九話

「――そうか。弟子になってもう三年も経つのか」


 いつもの酒場で、久しぶりに会ったオグバーンは、感慨にふけるように言った。


「よくまあ続くもんだな。弟子ってのは何でもやらされて、大変なんだろ?」


「うーん、何でもってことはないけど、雑用全般は僕の役目になってる。でも、慣れれば思ってるほど大変なものじゃないよ」


「弟子生活に馴染んだか……どうりで老けた顔に見えるわけだ」


「え……」


 僕は思わず自分の顔に触れていた。まだ二十三なのに、そんなに老けたかな。最近本ばかり読んで、鏡なんて見てないからわからない。


「女にもてるのは今だけだ。あんまり老け込むと誰一人寄ってこねえぞ」


 ふふんと笑うオグバーンは、酒を飲みながらつまみを頬張る。どうやらそっち関係は充実しているらしい。


「老け込んだなんて……そう言うオグバーンも、見た感じ前より老けたんじゃないか?」


「どこが」


「何と言うか、少年っぽさが抜けて、体も大きくなって……」


「それは、男らしくなったと言ってくれ」


 言いながら僕もそんな気がした。年相応の老け方だ。


「でも腕の筋肉とか、かなり付いてるけど、毎日鍛えてるのか?」


 するとオグバーンは、にっと笑顔を浮かべた。


「……何?」


「聞いてくれ。実は俺っち、小隊長に任命されたんだ」


「へえ! よかったじゃないか」


「ああ。真面目にやってきてよかったよ」


 オグバーンは嬉しそうに笑う。二十代前半で小隊長に選ばれるのは珍しいことだ。それだけ彼が兵士として優秀で評価されているということだ。毎日の鍛錬にも力が入るだろう。それでこの筋肉か……。


「オグバーンが部下を従えてるのか……ちょっと想像できないな」


「どういう意味だ? 俺っちには早すぎるってのか?」


「ち、違うよ。僕には三年前の印象しかないから、どうも想像しづらくて」


「……そうだな。三年前の俺っちも、まさか小隊長になれるとは思ってなかったしな」


 昔に思いを馳せるオグバーンを見て、僕は気になることを聞いてみた。


「あのさ、オグバーンは部下の前でも自分のこと、俺っちって言ってるのか?」


 これにオグバーンは目を丸くする。


「そんなわけねえだろ。上官に聞かれたら張り倒されるぞ。これは私的な時間な時だけだ」


「でも、長年使ってるんだろ? 軍でも出そうになるんじゃないか?」


「そこを間違えないのが、俺っちのすぐれたところだ」


 なるほど、と僕はうなずいた。切り替えが早いのも兵士に必要な資質ってことか。


「で、お前の方はどうなんだ。三年経ってもまだ呪いか?」


 からかうような言い方に、僕は語気を強めた。


「呪いを侮らないでくれ。本当に恐ろしいものなんだぞ」


「じゃあまた何か、不幸なことでも起きたのか」


 オグバーンは真剣な表情で聞いてきた。


「……何も起きてない」


 少し、間が空いた。僕達はお互いを見合う。


「そろそろ、侮ってもいいんじゃねえか?」


「それだよ。僕にそう思わせるために、魔術師は呪いを操ってるんだ」


「操るって、何で」


「僕がびくびく怖がってる姿を楽しんでるんだよ」


「三年もか?」


「そう、三年も。悪趣味ったらないよ」


 弟子になっての三年間、呪いの影響と思われる悪い出来事は一度も起きていない。これはいいことであるように思えるけど、別の見方をすれば、魔術師は僕にかけた呪いの効果を一時的に止めていると推察できる。そうじゃなければ、僕の身には次から次へと悪いことが降りかかっているはずなのだ。


