神様になったこの世界で

@oimodayo

プロローグ

 ――痛い。

 首が、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。

 刃物で、斬られた。――誰だ? 通り魔か? フードを被ってるせいで、顔が見えない。

 ――とにかく、血が止まらない。誰か、助けてくれ。頭もくらくらしてきた。まだ、生きていた――ぃ。


 ▲ ▲ ▲


「――瑠璃るり様、そろそろお目覚めの時じゃないですか?」

「ん……え?」


 女性の柔らかく呼びかける声がし、そっと目を開ける。目の前には、何やら神々しい服装をした可愛らしい女性が立っていた。その姿に目を奪われながら、ふと我に返り聞いた。


「誰、ですか?」


 女性は深くお辞儀をし、その後自身の名前と、まだ現状を把握できていない彼に対し、辺り一面黄色の雲の様なもので覆われているこの謎の空間に至るまでの経緯を笑顔で説明した。


「私は、『神政しんせい』が運営する『魂決所こんけつじょ』の職員、スミレと申します。簡潔に説明致しますと、木津田きづた 瑠璃様は現世で死んでしまいました。死んでしまうと魂は肉体から離れて、この『魂決所』にやってくるんです」

「死んでしまったって――あ」


 瑠璃は思い出す。確かに、誰かに首を斬られて、そのまま血を流し続けていたことを。そして今の説明を受け、結局その命が助からなかったことが判明した。

 瑠璃は意識を朦朧とさせながらも、“まだ生きたい”と強く願った。だが、そんな切実な願いを神様は叶えてくれなかった。


 木津田 瑠璃、十七歳。高校二年生で、まさに青春を謳歌――できていなかった。

 とにかく瑠璃は、他者とは関わろうとしなかった。そして家族とも、極力距離を置きながら生活していた。彼にそうさている根本的な原因は、自身の名前にあった。

 瑠璃――と言う名。女性がその名前で生きていく上では、何も問題はないだろう。だが、男性で瑠璃という女性のような名前をつけられるのは、彼にとって相当恥ずかしいものであった。

 勿論それでも、親から授かったものとしてその名前を大切に思う人間もいるだろう。しかし、彼は自分の名前に頗る嫌気が差していた。

 結果、物心付いてからは名前を決めた親にはあまり好感が持てず、周りの人間もこんな名前の自分を蔑んでいると錯覚し始め、他者との交流を止めた。

 それでも、“人と関わらない”ことはとても辛く、孤独なものだ。

 人生の大半は人と関わることで成り立っている。それを極限まで捨てた瑠璃にとって、人生は途轍も無く無意義だっただろう。

 趣味もなく、ただ生きているだけだった瑠璃は――最期まで報われることはなかった。


「――瑠璃様、分かります。その年齢なら、まだ現世でやり直したことが沢山ありましたよね……」


 目を細め暫く考え込んでいた瑠璃に、スミレは優しく同情する。しかし、その同情は間違ってる。

 瑠璃は、自分が死んで――良かったと思っているからだ。


「俺は――正直もう、どうでもいい」

「え? 一体どういうことですか?」

「最期は確かに、“まだ生きたい”って思ったよ。けど、一回死んで、落ち着いて考えてみれば、死んでよかったのかもしれない。俺は現世で、生きる意味を見い出せなかった」


 死んで良かったなんて、瑠璃自身も思いたくはなかった。できることなら、友達や恋人をつくり、人生思いっきり楽しんで、家族との時間も大切にしていきたかった。

 だが、自分には何もない。友達も、恋人も、家族との交流も。

 故に、生きる理由も――何もかもないのだ。


「――知ったよう口を利き、勝手な解釈をしてしまって、ごめんなさい」


 俯く瑠璃を見て、スミレは深々とお辞儀し、謝罪した。

 瑠璃は謝られたことに対し、少し戸惑った。

 自分が余計なことを口にしなければ、彼女は今も笑顔を保っていただろう――瑠璃はそう、自分を責めた。

 人と関わるのは余り好かないが、スミレにだけは何故か自然体でいられた。


「……顔を上げてください。もう、大丈夫です」


 スミレは申し訳なさそうに顔を上げた。

 場の空気は悪くなったが、スミレは感情を無理矢理切り替え、話を本題に移した。


 ▲ ▲ ▲


「――では、これから『魂器調査こんきちょうさ』を行います」

「魂器、調査?」

「はい。『魂器調査』とは、ここに来られた魂の器を『魂調玉こんちょうだま』で三段階に分けて調査することです」

「なるほど……」


 それからスミレは、淡い七色で彩られ、滑らかな球の形をし、息を呑む程#眩__まばゆ__#い光沢を放つガラス玉、『魂調玉』を用意した。


「なんか……す、すごいですね」

「ですよね! 私自身、何回もこの玉を見てきましたが、未だに見入っちゃいますもん。――では、この玉に触れてみてください」


 瑠璃は言われた通り、スミレの手の上に置かれた『魂調玉』に手を伸ばし、指先でそっと触れた。

 玉は見た限りでは分からなかったが、僅かな熱を帯びていた。


「その玉……触ってみて如何がでしたが?」

「ほんの少し、熱かった気がします」

「おー! そうでしたか!」


 スミレは満面の笑みで歓喜した。瑠璃は何故スミレが喜んでいるのか分からないまま、ただ呆然としていた。

 暫くしてスミレは興奮を抑え、深呼吸をしてから話を始めた。


「瑠璃様。貴方は、あの門を潜れば晴れて神様になれます」

「――神様?」

「そうです! 『魂調玉』は、それに触れた魂の器を図ることができるんです。玉が熱かったら『神の器』、何も感じなかったら『凡の器』、冷たかったら『悪の器』となるんです」

