ミーコとうさぎの執事

広之新

第1話 ミーコとうさぎの執事

 そのぬいぐるみはごみ置き場の隅にずっと置かれていた。それは金糸や銀糸で華やかに刺繍がされた服を着た人型の白いぬいぐるみだった。なぜか回収されることもなく、うす暗いところにぽつんと寂しそうに残されていた。古ぼけて服は虫に食われて大きな穴がいくつも開き、ガラスの目はよどみ、白い毛はところどころ擦り切れて色が変わっていた。

 そんなぬいぐるみに誰も目を向けようとしなかった。たった一人の女の子を除いては・・・。彼女はそれを不思議そうにじっと見つめていた。


「ミーコ。家に帰るよ。」


 小学生の正史が妹の美湖に声をかけた。


「うん、待って。」


 美湖はそのぬいぐるみをもって正史の方に駆けて行った。


「だめじゃないか。そんなものを持ってきて。」

「いいの。さびしそうにしていたから。」


 美湖は聞かなかった。そうして白いのぬいぐるみをアパートに連れてきてしまった。


「ママに知れたら怒られるよ。」

「ママに言わないで。おともだちになったのだから。」


 美湖はぬいぐるみを相手に遊び始めた。


「お洋服が破れているのね。お着替えしましょう。」


 美湖はそのぬいぐるみの服を脱がせ、代わりにお人形に着せていた蝶ネクタイのついた黒色の洋服を着せた。それはまるであつらえてかのようにぴったりだった。

「よろしくね。私はミーコよ。」


 するとそのぬいぐるみのガラスの目に光が宿った。そして急に口を開いてしゃべりだした。。


「こちらこそよろしくお願いします。」


 それは透き通るような明るい声だった。美湖も正史も驚いた。ぬいぐるみがいきなりしゃべりだしたのだから・・・。美湖は恐る恐る聞いてみた。


「あなたは誰なの?」


 するとそのぬいぐるみはポンと美湖の手から飛び出して、床に立った。


「私はトージです。あなたにお仕えする執事です。」


 トージはそう言って恭しく頭を下げた。たしかにその立ち居振る舞いは執事の様だった。正史はおっかなびっくりトージを見ていたが、美湖は物怖じもせずに言った。


「遊んでよ。」

「よろしゅうございます。何をいたしましょうか?」

「ええと・・・」


 美湖は迷った。いつもならお人形遊びだが・・・動いているぬいぐるみの執事相手では・・・。


「どうしよう・・・」

「それなら折り紙はいかかですか?」


 トージは棚の上の色紙があるのを気づいた。それでもう鶴が何羽か、折られている。


「できるの?」

「おまかせください。」


 トージはピョンと飛び上がって棚の上の色紙を手に取った。そしてすぐに見事な鶴を折り上げた。それを見て正史がびっくりして言った。


「すごい。これなら大きいおばあちゃんが喜ぶよ。」

「おばあ様に差し上げるのですか?」

「今、入院しているんだ。元気になるようにって、ママが折っていた。」


 正史と美湖の曾祖母は入院していた。それで美湖の母が付き添っているのだ。


「ではみんなで折りましょう。お教えいたしますから。」

「わかった。」

「ミーコも折る!」

「わかりました。ここをこうして折っていくと・・・」


 トージはやさしく正史と美湖に折り方を教えた。2人は夢中で鶴を折り始めた。しばらくするといろんな色の鶴を折り上げていた。


「素晴らしいですね。トージは感心いたしました。」


 その時、急にトージの長い耳がピーンと立った。美湖が尋ねた。


「どうしたの?」

「どなたかが玄関先にいらしているようですよ。」

「多分、ママだ。」


 もう2人の母の聡美が帰ってくる時間だった。正史は美湖に言った。


「ママには内緒にしておくんだ。」

「どうして?」

「ママのことだから『捨ててあったところに返してきなさい!』って言うに決まっている。」


 それにしゃべったり、動いたりするうさぎのぬいぐるみなんて、大騒ぎになってしまうだろう。トージもそのことがわかっているようだ。


