「失礼します」


 私は、職員室に入った。担任の先生との面談。流石に少し、手に汗をかく。でも、この先生なら大丈夫だとも思っていた。


「はい、どうぞ」


 指示に従って先生の隣に座った。先生の机には私の前回の模試の結果が載っていた。

 その先生は、小春しょうしゅんとは違い、目が柔らかい人、清潔な人。

 にのまえ先生、私のクラスの担任だ。

 言葉遣いからかなり優しく、一音一音が丁寧だ。

 しかも東大を首席で合格したとか言う逸話がある。小春しょうしゅんの憧れの人だ。


日和ひより きょうさん」

「は、はい」


 どうなのだろうか。多分この前の模試の結果を言われるだろうし、あぁ、あいつに教えてもらってもまだまだ私馬鹿かな……。


「頑張りましたね」


 その一言に救われた気がした。


「少しですが、数学、物理、化学が伸びてます。この調子で頑張りましょう」

「はい」


 よ、良かった〜。でも英語はまだなのか……。あいつすごいな〜。全教科満点、一位。身に染みてわかるよ。すごいな〜。すごいな〜。


「英語に関してはすぐには伸びないと思いますので、根気強く頑張りましょう。それとですが、どうですか、小春しょうしゅん君との勉強は」

「あっ、上手くいってます」


 にのまえ先生が、毎回実験室の鍵を貸してくれる。本当、この人いて良かった〜。


「そうですか、なら良かったです。で、一応志望校なのですが、これで良いですか?」

「……」


 馬鹿馬鹿しいかもしれない、笑い物かもしれない、高望みかもしれない、おふざけに見えるかもしれない。それでも、それでも。


「間違ってません。私は、私は」

「……」

「東大に行きます!」


 職員室中に響いた。

 チラッと他の先生も見てきたのがわかった。

 耳が熱くなった。涙が滲んできた。馬鹿なんだ私は。無理なんだ私には。小春しょうしゅんにのまえ先生とは違うんだ。

 でもなんというか、彼の、小春しょうしゅんのように頑張りたい、頑張ってみたい!


「そうですか」


 でも判定の紙を、髪を、くしゃくしゃにしたくなった。


「良いですね。頑張りましょう」

「……、えっ?」


 先生を見た。先生は、悪感情を何も持ち合わせていないようだった。ただそのまま、『頑張りましょう』と言っていた。


「ただ今のままじゃダメですね」

「あっ」


 やっぱり私じゃ。


「東大の二次試験は現代文も古典もありますので、今度からは筆記の模試でも国語を受けてみますか?」

「……、えっ?」

「あっ、東大はですね、二次試験に国語もありまして」

「……、えええええええええ!」


 う、う、嘘でしょ⁈ はっ、そういえばあいつと私、模試の帰る時間とか違ったじゃん! えっ、嘘、ということは私はスタートラインすら立ってなかったの⁈


「え〜と、はい、あります」

「うわぁあぁぁぁぁあ!」


 は、は、は、は、恥ずかしいいいいいいいいいい! 私、こんな私、何て言ったのさっき、とぅ、とぅ、東大受けますだぁ? ば、ば、馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!


「ごめんなさい!」


 判定表をしっかり見た。東大の欄にはGと書いてあった。A〜Eじゃない〜。


「だ、大丈夫ですか⁈」


 にのまえ先生が優しくしてくれた。でもこんなんじゃ、私、もう、生きてけない!