「僕が油断したのを見てから、きっと呪い殺す気なんだ。だから、それまでに何としても呪いについて勉強して、解く方法を――」


 ふと見ると、オグバーンは僕をじっと見ていた。


「……どうかした?」


「いやな、お前から死にたいって言葉が出てないなあと思ってさ」


「今はいい機会なんだ」


「前は死ぬことばっか考えてたやつが、やけに前向きじゃねえか。まあ、俺っちはそれでいいと思うけど」


「別に僕は安楽死を諦めたわけじゃないよ。ただ、呪いを知る環境があるから、一つ前の段階に戻ってるだけだよ」


「環境? 魔術師が呪いの講義でもしてくれんのか」


「違うよ。本を貸してくれるんだ」


「呪いについての本をか?」


 僕はうなずいた。最初の六冊を貸してくれた後も、魔術師は定期的に呪いの記述がある本を探しては僕に貸してくれた。おかげで週に何度かは寝不足だ。


「……何だそれ。おかしくねえか?」


 オグバーンの当然の反応に、僕はまたうなずく。


「うん。そうなんだよ。呪い殺す相手に、呪いについての知識を与えるなんて、おかしすぎる。だから僕はこう考えたんだ。どうせ死ぬやつが必死に勉強してるのを、陰で笑ってるんだって」


「そりゃ……悪趣味だ」


「でも、その余裕を逆手に取って、この間に呪いの解き方を見つけることができるかもしれない」


「まあ、そうだな……」


 オグバーンの歯切れが悪い。


「……何か、言いたそうに見えるけど」


「ん? 何にもねえって」


「気を使う仲じゃないだろ」


 そう言うと、少し躊躇する様子で口を開いた。


「じゃあ、ちょっとだけ言わせてもらうが……魔術師はお前を殺す気なんかねえんじゃねえか?」


「え?」


「お前が怯える姿を三年も見続けるもんかなあ。俺っちなら長くても二週間で飽きるな」


「それは性格の違いだよ。オグバーンはさばさばしてるから」


「本を貸したのも、ちょっと余裕すぎるだろ。お前が文章を理解できてないってんならわかるけど……ちゃんと意味、わかるんだろ?」


「うん。毎日勉強してるから」


 三年前に理解不能だった本は、今はほぼわかるほど、僕は専門用語を理解している。でも、昔の仮名遣いはもう少し学ぶ必要があるけど。


「それなのに、本を貸すってのはどうも……陰で笑ってる間にお前が呪いを解いちまうことだってあり得るんだ。それとも、魔術師には呪いを解かれない自信か何かがあるのか?」


 言われるとそうも思えてくる。三年は確かに長い。魔術師の期待通り、僕は怯えていたかというと、実はそうでもない。勉強に没頭して、怯えることを忘れていたというのが正直なところだ。本のことも、昔のことを思い出しての行動なら、かなりの賭けだ。僕が呪いを解いてしまったら、それでおしまいなんだから。そこまでして余裕を見せて、僕を笑いたいだろうか……。すべては魔術師本人に聞いてみないと何もわからないが。


 僕が黙っていると、オグバーンは明るい声で言った。


「答えなんか出ねえよな。わかってたんだ。やっぱ言う必要なかったな。まあ適当に聞き流してくれていいから」


「う、うん……」


 オグバーンは酒をごくごくと飲む。同調も否定もできない話だけど、一応参考としておこう。


「あっ、そう言えば――」


 オグバーンは急に思い出したように口を開いた。


「最近、物騒な噂が流れててさ」


「どんな?」


 するとオグバーンは酒のコップを置き、真面目な顔でこっちを見る。


「ところで、お前の師匠の家は、確か西の国境沿いの暗闇森だったよな」


「師匠って……まあ、そうだけど。それがどうしたの?」


「噂ってのがな、どうもトゥアキエが攻めてくるんじゃないかっていうんだよ」


「ええ? まさか」


 西の隣国トゥアキエ王国。この国とはかなり昔から仲が悪いことは全国民が歴史を通して知っている。何度もあった戦争では、お互いが勝ち負けを繰り返し、どちらかが完全な勝者になったことは一度もない。つまり互角な相手なのだ。そんな認識が軍を慎重にさせ、頻発していた局地戦も次第に収まり、今から四十年前、二国の間は事実上の休戦状態となった。その間、お互いの国は疲弊した国力の回復に努め、条件などはあるが貿易や国民同士の交流も行われている。近年ではもう二度と戦争が起きないよう、平和条約の作成を進めていると聞いている。こんなに順調なのに、何でそんな噂が出るのか、僕には理解できない。