「わかりました。奥様の前ではしゃべらずにじっとしています。」

「ミーコもそうする。でもママのいないときはお相手してね。」

「もちろんでございます。」


 トージは微笑んでうなずいた。するとすぐに玄関のドアが開いた。


「ただいま!」

「お帰りなさい!」


 正史と美湖は聡美を出迎えに行った。トージは子供部屋に残されたまま、そこでじっとしていた。


「遅くなってごめんね。今から夕ご飯を作るから。」


 聡美は買い物袋を台所のテーブルに置いて食材を取り出し始めた。


「今日のご飯は何?」

「ハンバーグよ。」

「やったあ!」


 正史と美湖が両手を上げて喜んだ。2人とも大好物だった。焼くだけのハンバーグだとしても・・・。


「すぐに焼いてあげるから。」


 できれば手作りで・・・と思う聡美であったが、シングルマザーで勤めと病院の付き添いでそんな時間はなかった。


「おいしい!」「おいしいよ!」


 それでも子供たちが喜んでくれるのが救いだった。その様子を母は満足そうに眺めていた。食べながら正史が尋ねた。


「大きいおばあちゃんはどうだった?」

「今日はずっと寝ていたの。起きて話すときもあるけどね。」

「ふーん」


 子供たちは曾祖母の状態が理解できていないのだろうと聡美は思った。


「おばあちゃんに会いに行こうか?」

「うん。いいよ。」

「私も。」


 正史と美湖はうなずいた。もう最期のお別れになるかもしれないことをどう話したらいいか・・・聡美は迷っていた。



 子供部屋ではトージがちょこんと座って待っていた。正史と美湖が部屋に入ってくると、


「お嬢様。」


 と少し大きな声で話し出した。


「しぃー。」


 正史が口に指を当てた。そして声を潜めて言った。


「ママがいるんだ。聞かれたら大変だ。」


 トージは長い耳を口に当て、わかったという風にうなずいた。そして潜めた声で話した。


「小さな声で話すようにします。奥様と何を話されていたのですか?」

「大きいおばちゃんが入院しているの。お見舞いに行こうって。」

「それはよろしゅうございます。確か折鶴を渡されるのでしたね。トージが暇を見つけて折っておきましょう。」

「ミーコも折るわ。」


 トージと美湖はそう話していた。しかし美湖はもう寝る時間だった。


「もう夜も遅いから寝るんだ。ミーコ。」


 正史が言うと美湖は素直にベッドに入った。


「トージ。おやすみなさい。」

「おやすみなさいませ。トージがお嬢様が眠るまでご本を読んで差し上げましょう。」

「ええ! いいの。」

「もちろんでございます。ご本は・・・これでよろしいですか。」


 トージはそばにあった絵本を開き、読み聞かせ始めた。


「むかし、むかし・・・」


 美湖はすぐに眠りについた。トージは本を置くと美湖の布団をやさしく直した。正史が小さな声で尋ねた。


「トージは寝ないのかい?」

「いえ、そこいらで寝かせていただきます。お気を使われませんように。」


 そう言って部屋の隅に置いてあるクッションに体を横たえた。すると全く動かなくなった。


(こうしてみるとただのうさぎのぬいぐるみだな。さっきまで動いたり、話したりしていたのが不思議だ。)


 正史はそう思ってトージを眺めていた。


 ◇


 正史は学校から帰ると、すぐに外に遊びに出た。彼が向かったのは近所の白鳥丘だ。かなり昔にはそこに町があったのだが、今は大きな屋敷や洋館の廃墟が並ぶ。そこはもう長い間、人に手が入らず、道は崩れかけて雑草が生い茂り、高い木々が鬱蒼として日の光を隠して、昼間でも薄暗かった。

 大人からは行ってはいけないと言われていたが、そこに秘密基地を作っていた。『石神』の表札が残る崩れかけた門をくぐるとそれはあった。ドームが特徴的な洋館で、壁は黒く焼け焦げていた。その廃墟の部屋の一つを片付けたのだ。そこに優斗と翔太が待っていた。


