第13話 番外編 ゆめの花嫁修業

「月夜、おかえりー!!」


地球から月の王国に降り立つと、姉の満月の元気な声がしてバスっと抱き締められた。たった一週間離れただけだったけれど、懐かしい気持ちになっているのだから不思議だ。


満月のお気に入りの香油の匂いが、安心感を掻き立てる。あぁ、月に帰ってきたのだ。出迎えてくれた侍女にも目配せして挨拶をする。


「ただいま」


「やったわね、月夜!! さあ準備にとりかからなくちゃ」


「あれ、見てたの?」


「もちろんよ! ささ、花嫁さん」


「ま、待ってお父様にあいさつしないと……」


急かす満月を横目に、王宮の奥にある父の寝室を目指す。本来は玉座へ行くのだが、もう自室に戻っているようだ。


「お父さま、月夜です。ただいま戻りました」


「入るが良い」


すっと板の間に入って、正座をする。頭を深く下げれば、地球へと送ってくれた父の情けに感謝の気持ちがわいてくる。


「無事な顔を見せてくれてありがとう。大変なこともあったであろう」


「多大なるご慈悲、ありがとうございました。あの、はじめの願いごとですが……」


はじめのねがいごとは、私と一緒になること。それは月を出て、地球人になると言うことを意味する。

月では地球に降りるという言い方をするが、地球に降りると言うことは、島流し同然の意味だ。王国の姫が地球に降りる。それがどれほどのことか、ゆめは痛いほど感じていた。


「承知しておる。月夜、お前はそれで良いのか」


どうせ後ろ指をさされるのは、月にいる間だけ。地球に行ってしまえば同じ人だ。はじめの元へ行けば、もう帰ってくることは正式には許されないだろう。

それを承知で父は自分に問いかけてくれているのだろう。

父の果てしない慈悲の心に、深い感謝があふれ出る。


「はい。覚悟はできております」


「承知した。だが、月の者が地球で生活をするのは並大抵のことではない。ましてやお前は家事などもしたこともない姫だ。しばらくは地球で花嫁修行をするがよい」


「は、はなよめしゅぎょー?」


「いま一度地球へ戻り、料理や掃除、地球で生活するのに最低限必要なことを覚えるのだ。それができなければ、嫁には出せぬ」


そういわれたら、負けず嫌いに火が付いた。なにそれ、やってやろうじゃない。

多少なら、はじめの家で向田にも教えてもらった。

何にもできないお姫様。それでは生活が成り立たないことは十分承知だ。


お父さまは、一週間で地球で住むあぱーとを決めてきた。あれよあれよといううちに準備がなされ、引っ越しをし、付き添いの朔が隣の部屋に住んで、地球での生活が始まった。


あぱーとのわんけーの部屋で、一人暮らし。向田と一緒に何度かキッチンに立ったので、ガスコンロ、水道などの使い方はなんとかできた。掃除に洗濯はまったくもってはじめてのこと。


洗濯機に洗剤を入れすぎたり、コンセントも知らないものだから、掃除機のスイッチが入らないと騒いだり。もうめちゃくちゃ。朔を呼び出してはあれこれと教えてもらい、時には一緒に悩みながら使い方を覚えて行った。


正直、かなり大変だった。自分の生活を自分でなどしてこなかった。それは立場上仕方のない事ではあったけれど、体力も忍耐もいることであった。お父さまは全部お見通しだったのだろう。


使い方を覚えるのは楽しかったし、面白かった。月とは全く違う環境に心を躍らせながら過ごす日々は、光り輝いているようだった。


2週間もすれば、それなりに使い方にも慣れてきた。近所のスーパーへ買い物に行けば、顔見知りになった店員さんとおしゃべりすることもある。朔から安全管理についての説明もあった。悪いことをするひとがいるから、鍵とチェーンを必ずかけること、夜で歩く場合は防犯ブザーを持つこと。困ったときは交番に行くこと。


110番などは、はじめにも教えてもらっていたので分かる。スマホを買って使い方を覚えようとするが、もう頭はパンク寸前。さすがに無理がたたったのか、3週間目は寝込んでしまい、朔が看病してくれて、なんとか回復した。


本当はすべて自分でしなければならないのに、このざまだ。本当に地球人として生きてなんていけるのだろうか。その疑問が浮かんでは消える。でもこれを乗り越えないとお父さまに許してもらえない。はじめと協力するにも基礎知識がないのでは対等になれない。


目まぐるしく過ぎる毎日をなんとかこなす。一カ月もたつと朔は月へ帰って行って、いよいよ私一人になった。


小さなベランダから見える月を見るととてつもなく恋しいと思う。

地球人になる、それを簡単に考えていたのかも知れない。涙がポロリとこぼれそうになるのを必死にこらえて、布団に潜り込む。

来週からは料理教室に通う。仕事もすることになった。私にできるのは踊りしかないので、朔が探してきてくれた日本舞踊の教室でアシスタントとして働かせてもらうことになった。


月の舞踊は、ひいおばあさまが地球で覚えてきたもので、ほぼ日本舞踊。そこは問題ないだろう。先生に会いに行ったけれど、思いのほか優しそうな人だった。最初はとっつきにくい感じもしたけれど、私の踊りはたいそう気に入ってくれたようだった。


料理教室に通いながら、日本舞踊の先生のアシスタントとして日々汗を流し、くじけそうになりながらも、弾丸で始まった花嫁修業は半年間続いた。


「月夜、一度月に帰って来なさい。もう心配ないだろう。こちらでの支度を済ませたら地球へ行くがよい」


借りていたあぱーとと、仕事はそのまま月に一時帰宅し、お父さまや乳母たちに別れを告げた。お母さまの墓へもいった。もう二度と月の土を踏むことはないのかもしれない。そう思いながら。


「お父さま、満月、お世話になりました」

「元気でね、月夜」

そう言って、満月は翡翠の勾玉をかけてくれた。


「これ……」

「あなたはいつまでも私の妹、いつでもまた想念を送ってちょうだい」

「月夜、わしからはこれじゃ」

そう言って、お父さまは地球鏡を取り出した。

「お父さま、これ……」

「可愛い娘の顔が見れなくなるのはさみしい。地球で言う、てれび電話じゃ。

いつでも話すことができるぞ。元気で。朔がまたはじめに説明するからの」

「ありがとうございます」


別れを告げて飛車に乗る。ぽろぽろと涙がこぼれるも、新しい生活にワクワクしていた。


「朔、はじめはどこなの?」

「確かこの大学だと聞いてきたのですが」


賑やかなきゃんぱすと言われる、学校の中ではじめをさがす。きょうはお祭りでもあるのだろうか。ものすごく人が多い。


「すみません、『いまとしはじめ』と言う人を知りませんか?」


私は、はじめとよく似た着物姿の男性に話しかけた。はじめの事を知っていたようで、連れて行ってくれるとの事。


私のこと大学生だと思ってるみたいだけど、大丈夫かな。


歩いていくと遠くに見える着物姿の男性。まちがいない、はじめだ。

月と地球の時間の流れるスピードが違うせいで、ずいぶん待たせてしまった。

とくとくと胸が高鳴る。


「はじめ、お待たせ」


にこりと笑いかければ、椅子から転げ落ちたはじめ。

それでもすぐ立ち上がって、抱きしめて口づけられた。あのころとは違う、深くて艶めかしいキス。


はじめ、待たせてごめんね。もうずっと一緒だよ。


(了)


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君が、月に帰るまで 高野百加 @Takanomomoka

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