「俺っちも聞いた時は信じなかったよ。昔とは随分変わって、お隣とはいい関係になりつつあるからな。でも、国境警備の仲間に聞くと、ここ数日の間、向こうの軍の動きがいつもと違って増えてるらしいんだ」


「体制が変わったからじゃないのか?」


 二年か三年前、隣国では国王が亡くなって、新国王には四十代の皇太子がなっている。


「そこだよ。体制が変われば考え方も変わってくる。前国王は平和路線だったが、その息子もそうだとは限らねえ。年齢的にもそういう時代だし、ぎりぎり戦いを知ってるくらいだ。何も見てない俺っちよりも、胸の内にあるものは深いだろう」


「復讐、ってこと?」


「それもあり得るってことだ」


 オグバーンは頭の後ろに両手を回し、椅子の背もたれに寄りかかる。


「あくまで噂だけどな。にしても、俺っちにはまったくの嘘とも思えねえ。お前は毎日国境付近まで行くんだ。念のため気を付けておいたほうがいいぞ」


「そうだね……でも、やっぱり信じられないな」


 僕の言葉にオグバーンは、ふっと笑った。甘いなと言われたような感じがした。


 翌日、いつものように魔術師の雑用をこなしていた僕は、オグバーンに聞かされた噂の真相がどうにも気になって仕方がなかった。ここから国境までは目と鼻の先だ。もし隣国が攻めてきたら、真っ先に捕まるのはまず僕達だろう。呪いにかかった身で捕虜生活なんて、そんな最悪なことにはなりたくない。


 顔を上げた先には魔術師がいた。今日は珍しく朝から机に向かって書き物をしている。魔術師は政権中枢と長年関係がある。そんな人間なら、真相についても知っているかもしれない。僕は仕事の手を止めて、机に向かう魔術師に聞いてみた。


「あの、聞きたいことがあるんですけど……」


 魔術師は黙々とペンを動かし続ける。聞こえなかったのかな?


「あの――」


「待ちなさい」


 強めの口調で言われ、僕は大人しく待つしかなかった。ペンを走らせる音だけが響く。


「……よし。それで何の用だ」


 書いていた紙を筒状に丸めながら、魔術師は僕を見た。


「えっと、実は友人からある噂を聞いたんですけど」


「ほお、どんな噂だ?」


 魔術師はペンとインクを片付けながら聞く。


「それが、トゥアキエが攻めてくるらしいというもので、僕にはちょっと信じられない話なんですけど……」


 机の上を片付けながら聞いている魔術師の表情には、特に変化は見られない。


「やっぱり、噂だけですよね。先生なら真相を知ってるかと思ったんですけど――」


「その噂は、半分本当だ」


「……ええっ!」


 驚きすぎて、横の棚に腰をぶつけてしまった。


「ほ、本当の、話なんですか?」


「半分だけだ」


 魔術師は歩き出すと、壁際のチェストの中を探り始めた。


「半分って、それは、つまり……?」


 この噂の半分というものが僕には見えてこない。


「怖がる必要はない。ただちに戦争状態にはならんだろう」


 チェストから引っ張り上げた革製の小ぶりなかばんを机に置くと、魔術師は書類やら薬品やらをその中に無造作に詰め込んでいく。


「トゥアキエは、攻めてこないということですか?」


 攻めてこないのなら、噂は間違いということになるけど……。


 すると、魔術師は手を止めて、僕の目をじっと見つめた。


「お前は、口の堅いほうか?」


 少し考えてしまった。誰かから口止めされるような話をされたことがなかったから、自分が口の堅い人間か、それとも軽い人間なのか判断できなかった。軍には機密事項が山ほどあっただろうけど、そこまでの情報を知る立場じゃなかったから、これでも判断できない。でも、もし機密事項を知る立場だったとしたら、自分なら当然守り通すだろう。じゃあ僕はどちらかというと口が堅いということか?