「遅かったな!」

「これでも走って来たんだ!」


 正史のその部屋の掃き出し窓から中に入った。その部屋はかつて応接間として使われていたようで、古ぼけたイスやテーブルが残っており、その壁には絵がかけられていた。


「今日はどうしよう?」

「この廃墟を探検しよう。何か宝物があるかもしれないぜ。」


 3人はこうして白鳥丘で遊ぶことが多かった。


 ◇


 美湖はトージとおとなしく留守番をしていた。その間に2人で折上げた鶴はかなりの数になっていた。


「もっと折りましょうか?」

「もうあきた。」

「では別のことをいたしましょう。」

「ミーコ。お絵描きがしたい。」

「そういたしましょう。」


 トージはピョンと飛び上がってお絵かき帳とクレヨンを持ってきた。


「ありがとう。」


 美湖はお絵かき帳を開いてクレヨンを手に持った。そして何やら描き始めた。


「ミーコはね、いろんなものが描けるんだよ。」


 トージはその絵をじっと見ていた。黒い服にズボン、白い手に足、そしてピンとしたひげが何本もあって・・・最後に長い耳をかいた。


「できた!」

「これは私ですね。」

「そう! トージを描いたの。」

「ありがとうございます。お嬢様に描いていただいてトージはうれしいです。」

「じゃあ、次ね。」


 美湖は紙をめくり、クレヨンで描き始めた。今度は人を何人も描いているようだ。トージはそれをじっと見ていた。


「真ん中にいるのがミーコ。これはママ。そしてお兄ちゃんよ。」


 だがそれより小さいがまだ他に2人が描かれている。


「他にはどなたがおられるのですか?」

「大きいおばあちゃん。」

「そうでしたか。もう一人、この方は?」


 トージは残りの一人を指さした。すると美湖は少し悲しそうな顔をした。


「パパ・・・いなくなったけど・・・。」

「旦那様でしたか。」

「でもママの前ではパパの話をしてはいけないの。ママがつらい顔をするから。」

「それは注意いたします。」


 トージには美湖が寂しそうに見えた。トージは暗くなった美湖の心を少しでも明るくしようと彼女に提案した。


「今度はトージが描きます。」

「えっ! トージも描けるの?」

「もちろんでございます。」


 トージはクレヨンを手に持って、ささっと絵を描き上げた。


「どうでございますか?」

「すごい!」


 そこには丘の上に建つ大きな洋館だった。日の光を浴びて美しく輝いている・・・そんな風に見えた。


「きれいな家ね。」

「ええ、お嬢様が以前にお暮しになっていた洋館です。」

「ミーコが?」

「ええ。」

「どこにあるの?」

「さあ、よく思い出せなくて。」


 トージはそう言って首をひねって長い耳を振っていた。


「じゃあ、もっと描こうよ。思い出すかもしれないから。」

「そうでございますね。」


 それから2人はお絵かき帳にいろんな絵を描いていった。


 ◇


 正史が帰ってくると描き上げた絵がそこいらに転がっていた。


「何を描いているんだ?」


 正史が拾い上げて見てみると、そこにはドームのついた洋館が描かれていた。


「この洋館・・・。確か白鳥丘にあった・・・。」


 それは秘密基地にした廃墟の洋館に似ていた。トージがそれを聞いて急に思い出した。


「白鳥丘! 以前、私とお嬢様はそこで暮らしていたのです。」

「えっ! そんなことはないよ。美湖はずっとこの家にいたよ。」

「いえ、思い出したのです。そこの洋館にいたのです。」


 しかしそこはかなり前に焼け落ちて人は住んでいないはずだった。


「そこに行けばお嬢様の本当のご家族のことがわかるかもしれません。」

「本当って?」

「隠されずともトージにはわかっております。お嬢様の本当のご家族は東京にお住まいでした。私とお嬢様だけが移り住んできたのです。」


 トージの話は正史には理解できなかった。一体、トージは何のことを言っているのか・・・。だがそんな話を聞いて、正史はあの洋館について興味がわいてきた。


(あの洋館には何かの謎があるのか? これは確かめないと・・・。)


 ◇


 次の日、正史は近所のおじいさんのところに行った。その人なら昔のことを知っているだろうと思ったのだ。おじいさんはベンチに座って白鳥丘を見上げていた。正史は思い切って声をかけた。


「おじいさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど・・・」

「おや? どうしたんだい?」


 そのおじいさんは顔を上げてにこやかに笑いながら言った。


「昔の白鳥丘のことを知っている?」


 正史がそう尋ねるとおじいさんの顔がこわばった。


「知っておるが・・・。君は何が知りたいのかね?」

「ええと・・・そこの大きな洋館のこと・・・半分焼けていて壊れているけど。」


 するとおじいさんは悲しそうな顔になった。


「昔、そこは空襲で燃えたんじゃよ。」

「くうしゅう?」

「そうじゃ。日本は戦争をしていてな。飛行機から爆弾を落とされてあの辺一帯が火事になったんじゃ。」


 おじいさんは遠い日を思い出していた。それは悲しい記憶であり、思い出したくなくても今でも頭に浮かんでくるようだった。


「そこは別荘地で東京から疎開してきた人が住んでいた。確か、その家の執事と小さいお嬢さんと・・・」

「その人を知っているの?」

「ああ、遊んだことはなかったが、遠くからちらっと見たことがある。みえこさん・・・だったかな。確かミーコと呼んでいたような・・・」

「ミーコ!」


 正史は声を上げた。それですべてが分かった気がした。


(その執事の魂がうさぎのぬいぐるみに乗り移ってミーコに会いに来たのか?)


