第4話 女は目をつむり、頭をのけぞらせて、男の手に、その手を重ねている。身を預けている。

 アリナさんのななめ後ろを歩く。僕は今、彼女と宿屋へ向かっている。さっき一応彼女の名前を確認したところ、アリナであるとはっきり言われたので安心した。彼女は間違いなく、僕が手に入れるべき女の一人なのだ。


 歩きながら、僕の適当な身の上を考える。仲間にこっぴどく見捨てられたってのはどうだろう。そう言えば、皆は同情持って歓迎してくれるかも。


 アリナさんがこちらを振り返った。表情変えず、首が傾く。合わせて揺れる、サイドテール。「どうした、なにか考えごとでもあるのか? 顔がねじれてるぞ」

「い、いえ。なにも」

「そうか。はぐれるなよ」

 ぽんと頭に触れられる。ずっと緊張していた僕の細胞がちょっぴり軽くなった。大人の手のひらであった。それがきっかけか僕は身の上について妙案を思い浮かべた。これなら、女体にも触れやすくなる。そうなのだ。僕は子供で、彼女たちは大人なのだ。


 宿屋へ入ると、アリナさんは「おーい」と、テーブルを囲む三人に声をかけた。主人公と、残る攻略ヒロイン二名であった。ここでようやく、僕はあのゲーム世界に来たのだと強く自覚した。


 主人公の幼馴染であるラウラに、狼人族のジャネット。そして主人公の名前は……デフォルトではなんだったろうか。覚えていない。興味がなかったのだから、仕方ない。三人はアリナさんの声に気付くと、顔を上げて彼女を見て、つぎに僕を見てきょっとん顔になった。


 総身に悪寒が走る。身の毛がよだつとはこのことか。冷や水どころか、氷水ぶっかけられたみたいだ。彼の顔は、購入したソフトパッケージ裏のように前髪が長くもなく、また歪んだ笑みも浮かべていない。爽やかな主人公顔である。それが一瞬、冷徹に形を変えた。

 そんな表情でごく短いあいだ睨まれたのだ。アリナさんは彼の表情の変化に気づく様子なく、簡単に僕を紹介した。残り二人も、気づかなかった。


「そんな緊張した顔しないで。アリナが君を弟子にすると言ったんだから、もう君は僕たちの仲間だ」と主人公は言った。

 もちろん、冷徹顔は既にどこか消えていた。もとの爽やか顔である。その表情は、とても板についていた。なんだか、慣れきったような。さっきの冷徹顔と比べるとかえってこっちのほうが違和感ある。不気味である。


「ほら、お前も自己紹介しろ」アリナさんが僕のあたまをとんと叩いた。ちょっと痛いくらいに。

「あ、はい。ぼ、僕はゴブと言います。名前以外に、とくに持ち合わせたものはありません。よろしくお願いいたします」言って頭を下げながら、ゴブだなんて、随分安易な名前だと思う。


 そうして、僕たちは食事を取った。ラウラさんは「ゴブリンのくせにお目々がぱっちりしてるわね」とか言ってくれたけれど、ジャネットさんは何も言ってくれなかった。


 僕以外の四人の会話を観察していると、主人公の名は『ショウ』であることがわかった。これがきっと、デフォルトネームなのだろう。


 食事を終えると、我々はそれぞれ部屋へ引き上げた。僕は、アリナさんの部屋に、一緒に泊まる。


 アリナさんと部屋へ行く。彼女の剣は重く、僕の腕にのしかかった。持てと言われたのだ。これも修行の一環らしい。


 部屋の中には、セミダブルのベッド、その脇に小さなテーブルと、椅子が二つあるばかりだった。


「あの、剣はどこに置きましょうか?」重いから、早くどこか置きたい。

「ん? ああ、ベッドのそばにでも置いといてくれ。ありがとう」


 言われたとおりにする。手持ち無沙汰になって、突っ立っているしかなくなる。僕は、どこで寝るのだろうか。まさかベッドでアリナさんの横? いやいや、硬い床に決まってる。こんな風に浮かれていると、扉がコンコン、ノックされた。


「誰だい?」アリナさんが心持声を張った。その声色には、期待の色があった。

 すべすべそうな彼女の背中が映る。腰からくびれて、またおしりから盛り上がっている。お尻は、指を押し込むとどこまでも飲み込まれそうなくらい柔らかそうだ。


 すこし、扉が開かれる。ショウだ。

「ちょっと良いかな?」と彼は言った。

 その言い方には、秘密の色があった。


 僕は部屋を追い出された。その際、アリナさんに「覗くんじゃないよ」と言われた。


 覗いたりなんか、しません。でも、耳をそばだてるくらいは、良いでしょう。


「あん、もう」扉越しに、アリナさんの艶っぽい声が聞こえた。いつもより一段高い。


 もっとはっきり聞きたい。ぐっと耳を扉に押し当てる。扉が動いた。扉は、閉め切られていなかったのだ。であれば、覗くしかあるまい。わずかな隙間に、目ん玉合わせる。


 ショウが、背後からアリナさんの首筋にキスしている。彼の手は、アリナさんのおへそのとこで組まれている。抱きついている。女は目をつむり、頭をのけぞらせて、男の手に、その手を重ねている。身を預けている。


 僕の身体は、底のほうからぐっと熱くなった。


 二人の動きから、親密さが伝わってくる。二度目や、三度目ではない。


 焦燥感が襲ってくる。僕は本当に、ショウから彼女たちを奪えるのだろうか。

 


 




 






 



 


 


 

 

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