③獣の力



 ワレメ(しかし何度も言うが何て名前だ)に促された俺達は、室内の隅に敷かれた大きなクマの毛皮の前までやって来た。どうやらそこに横になって、刺青を彫る段取りになるようだが…問題は、自分達で刺青を選べないって事だ。


 「しかし…刺青が選ぶってのはどういう事なんだ?」


 先ずは俺からと思い、クマの毛皮の上に直に座りながら、ワレメに聞いてみる。それにしても、あの戦士の場合はヘビとクマだったが…俺やサキには何が寄り憑くのだろうか。


 「獣、好き勝手に居る。だから、人間は待つしかない。獣も好みある。だから嫌いな奴は嫌うし、好きな奴いれば、沢山来る」

 「つまり、全部向こう次第って訳か…」


 座ったままワレメと話していると、彼女は手に持った素焼きの香炉に一摘み何かを入れた。それは香草だったようで、一際香りの強い煙がもわっと立ち上がる。


 「…裸になれ。毛皮の服、獣は大嫌い」

 「…ああ、判った…」


 ワレメに促され、多少はサキの視線に配慮しながら裸になる。素肌を晒すと案外寒さが身に染みるけれど、毛皮の上に身を投げ出すとほのかに温かみを感じる。たかが毛皮と思っていたが、案外バカに出来ないもんだ。


 …それにしても、刺青って痛いもんだとばかり思っていたが、獣から寄ってくれば勝手に彫られていくもんなのか。だったら、痛みは無いんだろうな…


 …毛皮の上に寝そべっているうちに、だんだん眠くなってくる。トランス状態に近いのか…それとも、単に温かく感じているから…なのか…




 …んっ?


 …ワレメか? 俺の横に誰か寄って来た。いや、ちょっと待て、この感触は…相手も裸なのか!? そう思って身体を起こそうとしたが、何故か動けない…でも、良く考えてみると、背丈が違う。なら、サキが…いや、それも違う。何と言うか…肉感的な違いが…何だか…済まない…





 …お、終わったのか?


 「ヒゲ、獣は来た。お前の身体、前とは違ってる」

 「…ん? ああっ!! …そうだ、見返りは何を…」


 俺は命と引き換えに刺青が彫られる、と聞いていたのでワレメに聞いてみる。すると彼女は悪戯が上手く出来たようにくつくつと笑ってから、


 「…ヒゲ、お前に言い忘れてた! どうしてが、刺青を与えるかって事を…んふ!」


 最後に一笑いしてから、続けて朗々と語り始めた…この世界と、招かれざる獣達、そして呪術師と戦士について…を。



 「…ヒゲ、お前はこの世界って普通の獣と、人間しか居ないって思ってるな」


 「それ、だいたい合ってる。クマやシカ、イノシシやアナグマ…あと、鳥や虫や魚が居る。人間は、ちょっとだけ居る。それで良かった、今までは」


 「でも、ある日…外から他の獣来た。牙、沢山で、すごく空きっ腹。何でも喰らう。人間も喰らう…沢山、喰う」


 「…今まで居た獣、いっぱい死んだ。だから、命の行き場が無くなった…」


 「だから私、お前らの身体に、刺青する。獣の命、ほんのちょっとだけ宿す。そうして、余所者のお前らが外から来た他の獣、倒す。獣の命、ちょっとづつ還る…刺青、いつか無くなる」

 「…じゃあ、あんたの刺青も無くなるのか?」

 「これか? 無くならない。獣も人間も、ヤレれば増える。私が居る限り、獣の命を刺青に出来る。そうやって獣と人間増える。だから…安心しろ。私は、ずーっと居る。これまでも、これからも…」


 …正直言って、ワレメの言っている事は支離滅裂で理解出来なかった。刺青が獣の命だって? 外から来た他の獣って、一体何の事だ? …ただ、これだけはハッキリしてる。


 ワレメの話を聞きながらクマの毛皮から身を起こし、再び毛皮の服に袖を通そうとしたその時。


 ザザザザッ、と沢山の獣が直ぐそばを走り抜けていく音が鳴り響き、思わず背後を振り返ると…ワレメの身体中に彫られていた刺青が、今その瞬間だけ命を宿したように蠢き、そしてピタリと元の位置へと収まったように見えたのだ。


 「…あのー、ちょっといいですかぁ?」


 確かめようとワレメに向かって口を開きかけた瞬間、背後からサキのやや低めな音程の声が聞こえたので、俺は何も言わないまま二人に背中を向けて衝立ての反対側に立ち去った…。



 「ヒゲとサキ、お前達には別々の色んな獣が憑いた。凄く良い事。でも、これだけは必ず守れ」


 俺と同じ体験をしたのか判らないが、サキも衝立ての向こう側で同じように寝そべって、何かを見たのかもしれない。だから、その事を尋ねようと言いかけると、ワレメが急に俺達に向かって語り掛ける。


 「…獣の力、戦士以外に見せるな。お前ら、細工屋に言われて来たから刺青彫ったが、それ以外の連中には秘密にしろ」

 「えっ? だ、だって私達は元々戦士でも何でも無かったよ?」

 「サキ、お前知ってる。外の世界で、刺青の話を誰も知らなかった事」

 「…っ!?」

 「ヒゲ、お前もだ。刺青、今は少ししか見えないけど、その時が来たらもっと判るようになる。だから、本当の狩りの時は戦士以外連れていくな。私との約束、必ず守れ」


 幼い見た目と全く違う、はっきりした口調でワレメにそう言われた俺とサキは、形容し難い言葉の圧力にただ黙って頷いた。


 「…でも、今はヒゲとサキ、ちょっと強いだけ。だからあんまり調子に乗るな」

 「うーん、そうなの? じゃあ、ちょっとだけ調子に乗っていい?」

 「…ちょっとだけなら、いい…かも」


 しかし、サキがいつものように軽く言い返すと、ワレメが困ったように俯きながら答えたが…


 「んんぅーっ! 素直じゃないなぁワレメちゃん! おねーさんがお願いしてるんだからオッケーしちゃいなさいよ!?」

 「ぴゃああぁ~っ!!」


 …いきなりサキが彼女をハグしながら抱き上げた結果、奇声を上げながら足をバタつかせてみっともない格好にされちまった…いや、俺は何も見てないからな?



 「…俺のは右手に…鳥かな。左手は…たぶん、パンダにしか見えん」

 「へぇ~、別に強そうに見えないかも…私のは、右手が魚。で、左手は…猿かな?」


 ワレメの住居から外に出た俺とサキは、互いの手首の内側に現れた紋様じみた刺青を見せ合ったが…その大きさの小さい事! お陰でハッキリと判らなくて適当な言葉で誤魔化すのがやっとだった…。


 「ねぇ、もう一回ワレメちゃんに見せて、教えて貰う?」


 俺と一緒に出たサキがそう言いながら振り返ると、めくられた編み藁の向こう側には、黙々と何かを編み続ける老婆がひっそり座っているだけで、室内からワレメの姿は消え失せていた。



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