弟が、横綱になるってよ

東乃異端児

弟が、横綱になるってよ

 快活の個室を借りるとリクライニングシートを最大まで倒しそのままごろり。

 注文した唐揚げやポテト、カレーを寝そべったままソフトドリンクごと流し込んで、漫画やアニメを流しみる。

 そのまま誘われるように睡魔に身を任せ、瞼を閉じると五時間は起きない。


 最高だ。

 私が今まで減量だのなんだの苦労に苦労を重ねてきたからこそわかるこの至福。

 どんなに抗おうとも、どんなに否定しようとも、人類が生物である以上食べて寝たいという欲求からは逃れられないものだ。


 それは私、リチャードが現役の体操選手で、オリンピックに出る夢のために母国ブルガリアの代表選手の座を争い続けてきた私が、それでも、そんな私でも練習が面倒になって日本に逃げてきてしまうのだから間違いない。


 人類には勝てない。食欲、睡眠欲、


「あと性欲ぅ~――――あ、まずい、遅れる」

 時間を確認した私は荷造りを済ませ、本棚にTo LOVEるを戻すと大きなあくびをしながら無精髭をさすり、そして店を出た。






「スミマセン、どなたかいらっしゃいませんか?」


 閑静な住宅街の一角、加賀山部屋と書かれた立て札を横目に、ひと回りも大きい引き戸を開け大きな声で叫ぶと、奥から浴衣を来た大柄の男がのっしのっしと現れて、私の顔を見るなり満面の笑みを浮かべてきた。


「おお、兄さん! 久しぶりだなぁ、今着いたんだね」


 現れたのはベン、私の弟だ。

 私たちは互いに抱き合い喜びを分かち合う。


 地元ブルガリアの相撲道場で小さいころから相撲をしていた努力家のベンは、十五のとき単身で日本へ渡った。日本の学校でも相撲に明け暮れ、今ではここ加賀山部屋所属の力士として活躍している。


 弟の手招きで中に入ると親方や女将さんに挨拶を済ませ、そのまま食卓に誘導される。

 するとどうやら丁度昼食時だったらしい。こんもり具の入ったちゃんこを女将さんがもってきてくださり頂けることとなった。


 女将さん特製ちゃんこをつつきながら、私たち兄弟は久しぶりの再会を喜び合い、たがいの話したいことが止まらない。

大きな体でのけぞって笑う弟を見ていると、私は口元を緩めて言った。


「それにしてもお前が横綱か、立派になったもんだ」


 食卓の壁にかかった大きなのぼりを見ると、そこには武類狩山関と書かれている。


 これがベンの四股名だ、仰々しく強そうな名前だろう。

 でもその名前の由来は、ベンがブルガリア人だから、当て字で武類狩山ぶるがりやまと読むらしい。


 親方がブルガリアヨーグルトを食べながら「今日からブルガリヤマな」的にあっけなく決まったそうだ。そんな適当な名前もいざ横綱になってしまえば箔が付く。それは弟の努力あってのものに違いないわけだが。


「でも、せっかく横綱になったってのに、明治神宮で土俵入りができないのが残念だよ」


 当の本人は苦みを発した笑みをこぼす。それから包帯の巻かれた右足をさすった。

 横綱昇進を決定する大一番で、昇級をきめるのと同時に右足をひねりそれが尾を引いて今でも治療中らしい。


 横綱に昇進すると昇進式というものが行われ、そのプログラムの中に明治神宮奉納土俵入りというセレモニーがある。これは新しい横綱を世間にお披露目する大切な儀式なんだとか。


 でもベンのこの足じゃ土俵入りの四股踏みが難しいだろう。明治神宮を貸切るのも簡単ではない、この機会を逃せばできないかもしれない。


 だが、それを何とかするためにこの私、お兄ちゃんの出番なのである。


「安心しろ、その為に俺が、デブ活してるんだろ?」


 私がただ惰眠を貪り暴飲暴食の限りを尽くしていたと思ったのか! 

 弟が大柄過ぎてわからないだろうが、実は私と弟は、双子なのだ。


 数か月まえの話だ。急に電話をかけてきた弟からこの件の事で相談を受けていた。応援してくれた親方や女将さん、ファンのためにも絶対に開催しなくちゃいけないと涙ながらに訴えるベンの声に、頭を悩ませた俺は、「よし、俺がやろう!」と土俵入りのときだけ自分が替え玉をすると申し出た。


 もともと小さい頃は体系も似た感じでそっくりだと言われていたから、後は私の体系をお相撲さんにするだけだろうという安直な考えなのだが。


 その日から体操の練習をサボり、コーチからどやされながら爆食を続け、怒り狂ったコーチから逃げるように日本へやって来た。


 そう、私の爆食はデブ活。明確な任務遂行のためのものなのだよ。







「あー、最高だよ、力士最高」

 ちゃんこを完食すると同時に畳に寝そべる。これも重要な任務任務♪

 そんな兄を見ながらベンは申し訳なさそうに口を開く。


「でも、本当に良かったのかい? 兄さんには体操があったでしょ」

 そんな優しい声に、たまらなく背を向けて、私は手をひらひらさせた。


「……いいんだよ、体操は」

「? ……なにか、あったのかい?」


 明らかにトーンがおちた弟の、その心配の色が濃くなった声が届く。思えば泣き虫でずっと私の傍を離れなかった弟は、いつしか横綱という立派な称号をもらうまでになった。


 日本語だって、一緒に勉強して、一緒に会話して、それで、ずっと一緒だったのに……。


「何でもないよ、気にすんな」

 いつものように、私は弟に笑いかける。

 そりゃ、私も努力をしてきたさ。でもね、たとえ兄弟で、双子だったとしても中身がちがうんだから。


 弟には才能があって、私にはなかった。ただ、それだけのはなしなんだよ。






 明治神宮の控室で既にまわしを着用し待機していた私は、上着を上までしっかりしめていても、寒さでぶるぶると体を震わせていた。


 年が明け一月、昨日無事に横綱昇進が言い渡され、晴れて武類狩山は横綱となった。日本中が歓喜と熱狂に湧く中、当日の明治神宮は多くの人でにぎわい、横綱の土俵入りを今か今かと待ちわびている。


 今日まで弟の体系に寄せるためにデブ活をしてきたのだがやっぱり双子というわけで、見た感じそっくりだ。初見だと見分けがつかない。

 よし、今日はなんかうまくいく気がするぞぉ!


