6 私たちの周回軌道


 私はスズカの部屋に帰ってきたが、だからと言って何が起きるわけでもない。

 肩を落として戻った私を、スズカは疲れ切った薄笑いで迎えてくれ、私たちは定位置に腰を下ろした。私はPS4の電源を入れ、スズカはまた新しい小説を書き始めた。まさかこんな時に、と思われるかもしれないが、他にやることもなかったのだから仕方ない。片手で狩人様を操作するのは全く骨が折れた。私の狩人様はそこらへんの雑魚にさえズタボロにされてしまった。一方のスズカも、今まで両手でスマホを使っていたものだから、難しい顔で四苦八苦している。

 とはいえ、なんとかならないこともなさそうだった。お互いに。

 私たちは何を失ったのだろうか。それは、どれほど重要なものだったのだろうか。唯一無二、掛け替えのないものだった気もするし、無くてもどうにかなる程度のものだった気もする。多分それはどちらも正しいのだ。どう考えても人生に必要不可欠なものでさえ、無いなら無いで、無いなりに生きていけてしまう。

 それが、現実。

 だからこそ、離さず掴んでおきたい。

 なのに、そんな希望を抱くことそのものが、触れていたかったものを崩してしまう。大切に思うほど、愛しく思うほど、近づけば近づくほど、私の重力がスズカを引裂き、粉砕してしまう。それが避けられない摂理なら、一体、どうすればいいのだろう。

 私は、どうすればいいのだろう。

 狩人様が完膚なきまでに叩きのめされ、私は奇声をあげて仰向けにひっくり返った。真後ろにスズカがいたから、ちょうど膝枕になる。スズカもまた、何か書き終えてスマホを置いたところだった。

 私たちの視線が絡んだ。彼女は最高に色っぽく微笑んで、私の頭を撫でてくれた。私も彼女の膝を撫でた。頬をこすりつけて思いっきり甘え、持ちうる限りの愛を手のひらに込めた。

 扇情的に。

 あまりに扇情的に。

 スズカは、そっと手を耳元に伸ばし、星に触れた。

【――いく?】


 ああ。

 ロシュはもう限界だ。

【いこっか】


 私はスズカの胸を這い登り、最後で最高のキスを奪った。唇と瞳がひととき鋭く煌めくかに見え、次の瞬間、私たちは崩れ始めた。今度は腕だけではない。脚も、腰も、胸元も、あらゆるところが黒に染まってひび割れ、無数の礫となって飛散した。

 私から飛び出た私のかけらが、渦を描いて廻りだす。スズカであった小石たちもまた。物理学なんて全然知らないはずなのに、なぜか私は唐突に悟った。

 千々ちぢに砕けたは、今、互いの引力に惹かれて周回軌道に入ったのだ。

 私たちは混ざり合い、ひとつの渦に、輪っかになり、やがて、色とりどりの同心円が連なる円盤と化した。【聞こえる?】【聞こえる】どちらが呼びかけどちらが応えたのか、もはやそれすら判然とせず、ただ私たちはひとつだった。その事実に舞い上がり、私の軌道が微かにズレる。しかしスズカ/萌の重力腕が、すぐさま私を円盤に引き戻してくれる。目に見えない引力の有無を言わさぬ力強さ、それが無性に嬉しくて。

 私たちの宙域は、今や、【好き】に満ちていた。

 一体どれほどの間、そうして渦巻いていたのだろうか。もう私たちには時間感覚さえないけれど、気がついた時にはあの店主がそばにいた。スズカのものだった部屋の中、宙を回り続ける私たちを、店主はあの綺麗な目で暖かく見ている。私たちは挨拶の仕方も分からなくなっていたので、とりあえず円盤の半径を1万kmばかり拡げてみた。彼が微笑み返したところ見ると、うまく通じたらしかった。

 彼は、懐から小瓶を取り出した。透明でかわいらしくて、とっても私たち向きの香り高いコルク栓が嵌っている。私たちは瓶に目を奪われた――もしもまだ目があるのなら。

 店主は小瓶の口を私たちに向け、栓を開いた。その途端、凄まじい気流が瓶の口に生じて、私達を吸い込みだした。いや、というよりもこれは、まるで空間そのものがすり鉢状に湾曲して、私たちを飲み込もうとしているような。落ちるべきところに落ちていくような。

 それは味わったことのない心地よさで、私たちは慣性も体積も捨て、吸い込まれるままに身を任せた。なんとも不思議なことに、文字通り天文学的なスケールだった私たちは、手のひらサイズの小瓶にすっぽりと収まってしまったのだった。

 店主が、瓶の中の私たちを覗き込む。私たちは少しの間まごついていたが、やがて、収まりのいい位置を見つけて、ふたたび周回を始めた。

「いつまでも一緒にいるといい。

 少し手狭なのは気の毒だけど」

 店主が、優しく囁いた。

「それだって、君たちの宇宙にはかわりないのだから」




THE END.

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ロシュはもう限界だ 外清内ダク @darkcrowshin

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