「そのお嬢さんや執事はどうなったの?」

「さあ? 空襲で亡くなったかもしれんな。あの時は多くの人が死んだ。もうあんなことは見たくない・・・」


 おじいさんは深いため息をついていた。謎が解けていたが、正史にはかえって困った問題を抱えることになった。


(トージに何と言ったらいいのか・・・。目の前にいるミーコはトージの探していたミーコじゃない・・・なんて言えない。)


 正史はそう考えながら家に帰っていった。


 ◇


 トージは正史から白鳥丘のことを聞いて我慢ができなくなった。そこにお嬢様の家族が探しに来ているのではないかと。だから無理を言って、美湖に白鳥丘に連れてきてもらったのだ。


「トージ。ここが白鳥丘だよ。」

「そうでございますか・・・」


 トージは周囲を見渡しながら不審に思った。そこはかすかに見覚えがあるものの、あまりにも変わり果てた姿だった。

 美湖はトージを抱えて歩き続けた。するとトージが急に声を上げた。


「ああ、ここです! ここに間違いありません!」


 それはあの洋館の前だった。


「ここなの?」

「ええ、ここです。中に入りましょう。」


 だがそこもトージの知っている場所ではなかった。壁は剥がれ落ち、燃えた跡が黒く残っていた。そこの掃き出し窓から中に入ってみた。


「ああ! これは旦那様の絵、棚もある。壁飾りも・・・」


 トージは美湖の腕から飛び降りてみて回った。それらに見覚えがあった。だがどれも古びてカビが生え、半ば崩れかけていた。


「一体、どうして・・・」


 トージはその場に座り込んだ。するといろんな思い出がよみがえり、その記憶があふれ出していた。美湖のことも忘れて必死に頭を整理していた。そのまましばらく時間が過ぎた。外が暗くなって不安になった美湖が声をかけた。


