十話

「馬、借りたほうがよかったんじゃないですか?」


 僕の前をランタン一つの明かりで歩く魔術師に聞いてみた。


「お前には風情というものはないのか。この自然を少しは楽しんでみたらどうだ?」


 楽しめと言われても、周りは真っ暗で何も見えない。森の中だから余計に暗いのだ。魔術師が持つ明かりも、この闇に吸い込まれて消えてしまいそうなくらい頼りない光だ。こんな状況で自然を楽しめる気持ちというのが僕にはよくわからない。


 城に着いたのは昼頃だっただろうか。魔術師が言った通り、外には従者のための待合室があって、僕はそこで魔術師を見送った。周りを見ると、当然従者だらけなのだが、皆小奇麗な服装で僕の格好とは大違いだった。多分、貴族や高官の従者なんだろう。自分の主に恥をかかせないために、それなりの服を着る必要があるんだ。そんな周りを見ていると、僕の服は着古され、色もあせて、かなりみすぼらしかった。城へ入らずとも、待合室で十分気が引ける思いを体感できた。


 午後になって、周りの従者が一人、また一人と出ていく中、僕はじっと椅子に座って空腹を我慢していた。日が傾き、薄闇が広がると、他の従者は全員出ていき、僕一人が残された。それからさらに三時間が経ち、僕は空腹を忘れ、次は眠気と闘っていた時、やっと魔術師が姿を現したのだった。頭上には星空が広がり、城への道には松明がともされている。ここを離れればとにかく暗いことはわかっていた。夜道は危険だと言って、兵士が馬を持ってこようとするのを魔術師はなぜか止めると、代わりにランタンを借り、徒歩で帰ると言い出したから、僕は唖然とした。心配する兵士には構わず、さっさと歩き始める魔術師の後を、僕は付いていくしかなかった。


「……ところで、話し合いはどうだったんですか?」


 魔術師は、ちらとぼくを見る。


「聞きたいか?」


「それはもちろん。トゥアキエにどう対応していくのか、気になるところですから」


「お前だったら、どういう対応をする?」


 いきなりの質問に、僕は言葉に詰まった。


「え……僕だったら、ですか? うーん……どうするかな……」


 戦争に発展するような行動はできない。両国とも戦いは望んでいないのだ。そうなると、やっぱり話し合いで説得していくしかなさそうだけど、新国王がその話し合いに応じるかどうかが問題だな。協議を止めたくらいだから、そう簡単には出てきてくれないかも。じゃあ、こっちが条約の内容で妥協して……いや、これだとトゥアキエを図に乗らせてしまいそうだし――


「考えはまとまったか?」


 魔術師は歩きながら、顔を向けず背中越しに聞いてきた。


「僕には、どうしたらいいのか、わかりません……」


 考えれば考えるほど、いい方法なのかどうか、わからなくなる。外交って難しい……。


「まだまだ頭が固いようだな。今回のことは、意外に簡単だと思うんだがな」


「そ、そうなんですか?」


 かたくなな新国王を説得するなんて、どう考えても簡単とは思えないけど。


「では、トゥアキエ国王を支えているのは誰だ?」


「支えて? えっと、大臣や側近達――」


 僕が言い終わらないうちに、魔術師は大きな溜息を吐いた。


「違う違う。そんな太鼓持ちではない。もっと根本的なものだ」


 根本って……? 僕は首をかしげた。


「わからんか。お前のような庶民、国民だ」


 ああ、と僕は心の中で納得した。確かに、国民がいなければ国王は成り立たない。


「でも、国民がどう関係するんですか?」


 魔術師はまた僕をちらと見た。


「わしらとトゥアキエ国民は、戦争を望んでいるか? 否だ。わしらもトゥアキエ国民も、平和を望んでいる。しかし、新国王はそれとは逆に向かおうとしている。それを知った時、トゥアキエ国民は一体どのような気持ちになるだろうな?」


 魔術師の言い方は、少し楽しんでいるようにも聞こえた。


「向こうの国民は、協議が止まっていることを知らないんですか?」


「おそらくはな。こちらでも中枢の者しか知らないことだ。……絶対に他言無用だぞ」


 限られた人間しか知らないことを聞いてしまったのか……僕はゆっくりうなずいた。


「それじゃあ、あっちの国民に協議が止まっていることを教えれば、現状を打開できるってことですか?」


「それだけでは十分とは言えないだろう。その話を広めつつ、まずは国境付近の商業地区限定で、規制緩和などを進める。トゥアキエの商人はきっと喜ぶぞ。そのうちトゥアキエ側の規制緩和も望むはずだ。でなければ対等な商売はできないからな。その第一歩が平和条約というわけだ。協議停止を知れば、国王を急かす声が上がるだろう。その声を無視し、万が一戦争を匂わせる行動に出ても、トゥアキエ国民がそれを許さないはずだ。まあ、新国王はそこまで馬鹿だとは思っていないが」


