愛猫が過ごした一生

武藤かんぬき

本編


 我が家の愛猫は19年と少しの間生きた。キジトラの雌猫だった彼女との出会いは、私の自宅だった。


 ダンボールの中でモソモソと動きながら『ミィミィ』と鳴く子猫が2匹、そのうちの1匹が後に我が家の飼い猫になる『チビ』だった。


「お母さん、このネコ達どうしたの?」


「この子達、落とし物なのよ」


 母が困ったように苦笑しながらそう言ったのだが、私にはその言葉の意味がわからなくて小首を傾げてしまった。


「今朝拾得物として警察に届いたのだけど、子猫だしそのまま餌だけあげて放置はできなくてね。保健所にもなかなか引き取りに行けないって言われて、仕方なくみんなで持ち回りで面倒を見ることになったのよ」


 実は母は当時、自宅近くの警察署内にあった車庫証明の窓口でパートをしていた。今考えると押し付けられたのかなとも思えるのだが、母としても頑張って生きようとしている小さな命を放置できずにダンボールを抱えて自宅まで帰ってきたらしい。


「うちで飼うの?」


「飼ってあげたいけどお父さんがねぇ……」


 母がため息交じりに言った言葉に、そうだねぇと私も同意した。父は動物を飼えば死ぬ時に悲しい思いをするのが嫌だから、絶対に飼う事を許さないというのが持論の人だったから。


 数日間ミルクをあげたり排泄の補助をしたりして、2匹が元気に鳴いている姿を見ると情が湧いてくる。このまま家で飼えないかなと姉と一緒に頭を悩ませていると、ある日副署長の奥さんが自分も暇なので面倒を見るよとさっさと子猫たちを連れて行ってしまった。


 母も断ろうと思っていたそうなのだが、やはり働いている場所の副署長の奥さんという立場に遠慮してしまって、うまく言えなかったらしい。


 そして2日後、弱りに弱った子猫が我が家に戻ってきた。しかも1匹、チビの兄弟猫は朝起きたら死んでいたそうだ。子猫を育てるのは難しくて、突然儚くなる事も多くない。ただ副署長の奥さんは子供もいなくて自分で何もできないくらいの子猫を育てるのは初めてだったらしく、冷たいミルクをそのまま飲ませて排泄の世話などもしていなかったようだ。


 うちの家にいた時と比べてひどく衰弱していたチビの姿を見ると、生きて我が家に戻って来れた事を奇跡だと思った。


 さすがに今にも死にそうなチビの姿を見て、父もそのまま放り出せとは言えずに我が家で飼っていいと言った。一生懸命家族みんなで看病してなんとか一命を取り留めたチビは、正式に我が家の愛猫となったのだった。


 生まれたその日に捨てられたとはいえ、持病があるかもしれないし瀕死の状況だったので病気を患っている可能性もあったので、動物病院へ連れていくことになった。


 そこで診断されたのは、先天的に免疫不全症候群であるという事。つまり病気が長引いたり治りにくかったり、下手をしたら重症化したりするというのだ。元々交通事故などが心配なので外に出すつもりはなかったが、ここで完全にチビの家猫人生が確定した。


 外の世界を知らないのは可哀想かもしれないが、病気になって苦しんで死ぬよりはいいだろうというのが家族全員の意見だった。


 こうして家猫生活を始めたチビは、すくすくと育っていった。私は高校を卒業して専門学校に入った後、卒業後に東京へ上京して2年間声優を目指していたので家にはいなかったのだけれど、夢が破れて自宅に戻る事になった。2年と少し会っていなかったのに、チビはちゃんと私の事を覚えていてくれた。早い発情期で避妊手術をしたチビは、性格的に非常に幼くわがままに育ってしまった上に噛み癖があった。


 私も未だに手の甲に噛まれた傷跡が残っているが、よほど機嫌が悪いかこちらから不用意に触る事がなければ噛まれる事はない。ちなみに姉は当時の彼氏が猫を2匹飼っていたので、顔を見る度に『シャーッ』と威嚇していた。このチビの姉嫌いはずっと改善されなかったので、三つ子の魂百までとはよく言ったものだなと思った。


 地元に戻ってきた私は、近所のゲームショップで働き始めた。チビは相変わらずの姫様扱いで日々のんびりと過ごしている。そんなある日、チビがご飯を食べずにジッと同じ場所に座り込んで動かなくなりました。おかしいなと思い病院に連れて行くと、遊び道具の髪ゴムを飲み込んでしまっていたようで、そのゴムが臓器に引っかかってしまっていた。


「明日には破裂していたかもしれません、よく今日連れてきてくれました」


 とは獣医さんの弁。私と母は安堵で胸を撫で下ろし、チビの手術が終わるのを待った。手術が終了して体内にあったゴムを見せてもらったら、一本のゴムを結んで円型にしているものだった。最初から円型の髪ゴムならこんな風に引っかからなかったらしいと聞いて、チビに本当に悪い事をしたなと家族みんなで反省する事になった。


 エリザベスカラーを着けて、動きにくそうにしているチビはあちこちにカラーをぶつけまくっていた。猫って自分のヒゲで幅を判断するけど、そのヒゲよりもカラーの方が大きいんだからそりゃあうまく歩けないよね。それ以後、チビが誤飲しそうな物は床に置かない落とさないというのが我が家のルールになった。


 私達が歳を取るのと同時に、チビも順調に年齢を重ねていく。もちろん猫の方が寿命が短いので、老いるスピードはチビの方が早い。異変の最初は口を開けて発作を起こすようになった。


 私は病院に連れていく事を提案したのだけど、母がどうも全身麻酔を掛けられてグッタリしていたチビの姿がトラウマになったみたいで、病院に連れて行かないという決断をした。治る可能性だってあるのになと思って説得したけど、病院で痛い思いをさせるくらいなら家で看取ってあげたらいいと。チビは我が家の飼い猫だけど、治療費や食費なんかを出しているのは両親だったのでこれ以上は強く言えなかった。


 その状態で10年弱、体調を崩すこともあったけれど大体は健康で調子良く過ごしていたチビだったけれど、加齢により目が見えなくなってしまった。そこから芋づる式にトイレができなくなって粗相をしたり、自分の部屋代わりにしていたクッションの場所もわからなくなり、お別れの予感がひしひしと強くなっていた。


 そしてあの日、学校から帰ってきた姪達と母と私に看取られながら、チビは虹の橋を渡った。最初に病院に連れて行った時に免疫不全だから長くは生きられないかもしれないと言われたけれど、19年と少しの生涯を生き通したのは大変結構だと思う。それでも、尻尾が何本生えてもいいからもっと長く生きていてほしかったというのが家族の本音だ。


 丸1日家族とのお別れの時間をおいて、チビは庭の花壇の隣に埋葬する事になった。季節ごとにキレイな花を植えればチビも退屈しないかな、そんな姪達の言葉に従った形だ。


 寒さ厳しい今は、花壇にはパンジーが控えめな花を咲かせている。特に世話はしないけれどチビが大好きで懐いていた父も他界したので、きっとふたりでその花を楽しんでくれているだろう。


 どうか仲良く家族を見守ってくれていたらいいな。父とチビを亡くして寂しがっている母を、見守ってくれていたらいいなと切に願う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛猫が過ごした一生 武藤かんぬき @kannuki_mutou2019

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