「へぇ……つまり、今回は玉が熱かったから、俺は神様になれるってことですか?」

「その通りです!」


 神様になれる―――なんて言われても、瑠璃は今一理解が追い付かなかった。

 瑠璃の中での神様は、物凄く強く、神々しく、誇り高いイメージがある。それを少し前まで人間だった自分が、“『神の器』だから神様”――なんて、軽々しく決めてもいいことなのだろうか。

 そもそも自分は、神様が持っている様な特別な能力や、他者と友好な関係を築く術さえ、持ち合わせていない。

 何もかも足りていない自分に、神様になる資格なんて――ないのだ。

 それでももし、周りが認めてくれるのなら――資格なんて、器なんてどうでもいい。

 ――神に、なってみたい。


「神様になれるなんて……最高じゃないですか」

「……! それは良かったです! では、神様について説明致します!」


 その後、瑠璃はスミレによる神の説明を受けた。

 要約すると、神になった魂は神気しんきというものを纏って擬似的な肉体を造って生きていくこととなり、肉体が損傷することはあるが、ある程度は再生は可能。今の瑠璃は、一時的に神気で擬似肉体を生成しているそうだ。それに加え、老いはないものの寿命は千年までだという。

 更に、神になった魂は『神能しんのう』という特殊な能力を一つ授かることになるらしい。


「神様にも寿命ってあるんですね……」

「まぁ神様といっても、無敵な訳じゃないですからね……では、最後にあることをやってもらいます」


 そう言うとスミレは、美しく繊細な彫りの額縁に納められた鏡を取り出した。サイズは手鏡より少し大きめで、それ以外は普通の鏡と何ら変わらない。

 そしてスミレは、瑠璃の顔が映るよう鏡を向け、鏡についての説明を始めた。


「これは『忘却鏡ぼうきゃくきょう』といい、現世での瑠璃様に関わる記憶を忘れさせることができる鏡です」

「なるほど……けどなんでわざわざ、現世での記憶をなくす必要が?」

「それは私にも分かりません。『魂決所』に来られた魂が神様になる場合、必ずそうしないといけないルールなんですよ。因みに、現世での知識は忘れないので安心してください」


 神様になる場合は、『忘却鏡』で自身に関係する記憶を忘却しなければならない。

 ――正直、どんな理由があって忘却するのか、瑠璃には分からなかった。しかし、瑠璃自身そのことについては何とも思っていない。

 現世に――思い出なんて、一つもないからだ。


「瑠璃様、鏡を見詰めてください。だんだん、頭がフワフワしていく筈です」


 瑠璃は言われた通り、鏡を真っ直ぐ見詰めた。

 段々と、頭の中に霧がかかっていく。そして、記憶が霧に飲み込まれ、遂には姿が見えなくなる。

 ――自分が誰なのかも、もう分からなくなった。友人も、恋人も、家族も、存在していたのかすら分からない。

 どこに住んでいたのか、どんな暮らしをしていたのかも思い出せない。ただ不自然に、ここに来た時の記憶と、現世の知識だけが取り残されていた。

 その内、猛烈な虚無感が心を埋めつく――、


「――!」


 誰か、優しい手に背中を撫でられ、意識を現実に連れ戻した。

 知らない内に床に手を付いており、今にも倒れそうな雰囲気だ。

 重い体を必死に動かし、やっとの思いで立ち上がり、彼女の名前を呼んだ。


「スミレ……さん」

「――大丈夫でしたか?」

「……すごく、気持ち悪い感覚でした」


 人として生きていた頃の記憶が、完全に思い出せない。思い出そうとすると、すぐに霧で覆われる。

 そんな中、不意に一つの言葉が頭の中に流れ込んできた。


「――ラピス」

「ふむふむ。それが貴方の新しい名前ですよ」

「新しい……名前?」

「『忘却鏡』は、映った魂の記憶を忘却することともう一つ、その魂に新たな名前を与える作用があるんです」


 記憶を忘却することの代償に、新たな名前の贈与。

 ――全く、間尺に合っていない。しかし、もう起こってしまった出来事を変えることはできない。

 瑠璃改め――ラピスは、覚悟を決めた。


「これでもう、やることは全て終わりましたよね?」

「はい! 後はもう、私が貴方のことについての書類を『神政』に提出するだけです! もし、まだ何か分からないことがあれば、先に天界に住んでいらっしゃる神様方にお聞きになってください。――では、あの門へ」


 ――不安は、ある。

 どんな神様が住んでいるのか、どんな生活を送るのか。

 しかし、もう後戻りはできない。これから何が起きようと、どんな困難が待ち受けようと、目の前にある道を真っ直ぐ突き進んでいくだけだ。


「ラピス様――御武運を」


 その言葉に背中を押され、ラピスは門へと歩き始めた。

 一歩一歩に、様々な想いを込めながら。


 ――ラピスは遂に門を潜り、神々しく輝く未知なる世界へ、その足を踏み入れた。

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