「でも、向こうの国内で情報操作とかが行われることもあるんじゃ……」


「もちろん可能性はある。今話したことは、こちら側の理想であって、すべて上手くいくとは考えておらん。その都度の状況で、また新たな方法を模索する必要は出てくるだろう」


 すごい、と僕は心の中で感心した。国王を動かすために、まず国民を動かそうなんて、僕には思い付きそうにもないことだ。


「ウェルス、何事も視野を広くするのだ。どこにも道がないように見えても、実はすぐ目の前に見えていたりするものだ。問題を解決できない者は、それに気付く視野が狭いだけの話ということよ」


「は、はい!」


 そうか。視野を広げれば、今まで見てなかったことが見えて、何事も解決することができるわけか。確かに、悩み過ぎるとそればっかりになって、他のことなんか目にも留まらなくなる。そんな時こそ視野を広くして、問題解決の突破口を見つけるか。うん。なかなかいい助言を貰ったな。あとは実際の問題を解決できれば――って、僕の一番の問題は、この魔術師の呪いじゃないか! 長いこと何も起きてないから少し忘れかけてたけど、僕は呪いで殺されるんだ。こいつにいいように命をもてあそばれているんじゃないか。話に感心してる場合じゃない。そんなことより呪いをどうにかしないと。えっと、問題解決には視野を広く――何か、魔術師の助言通りにするのは癪に障るな……。


「……どうした? 暗い顔をして」


 前を見ると、少し離れた先で魔術師がこっちを見ていた。いつの間にか僕の足は止まっていたようだ。


「この暗闇ですから、暗い顔になりますよ」


 僕は愛想なく答えた。


「お前も、時には洒落を言うのだな」


 意外そうに魔術師は言う。……洒落を言ったつもりはないけど。


「行くぞ。離れるな」


 再び魔術師は歩き出す。僕は小走りでその後に追い付く。ランタンの明かりはやっぱり心細い。


 木々の葉がこすれる音が響く。少し風が出てきたようだ。頭上を見上げると、揺れる枝葉の陰の間から、星の瞬く夜空が見え隠れしていた。真っ暗な中で、わずかに光が見えるだけでも安心する。


「いい夜空だ」


 前を見ると、魔術師も同じように頭上を見上げていた。


「知っているか? この空を見れば、過去も未来もわかると言われておる」


「まさか。あり得ませんよ」


 僕は鼻の先で笑った。どうせ占星術などの類だろう。


「ところがだ、昔にわしの知人が、未来を言い当てたことがあるのだ」


「え? 本当ですか? 何を当てたんですか?」


「干ばつに襲われると言い当てた」


 この国は温暖で、他と比べればあまり干ばつの被害はないけど――


「でも、川の水位が減ったりとか、前触れを見てれば――」


「それを言ったのは、干ばつの起きる一年前だ」


 反論の言葉を押さえ込まれてしまった。それが本当なら、すごいことだ。この国の干ばつ被害は定期的に起きているわけじゃなく、季節も年もばらばらで、四年ぶりに起きたと思えば、その後十年間起こらないこともあった。そんな不安定なものをぴたり当てたというのなら、驚くしかない。


「しかしな、結局言った意味はなかった」


「なぜですか? 農民達は喜んだでしょう」


「その農民に、信じてもらえなかったのだ。一年後の状況がわかるわけがないとな。胡散臭がられ、誰も聞く耳を持たなかった。まあ当然と言われれば当然なのかもしれん。相手は見ず知らずの人間だ。信じろと言っても無理がある」


「じゃあ、干ばつの被害は……」


「死者が出たそうだ。乳飲み子もいたという。悲劇は繰り返された。やつは涙を流して悔しがっていたよ……」


 当時を思い出しているのか、魔術師の声は低く重い。


「被害は防げなかったけど、嘘じゃなかったことは証明できたことになりますよね」


「そうだな。だが、干ばつを言い当てた人間がいたことなど、誰も覚えていなかった。それでも役に立ちたいと、やつは研究を続けていたが、流行病であっさり逝ってしまった」


 魔術師は深い溜息を吐いた。その人はさぞ無念だったろうな……。


「先生は干ばつの予言方法は教えてもらってないんですか?」


「知らん。わしはわしで忙しかったから、聞く暇などなかった」


「じゃあ、どうやって当てたのかは、もうわからないんですね……」


「知りたいのか?」


 そう聞かれると答えを迷う。興味はあるけど、干ばつを当てたように未来を知ったところで、僕の命はそう長くはないはずだ。その未来に僕は関われない。知っても意味はなさそうだけど……。


「やつの遺品の書物が、確かどこかにあったはずだ。知りたければ探してみなさい。ただ、どんな内容だったかは憶えていないがな」


 遺品だというのに扱いが雑のような……その知人という方とは、それほど仲がよかったわけではないのかもしれない。そんなことはいいとして、書物が残っていると聞かされると、やっぱり興味が湧いてくるな。探そうか。どうしようかな……。


 答えを決めかねていると、前を歩く魔術師の足がゆっくり止まった。気付いて僕も足を止める。


「どうかしましたか?」


「うむ……」


 魔術師は暗闇森の先を凝視している。


「何を見てるんですか?」


 僕も同じように森の先を見てみるが、ただ黒い景色があるだけで何も見えない。魔術師は一体何を見てるんだ?


