3-9 種族を隔てるもの

「登らないなら、どうするんですか?」


「飛ぶんだよ」


 ロレーナの質問に、ユイトは上を指差しながら答えた。


「空高く飛べば、壁を越えられるのはもちろん、検問官やコウモリの監視を逃れることもできるからね」


 そこまで説明されれば、異種族に疎くても察しがついたようだ。ロレーナはすぐに容疑者ならぬ容疑族を挙げる。


「飛行が得意な種族というと、ハーピーですか?」


「第一候補はそうだね」


 ハーピーは鳥の翼のような腕を持つ種族である。その見た目通り、腕を羽ばたかせて空を飛ぶことができる。それどころか、距離の点でも、高度の点でも、こと飛行能力においては彼らを上回る種族はないと言ってもいい。


「ハーピーについてはご存じですか?」


「話程度には。鳥のような翼の生えた種族ですよね」


 ユイトが確認すると、マイヤは記憶をたどるような様子で答えた。やはり、異種族のことに関してはあまり詳しくないようだ。


「ただヴァンパイアも変身することで飛行が可能となります。そのため、侵入ルートとして空も想定しております。このことは実際にやぐらに登ってみればご理解いただけるかと」


 検問官としての責任感からか、彼女はそう言ってすぐに飛行説にも反論してきた。


 それで、この提案に従って、今度も実証実験を行うことになった。


 当然のような話だが、櫓への入り口は国内側にしかない。そのため、ユイトたちは検問所を特別に通過させてもらって、再びトランシール公国に入国する。


 外観と同様に、櫓の内部は塔のような構造になっていた。最上部の監視台に向かう形で、階段が内壁に沿って螺旋状に上へと伸びている。


 けれど、マイヤはこの階段を使わせる気はないようだった。


「上までは遠いですから、自分たちがお運びしましょう」


 二人を気遣って、彼女はそう申し出てくる。その背中には、コウモリ状の翼が生えていた。


 監視のために、壁の高さ以上に櫓は高く作られていた。階段で上まで登りきるのは、確かに辛そうな距離である。


 だが、それでもロレーナは首を縦には振らなかった。


「私は結構です。階段がどんなものか確かめたいので」


「それじゃあ、僕もやめておきます」


 好意からの申し出を断られても、マイヤは特に気にしたそぶりを見せなかった。ただ「承知しました」とだけ答える。それから、部下と共に櫓の中を飛んで、一足先に監視台へと向かったのだった。


 マイヤを追いかけるように、二人もすぐに階段を登り始める。


 しかし、彼女の申し出を断ったことを、ユイトは早々に後悔する羽目になった。


 魔王戦の後遺症によって、歩くのにステッキが必要になるほど脚を悪くしていた。また、それが運動不足を招いたことで、体力も落ちてしまっている。その結果、まだ全体の五分の一も登っていない内から、早くも息切れを起こしていたのだ。


「よろしければどうぞ」


 先を歩いていたロレーナは、見かねたように膝をついた。


 このままではいつまで経っても上までたどり着けそうにないから、ユイトは今度こそ好意に甘えることにする。「悪いね」と彼女の背中に体を預けた。


 ウェアウルフのロレーナからすれば、人一人背負うくらい大した負荷でもないのだろう。むしろ、ユイトのスローペースに合わせる必要がなくなったことで、彼女の歩く速度は上がっていたほどだった。


 しかし、それでもロレーナは愚痴をこぼしていた。


「階段のチェックなら私がするんですから、勇者様は運んでもらえばよかったでしょうに」


 彼女はどうやらユイトをおぶることではなく、ユイトが無理をしたことに腹を立てているらしかった。


 だが、ユイトも何の考えもなしにロレーナについてきたわけではなかった。


「だって、本当にチェックをする気があるとは思えなかったから」


「……どういう意味ですか?」


 おぶってもらっているから、ユイトからはロレーナの表情は見えない。だが、声色には明らかに緊張が滲んでいた。


「マイヤさんは孤立派みたいだから、信用できなかったんじゃないかと思って」


「…………」


 核心を突かれたからだろう。ロレーナが言い返してくることはなかった。


 カルメラには犬扱いの挑発を受けた。ルースヴェインには中毒を起こす紅茶を出された。


 だから、同じ孤立派のマイヤに運ばれる最中に、が起きないとは限らない。ロレーナはそれを危惧していたのだ。


 言い換えれば、ロレーナはマイヤに対して、そういうことをしかねないというレッテルを貼っていたことになるが――


「別に批判してるわけじゃないよ。僕にだって似たような気持ちはあるからね」


「勇者様のは大したことではないでしょう」


 ロレーナは即座に否定した。以前語った、リザードマンは恋愛対象にならない云々のことだと思っているのだろう。


 しかし、それだけではなかった。


「……前に、いじめみたいなことをしてたって言ったよね? あれ、相手は外国人だったんだよ」


 驚いているのか、疑っているのか。怒っているのか、呆れているのか。それとも、失望しているのか。ロレーナが何も答えないので、今度は声からも彼女の気持ちを読み取ることはできなかった。