「あ、横綱! こんな所に居たんですか⁉」


 控室に入ってきたスタッフが息を切らして控室に入ってくる。

「はやく、もうすぐ始まりますよ! もうみんな揃ってますからぁ」


「へ? ウソ」と時計を確認する瞬間も与えられないまま、私の上着をはぎ取られスタッフに押し出される形で外へ出る。






明治神宮の境内を拍子木の叩く音と共に付き人を従え五人で練り歩く。

ついに替え玉である私の出番だ。さっきまでさむがっていた額に汗がにじむ。


「……やばいな、これはヤバいぞ」


沿道に人が所狭しと並んでいて、そして時折、隣の人とささやき合いながら、皆が一様に私を見る。


 いや、見ているのは私でも、私じゃない。ずっと上着を着ていて全く忘れていたが、




――胸毛、そり忘れたぁあああ!




「あれ? 武類狩山ってあんなジャングルだった?」

「さっきまで着物着てたからわかんなかったけど、のばしっぱなしだったのかしら?」


 いかん! 清潔感を売りにした弟のブルガリアハンサムキャラのイメージがぁ、どうにか、どうにかしなくては、――あ、あれは!


 すると、本殿の正門の影に女将さんを発見する。


――お、女将さんがガムテープを持って待機している‼


 目があうなりコクリと頷く女将さんに、背中に汗がだらだら噴き出す。


――正門を通る数秒で、胸毛を取るのか? そのガムテープで⁉


 だが、やるしかない。弟の名誉のためだ。

 練り歩く集団が正門を通過する瞬間、お付きを壁にして女将さんが私の胸にガムテープを貼りたくり一気にベリッ! 絶叫すら許されない痛みに失神しそうになるが、必死に耐えて、

 そして私は、正門をくぐった。


――『武類狩やまぁ! 横綱昇進、おめでとぉおお』


 どっと湧き上がる歓声。本殿には、今までとは比べものにならないほどの人であふれかえっていた。


 歓喜を叫ぶ人、手を振る人、涙を流す人。みんな自分の事のように喜びを表現している姿が、私の目に届いた。


 私はその中央に向かいながらその光景にただ、あっけにとられていた。

 そして本当の意味で、弟が替え玉を頼んでまでやらなくちゃいけないと言った意味が分かった気がした。


 私たちが幼かったころ、泣き虫で私の後ろを付いて回っていた弟は日本に来て、私の知らないところでこれだけ多くの人に支えられて、これだけ多くの人に愛されてきたのだ。


 それは才能じゃない。

 ベンの熱い情熱と、支えてくれた人たちを喜ばせたと思う暖かさが、これだけの人をひきつけ、それがベンを横綱に押し上げたんだ。


 私は左足で四股を踏む。

 ドッと湧く歓声がまさにそれを証明していた。


 しかしそれがかえって、私の右足を重くした。本当に、本当にこれで良いのだろうか? 私がこのまま、この土俵入りを締めくくっていいのか?


 右足。

 右足で四股を踏めば全てが終わる。でもそんな悩む私に、人込みをかき分けて一つの人影が迫ってきた。


――あ、あれは、――コーチじゃん!


 鬼の形相で迫る私の、体操のコーチが、そこまで来ていた。日本まで来たのか⁉

 まずい、こんな時に、――でも迷う事はない、自分の正しいと思ったことをするべきだ。

 すると私は腹に力を入れて大きく叫んだ。


「おあつまりのところ申し訳ありません。いま私、武類狩山は右足を挫いてしまいましたので、本日は中止とさせて頂きたいと思います。――明治神宮ではないかもしれませんが、後日必ず、必ず! 皆さまの前で完璧な土俵入りをご覧になって頂きたく思います。――では失礼します」


 急なことに騒然となる会場から踵を返して足早に去る私の背後に、誰かが一言投げかけた。


「――捻挫? めっちゃ歩いてんだけど」






 明治神宮で勝手に帰ってきた私に、弟は激怒することなく、私の話をじっくり聞いてくれて、それで納得してくれた。ベンも薄々感じていたのかもしれない。

 ファンが見たいのはただの土俵入りじゃない。横綱、武類狩山の土俵入りだ。

やっぱりこういう大事なものは何が何でも自分で、絶対に行うべきだ。


 人間死ぬ気でやれば何とかなる。あの一件以降、弟の怪我が治るときを見越して必死に会場を探した相撲協会本部。その話が偶然天皇陛下の耳に届いたらしく、前代未聞の江戸城皇居で執り行われることとなり、今までで一番もりあがったんだとか。


 それから私はブルガリアに帰国した。

 私も結局は、多くの人に支えられて、願いをかけられて、オリンピックの代表を目指してた。決して一人で戦ってたんじゃない。それに今気づくなんて情けない。


 それから、コーチにも、チームのメンバーにも謝って、そえから必死にダイエットして、これからやり直すと誓ったんだ。

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弟が、横綱になるってよ 東乃異端児 @jomjom75

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