を聞いていた。

「どうしよう。変なこと言っちゃった……」

「聞く限りだいぶ挙動不審だよね」

「どうしよう。これで嫌われてしまったら。そうしたらバレンタインにチョコどころじゃなくなっちゃう」

「うーん。そんなことにはならないと思うけどなぁ」

「それは何で?」

「そんなことより、ほら、もうすぐ着くよ。選ばなくちゃ、とっておきのチョコレートを」


 二人は中に入ると真っ先にチョコレート売り場に向かった。バレンタイン前日ということもあってなのか、売り場は少し混んでいる。

「どれが良さそうとかある?」

「うーん、まずはあちこち見てみる」

 肝心のチョコレートは何種類もあった。手頃な価格帯の物から高級な物、さらにはチョコレートの他におまけがついたような物まで、よりどりみどりだ。だが、ミミはどれを見つめても手が動くことはなかった。

「どう、ハルキが喜びそうな物有った?」

「あまり納得できる物がないかも。アイツが喜びそうな物を想像すると、どれも違うような気がして」

「やっぱりねぇ。そうなるよねぇー」


「やっぱりって?」

「ミミはハルキのことになるといつも本気だから、こだわりにこだわった結果、どんな物も納得がいかなくなるって思ってた」

「そっか。私、そんなに本気だったのか」

「そうだよ。それにハルキだって言ってたよ。ミミのことが大事だって」

「えっ?」

「つまり私が言いたいのはだね、君たちには幸せになって欲しいのだよ。そこまで大事だって想えるのは滅多にないからさ」


 ミミはマヤの目を見つめる。マヤの目に曇りはない。ミミは手を強く握りしめ、迷いのない目をマヤに向けた。

「世界中のチョコレートを買い占めてハルキにあげたところで、きっと伝わらないんだ。だから、だから……!」

 ミミは駆け出す。走り出したミミを見て周りが驚く中、マヤはほっとしたような表情で走り去るミミを見つめていた。

「頑張れ、ミミ」



 二月十四日、バレンタイン当日。ミミは放課後にハルキを呼び出した。場所は誰もいない学校の屋上。二人だけの時間が流れている。ミミは深呼吸をしてから、包みを一つハルキに差し出した。

「あの、これあげる!」

「え、いいの?」

「うん! それ、私の手作りなんだ」

「手作り?」

「私のあなたへの想いを伝えるには手作りが一番良いと思って。だから、受け取って欲しい。このチョコレートと私の想いを」

「ミミの想い……」

 ハルキは差し出された包みをまるでガラス細工に触るかのように丁寧に受け取った。ミミはそこから持てる勇気を全て振り絞って言葉を繋いだ。


「中に手紙が一緒に入ってる。ハルキに伝えたいことは全てそこに記した。だから未来に帰ってからでいいから、読んでね」

「ミミ……」

「二日前からずっとあなたから直接聞きたかった。どうして、ルールを破ってまで、私のことを助けたの?」


 ハルキは決心をして、思いの丈を全て話し始めた。

「出会ってから、ミミはずっと一緒にオレといてくれただろ。それで、一緒に過ごしている内にミミのことが大事になったんだ。それでミミがこの先どんな人生を送るのか未来から資料を取り寄せてみたら、ミミはちょうど三日前に事故で死ぬことになっていた。オレはその時間の流れが恨めしくなったよ。どうして、オレにとって誰よりも大事なミミが死ななくちゃいけないんだって。ミミにはこの先も生きていて欲しい。だから、過去の人の生き死にを未来の技術で変えてはならないというタイムトラベルのルールを破った。それだけのことさ」


 ハルキは涙を流している。ミミも彼の話を聞いて涙が溢れた。

「ありがとう。私を大事に思ってくれていて。私もあなたのことが大事だよ。だから、未来に帰っても私のことを忘れないでね」

「ああ、未来に帰っても忘れないよ。残り一ヶ月でミミと一緒に忘れられないくらいの思い出を沢山作ろう!」

「うん、約束だよ!」

「約束」

 二人は抱きしめ合う。それはしばらくの間続いた。やがて、抱きしめ合うのを終えると、今度は手を繋いで笑い合う。繋いだ手は決して離れない。


「ねえ、ハルキが未来に帰ったあとでさ、私はいつかどこかでまたハルキに会えるのかな?」

「会えるさ。きっとまた会える。それも約束するよ」

「本当だね?」

「ああ、本当さ。だから、オレが今の時間から居なくなってもまたいつかの時間で会おうぜ」

 二人は微笑みを浮かべ合う。ミミはそれから大きくにっこりと笑った。

「うん!」

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さよなら、またね、チョコレート 石嶋ユウ @Yu_Ishizima

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