「僕が元いた国じゃあ、外国人は珍しくてね。確か人口の1%くらいだったかな。

 しかも、見た目も僕らはみんな黒髪なのに、その子だけ銀髪だからかなり目立ってて。だから、『変な色』とか『校則違反』とか言ってしまったんだ。

 そうしたら、その子は長かった髪をばっさり切っちゃって。それでも僕がやめないと、今度は帽子をかぶって学校に来るようになって……


「突然この世界に呼び出されたから、心残りはいろいろあるけど、一番はこのことかな。できることなら謝りに行きたいよ」


 こうして過去を打ち明けたのも、ロレーナのことを思いやったというより、自分が懺悔をしたかったせいかもしれない。


 何しろロレーナもあの子と同じような銀灰色の髪をしていた。その上、異種族に騒がれないように、ウェアウルフ特有の耳を帽子で隠すことまでしていた。


「……勇者様は銀髪がお嫌いなんですか?」


「いや、綺麗だなと思って」


 ユイトが何を言っているのか理解するまで、ロレーナはかなりの時間を要していた。


「いじめていたんですよね?」


「その子と話したかったんだけど、素直に声を掛けられなくてついね」


「そういえば、前に子供の頃の話だとおっしゃってましたね」


 感情を押し殺したような無機質なロレーナの声は、安堵したような呆れたようなものに変わっていた。


「やっぱり大したことないじゃないですか。子供なら好きな子に意地悪してしまうのはよくあることでしょう。相手だってもう大人なんですから、勇者様の真意に気づいていると思いますよ」


「でも、あの時傷つけたことには変わりないからね」


 当時の彼女がどんな気持ちで髪を切ったのか。どんな気持ちで帽子をかぶったのか。


 それを思うと、「子供の頃の話」で済ませる気にはなれないのだった。



          ◇◇◇



 櫓内の階段を登り切って、二人は最上部の監視台に到着した。


 監視用の窓(穴)は大きく、また各方向に対して作られていた。視界を広く確保して、見張りをしやすくするためだという。さらにもし侵入者を発見した場合に、飛び出せるようにする意味合いもあるようだ。


「では、始めます」


 そう宣言して、マイヤは実験に取りかかった。


 窓から外に向けて、彼女が合図を出す。壁の外側にいた部下の検問官は、それを確認するとコウモリ状の翼でその場から飛び立った。


 ほどなくして、検問官の飛行高度は壁の高さを超えた。少なくとも、空を飛んで国内に侵入すること自体は可能なようだ。


 残った問題は、監視に見つかることなく侵入できるかどうかだろう。


 その検証のため、検問官には魔力の続くかぎり高く飛んでもらうように頼んであった。指示に従って、彼は上へ上へと昇っていく。


 高度が上がるにつれて、監視台から遠ざかることになり、徐々に検問官の姿は小さくなっていった。


 この光景に、ロレーナは目を細く尖らせる。しかし、それは検問官の姿を見失ったからではない。むしろ、その逆だった。


「視力を強化すれば、十分見えますね……」


 二人の目は、未だに検問官を捉えたままだった。ロレーナの目つきが険しくなっていたのは、また推理がはずれたと思ったからだったのだ。


 彼女の言う通り、監視の検問官たちは、強化魔法で視力を高めた状態で見張りを行っている。また、監視台自体が壁に合わせて高い場所にあるので、侵入者が少し高く飛んだところで、検問官たちとの距離は簡単には広がらない。そのため、監視をかいくぐって国内に侵入するのは困難なようだった。


 だが、異種族のことをよく知るユイトはまだ諦めていなかった。


「どうかな。ハーピーならもっと高く飛べるからね」


 ヴァンパイアは変身魔法を使って翼を生やした上で、さらに強化魔法を使って羽ばたいて空を飛んでいる。これに対して、生まれつき翼の生えているハーピーは、強化魔法を使うだけでいい。


 そのおかげで、ハーピーの方が飛行する際の魔力の操作が単純で済み、魔力の消費量も抑えられる。つまり、ヴァンパイアよりも長い距離を飛んだり、高い高度まで飛んだりすることができるのである。


 だからハーピーなら、もっと遠い場所から飛行を始めて、もっと高い位置を飛ぶことによって、検問官の監視を逃れることも可能なのではないだろうか。


「しかし、こちらも強化魔法だけでなく、双眼鏡を使用しますから」


「確かにある程度は補えるでしょう。でも、それだって限度が――」


 マイヤに双眼鏡の実物を渡された瞬間、ユイトは絶句していた。


 想定していたものよりもサイズが大きい。これはひょっとすると……


 実際に双眼鏡を覗いてみると、その予感は確信に変わった。


「この双眼鏡は新式のものですね?」


「ええ、その通りです」


 一縷の望みを込めて確かめてみたが、案の定マイヤには頷かれてしまった。


 これで飛行説も否定されたと見ていいだろう。


「どういうことですか?」


 不思議がるロレーナに、ユイトは双眼鏡を示しながら説明した。


「双眼鏡の筒の中にはレンズが二つ使われているんだけどね、今までのものは異世界ジョーク的に言うとガリレイ式といって、凸レンズと凹レンズを組み合わせたものだったんだよ。

