⑫骨と皮と肉



 シカの放血(仕留めた獲物の血を抜く事)を終え、早速シカの皮を剥ぐ為に黒曜石のナイフを脚の付け根にあてがう。


 「へえ~、こう見ると結構大きいシカねぇ!」


 と、言いながらサキが近付いて来た。以前の拠点周辺で狩ったシカとは違い、確かに身体は一回りは大きいかもしれない。


 「まあまあかな…でも、まだ大人じゃないと思うぜ」

 「ふーん…ところで、このシカは川に沈めないの?」


 サキは今まで狩ってきた獣を冷やす理由を覚えていたので、そう俺に尋ねてくる。


 「手頃な場所に川が無いからなぁ…このままバラして持ち帰って、それから冷やすか」


 そう答えて何気無くポンコの方に視線を送った時、視界の端で何かが動き、茂みを掻き分けながらガサガサと音を立てた。


 「…っ! ヒゲさん…何か居るよ!!」


 ポンコが事態を察し、俺の背後に隠れながらその方向を指差すが、直ぐに音の主が姿を現した。


 四つん這いにも関わらずポンコより肩の高さも有り、全身の幅も遥かに大きなそいつは、フーッ、フーッと荒い鼻息を立てながらゆっくりと近付いてくる。


 「…やれやれ、シカに遭遇出来ただけで済まないもんかね、全く…」


その音の主は、灰色の毛に覆われた厳ついクマだった。


 俺がサキとポンコを背中に隠すように前に立つと、クマは立ち止まり値踏みするようにジッとこちらを睨み付ける。どうやら、シカを横取りするつもりらしい。さて…どうしたもんか。


 槍は確かに手元に有るが…向こうが本気になって駆け出せば、互いの距離はあっという間に縮まるだろう。その僅かな時間で槍を投げ具に載せて構え、投げるまでの間にクマは俺の身体を張り飛ばすに違いない。ならば3人で同時に大声を張り上げて威嚇し、その間に槍を構えるか?


 と、クマが1歩踏み出した。どうやら自分の体躯に自信が有るのか、それともこちらに対抗出来るだけの力が無いと踏んだのか…どちらにしても、もう迷っている時間は無い。


 俺が槍を構えてクマと向き合うと同時に、向こうは速力を上げて力強く突進してきた。分厚い皮下脂肪に覆われた固い毛皮は、そいつが生まれながら持つ強靭な鎧として、俺の攻撃を難無く跳ね返すだろう。



 …まあ、今までの俺ならな。


 構えた槍を投げず、そのままクマに向かって1歩踏み出した俺の身体は、相手の頭上まで軽々と浮き上がった。もし、クマが俺達をどんな順番で食おうとか考えてたなら、肉の固そうな俺は一番最後に食うつもりだったのかもしれない。まさかそんな相手が自分から目の前まで飛んで来るとは、夢にも思わなかっただろう。


 そのまま宙を跳ねるように舞いながら、槍の穂先をクマの眼に突き立てる。クマは自分がどうやって傷付けられたのか理解出来ぬまま、黒曜石の穂先で脳髄を軽く掻き回された末に、グホッと生暖かい息を吐いて首を折る。その拍子に槍の穂先がボキッと嫌な音を立て、折れた槍の柄だけが俺の手の中に残った。


 思わぬ副産物じゃないが、シカを狩った上にクマまで獲れちまった…しかしこいつ、どうしたもんか? シカとクマ、合わせて数百キロ相当の重さはある。勿論、そんな重量を持って歩ける訳も無い。バラバラにした所で軽くなりやしないし、内臓を捨ててもたかが知れている。なら、どうするのかって?




 「いやぁ、こんな大物を仕留めるなんて良い腕してるわアンタ!!」

 「そんな事無いですよ…運が良かっただけです」


 ベシベシと太い腕で肩を叩かれながら、俺は隣に立ったオバサンに愛想笑いを浮かべながら答えた。


 2頭の獲物を運良く仕留めた結果…シカとクマが獲れたけれど重くて運べないから手伝って欲しい、とサキに助っ人を呼ぶよう頼んだのだ。


 そりゃ分け前を振る舞う事になるだろうし、そのせいで自分達の取り分は減る。その代わり仕留めた分は一切無駄にならずに済むし、余計な皮剥ぎや精肉加工も分担して行える上、これから【ヨセアツメの谷】に暫く滞在するにせよ顔も売れて一石二鳥になる…。と、そこまで計算した訳じゃないが、結果オーライだろう。

 

 「それにしても立派なクマだなぁ、よくもまぁ怪我もせず一発で仕留めたもんだね」

 「ええ、たまたま頭を狙ったら運良く眼に入っただけですよ。お陰で槍が折れてしまいましたがね」


 運び込まれたクマから毛皮を剥ぎながら、皮細工職人のオジサンが感心しつつ頭蓋骨を頸椎から切り離した。その拍子でポロリと落ちた黒曜石の穂先は真ん中から砕け折れ、もし頭以外を狙って仕留め切れなかったら…きっと反撃されて俺は死んでいただろう。しかしゲームの中とはいえ、そう考えるだけで背筋に冷たい感触が這い上る。