「あの――」


「しっ」


 魔術師は僕を黙らせる。何かさっきまでの雰囲気とは違う、緊迫した空気に変わっている。何か異常を察知したんだ――僕はそう感じた。


 魔術師はまだ動こうとはしない。その後ろで僕はせわしなく周囲を見回していた。四方は相変わらず暗闇だ。その他には風と、それに揺られる葉の音しか聞こえてこない。歩いてきた道と何も変化はない。本当に何か見たのか? 動物の影でも見ただけじゃないのか? 疑いながら僕は魔術師の見つめる先を見る――やっぱり何も見えない。足を止めてから三分は経っている。


「何を見たか知りませんけど、多分、動物とか――」


 その時、周囲がガサガサッと音を立てた。情けない悲鳴が漏れるのをどうにかこらえ、僕は周りに目をやった。


「……ひ、人?」


 視線の先には黒い人影が立っていた。一人だけじゃない。右にも、左にも、振り向いたところにも……。


「ひい、ふう、みい……五人のお客人か。ご苦労なことだ」


 魔術師は怖がる素振りも見せず、冷静に取り囲む人影を眺めている。


「だ、誰なんですか!」


 僕は魔術師の耳元に小声で聞いた。


「わからんのか? トゥアキエ兵だ」


 僕は息を呑んだ。トゥアキエ兵? 何でこんなところにいるんだ? ここはトゥアキエの国境外だぞ。こんなことが知れたら大問題になるぞ。というか、この囲まれた今の状況のほうが僕にとっては大問題なんじゃないか? 連れて行かれるのか、それともここで殺されるのか。どちらにせよ、緊急事態だ!


「慌てるな。今はじっとしていなさい」


 魔術師がささやいた。何でこんなに落ち着けるんだ? 襲われるかもしれないっていうのに。早く逃げ出さないと。でも、こう囲まれてちゃ逃げる隙間もないぞ……。


 すると、魔術師の前に立つ人影がこっちに近付いてきた。僕は思わず息を止める。


「捜したぞ」


 魔術師の持つランタンの光でほのかに浮かび上がったのは、三十代と見られる男だった。短髪で目付きがやたら鋭い。がっしりとした体格でいかにも兵士らしいが、その格好は一般庶民と何ら変わりない。見つかっても怪しまれないよう、あえてそうしているのだろう。だが、腰のベルトには短剣が差し込まれている。庶民なんかじゃなく、兵士なんだと静かに主張しているようだ。


「わしに何か用か」


 魔術師は普段通りの口調で聞く。


「ここでは何だ。場所を変えようじゃないか」


 男は無表情で言う。それがかえって怖さを感じる。


「ど、どこに行く気だ」


 どうにか出た声で聞くと、男は目だけを動かして僕を見た。


「……安心しろ。国境を越えるのは我々だけだ」


 言葉通りなら、僕達はトゥアキエにさらわれるわけじゃないみたいだけど……じゃあ、国境を出ない僕達は一体何をされるんだ。頭には最悪のことしか浮かんでこない……。


 すると、男は僕達を囲む四人の仲間に顎で何かの指示を出した。リーダーはこの男らしい。


「わっ……何するんだ!」


 僕の両腕を突然仲間の男二人がつかんできた。力が強くて自由に動けない。見ると魔術師も同じようにつかまれている。これはまずいんじゃ……。


「放せ! やめろっ――」


 全身を使って僕は抵抗しようとした。が、男二人の力じゃ振り払うこともできない。それでも僕は諦めず続けた。


「ウェルス」


 呼ばれて顔を上げると、魔術師がこっちを見ていた。そしてゆっくり首を振る。抵抗はするなって言うのか……?


「何も言わず、歩け」


 リーダーの男は先頭を歩き始める。そして両脇の男も、嫌がる僕の腕を引っ張るように無理矢理歩かせる。最初は抵抗を続けたが、これも意味がないと悟って、僕は大人しく歩くことにした。前を行く魔術師の背中が見える。両脇の男に急かされ、時折小走りになる。僕達はもう捕虜になっているのだ。この歩き慣れた暗闇森の中で。ふと頭上を見上げる。さっきまで見えていた夜空には薄曇がかかったのか、星の光はどこにも見えなくなっていた。出口も何もない、まるで闇の箱に閉じ込められたような気分だった。

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