「ダメです……、無理です……、うぅ……」

「だ、大丈夫ですよ。そんな卑下しなくても」

「ダメなんですぅ……、無理なんですぅ……」

「……、日和ひよりさん」

「はい……」


 先生を置き去りにして、このまま走りたかった。このまま誰も知らないとこに行けたなら……。


日和ひよりさんのやってることは高望みかもしれません、できないことかもしれません」

「はい……」


 自分が小さく思えた。なんて世間知らずなんだろう。


「でも、悪いことじゃありません」

「……」

「今回の成績を見てください。上がってます。これがもし東大を目指したから上がったと言うなら、目指した方がいいじゃないですか、デメリットなんてどこにもありません。きっと次は今回以上の点数を取ります」

「そんなこと……、ありません……」


 私は馬鹿なんだ、私は無能なんだ、私は無知なんだ、私は愚者なんだ……、このまま海に沈みたい。


「いえ、大丈夫。自分を信じてください。これからも東大を目指してください。実験室はいくらでも貸します」

「……、無理です。私には無理です」

「知らなかっただけです、次は知っているのだから、判定が出ます」

「……、判定が出ても、悪い判定なら、ゲベなら意味ないじゃないですか」

「昨日今日ゲベでも、何一つ問題ありません。大事なのは、本番、あなたが合格できるかです」

「取れませんよ! 馬鹿なんだから!」


 職員室が、静かになった。

 逃げ出そうとした。

 でも、先生が掴んだ。


「座ってください」

「いや!」

「大丈夫です、一呼吸おいて」

「いや、いや! 離して!」

日和ひよりさん!」


 その時だった。一つ稲妻が走った。振り返ると、小春しょうしゅんが先生を殴っていた。


「な、な、何してるんだ⁈」

「ちょ、ちょ、ちょ」


 えっ、な、な、な、な、何してるのぉぉぉぉぉぉ!


「いたたたたた」

「この、エロ教師だったのか!」

「ち、ち、違うの!」


 私は小春しょうしゅんに飛びついた。


「本当に違うの。私のせいなの。私が悪かったからなの」

「そんなはずないよ!」

「違うの!」


 私は小春しょうしゅんに間違って頭突きをした。言葉に力が入って、体が前のめりになって、偶然頭突きをした。


「グハァ⁈」


 男二人が顔を押さえて倒れていた。


「ご、ご、ごめぇぇぇぇぇん!」


 私は大泣きした。


 ■


「そんなわけで、日和ひよりさん」


 あれから二人とも鼻血を出したので、手当てをし、面談を再開した。小春しょうしゅんは職員室の前で待っている。にのまえ先生は鼻にガーゼを当てている。なんとも、居心地が悪いです……。


「次も、目指してください」

「……、はい……」

日和ひよりさんならできますから」

「……、はい……」

「大丈夫ですね?」

「……、はい……」

「じゃあ、応援してますから」

「……、はい……。ありがとうございます……」

「では、質問はありませんか?」


 正直、消えてなくなりたかった、でも一応、聞いてみたいことが二つあった。


「……、先生は東大に合格するために何が必要だと思いますか?」


 面談の前に聞いてみても良いかなと思ってたけど、聞かないことにした質問だった。でも、もう一度だけ聞いてみる気になった。

 先生は安心したように笑った。


「そうですね、時々勉強会を見てて少し足りないと思うことが。理解はあれで問題ありません。ですが、入試です。時間が決まっています。理解だけで解こうとしても時間が足りません。なので時間を気にすること。それだけです。そうすればきっと、点数を取れるようになります」

「……、わかりました。それともう一つ。どうして実験室を貸してくれるんですか?」


 一度だけ聞いてみたかった。あんな危ない場所普通貸したらダメだと思う。だからなんで貸してくれるのか不思議だった。


「そうですね……。先生が言っては行けないと思いますが、校則とか法律とかある程度は破って良いんです」

「……、えっ?」

「校則も法律も、あくまで誰かを守ったりするためにあるだけです。誰かを縛ることは結果です。だからあなたたちが良いことのために何かをすると言うなら、好きなだけ破って良いと思います。ただし、良いことであること、他人への影響も考えておくことです。だから身嗜みとかツーブロックとか破っても良いですけど、破ってどうなるのかも吟味してください」

「……」


 先生の言葉ではなかった。先生の言って良い台詞でもなかった。これは先生の世界観にも近い言葉のような気がした。


「……、ありがとう……、ございます」

「はい、頑張ってください」


 先生の笑顔は柔らかかった。

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