 「…ん? クマの胆だよね、それ」

 「あー、これかい? 苦くて渋いから捨ててるが…何に使うんだい」

 「これは干して固めると良い薬になるって話だけど…要らないなら貰っておくよ」


 丁度横でクマの解体をしていた男が、指先で茶色い水風船のように膨らんだ臓器を摘まみ上げたので、俺は譲り受ける事にした。伝統的な猟を行っていたマタギは、クマの胆嚢を囲炉裏の上や炬燵こたつの中に吊るして乾燥させて、漢方薬の一種として売っていたそうだ。果たしてゲーム内でどんな効能が有るか判らないが、捨てるのは勿体無い。


 こうして【ヨセアツメの谷】の住人に助力を乞い、結果としてクマとオオツノジカの肉、そして各々の毛皮と骨、更にクマの牙と爪が手に入った。運搬と解体に参加してくれた住人に取り分を振る舞い、顔見せを兼ねて更にお裾分けも頼んだ結果…手元に残ったのは全体の3割弱程度だ。因みに内臓に関しては、その日の内に食べる事になったんだが…



 …グラグラと煮え立つ大きな素焼きの鍋に、切り刻まれた様々な内臓肉が次々と放り込まれていく。心臓、食道と胃、大腸小腸ついでに肺と、おまけにシカはメスだと言う訳で…いわゆるって部位も鍋に投入されている。


 あの集会所の焚き火に掛けられた鍋の中には、俺が獲ったシカとクマの内臓で山盛りになっている。脚や腕、肋肉等は塩漬けや藁で包んで土の中に埋めておけば、腐敗せず暫く保存出来るらしいが、内臓肉は鮮度の良い今しか食べられないそうだ。


 「さあ! 遠慮しないで熱いうちに食べとくれよ? あんたが獲った獲物なんだからさ!!」


 気付けば最初の塩対応も何処へやら…例のオバサンがそう言いながら取り分けた椀一杯の煮物を、俺に向かって差し出した。


 獲物の運搬や解体に関わった住人や、物々交換に応じてくれた人々だけでなく、たまたま顔を出した無関係な住人まで分け隔てなく鍋を囲み、気付けば【ヨセアツメの谷】の殆んどの人々が集会所に集まっていた。


 「うわっ! 肺ってこんなサクサクしてるの!? フワッとしてると言うか…似た感じが思い付かないなぁ~♪」


 サキが掬い上げた肉片を噛み締めながら、美味しい美味しいと繰り返す。聞けば味付けは干した果物や岩塩を砕いて入れてあり、それにセリのような香りの強い植物の葉を加えてあるそうだ。


 「でしょ~? 一回茹でた後あく抜きして水に晒してあるから、脂も適当に抜けてるし、料理の腕が達者な私だから尚更なおさら美味しいでしょ!」


 再びオバサンが腕を振り上げながら豪快に笑い、周りも釣られて大笑い…いやはや、どんな環境でも女は強い、か。


 俺も一杯御相伴させて貰ったが、モチモチした歯応えはどちらかの腸だろうか…脂の乗りも有って独特のナッツみたいな風味はきっと、クマの方かもしれない。木の実を多く食べたクマなら、臭みが少ないらしい。あのクマはもしかしたら、縄張りを守ろうとして立ち向かってきただけなのかもしれないが…今はもう判らない。


 「ううぅ~、もう食べられましぇん…」


 と、ポンコが呻きながらパンパンに膨らんだ自分の腹を擦り、ペタンと座り込む。肉を食う前にヤマイモまで食べてたから、そりゃ腹も膨らむだろうさ。その横で似たようなケモ耳の小さな兄弟が椀を抱え、はむはむと中身を頬張りながら嬉しそうだ。


 …そうそう、どうしてここが【ヨセアツメの谷】と呼ばれているか、その理由を聞いたっけ。


 『…彼らのように普通の人間と違う半獣半人の者は、外の集落で様々な扱いを受けて爪弾きにされています』

 『…そうした者達は、過酷な自然の中で団結しないと容易に暮らせない此処にしか、住む所が無かったようで…』

 『…気が付けば、彼等も含めて様々な者が自然と集まった結果、此処が【ヨセアツメの谷】と呼ばれるようになったのです』


 …俺達に理由を説明してくれた集会所の老人は、そう言いながら自分の足首に刻まれたギザギザの黒い模様を見せてくれた。



 「…私は、とある場所で貧民として扱われていました。最下層の人以下の存在として蔑まれながら生きていましたが…此処に居場所を見つけられた今が一番、幸せなんですよ」


 …妙にキナ臭い話を聞かせてくれた後、俺達が住める空き家を紹介してくれたが…何となく頭の隅に、話の後味がモヤモヤする気持ちとして残った。

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