 それに対して、新式はポロ式、つまり凸レンズと凸レンズを組み合わせたもので、さらに遠くまで見えるように改良されているんだ」


「そんなに性能が変わるんですか?」


「確か、倍以上違うはずだよ」


 口で説明するよりも、実際に見てもらった方が早いだろう。そう考えて、ユイトは双眼鏡を又貸しする。


 覗いた瞬間、ロレーナは「おお」と驚愕とも諦念ともつかない声を上げていた。


 ハーピーがいくら高く飛べても、検問官が双眼鏡を使えば捕捉されてしまう。鮮明に拡大された遠景を目にして、そのことを彼女も実感したようだった。


「知らなかったなぁ……」


「新式なら仕方ないでしょう」


「いや、物自体は結構前からあるんだよ」


 ロレーナは慰めてくれたが、この失敗は自分の責任だろう。


「凸レンズ同士をそのまま組み合わせると、見える像が上下反転してしまうんだ。だから、それを補正するために、中にプリズムを組み込む必要がある。

 そのせいで、新式の双眼鏡を作れるのはドワーフくらいだったんだよ。まさかヴァンパイアの国にもあるなんて……」


 そこまで技術が発展しているとは思わなかった。言い訳がましくユイトはそうこぼす。


 しかし、この推理すらはずれだったらしい。


「その双眼鏡は我々が作ったものではありません」


「それじゃあ、ドワーフから?」


「はい、人間の方を仲介して輸入したものです。職務上、必要だと判断しましたので」


 好意も嫌悪もなく、マイヤは淡々とそう説明した。


『検問官ということは、マイヤさんは孤立派ということですか?』


『恥ずかしながら、自分には政治のことはよく分かりません。あくまで職務を遂行しているだけです』


 ロレーナの質問に対する彼女の答えは、偽証や言い逃れではなかったようだ。


 これも仕事の内だと思っているのだろう。ユイトの実験が失敗に終わっても、マイヤは決して苛立ちを見せるようなことはなかった。それどころか、ユイトを気遣うことさえしてきたほどだった。


「降りるのはどうされますか? 必要なら自分たちがお運びしますが」


「お願いします」


 あの長い階段は降りるだけでも重労働だろう。ユイトは申し出に素直に甘えることにした。


「……私もお願いできますか?」


「もちろんです」


 ウェアウルフのロレーナに頼まれても、マイヤは嫌がるそぶりを見せなかった。



          ◇◇◇



 地上まで降ろしてもらうと、そこでマイヤたちとは別れることになった。当初の予定通り、二人はルドルフら人間側の証言を憲兵署に伝えに行くことにしたのだ。


「結局、異種族が壁を越えるのは無理なんでしょうか」


 道すがら、先程の実験を振り返るようにロレーナは呟く。


「かといって、ヴァンパイアが結界を突破できたかというと……」


 そこまで言ったところで、彼女の声は消え入っていた。さまざまな仮説が出たものの、最後の飛行説に至るまですべて否定されたことで、推理が完全に袋小路に入ってしまったようだ。


 しかし、ユイトは違った。


 飛行説が否定されたことから――ドワーフ製の双眼鏡を使用しているというマイヤの話から、新たに閃いたことがあったのだ。


「その二つが協力したらどうかな?」


「ヴァンパイアが手引きして異種族を国に侵入させて、その異種族が結界を無視して殺人を行った……ということですか?」


「その通りだよ、ロレーナ君」


 ジョシュアが検問官たちを買収したという説が出た際、ユイトは一瞬だけ検問官たちが騙されたのではなく、殺人に同意していたという可能性を疑った。あの時は検問官全員が同意するのは無理があるとすぐに却下してしまっていたが、考える方向性としては間違っていなかったのではないだろうか。


 ヴァンパイアが何をすれば異種族を国内に侵入させられるようになるのか、その具体的な方法まではまだ分からない。だが、この説なら、ある謎に関して説明をつけることができる。


「ルースヴェインさんが刺殺された時、同時に僕がヴァンパイアに襲撃される事件も起きた。おかげで、僕たちは最初、二つの事件が同一犯の犯行で、ヴァンパイアが結界を突破する方法があるんじゃないかと考えた。

 でも、あれは異種族から『毒殺に失敗した』という報告を受けたヴァンパイアが、犯人の正体を勘違いさせるために、あえて僕の前に姿を晒したんじゃないかな」


「あっ」


 ロレーナははっとしたように声を上げる。


 ヴァンパイアと異種族の関係といえば、良くても人間のように干渉をなるべく避け、悪ければウェアウルフのように対立するのが普通だった。まさか協力し合うとは思わない。だから、彼女にとっても盲点だったようだ。


 しかし、二人はこの説を検証することができなかった。


 それよりも先に、周りを憲兵たちに取り囲まれてしまったからである。


「ロレーナ・タルバート」


 憲兵たちの輪から、カルメラが一人進み出てくる。


「貴様をルースヴェイン・ストロングモーン殺害の容疑で逮捕する」

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