⑤地の利



 「くっ、雪が無けりゃ動き易いんだが…」


 俺は履いていたかんじきのお陰で雪に足が埋まる事は無かったが、かと言って素早く動き回れる訳でもなかった。しかし、化け物の方は雪上をヘビそのものの独特な動きで難無く進み、その巨体から想像も出来ないような速さで噛み付き、そして長い尻尾を叩き付けてくる。


 オオカミ達のように身体ごと飛び込んで噛み付いてくるのではなく、長く伸びた首をムチのように振るいながら襲い掛かり、反撃しようとピッケルを振り上げても、素早く首を引っ込めて避けてしまう。攻防一体とまでは言わないが、厄介な相手だ。


 「…んっ、オオカミか?」


 俺と化け物が争う最中、不意に周囲を巡っていたオオカミ達が吠え声を上げ、距離を保ちながら牽制し始める。まさか、俺の援護をしてくれているのか?


 「バウッ!!」

 「グウウゥ…ッ!!」


 巨体を捻りながらオオカミ達の威嚇に引き付けられ、俺から視線が外れた…今か!!


 ドンッ、と足元を踏み締めて一歩前に。それだけでもうもうと雪煙が立ち上ぼり、俺の姿が奴の視界から消えた筈…だったが、


 「ぐわっ!?」


 真横から振り払うように尻尾が俺を捉え、そのまま宙を舞い再び雪の中に落とされる。絶対に見えていないと思っていたのに…何故だ?


 その時、化け物の耳がくいっと俺の方を向き、遅れてくるりと顔がこちらを向いた。ああ、成る程ね…耳も武器の一つって訳か。


 「バウワウッ!!」

 「ワウッ!!」


 と、再びオオカミ達が吠え始め、化け物の耳が忙しなく左右に動いて吠え声に反応する。盛んに喚くオオカミのお陰で俺から注意が逸れ、落ち着いて行動出来る隙が生まれた。


 …サキに助力を乞うか? いや、それは不味い。今日は彼女に武器を持たせていなかった上、ポンコも居る。化け物の機敏な動きを考慮すると、二人は戦力外だと思った方が良い。


 …なら、化け物の動きを抑えるしかない。方法が有るとすれば…やはり、自分が囮になってに連れて行くか。しかし、こうなったらオオカミ達ともう少し意思共有が出来れば…



 「…な、何ですかヒゲさん!? そんな眼で見ても私は役に立ちませんよっ!!」


 …唐突にポンコと眼が合った瞬間、俺の頭の中で歯車が回り、カチリと音を立てて噛み合った。


 「…サキッ!! ポンコを寄越せっ!!」

 「はいぃっ!?」

 「…あっ、口寄せねっ!!」

 「はいいいぃ~~ッ!!?」


 俺が叫び、サキが理解して、ポンコが絶叫した。一瞬後、ポンコは宙を舞い、俺が手を広げて掴んで抱え込んだ。


 「ふにゅ~っ!?」

 「ちょっとだけ我慢してくれ、それとオオカミ達に伝えて欲しいんだが…」

 「でっ、出来るかどうか判りませんよぉ!?」


 ちょっとだけフニャッとした肌触りを腕の内側に感じつつ、ポンコの頭の上に顎を預ける。その瞬間、チリッと頭の中で何かが弾けるような感覚がよぎる。


 (…この先に凍った湖が見えた。そこまでコイツを誘導すれば…)


 俺がそう考えると、オオカミ達が一斉に動き出し、盛んに吠えながら化け物の周りを取り囲んだ。


 「成る程ね…確かに目標を定め難いな」


 オオカミ達が一定の距離を保ちながら吠える事で、化け物の動きは整合性を失い、苛立ちを募らせていく様子が手に取るように判る。そして俺が化け物の前に姿を見せた瞬間、怒りが頂点に達した相手がアゴを開き、ぬるぬると左右に身体をくねらせながら突進してきた。


 「よっ! まあ、当たらなけりゃどうって事は無いな!!」


 俺が牽制するようにピッケルをかざしながら噛み付きを避けると、今までとは違って勢いを削がず、そのまま蛇行しながら身をひねって追いかけて来る。


 「遅いぞ、のろまッ!! さっさと噛み付いてみろ!!」


 言葉が通じないと判っているものの、わざと聞こえるようにはやし立てながら走り出すと、立ち木を薙ぎ倒しながら化け物が追いすがる。その周囲をオオカミ達が取り囲みながら移動し、俺達はそのまま山の斜面を滑るように降りて行った。



 「…余り引き離し過ぎても不味いか…おっと!?」


 斜面を駆け降りながら、化け物の姿を確認しようと振り向きかけた時、身体が立ち木に当たって止まったが、その先は崖になっていた。


 「危ないな、もう少しで崖下まで真っ逆さまだ…」


 立ち木に掴まりながら崖の下を覗き込んでいると、オオカミの吠え声と共に化け物が姿を現した。


 「おらっ!! 怖じ気付いたか、化け物っ!!」


 俺が挑発するようにピッケルを振り回しながら叫ぶと、雪を噴き飛ばしながら巨体を滑らせるように化け物が突進してくる。向こうは俺の姿しか目に入っていないようで、その勢いに躊躇や遠慮は見当たらない。


 そして、木々をへし折りながらアゴを開き、怒りに我を失いながら一気に距離を詰めて来た化け物と、寸前で立ち木を掴んで足場にしながらヤツの頭上高く跳ね上がった俺は、ギリギリのタイミングで場所を入れ換えた。


 …バキバキッ、と立ち木を折りながら化け物が振り向き、俺に向かってアゴを開きながら首をもたげたが…もう、遅い。


 そのまま奴は崖から滑るように落下し、巨体をうねうねと動かしながら宙を舞い、そして凍り付いた湖の中へと落ちていった。



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