「ねえ、トージ。もう帰ろうよ。寒いよう。」


 だがトージは答えない。美湖は真っ暗な部屋の隅に身をかがめて震えていた。


 ◇


 アパートからいなくなった美湖を心配して、正史は白鳥丘の洋館に慌てて探しに来た。


「ミーコ! ミーコ!」

「おにいちゃん!」

「ミーコか!」


 それを聞いて正史はすぐにその部屋に足を踏み入れた。暗くてよくは見えないが、ぼんやりと部屋の隅で震えている美湖がいるのがわかった。


「ミーコ。もう大丈夫だ。家に帰ろう。」

「うん!」


 美湖は立ち上がった。するとそれを見てトージが美湖の前に両手を広げて立った。


「お嬢様。行ってはいけません。ここがあなたの家です。」


 トージは美湖をどこにもやらないという風だった。正史はそれに少し腹が立った。大事な妹をこんな怖いところに連れ出すとは・・・と。


「トージ。美湖はお前が言うミーコじゃないんだ。人違いなんだ!」

「そんなことはございません。ご自分のことをミーコとおっしゃいました。」

「いや、違う。じゃあ、トージ。ミーコの名前を言えるか?」

「もちろんでございます。様です。だからミーコとご自分のことをおっしゃっているのです。」

「それが違うんだ! ここにいるミーコは山口美湖なんだ。お前の言うミーコじゃない!」


 それを聞いてトージは茫然と膝から崩れ落ちた。


「それじゃ、お嬢様は・・・様は・・・」

「わからない。そのがいたのはずっと昔なんだ。もういないんだ!」


 それを聞いてトージは手で顔を覆い、


「お嬢様・・・ううう・・・」


 と悲しそうに泣き始めた。そのかわいそうな様子に美湖は、


「トージ。かわいそう・・・」


 と言ったが正史はそれを振り切るように美湖の手を取った。


「行こう!」


 正史は美湖を引っ張るようにしてその洋館を出て行った。その後ろでトージの泣き声が聞こえていた。


 ◇


 トージはまだ洋館の部屋で泣き続けていた。するとさらに記憶がよみがえってきた。あれは戦争の真っただ中、この別荘の洋館にお嬢様と疎開してきた頃のことだった。


     ――――――――――――――――――――


 戦争が激しくなり、美恵子は別荘のあるこの土地に疎開してきた。その世話役としてトージが付けられたのだ。

 トージはお嬢様を慰め、さびしくないように懸命に尽くした。暇を見つけては一緒に折り紙やあやとり、お絵かきをして遊んだ。昼間の天気のいい時はこの周辺を2人で散歩した。なかなかいい材料が手に入らない中、お嬢様のためにおいしい料理を作った。眠るときは絵本を読み聞かせをした。お嬢様が喜ぶ姿がトージにとって何より幸せだった。

 ある時、夜中に空襲警報が鳴り響いたのだ。飛び起きたトージはお嬢様の部屋にすぐに行った。


「お嬢様。空襲警報です。防空壕に逃げましょう。」


 そしてまだ寝ているお嬢様を抱きかかえて、洋館を飛び出して庭の防空壕に避難した。すると目を覚ましたお嬢様が言った。


「ミーちゃんがいない。ミーちゃんも助けて!」」


 ベッドにうさぎのぬいぐるみを置いてきたのだ。それはお嬢様が一番大事にしていたものだった。


「私が取って参ります。お嬢様はここを動かないでください。」


 トージはお嬢様を防空壕に残して洋館に戻っていった。辺りは火の海になっていた。トージはお嬢様の部屋のぬいぐるみを抱きかかえると外に出ようとした。しかし洋館の中は煙で真っ白になっていた。トージは口を押えて出口を求めてその中を進んだが、すぐに煙に巻かれてしまった。


「お嬢様・・・お嬢様・・・」


 そうあえぎながらトージは全身の力が抜けていくのを感じた。その手からはぬいぐるみがこぼれ落ちて床に転がり、バタンと倒れて動かなくなってしまった。


     ――――――――――――――――――


 それをトージははっきりと思い出してしまった。防空壕に残したお嬢様はどうしたのだろう・・・それがトージには気がかりだった。いや、心配でたまらないのだった。


「お嬢様・・・お嬢様・・・」


 トージは立ち上がり、お嬢様を探しに行くため洋館の外に出てふらふらと夜の町をさまよい始めた。


 ◇


 眠りに落ちていた正史と美湖は朝早く、聡美に起こされた。


「早く起きなさい。これから病院に行くから。」

「どうしたの?」


 寝ぼけ眼の正史が目をこすりながら聞いた。


「病院から電話がかかってきたの。おばあちゃんが危篤なのよ。亡くなりそうなの。」


 そう答えた聡美の顔は青ざめていた。



 正史と美湖、そして聡美はすぐに病院に向かった。先日までは呆けながらも笑顔で話していた曾祖母は、今は身動きせずベッドの上で眠り込んでいた。静かな病室にモニターの音だけがうつろに響いていた。


「静かに見送ってあげましょう。」


 正史や美湖もよくはわからないが、大きいおばあちゃんが亡くなろうとしているのを感じていた。聡美がこん睡状態の曾祖母に声をかけた。


「おばあちゃん。苦労ばかりしていたからね。もうすぐ楽になれるからね。」


 すると美湖が聡美に尋ねた。


「大きいおばちゃんはいなくなっちゃうの?」

「そうよ。天国に行くの。」

「一人きりで寂しいの?」

「あっちにはみんないるわ。さびしくないのよ。」


 机の上には古い白黒写真が無造作に置かれていた。荷物を整理していて出てきたのだろう。その写真には高齢の背広を着た男性と幼い少女が写っていた。その少女は美湖に似ていた。いや、そっくりだった。そしてその手にはきらびやかな服を着たうさぎのぬいぐるみを持っていた。美湖はそのぬいぐるみのうさぎを見て、