「この先は他言無用だ。守れないのなら話は終わりにするが……」


 どうする? という目で魔術師は僕の答えを待つ。


「誰にも、言いません」


 力を込めて言った。それにしても魔術師のこの慎重な確認、政権中枢の臭いがぷんぷんしてくる。ちょっと聞くのが怖い気もするが……。


 僕に話さないと約束させた魔術師は、再びかばんに物を詰め込み始めた。


「……我が国とトゥアキエが平和条約を結ぼうとしていることは、知っているな」


「はい」


「両国で順調に進め、締結は目前だったのだがな、その最中にトゥアキエ国王が病死されてしまった。若干遅れるだろうが、それでも条約は締結されるだろうと我が国は楽観視していたのだが、新国王によって、風向きが変わってしまったのだ」


 魔術師はさっき丸めた紙をかばんに入れると、その口を静かに閉めた。


「条約の内容については、これまでトゥアキエは一度も不満を伝えてきたことはなかったのだが、新国王は不平等な内容だと言って、締結へ向けた協議を止めてしまった」


 僕はオグバーンの話していたことを思い返していた。体制が変われば、考え方も変わってくる――オグバーンが想像した通りのことが、現実でも起きているんだ。


「新国王となった皇太子が我が国をよく思っていないことは知られていたが、まさか条約にまで口を出してくるとは誰も考えていなかった。何せ平和条約は両国民の願いでもある。戦争が収まったおかげで、両国が豊かになったことは誰もが知るところなのだ。それを過去に引き返すような言動で踏みにじるとは……」


 魔術師は溜息と共に首を振る。


 つまり噂の真相は、トゥアキエの態度がこれまでと変わり、二国間に微妙な雰囲気が漂ってきているということらしい。でも――


「トゥアキエ次第では、戦争に発展することもあり得ますよね」


 考えたくはないけど、噂が本物になる可能性はあると思う。条約締結を止めるほど僕らの国が嫌いなら、そのうち兵士を送り込んできてもおかしくはない。教科書で学んだ歴史が、ここでまた現実になるのか? そう思うと気持ちがじりじりしてくる。


「そうならんために、さあ行くぞ」


 魔術師はかばんを手に持ち、張り切ったように言った。


「え? 一体どこへ……?」


 外出の予定は聞いていないけど。


「先日届いた書簡で、今日城へ呼び出されている。……ん? 言ってなかったか?」


「初耳です」


 なるほど。だから魔術師は朝から書き物なんかしていたのか。


「そうか。じゃあそういうことだ。トゥアキエの対応についての話し合いに出席する。すぐに出発だ」


「ぼ、僕も行くんですか?」


 魔術師がじろりと睨んできた。


「都合が悪いとでも言う気か?」


 僕は慌てて首を振った。


「違います! そういうことじゃなくて、僕なんかが陛下のおられる城へ入ってもいいんでしょうか。何か、気が引けるんですけど……」


 国民なら、一度は城の中を見てみたいと思うだろう。豪華できらびやかな様は想像できるが、大半の人間はそれを確かめることはできないのだ。別に上流階級に憧れを抱いているわけじゃないけど、城に入れる機会なんてそう滅多にないことだ。緊張はするけど、正直ちょっとわくわくもしてくる。


「大丈夫だ。従者には城の外に待合室が設けてある。城に入ることはないから安心しなさい」


「……あ、そ、そうなんですか……」


 がっかり感に打ちひしがれたが、準備をしろと急かす魔術師の声に押され、僕はどうにか動き始めた。準備と言っても、掃除用具を片付けるくらいで、僕は特に持っていく物もなく、ここは弟子らしく魔術師のかばんを持つことにした。大事に扱えと注意する魔術師の後ろに付いて僕は出発した。まだ昼前だけど、今日は昼食なしになりそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る