「あっ! トージだ!」


 と声を上げた。それを聞いて聡美は目を見開いて驚いていた。


「どうして知っているの? そうよ。この男の人は執事の藤次さん。この女の子は幼いころの大きいおばあちゃんよ。そういえば美湖に似ているね。」

「大きいおばあちゃんの昔の名前はなんて言ったの?」

「結婚前? ええと・・・石神だったかしら。そうそう石神美恵子よ。」


 トージの言っていたお嬢様は大きいおばあちゃんの美恵子だったのだ。正史と美湖はじっとしていられなくなった。


「僕、ちょっと行くところがあるんだ。」

「何言っているのよ。大きいおばあちゃんを見送るんでしょう?」

「でもどうしても行かなくちゃいけないんだ!」

「ミーコも!」


 正史と美湖は病室を出て行った。トージを探すために・・・。


 ◇


 トージはお嬢様を求めて浜をさまよい歩いていた。そこはよくお嬢様と散歩をした場所だった。そこに行けばお嬢様に会える気がしていた。


「お嬢様・・・お嬢様・・・」


 トージは呼び続けるが、お嬢様の姿はどこにもない。もう一晩中、歩き回っていてぬいぐるみの足が濡れた砂でふやけてきていた。


「お嬢様は・・・もしかして・・・私がいけなかったばかりに・・・」


 トージは絶望していた。もうこのままお嬢様に会えないと・・・。その時、そんなトージの後ろ姿を正史と美湖が見つけた。そしてすぐに2人は浜に下りて、トージの方に駆けて行った。


「トージ! トージ!」


 そう呼ばれてトージは振り返った。その声を聞いて、「お嬢様だ!」・・・と思って一瞬、喜んだ。だがそれが正史と美湖と分かってがっかりしたようだった。正史はトージに声を開けた。


「トージ。探したよ。」

「私のことは放っておいてください。お嬢様を探しているんです。邪魔しないでください。」


 トージはそう答えた。偽物のミーコには用はない。町中を歩き回っても本当のお嬢様を探すのだ・・・とも言いたげだった。そんなトージに正史はうれしそうに教えた。


「見つかったんだ。トージの探しているお嬢様が。ミーコが見つかったんだ。」


 正史の言葉にトージは長い耳をぴんと立て、ガラスの目を輝かせた。


「本当ですか! お嬢様が・・・お嬢様が生きておられたのですか!」

「そうだ。今から会い行こう! 今なら間に合う!」


 正史はトージを抱き上げた。


(大きいおばあちゃんがまだ生きているうちに、トージを会わせるんだ!)


 そう思った正史は美湖とともに大急ぎで病院に走って戻っていった。


 ◇


 曾祖母の血圧はかなり下がっていた。あと少しで・・・というところまで来ていた。そんな時に正史と美湖が戻ってきた。


「大きいおばあちゃんのそばに寝かせてあげて。」


 美湖は正史からトージを受け取って美恵子のそばに寝かせた。


「トージ。あなたが探していたミーコよ。」


 美湖は誰にも聞かれないようにトージの耳にそっとささやいた。もちろんトージは約束通り身動き一つしなかった。ただ美恵子の横に置かれたトージは心の中で話しかけた。


「お嬢様。」


 するとトージの意識は別のところに飛ばされていた。気が付くとそこは火事になる前の洋館だった。庭に美しい花が咲き、木には小鳥が止まってさえずっていた。


「藤次。ミーコよ。」


 そう声をかけてきたのは幼いころの美恵子だった。


「お嬢様。お会いできてうれしゅうございます。」

「ミーコもよ。藤次。」


 美恵子は笑顔で言った。


「心配かけたようね。でもミーコは生きていたのよ。苦労したけど・・・。でも楽しいこともいっぱいあった。いつも笑顔でいたら楽しく過ごせたのよ。」

「それはよろしゅうございました。」

「でも人生はこれでおしまい。ミーコはこれから上に上るのよ。」

「上でございますか?」

「そうよ。お父様もお母様もお兄様もお姉様もみんなそこにいるのよ。私たちを待っているのよ。」

「そうでございましたか。それなら藤次もお供いたします。お嬢様とご一緒に。」


 すると上から明るい光が差してきた。美恵子と藤次は魂の光の玉になり、それは空からの光に導かれるかのように大空に上っていった。


 ◇


 美恵子は亡くなった。その顔はなぜか笑っていた。


(大きいおばあちゃんはトージと会えたんだ。だからあんなうれしそうな顔をしているんだ。)


 そしてトージはもう動くことはなかった。ただのうさぎのぬいぐるみに戻っていた。


(トージは探していたミーコに会えて安心したんだな。それで一緒に天国に行ったのだろう。)


 正史はそう思っていた。窓の外を見ると、空は抜けるように青く晴れ渡り、あの白鳥丘は日の光を浴びて美しく輝いていた。


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